テヘペロ

 シュカが自由に使っていいとサヤカたちに与えてくれた場所は、サヤカが初めに広いな、と思った居間だった。マコトとナフェリアは外套に、サヤカは毛布にくるまって、夜を超す支度をする。暖炉にはサヤカが魔法で作った薪がくべられており、心地良い音が響いていた。
 それぞれの食材を持ち寄って夕食を済ませたのち、シュカはサヤカたちと反対側の、せり出した場所に篭った。そこが自分の場所なのだろう。彼は必要最低限のやりとりを終えると、素早く眠りについてしまった。
「ねえ、ナツ」
「なんだい?」
「シュカと話してた話、ほんとなの? ──親がいないって」
「ああ、そのことかい。そうだよ」 
 別段なんの感慨もなく、ナフェリアは答える。シュカを起こさないようにひそひそと交わされるそれは幼い子供の内緒話のようだが、内容はそんなに幼いものではない。サヤカの左隣にいるマコトも、ひょっこりと顔をあげた。ナフェリアとマコトにはさまれるようにして寝転がっているサヤカは、暗がりの中少しだけ顔を歪めた。顔を上げたマコトの表情は、暗闇の中では読めなかった。
「ごめん、僕、流石にすごく個人的な話になるし……聞かないつもりでいたんだけど、聞いてた」
「……私もごめん。気になったからって軽々しく聞いていいことじゃないよね」
「別にあたしは気にしないよ。ていうか、同じ部屋にいるのに聞かないでいるほうが無理だろう。特に隠しているわけじゃないし、あんたらが気に病む必要はないさ」
 ナフェリアは外套の中から手を伸ばし、仰向けに天井を見上げているサヤカの頭を優しく撫でた。きゅっと口を結んだサヤカに、ナフェリアは軽口をたたく。
「なあに、簡単な話だよ。物心つく前に捨てられたあたしは、国の兵士のひとりすらも配備されないような貧乏な村の人に拾ってもらった。だけど、やっぱり貧しい村だったからね、食料だの家だのが足りなくなるわけだ。挙句の果てに、口減らしなんていう物騒なことがはじまりそうな勢いだったからさ。もとはといえばよそ者のあたしが出ていくのが妥当だろう? ──そんなもんだ」
「……そんな軽く言えるものなの、その話って」
「ん? まあね。十に満たないときに村を出たし、これで子供の命がひとり救えたっていうならなんの悔いもないさ。まだ、村の役に立てるなら立ちたいけどね」
 サヤカの問いに、飄々とそう告げるナフェリア。
 金髪の旅人についてシュカと話すときに、ナフェリアは自分の生い立ちもざっくりと話していた。まずアルトンで起こった孤児攫いの事件のこと、ナフェリアはその手伝いをしているということ。そこまではサヤカたちも把握しているナフェリアの事情だったが、その余話として語られたのがナフェリアの生い立ちだ。孤児に感情移入する理由として、自分が孤児であったと話したのだ。
 そこまでシュカに説明する必要があったのかどうかはわからないが、彼は最終的には納得して、金髪の旅人が向かった方向を教えてくれた。それから、金髪の旅人の本拠地になっていてもおかしくないような洞窟の位置をいくつか。その話のあとに夕飯があり、こうして雑魚寝に至ったわけだが──耐えきれなくなったサヤカがナフェリアに聞いた、というのが先ほどまでのことの顛末である。
「……僕は、家族がいないって考えられないな」
「私も。…………家族が、いないって」
 考えられないよ、とサヤカは重たく、冷たく呟く。ナフェリアは苦笑した。この子たちはあたしに感情移入しすぎだ。ただ、たまたま出会った旅人同士ってだけなのに。ずっと一人旅をしてきたナフェリアにとって、こんな事実はただの軽口に消えてもかまわないようなことなのに。
 やけに重くなった雰囲気に、ナフェリアが静かに言った。
「まあ、そんな重苦しく考えなくていいさ。すれ違う旅人の戯言だ、こんなものはね」
「そんなことないよ」
「そうかい? 少なくともあたしは今までの人生に、悔いも悲しみもないよ。サヤカがそんなに悲しむ必要はないさ」
「家族がいないって、すごく悲しいことだよ!」
 ひそひそとした無清音が、いきなり有声音に変わる。驚いた顔をしたマコトとナフェリアに、ぱしりとサヤカが口を抑える。取り繕えないほどに陰鬱とした空気が流れた。マコトがいち早く、一瞬の沈黙を縫って言った。
「とりあえず、もう寝よう。野暮な質問してごめんね、ナツ」
「ああ、ほんとに気にしなさんな。サヤカもね」
「………うん、ごめん」
 そう言ったっきり、小屋には沈黙が流れた。がたがたと家を揺らすような吹雪の音に合わせて、少年が身じろぎするような音が流れていた。

「ねえナツ」
「なんだい?」
「私達も一緒に行っていいかな。人手があったほうが良い──そうでもないのかな、わからないけど。人探し、手伝うよ」
 サヤカのその申し出に、ナフェリアは眉根を寄せた。怪訝そうな顔を惜しみなく晒し、サヤカに問い返す。
「……ありがたい申し出だけど。あんたらだって目的があるだろう? マコトはそれでいいのかい?」
「人が増えれば、子供を助けるときの人手も増えてその分危険も減る。もし秘密裏に行動する必要があるなら僕たちは邪魔かもしれないけど……その時は言ってもらえれば良いよ」
「私達、特別急いでるわけでもないし。ナツの助けになれるならなりたいから」
 ぽかんとした表情を晒した後に、ナフェリアは少し笑って皮肉っぽく言った。手をひらりと顔の横ではためかせる。
「見ず知らず……とまでは言わないが、昨日に一昨日会っただけの人に手を貸すなんて、ずいぶんお人好しだね? 初対面のあたしより怪しくはないかい」
「ナツと一緒に食べたご飯は美味しかったし、話してて楽しかったから手伝いたい。それじゃあだめかな?」
 ナフェリアの冗談口に、至って真面目に答えたサヤカ。ぱちくりと目を瞬いたナフェリアに対し、マコトは少しだけ笑ってみせた。うすうすわかってはいたけれど、サヤカは根っからこういう人なのだ。
 ナフェリアが、「あんたには負けたよ」と肩を竦めた。
「……その台詞、マコトにも言われたんだけど」
「それだけサヤカが強いってことだろう。あたしが勝手に始めたことに巻き込むのは気が引けるけど、人手があって助かるのもまた事実だ。お言葉に甘えってってことで、あんたらのこと頼ってもいいかい? あたしからは、なんの謝礼も出せないけどね」
 前半、適当にあしらわれた気がしてむっとした表情になったサヤカだったが、後半の言葉を聞いて優しい表情になる。まるで契約を持ち掛けるように手を差し伸べてきたナフェリアに、サヤカはそっと手を重ねた。ナフェリアは、親指を除く四本の指だけを覆うように、手のひらの真ん中から展開された手袋をつけていたが、その厚い布越しでも体温が伝わってきた。ぎゅっと力強く握られる。
「それじゃあ、よろしく頼むよ。サヤカ」