シュヴァルツはどこか不機嫌そうな様子だった。少女は思わず口を結び、膝の上に置いていた拳を握る。ただ、このステンドグラスにまつわる話が綺麗なだけじゃないということだけは、よくわかった。
一瞬にして切り替わったその空気を賑やかすように、トウトが軽快な口調で言う。
「まあ、俺たちにとっちゃ聞いてて気分のいい話ではないぜ。ステンドグラスは綺麗だけどさ」
「知りたいわ」
自分でも驚くほどに簡単に、その欲求は喉から滑り出した。食い気味とすら言えるようなその言葉に、両隣のふたりが驚く気配がする。それでも、少女は静かに続けた。
「知りたいわ。……だめ?」
「…………駄目じゃ、ないけど」
「ふたりが話せないのなら、別の人から話を聞くのでも構わないわ」
「それなら、俺たちよりグラド神父のほうが詳しく話せると思うけど……」
その声と、ちらりと向けられた視線に、向こう側で静かに佇んでいたグラド神父がゆっくりと口を開いた。どうしても聞きたい、と少女は思った。昔の私はこの話を知っていたのだろうか。記憶を取り戻す手立てがあるような、そんな漠然とした感覚があったのだ。
「私で良ければ、お話しいたしますが」
「ええ。……お願いしてもいいかしら」
「もちろんです。トウトさん、シュヴァルツさんのお二人はどうしますか」
その声に、トウトはすぐさまシュヴァルツを伺った。微かに俯いている表情を見てか、その場の空気に似つかないような明るい声で笑った。
「俺とトウトは少し外を巡ってきます」
「分かりました。手短に済ませる心積もりですので、宜しくお願いい致します」
「分かってるって。それじゃあまたあとでな、レイン」
そう言うと、トウトは軽い調子で立ち上がって教会の出口へと歩いていく。シュヴァルツは心配そうな目線をひとつレインに寄越してから、「後で」と一言置いて外へと出ていく。取り残された神父と少女の間には、ただ静かな空気が漂っていた。
あのふたりが少女をひとりぼっちに置いていくなんて、相当に聞きたくない話なのだろうな、と静かに思う。それでも知らなければならない、と少女は思った。思慮が浅いことと直感を信じないことは別問題だ。
「どこからお話しいたしましょうか」
長椅子に座る少女に背を向け、神父はゆっくりとステンドグラスへと近づいていった。寓話の基礎さえ知らないということを、些細な会話から理解したのか、何から説明するべきか悩んでいるようだ。少女が目を細め無言で先を促せば、神父はやがて口を開く。
「かつて、このフマには神龍が居たのですよ」
「ええ、水龍と、そのほかに数体居るのでしょう?」
「はい。水龍、炎龍、風龍、土龍、雷竜の五体と、それから彼ら五神龍の長である龍神さまがいらっしゃいました。彼らによってこの地は作られたとされています」
もっとも、彼らは加護を残したのちとうの昔にこの地を去っておりますが、と神父は笑う。ステンドグラスに描かれた龍に触れながら、神父は幼子に読み聞かせをするような淡々とした声で続けた。青の鱗を持つステンドグラスの龍は凛と佇み、絵の中の少女を見つめている。
「ヴァーク地方は風龍さまのご加護に守られています。自由を重んじる土地柄なのも、そのせいなのでしょう」
「では、ロアスランも水龍の加護に守られているの?」
「いいえ、ロアスランでの神龍の信仰は既にほとんど廃れております。あの土地に決まった神はなく、また信ずるものも水龍の加護や別地方の神龍など人それぞれ。白の子は、これからお話しさせていただく寓話がまた別の話として伝わっていて、その寓話に則り疎まれているのですよ」
にこり、と神父が笑う。
何もかもを見透かすような瞳をした神父だった。どこか懐かしささえ感じるその優しい鋭さに、少女は居住まいをゆっくりと正す。覚悟を問われているような気がした。
「聞かせてちょうだい」
「もちろんです。これは、かつて、この地がロアスランと呼ばれるよりもはるか昔のお話です。御伽噺のひとつともいえるかもしれません」
「……ええ」
「昔、ロアスランの真中にティヒエンと言う町がありました。色を重んじ、水龍を信仰する厳格な土地です。彼らは水龍から加護──瞳のかけらを授かりし白の女子を神の御使い、巫女とし、讃えておりました。白の女子が生まれれば神に愛された子供だと喜び言祝がれ神殿に入ることになります。そして碧眼の側近と共に幼き頃から巫女として学ばせ、ティヒエンの上に立つものとして相応しい教育を施しました」
少女が黙って聞く姿勢を整えれば、神父は少女の返事を無しに話を進めるのを了解したようだった。ステンドグラスには相変わらず日光が降り注ぎ、きらめきを増して教会を照らす。青色の多いその影は、遠く離れた町の喧騒と混ざり合っていく。
「そして、ティヒエンの古くからの──未だ、水龍が居たころからの習わしとして、巫女は或る歳になると水龍に捧げる生贄となります。月の綺麗な夜に毒を飲み、神殿の奥の湖に身を捧げるというものでした」
「随分と物々しいのね」
「ええ。それがティヒエンでの習わしでしたから」
「……水龍は去ったのではなかったの?」
「ええ、とっくに去っておりました。しかし彼らと水龍を繋ぐのは水龍の瞳と呼ばれる宝玉、加護の象徴です。その宝玉がある限り、ティヒエンは水龍を信じ贄を差し出し続けることでしょう」
「──それが、水龍の怒りに触れたというの?」
少女の問いかけに、聞いていたよりも随分と聡明な方だ、と神父がひとりぼやく。一拍置いて、くるりと振り返った神父が続ける。
「ええ。その通りです。このステンドグラスは、神の怒りを人々に伝えた巫女、アルカディアを描いたもの」
「……ふうん。贄を良しとしなかったのかしら」
「水龍は生贄など望んでいない、と巫女は生前訴えていたそうです。宝玉に込められている水龍のちからは、そのようなことを望んでいないと。しかし訴えは聞き入れられず、巫女アルカディアはあえなく贄となりました」
少女の独り言にも頓着せず、神父は淡々と言葉を紡いだ。水龍の怒りを背負ったと言っていた割に、生贄になったというのか。それは確かに、白の子である自分が湖に近づくことすら厭うトウトらにとっては聞きたくもない話だろうな、と思った。記憶のない少女は何とも思わないけれど。
湖に沈みゆく巫女のことは、どこか鮮明に思い描くことが出来た。ステンドグラスには、白く長い白髪を持つ少女──アルカディアが描かれている。抽象的な表現の中でも、白の髪に白の服、それから赤い瞳はひときわその存在を主張し、アルカディアの神聖さや美しさと言ったものを再現しているようだった。
「贄となる晩、アルカディアは碧眼の側近にこう言ったそうです。『水龍の意思を果たす』と。そしてその宣言通り、儀式を果たし贄になった巫女アルカディアは、水龍の瞳と呼ばれる宝玉に宿っている怒りを浄化せしと仰り、街を湖の底へと沈めた──と」
「……一度毒で死んだ人間が息を吹き返したというの?」
「分かりません。しかしティヒエンは巫女アルカディアによって沈められ、村人たちは散り散りになったそうです。今でもロアスランにて白の子が生まれるのは、未だ鎮まっていない水龍の怒りを鎮めるべしと生まれてきた巫女となるべき人である、というのがこの寓話の全容です」
聞き終わってしばらく、少女はぼんやりとステンドグラスを見つめていた。それを咎めることもなく、神父はゆっくりと立ち続ける。知りもしないティヒエンという町に思いを馳せてから、少女は小さく笑った。
「それでも、ロアスランでは白の子は迫害されるのね」
「寓話は寓話、人伝の物語など何が真実かは分かりはしません。ロアスランでは、巫女アルカディアをはじめとする白の子が贄に捧げられた恨みとして水龍の瞳の力を行使している、というのが昔からの言い伝えですよ」
「ああ、水を呼ぶというのはそう言う……トウトたちもこの話は知っているの?」
「ええ。もちろん、この話にもロアスランの話にも良い顔はしていませんでしたが……こうしてレインさんが戻ってきた今なら、きっと張り詰めてばかりだった彼らもゆっくりと快方に向かうことでしょう」
「ええ、そうね」
そう言ってから、少女はゆっくりと立ち上がった。服の裾を摘まんで、先ほど旧式だと言われたお辞儀をしながら続ける。
「お話、ありがとう。とても有意義な時間だったわ」
「こちらこそ。貴女のような聡明な人と話が出来るのは良いものです」
「聡明というにはまだ何もかもが不足しているとは思うけれど。ええ、そう言っていただけると光栄だわ。ステンドグラスをもっと近くで眺めても?」
「勿論です」
そう言って神父はゆっくりと道を開けた。花束片手に歩く少女の足音が、静寂に支配された教会の中に響く。近くで見るステンドグラスはどこまでも美しく、そして恐ろしささえ感じさせる。凛とした表情や立ち居振る舞いが手に取る用に伝わってくるようだった。
少女は結局、トウトたちが教会へ戻ってくるまで、ただひたすらに水龍を背に水を繰る少女を眺めていたのだった。