18

 シュヴァルツに連れられて着いた教会は、荘厳な柱と頑丈そうな扉のある、しかしどこかこじんまりとした場所だった。イズは大きな町で、地方ごとの文化が混ざり合う地域でもあるから、いくつか教会があるらしい。ここは、そのひとつだった。
 どこかで見たような龍の紋章を掲げ、白と濃紺で構成された爽やかな印象の建物。その周りの花壇には、大ぶりの白い花が咲き誇っている。冬の湖の冷たさを思わせるような雰囲気に、少女は花屋を訪れたときとは違う意味でその場所に見惚れることになった。ここだ、と足を止めたシュヴァルツに案内され、少女はゆっくりとその教会へと足を踏み入れる。
「教会だなんて神聖な場所、ほんとうに私が訪れても平気なの?」
「白の子はここでは大切にされる。平気だ」
「何かあれば俺たちもいるしな。綺麗だし北の町の教会の雰囲気とも、俺たちの住んでた孤児院とも雰囲気が似てるし──居心地良い場所だよ、ここは。神父さんもいい人だからな」
「ならいいのだけれど」
 そう頷いた少女に、シュヴァルツがゆっくりと扉を開けた。木製の扉がきしむ音がやけに明瞭に耳に触れる。そこは、かつてのロアスランと同じ水龍信仰でありながら、ヴァークに伝わる寓話を基にした信仰も同時に持つ、異端と言われる教会らしかった。
 扉の開くその音に、気さくで優しげな雰囲気を纏う、トウトの言う神父らしき壮年の男性が振り向く。トウトとシュヴァルツはどうやら彼と知り合いのようで、鷹揚に片手をあげて挨拶していた。なにやら紙を纏めている彼はふたりを見つけるとすぐに相好を崩してみせる。
「おや? シュヴァルツ、トウト、お久しぶりですね」
「久しぶり、グラド神父」
「……お久しぶりです」
 丁寧に礼をする神父に、ふたりもぺこりと礼をする。少女の耳には、そんな簡単な会話も光景も目に入ってきてはいなかった。
 教会に入ってすぐに目につくのは、教会の最奥にある薔薇窓のステンドグラスだった。太陽の光を反射して床に影を落とすその姿は美しく、煌めきは少女の目を虜にしてやまない。束ね柱も長椅子も眼に入らないかのように、少女は手を引かれるまま薔薇窓にだけ視線を注ぎながら歩いた。何かに見惚れるのはよくあることなのか、ふたりは動じた様子もなくゆっくりと少女を連れて歩くばかりだった。
 薔薇窓に刻まれているのは、青を基調にした背景と龍のような生き物、それから一人の少女のようだった。それはステンドグラスで出来ている作品であるにも関わらず、どこか神聖な雰囲気を漂わせている。
「ええ、お久しぶりです。そちらのお嬢さんははじめまして、ですね。グラドと申します、よろしくお願いします」
 神父はゆっくりと手元の紙を机に置き重石をのせると、少女に向かって簡単に礼をしてみせる。彼の言葉が自分に向けられているものだと気が付くのに数拍かかり、訝し気なふたりの視線が少女を刺してから、ようやく少女は神父のほうを見た。
「あ、……ええ、はじめまして。レイン……コハクと名乗ったほうがいいかしら、コハクと申します。今はレインと呼んでくださるとありがたいわ」
「ああ、貴女がコハクさん。話は聞いていますが──いえ、どうやらなにか理由があるご様子で。よろしくお願いいたします、レインどの」
「ええ、よろしくね、グラド神父」
 多少行儀が悪いが、花束を持ったまま服の裾を摘まんで軽く腰を落とす挨拶をすれば、神父はぱちぱちと瞬きをした。少女の体調を気にかけているのかちらちらと少女を見つめる視線とその瞬きに応えるように軽く首を傾げて微笑めば、神父も優しく微笑んだ。
「旧時代の挨拶を使う方など、久方ぶりにお目見え致しました。今はもう、ハリアドのほうの王国でしかお見掛けしないものですから」
「……旧時代の挨拶?」
「ええ、先ほどレインどのが行っていたものですが……ああ、無意識でいらっしゃいましたか。これはどうも野暮なことを」
 今度は、少女が瞬きをする番だった。数拍置いてから、もう一度軽く挨拶をして見せる。これにどこか変なところがあっただろうか、と首を傾げてから、小さく笑った。
「そうかしら。トウトたちもそう思う?」
「ああ……そういやお前の挨拶とか礼の仕方、昔と違うよな」
 その問いに、トウトは聞かれたくないことを聞かれたかのように一瞬眉を潜め、繕うように笑って見せる。迷子防止、と繋がれていた手に微かに力が入り、そのあとするりと離れていった。この場所では迷子になる心配もないのだから、当然と言えば当然なのだけれど。
 記憶がないのだから、些細なことを気にしても仕方がない。件の事件から少女が少女として目覚めるまでどんな生活を送っていたのかは彼らも知らないのだから、その間にどこかしらで覚えてきただけなのだろう。
 離れていったぬくもりに微かに寂しさを覚えながら、少女は続けた。
「きっとどこかで覚えてきてしまったのよ」
「まあ、そうだろうな。高貴な感じして似合ってるぜ」
「ええ。でも貴族の挨拶なら外ではあまりしないほうがいいかしら。あらぬ誤解を生みかねないわ」
 そう言って服の裾を手放した少女は、十字になっている聖堂を見回し、あちらこちらにあるステンドグラスと龍の彫り文様を眺める。失礼に当たらない程度に見渡していたつもりだったけれど、神父はそんな少女の様子を見てくすくすと笑った。
「聖堂内が気になりますか」
「ええ、少し。素敵な場所だと思って……作法が分からないとはいえ、無礼だったかしら。ごめんなさい」
「いいえ、この場所を気に入っていただけたならば幸いです。私どもは、此処を訪ねてくださった白の子を無碍にするなど致しませんから」
 丁寧な口調で少女に応答する神父の様子は、どこかトウトたちと気さくに話すよりも丁寧な扱いを受けている気がする。隣のトウトもシュヴァルツも、それに特に違和感を持つ様子はないようだった。
 街の喧騒は遠い。静けさが支配するその教会内は、どこか懐かしく、そしてどこか息苦しさを思わせる。北の町の孤児院や教会に似ているというのだから、体が覚えているのかもしれないな、と思った。どこか窮屈な息苦しさを覚えるのは、白の子だからと迫害されていたころの記憶かもしれない。
「緊張してらっしゃるの? グラド神父。私にだけレインどの、だなんて畏まった呼び名しなくて構わないのよ」
「かつてから水龍に愛されたとされる白の子ですから……。ええ、しかしレインどのが言うのであれば改めましょう、レインさん」
「そっちのほうが居心地がいいわ、ありがとう」
「今日はもう教会での催しの予定もありませんから、是非ゆっくりなさってください」
 少女が漆黒の瞳を細めれば、神父もにこやかに微笑みを返す。
 この教会が異端だと言われる理由はこれだろうか、と思った。かつて水龍を信仰し、白の子を神の御使いだと崇めていたロアスラン、そして今はすでに廃れたその慣習。それを風龍信仰のヴァーク寄りの街で未だ寓話として抱えている教会があれば、それは異端だと言わざるを得ないだろう。それをただ受け入れ害さないのは、文化の混ざる山の上の街だからだろうか。それとも、ヴァークという地方の特徴なのだろうか。
 白の子を迫害せず、未だ水龍を信ずる彼らの教会ならば、確かに安全といえば安全だ。そんなことを考えて神父と多少言葉を交わした少女の横で、シュヴァルツがぼそりと呟いた。
「……良く喋るんだな、レイン」
「あら、昔の私はそれほど話さなかったのかしら」
「……まあ」
「俺たちとは喋ってたけどな。堂々と街の人と喋る印象はないな」
「じゃあ度胸も拾ってきたのね。いいことじゃない」
 記憶が戻ったら捨てることになるのかしらね、と冗談めいた口調で言えば、トウトは肩を竦めて笑う。シュヴァルツは曖昧に俯くと、さあとでも言いたげに手をひらめかせた。
 ここで少し休んでから帰ることにしよう、と決めてから、少女はシュヴァルツたちと一緒に長椅子に腰かけた。再び吸い込まれるように薔薇窓を見上げれば、トウトはそれを一緒に見上げながら笑った。
「あれ、好きか?」
「ええ、綺麗ね、とても。絵画みたいだわ」
「この教会に伝わる寓話を描いたものらしいぜ、あれ」
 寓話、と少女が繰り返せば、トウトが目を細めながら続けた。
「なんだったっけ。昔々の話だよ、水龍の──」
 トウトは、そこから先を一瞬言い淀んだ。楽し気に説明していたのから一転、どこかで会ったばかりのような──少女に、『白の呪い』について説明してくれていたときと同じような、そんな感覚を得る。その先を引き継いだのはシュヴァルツだった。
「水龍の怒りを買い、白の巫女アルカディアによって湖に沈んだ町、──ティヒエン。その話」
 ぴり、と微かな頭痛が少女を襲った。