頭飾りから眼前に垂れ下がる薄布が、少女の表情をしっかと隠していた。やれ収穫祭だ祭りだと朝早くから続く喧騒を耳に入れながら、少女は微かに眉を潜める。今日は、十四歳になってひと月経った少女に与えられた権利──収穫祭へ出掛けるその日だった。
「今日もこれをつけなければならないの。外が見えないわ」
「薄らとは見えているだろう。大衆の前にきみの顔を晒すわけにもいかないからね」
分かってくれ、とウィリアムは嗜めた。それに分かりやすくため息をついた少女は、微かに首を傾げて続ける。
「私はただ町を歩いてみたいと言ったのよ。それに対してどういうことなの、この警護の人数は。それに御輿まであるなんて聞いていないわ」
「巫女が外を出歩いたら大騒ぎになるだろう」
「お忍びは……ええ、まあ無理そうだけれど」
この髪ではね、と自分の髪を一房摘まみ上げた少女はため息をついた。
五年も待たされた割に、祈りの時間をのぞいて神殿に籠っている日々と特に変わりはしない仰々しさでしか外に出られないらしい。少女は十五になったら祝言を執り行うのだから、ティヒエンの収穫祭を見るのは今年が最後だ。少しは普通の町娘のように振舞って、外を歩いてみたかったけれど。
部屋の窓から見えるのは、神殿の正門前に立ち並ぶ兵士たちと彼らを仕切るマーヴィの姿だった。軽く布をずらしてしばらくその風景を眺めたのちに、やり場のない不満を視線にのせてウィリアムに寄越す。それにも肩を竦めるだけの彼に、己の幼稚さを見て再びため息を吐いてから、少女は薄布をゆっくりと降ろして見せた。
巫女としての正装である真白な服は、金の腕輪の嵌められた腕が露出していてこの季節にはうすら寒かった。薄めの外套を羽織って、少女はウィリアムと共にゆっくりと神殿の外に出る。ずらりと並ぶ警護の人々に小さく礼をしてから、少女は外で待っていたマーヴィに導かれるまま御輿に乗り込むことになった。
ティヒエンでは、ほとんどの建造物が白く磨かれた石を基調に作られている。神殿ほど丁寧に磨き上げられ、きちんと手入れされているわけでなく武骨な部分も目立つけれど、どこまで見渡しても白色が目立つのは確かだった。陽が差し込むこの時間帯、石が光を乱反射して少し眩しかった。
少女の乗せられた神輿は、数人の手でゆっくりと街の中を進んでいく。巫女が収穫祭を巡るらしいということは既に周知なのか、常から収穫祭の時となれば騒がしいティヒエンんは、二割増しでどこか喧騒を携えている。少女は神輿の窓からゆっくりと町を覗き、吹き付ける風に髪を靡かせていた。
「ねえ、ウィリアム」
神輿の窓の丁度真下、少女が顔をひそやかに覗かせている窓のとなりを、ウィリアムはゆっくりと歩いていた。少女の声に、ウィリアムはぱっと顔をあげる。いつもは彼のほうが身長が高く、少女が少しだけ見降ろされる形で会話をしていることが多いけれど、今日ばかりは窓のほうが頭一つ分ほど高さがあった。ぐいと上を向いて微笑むウィリアムが少しおかしく思えて笑いを零せば、どうしたんだと彼は言う。
「楽しいかい」
「ええ、思ったよりはずっと。神輿なんて仰々しいものを支度された時はどうしようかと思ったけれど」
「それならよかったよ。仰々しいとはいっても今日は無礼講だ。そうだな、出店のようなものがいくつか出ているけれど……何か欲しいものがあったら言いつけてもらってかまわないよ。買ってこよう」
「あら、いいの?」
「勿論。町の主要な通路はぐるりと回る予定になっているからね、いつでも言ってくれ。これくらいは楽しんだってかまわないだろう」
それにぱちくりと瞬きをしたのを、薄布越しでもウィリアムは理解したらしい。本当さ、と重ねて繰り返され、少女は小さくうなずいて見せる。
少女と進む神輿、そしてウィリアムを囲うように、兵士の輪が出来ている。民は少女に近づくことを許されず、きっとこの喧騒の中では少女の声ひとつも聞こえはしないだろう。しかし、ウィリアムと少女がひとことふたこと声を交わした素振りだけで、街の喧騒は大きくなっていた。これは確かに、外を自由に歩くことなど不可能だろう。
彼もまた、この町の仕来たりに従っただけなのだろう、と少女は思った。優し気な声色に載せられたのは、きっと街を歩きたいと言った少女の望みを汲んでのことだ。手狭な神輿がゆらりゆらりと進んでいくのを感じながら、少女はもう片方にもある窓から顔を出した。
「マーヴィ、マーヴィもお願いしたら店の品物を買って来てくれるのかしら」
「私も、とは……ああ、ウィリアムですか。仰せつかってくだされば、勿論」
「当然のように言うのね」
「幼いころから、ほとんど我儘を言わない巫女様きっての願い事ですから。私どもに叶えられることならなんでも」
表情一つ変えずにそう言うマーヴィを見た少女は、どんどんと大きくなる街の喧騒を聞きながら満足げに笑った。少女の神輿の左右には側近であるふたりがいる。どこまでも真摯に、少女を守りながら願いを叶えようとするふたりだ。今日が終わって、また静かな日々が帰ってきたときにでも、ゆっくりとお礼の手紙でも書こうかと少女は考えた。
今は、ふたりが支度してくれたこの外出を目いっぱいに楽しもうと、少女は街並みへとゆっくり目を向けた。今は東の大通りをゆっくりと進んでいるようで、少し向こうに大きな水車が見えていた。水を揚げては落とすそれを直に見るのは初めてだ。水龍を愛する町とあり、様々なところに敷かれた水路のきらめきが愛おしい。
家々の連なる東通りの少し向こう、路地を進めば広がる田畑もちらちらと視界に入る。決してとても広いわけでもない街だけれど、神殿と裏の湖を行き来するだけの生活をお食う少女にはどれも新鮮なものだった。
捲れ上がりそうになる薄布を軽く押さえながら、少女は眼前に広がる愛おしい街を見つめていた。楽しそうな民の姿、あたたかな陽の光、白にまばゆいこの町。あと一年しかこの場所に居られないと思えば寂しいな、と思う少女を載せて、神輿はゆっくりと進む。
それは、東通りを半分ほど過ぎたときのことだった。それまで町は祝賀の雰囲気に包まれており、楽器の扱える者たちが集まって披露しているらしい陽気な音楽が流れていた。少女も滅多に聞くことのないその音に、神輿の足を緩めさせ耳を澄ませていたところだったのだが、突然その音が遠く西の方から聞こえる轟音で掻き消されたのだ。
ぎょっとして勢いよく音のほうを振り向いた少女に、神輿が一度大きく揺れた。足に自信があるのか、もともと緊急時の対応を任されているのか、兵士の一人が音のほうへと駆け出していくのが窓から見えた。
陽気な音楽は止み、民も音に驚いたように目を見開いている。ざわめきが静かに広がる中、ウィリアムが微かに呟いた。
「──土砂崩れかな。久々だね」
「…………それにしては、音が、大きくはないかしら」
ティヒエンは土砂崩れが起きやすい土地だった。いくつもの山に囲まれた山間の箱庭、故に大雨が降れば土砂が流れ込むのは当たり前だ。崖の近くには高い塀もあり、民家も建てられていないはずだけれど。
地の鳴る轟音はしばらく続き、木の折れる音や微かな悲鳴が聞こえてくる。それは、だれが何の報告をするまでもなく察することができるほどの状況だ。この言祝ぎの日に、寄りにもよって。
「さっき伝令が飛んで行ったから……じきにわかるだろう。この立地だ、土砂崩れはいつ大規模なものが起きてもおかしくはない」
そう伝えるウィリアムの横に、マーヴィが駆け寄ってくる。完全に停止した神輿の中の少女に、言い辛そうにしながらも口を開いた。
「……民の救出や避難誘導、混乱を抑えるために休日だった物も含め警団を全員投入します。民の年一度の楽しみ、収穫祭自体を取りやめとは致しませんが……」
そこから先の歯切れが悪かった。言い辛そうに俯いてしまったマーヴィに、少女は肩を竦めた。
「分かっているわ、帰りましょう」
「…………申し訳ありません」
「マーヴィが謝ることなど何もないわ。適切な判断だもの」
声色に残念そうな心が乗ってしまっているのが、自分でもわかった。マーヴィが一度強く唇を噛んでから、もう一度頭を下げる。それから、少女の回りに居る警備兵にてきぱきと指示を伝え始めた。
そんな彼女を見ながら、少女はウィリアムに声をかけた。
「ねえ、ウィリアム。降ろして頂戴」
「……藪から棒にどうしたんだい」
「私が乗っていたら神輿を早々と片付けることは出来ないでしょう。神輿と神輿を守る大人数の警備をつけるよりも、数人の兵士をつけて歩いて帰ったほうが人手が空くわ。軽くなった神輿を素早く片して民の保護に向かわせたほうが良いと思うけれど」
「それは……いや、きみをおいそれと外に出すわけにもいかないだろう」
「神殿まで、歩いたって三十分もかかりはしないわ。腕利きが数人いれば十分でしょう。緊急事態よ?」
ウィリアムの視線が少女を刺した。その間にも町はざわめきに包まれていく。収穫祭の楽しげな雰囲気は一変し、轟音に対する不安ばかりがあちこちに伝わっていった。もう一度どうかしら、と押した少女のことを、この事態に乗って街歩きの計画を遂行しようとしているのかと見定めているのかもしれない。凛と主張を繰り返す少女とウィリアムの間に張り詰めた沈黙が走り、しばらくしてからウィリアムは一度ため息を吐いた。
「──巫女殿を降ろしてくれ。それからマーヴィに連なる各小隊隊長、神殿までの警護を頼む」
少女から視線を外し、こちらも的確に指示をするウィリアムに、周りの警備たちはいっせいに従った。ゆっくりと神輿は石畳の地面に降ろされ、扉がうやうやしく開かれる。軽く礼を言ったのちに地面に降り立った少女の髪が、湿った空気に仰がれて靡く。
マーヴィは指示が終わったのか別の誰かに一任したのか、少女のもとへとすぐさま帰ってきた。神輿は少女が乗っていたときとはあまりにも異なる速度でもとの保管庫の方向へと運ばれて行き、数人を残して兵士も散り散りに持ち場へと向かっていく。
「道案内をお願いね、マーヴィ」
「はい」
少女を囲うように出来た輪が、民の雑踏から少女を守っていた。神輿よりは早く、それでも民の雑踏よりはゆっくりとした速度で、少女たちは街を歩く。途中でマーヴィが、己の着ていた丈の長い外套を少女に着せた。