「ウィルが育てたからあんな信心の薄い子に育ってしまったのではないの」
固い靴底が音を立てた。神殿を出て少し歩いた右手にある元老院の屋敷──そこに繋がる石畳を歩くものは、夜半になればウィリアムとマーヴィの二人しかいない。口を開いて早々鋭い言葉を発したマーヴィに、ウィリアムは苦笑した。
「まるで僕の信仰が空疎かのような言い草はやめてくれよ」
「実際そうでしょう。学にばかり溺れているからそうなるのよ」
「機嫌悪いね、きみ。きみだって剣に溺れているじゃないか。お互い様だろう」
「こうして性別に背いたようなことができるのもティエデールさまに選ばれてこそなのに、と言っているのよ」
そうだね、とウィリアムが返せば、マーヴィはもっと機嫌を損ねたように眉を吊り上げた。見せつけるようにため息を吐いてから、白い手で軽く頬を掻いた。
子供のころ、ふたりで居るときはその日一日のことを語る言葉が絶えなかったものだ。歳を重ねたからか、互いに責の大きな立場になったからか、和気藹々とした会話よりも真剣な言葉が増え、同時に沈黙も増えた。何も知らず優しいだけだった日々も懐かしい思い出だなと思いながら、ウィリアムは沈黙の隙間でマーヴィをちらりと伺う。
月明かりに照らされたマーヴィの髪は青の輝きをどこかに帯びていた。それをぼうっと見つめたウィリアムの視線に気が付いたのか、ぱちりと目が合い、海の底のように冷たい視線がウィリアムを貫く。
「なによ」
「いいや。きみの髪はいつ見ても綺麗だと思って」
「……そんなことで機嫌を取ろうとしたって無駄だわ。やめて頂戴」
「何に怒っているんだ、きみは。アルカディアにばかり構ったことかい?」
「それは仕事であり宿命だわ。……ああもう、いいわよ」
歩幅を広げたマーヴィが、ウィリアムを置いていくように先へと進む。剣を嗜む人間の速度に追い付けるはずもなく差を広げられ、比較的近場に或る屋敷へなどすぐについてしまいそうだった。
ウィリアムは手に持っていた本を脇に抱え、微かに小走りにマーヴィを追いかけた。それに気が付いて尚足を止めないマーヴィに、ウィリアムは小さく息を吐いてから、諦めたように片手をあげながら立ち止まった。
「悪かったよ、ヴィー。だから止まってくれ」
「……なぜ?」
「きみとのこの帰り道は結構好きなんだ。だから待って」
まだ機嫌の悪い顔をしていたが、マーヴィはそう言えばゆっくりと足を止めて振り向いた。腕を組んでウィリアムを待つ体制に入った彼女のもとへ、ウィリアムは急ぎ足で追いつく。決して体力のあるほうではないウィリアムに合わせて、再びゆっくりと歩き出したマーヴィにお礼を言ってから、ウィリアムは口を開いた。
「本当にきみは巫女様が好きなんだね」
「当たり前じゃない。ティヒエンに居て巫女を嫌うものなどいないわ」
「僕だってアルカディアのことは好きさ。でも、アルカディアのことは巫女様が大好きなきみに主体的に世話をしてほしかったよ、ヴィー」
「そうするべきだと何度言ったと思っているの。止めたのはウィルでしょう」
「アルカディアの教育は僕が引き受けたほうがきみに良いと思ってね」
「相変わらず何を考えているかわからないわね。うかうかしている間に私は嫌われてしまったようだし」
「今は苦手と感じているだけだろう。きみは少し厳格すぎるんじゃないか。年頃の娘など甘やかしてほしいものだよ」
「今更手のひらを返したら余計怖がられるだけだわ。だから今は誠心誠意巫女様をお守りするのよ」
屋敷の明かりは向こうに見えている。碧眼を持って生まれたということ以外はただの町人であるふたりは、神殿に入るにつき屋敷の一角を間借りする形で住んでいた。神殿から一定の感覚に置かれた燭台には、すべて丁寧に火がつけられていた。
夜は既に深い。夜空には星が瞬く時刻、暖かな灯篭の光がなければあたりは暗闇だ。微かに憂うように、ウィリアムは呟いた。
「……信心深いぶんにはいいけど、情を持つと辛いよ。ヴィー」
「それはあなたにも言えることだわ」
「きみは普段の立ち居振る舞いに反して案外直情的だからね」
「……まさかとは思うけれど、それで私を親代わりではなく護衛役に置いたの?」
「今日のきみは冴えてるんだね。九年目にしてようやく気が付いたのかい?」
茶化したように言えば、じとりとした視線がウィリアムを刺した。マーヴィは女性にしては背が高く、ウィリアムは男性にしては背が低かった。ほんの少しの差しかない視線の高さから飛んでくる抗議の視線に耐えかねて、くすくすと笑いながらウィリアムは片手をあげる。
冗談さ、と言えばあなたの冗談は分かりにくいなどと文句を言われる。マーヴィがこんな風に感情を露にするのはウィリアムの前でだけだ。幼いころから碧眼として元老院に取り立てられ、特別扱いをされてきた故なのだろう。
碧眼の御仁は、白の子が生まれなかった時代には白の子の代わりとしての役目を負う。民のために祈り、かつての白の子の幸を祈る、いわば民の信仰の代表者だ。その期待と、平民でありながら元老院に引き取られ育てられる責は重い。人目や評価を気にせずにいられる相手は、互いに互いしかいないのだ。
マーヴィの呆れた視線から逃げるように俯いて、ウィリアムは続けた。
「きみの心配をしているのは本当だけれど、そっちのほうが効率がいいからだよ。アルカディアには体術よりも知識を学ばせるのだから、剣士としての腕を磨いているきみに比べれば僕のほうが適任だ」
「そちらのほうが効率がいいことくらい分かるわ。何をそんなに心配しているの」
「一緒に神様の世界に行かないかってね」
「そんなことするわけないでしょう。白の子の不在を埋めるのは側役の役目だもの」
「そう、それならいい」
「私はあなたのことだって心配だけど」
「平気さ」
そう突き放したように言えば、マーヴィは不満そうにあらそうとそっぽを向いた。少し冷たく言い過ぎたかな、と思ったころには屋敷の扉は目の前にあり、警備につく兵士から軽く会釈をされる。扉の鍵が兵士の彼によってゆっくりと開けられる様を見ながら、マーヴィがふと思い出したように問いかけてきた。
「……そういえば、今日持っているそれは何の本?」
「地面についての研究資料を少し」
「また研究書を読んでるの。飽きないわね」
「西の一角で土砂崩れがあったろう。あのあたりの崖は崩れやすいし、どうにか対策できないものかとね」
ああ、と呟いて、マーヴィは微かに考えるように視線を上に向ける。悩んでいる時の仕草は相変わらず分かりやすい。
「とりあえず兵士が数名見張りに立っていたはずだけれど……根本的な解決にはならないものね」
「巫女への願い事にも関連のことが沢山来ていてね。ティエデールさまに願うのはもちろんだが、こちらで対処をしないわけにもいかない。わざわざ神の手を煩わせずとも人々の力で解決できるならそれが一番だ」
「いつもそう言うのね。まあ、同意だけれど……」
兵士が恭しく扉を開けてふたりを中へと呼び込んだ。神殿や道のりの薄暗さに比べ、随分と明るい屋敷の中は少し眩しい。夜間の見回りやランプへ油を注ぐ係を除いて寝静まる屋敷の中で、ああもぺらぺらと喋るわけにはいかない。声を出すのはちらほらと居る使用人に軽く礼を言うだけにして、広い廊下を歩いた。
とっくに見慣れてしまったけれど、碧眼に生まれていなければ本来見ない光景だ。床に敷かれた臙脂色の絨毯の上を少し行けば、お互いの部屋の前まで到着する。
見せつけるように、結ばれた髪をはらりと解いて見せたマーヴィは、少し気の抜けた声でウィリアムに言った。
「それじゃあおやすみなさい、ウィル」
「ああ、おやすみ……あ、待って」
扉の取っ手に手をかけていたマーヴィが、ウィリアムの声に少し肩を揺らしてから振り向いた。
「明日、アルカディアが街を歩いてみたいって言っていた件の可否について元老院に効いてから行くから、先に行っていて」
「あら、そうなの……分かったわ。朝の祈りは私が見ておく」
「ああ、よろしく。それじゃあおやすみ、ヴィー」
少し残念そうに眉を潜めたマーヴィに、ウィリアムも肩を軽く竦めた。それでも、出来る限りの親愛を籠めた声で挨拶をすれば、マーヴィは眉を下げて笑った。