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 ユーキが、閂はに手をかけた。扉を開かずとも、閂を引けばそれで扉が開くということだろうか。階段の途中で身構えたサヤカたちに、ユーキは自分も扉にぶつからないようにか後ろに飛び下がりながら閂を抜いた。
 バタン、と大きな音を立てて扉が開く。間一髪でその扉をよけたユーキは、ちらりと階段を見た。風にあおられたシュリをミコトが軽々と片手で支える。マコトもサヤカの後ろに居たけれど、なんとか耐え凌いだようだった。
「この世界に魔物が居たら、こんな感じなんですかねえ」
「そうなのかもしれませんね」
 自分に吹きつける雪をふるふると頭を振って吹き飛ばしたナツがそう呟いた。精霊に対してなんたる暴言、と聞く人が聞いたら怒りはじめそうな会話ではあるが、いまはそれを叱る人はいない。ただ、国ひとつ分に影響を与えるような魔力をもつ精霊が暴走しているとなれば、それは魔物と称すのが一番近いのかもしれなかった。
 シュカはしっかと、マントがあること以外は重さも顔もないその精霊を支えていた。
「メイクラシア様。『子守歌』をお願いします」
「はい」
 サヤカは、手燭に塔の初めの燭台から拝借した蝋燭を立てていたが、もうそれは使い物にならないようだった。すぐに吹き消えてしまったそれに複雑そうな顔をしていた。せめて何かの役に立てたらと灯りを持っていたのに。帽子が飛んで行ってしまわないように片手で押さえながら、サヤカはそれでも前を見据えていた。確かにこれでは進めそうにもない。
 メイクラシアは、ユーキに言われたとおりにゆっくりと歌い始めた。どこか聞き覚えのある旋律が吹雪に紛れて、それでいてしっかりと響く。これが、冬の精を鎮める儀式なのかとサヤカは前を見つめた。ならば、春の精を起こす儀式はどのようなものなのだろう。同じように歌って、精霊を起こすのだろうか。一瞬聞き惚れたサヤカは、はっと我に返って階段を駆け上がった。
 メイクラシアの持つ夜光石が、淡く光を放っていた。彼女が吹雪に吹き飛ばされないように支えるナツに、サヤカも加勢した。
 一拍一拍音が進むたびに、吹雪の勢いが弱まっている気がした。木のせいかもしれないけれど、これが儀式だというのなら気のせいじゃないのかもしれない。
「ナフェリアさん、ユーキさん、あのっ」
 これで、長い冬が終わる──そう安堵しかけたサヤカの耳に、メイクラシアの歌声の合間を縫って叫んだシュカの声が響く。
「なんだい!」
「春の精が、なんだか……苦しんでいる、ような」
 そう叫ぶシュカの顔が歪んでいた。眉を潜めたナツが、ユーキに向かって問いかけるような視線を向けた。扉の一番近くにいたユーキが、分からないといった風にふるふると首を振る。
「もういらない、って、そう言ってるんです! ほんとに!」
「……精霊の声が聞こえるのかい、シュカ」
「聞こえます、本当に!」
 信じてくれと、切にシュカの声が訴えていた。もとより疑うつもりなどないけれど、サヤカにはその声は聞こえていない。ほかの誰も聞こえていないようだった。シュカだけに訴えかけているのか、とサヤカは考える。
 ナツは少し迷ったそぶりを見せた後に、隣にいるサヤカを見つめる。
「頼みごとをしてもいいかい、サヤカ」
「私にできることなら」
「シュカと一緒に最上階まで行くんだ」
 できることなら、と言ったのにも関わらずそんな無茶を強いてくるナツに、怪訝そうな顔をしたのを思い切り目撃されてしまった。そんなことを気にもせず、ナツは軽い調子でミコトを呼ぶ。風に逆らってすぐにここまで来たミコトに言った。
「炎で道を作ってほしいんだけど、できるかい?」
「炎で道?」
「壁みたいにしてほしいんだ。人が数人通れるくらい。奥にある階段まで」
「できるかわかんないけど……精霊様を焼いちまいそうで怖いよ、俺は」
「そんなことで焼かれやしないよ。それにたぶん、精霊様は部屋の真ん中にいるから」
 頼むよ、と軽い口調で言ったナフェリアに、ミコトは 











 また階段か、と誰かが呟いた。
 緩やかに続く長い階段の先には、ぎいぎいと不自然に音を立てる扉があった。まるで閂のかかった扉の向こうから、誰かが無理に押しているようなそんな音に、シュリとメイクラシアがあからさまに怯える。
「誰かいるみたいだけど……あれ、なんですか」
 ユーキに対して、指をさして問いかけたサヤカ。ユーキはため息をついてから、「人じゃないんです」と重く呟く。ナツとシュカはまさか、と言った風に顔を顰めた。マコトとミコトが警戒心をあらわに、一行の前に出ていた。
「四季の精は、一年の四分の三を寝て過ごして、そうしてその年に季節を保つ魔力を溜めるんです。だから、今の冬の精は、もうとっくに魔力が尽きているはずの状態で……」
「もしかして、だから途中で春が来たみたいな気候になったのは、それのせいですか」
「そうです。ただでさえもうない魔力を浪費していたのに、数日前から様子がおかしくて……とうとう暴走を始めました。人間でいう火事場の馬鹿力のようなものでしょう」
 口調は淡々としているのに、その内側には厚い情や熱がある。サヤカの知る守り人はナツとシュカ、そしてまだ出会って一時間すら経っていないユーキの三人だが、守り人に選ばれる人々の共通点はそこである気がした。淡々と、冬の精霊の実情を述べるユーキの口調には、確かな親愛が含まれていた。
 サヤカはただ、思ったことをそのままに呟いた。
「……じゃあ、早く止めないといけませんね」
「ええ、よろしくお願いします。メイクラシア様」
 ユーキの声に、メイクラシアが神妙な面持ちでこくりと頷いた。サヤカが渡した襟巻を、細く白い指が握りしめる。
「ユーキどの、最上階には向かえそうですか」
「いえ、とりあえず冬の精を止めないと。奥にある最上階へ向かう階段まで行けるかわかりません」
「風が強いってことですか?」
「むしろ吹雪いています」
 初対面に等しいサヤカの質問にも、ユーキは快く答えてくれた。シュカとよく似ている不愛想さだったが、それを嫌悪するほどサヤカの器は小さくない。
 階段を最初に上がっていったのはユーキだった。後をついていくのはシュカとメイクラシアとナツの三人で、サヤカたちはどことなく気が引けて足踏みをしている。無関係なくせに進んでいいのだろうか。
 そんな様子に気が付いたのか、メイクラシアも振り返る。階段に足を踏み出そうとしない四人を見て続けた。
「わたしはまだ見たことがないのですが、四季の塔の最上階の眺めはとても良いと聞きます。ぜひ、一緒に来てくださりませんか」
「いいんですか。神聖な場所なのでは」
 問いかけたマコトに、メイクラシアが頷いた。
「ここには守り人が三人いて、精霊も、そしてわたしもいます。その誰もあなた方を拒んでいないのだから、いいんですよ」
「そんなこと言ってたら、守り人の候補者を選ぶ時にどうするんだい。神聖なひとしか足を踏み入れてはならない塔でなんて選別会が行われるわけないだろう」
 どこか無理やりな気もしたけれど、メイクラシアの小さな背中に、サヤカは一歩足を踏み出した。彼女が歩き始めれば、周りも自然と後に続いた。ごうごうと扉を叩きつける吹雪の音は、時折途絶えたり、弱まったりを繰り返しているようだった。
「出来ることなら、最上階で鎮めたいんですが」
「連れていけるんですか……?」
「吹雪が弱まっている時なら、なんとかなるかもしれません。メイクラシア様、扉を開けたらすぐに歌い始めていただけますか」
「……わかりました。こんな緊急事態に、新参者で申し訳ありません」
 震えた声でメイクラシアが答えた。その不安は緩やかに伝染して、サヤカ思わずつられてユーキに頭を下げる。事情を知らないユーキは、怪訝そうな顔をしながらもサヤカに礼を返してくれる。
 静けさが場を支配する。吹き付ける吹雪の音が弱まったその瞬間に、ユーキがぐいと閂を引いた。思い切りよく開かれた扉に、メイクラシアがゆっくりと歌いながら入っていった。その間に、ユーキとシュカが飛び込む。
 どこか懐かしい旋律だった。思わずぼうっと聞き惚れかけたサヤカの手を、マコトがとって走り出す。ナツが、「行ける人から最上階へ」と言っていた。
 石造りの部屋の中は、もともと何も置かれていないのか片付けたのか物がなかった。部屋の仲だというのに雪が散るそこにとどまっているのはユーキたちのようだ。
 精霊を抱えたシュカはすでに走っていた。最上階はどうやらこの上らしい。メイクラシアの声が部屋にゆったりと充満していく中を、マコトとサヤカは駆け抜けた。最上階で儀式を行うのが常套らしく、ユーキとナツはどうにかして冬の精を最上階まで連れてこうとしているようだ。
 サヤカとマコトが階段の手前まで移動したとき、ミコトとシュリはまだ心配そうにしながら、そしてメイクラシアは歌いながら部屋を横断していた。シュカを見る限り、どうやら精霊には触れられるようだから、刺激しないようにかユーキはじりじりと冬の精に近づく。ずいぶん高いところに来たようで、体が重かった。