08

 少女が聞き覚えのない単語に首を捻り、明確にいいえと答えれば、トウトはそうかと笑ってみせる。少女には、トウトが説明したくなさそうに見えた。
 少女が呪い、と復唱すれば、トウトはこくりと頷いた。白の呪い、しかも少女の髪をわざわざ視界の真中に置いての説明となればたやすく想像がつく。この髪の毛の色についてのことだろう。トウトは薄茶、シュヴァルツは黒髪、自分は白髪──三人三様髪色が異なるせいで意識していなかったけれど、もしかしてこの髪色はおかしいのかもしれない。
 呪いという言葉選びといい、トウトが渋い顔をしたことといい、それらは決してこの髪の色が良いものではないことを物語っているような気がした。少女からしてみればこの髪は唯一懐かしさを感じるものであり、この色に対して不快感を覚えることはないがしかし、他の人はそうでないのかもしれない。呪いというからにはなにかしらの悪いことがこの髪、ひいてはこの体から起こるのだろう。
「成程、私は呪われているんですか」
「そんなことねえよ!」
 納得した顔をした少女に対して、トウトが素早く反論した。
「そんなことねえよ。……迷信だ」
「……迷信でもかまいません。呪いの詳細を聞かせていただいても?」
「……ああ」
 トウトは、なにやら言葉を纏めようとしてか、少女の髪をさらりと手放したのちに宙を見ている。込み入った話とはきっとこれのことだろう。少女はもう一口木筒から水を呑んだ。話している間に喉が渇いていたらしく、冷たい水が心地いい。トウトが話し始めるのを待つべく、少女は黙って座っていた。
 少女には、呪いと言われて思い当たる節がひとつあった。
 胸元にある指輪が風に揺れた。そう、この指輪はいったい何なのだろうか。お前があげた首飾り、とトウトはシュヴァルツに言っていたけれど、当のシュヴァルツはこの指輪の赤い石は何だと問う程度には記憶がないらしい。少女がこの指輪を外そうとしたときの指輪の抵抗──深紅の光が溢れる現象も、彼ら二人は知らないようだった。ただ、この現象が不可解なことは少女にも分かる。これが、呪いにかかわる何かなのだろうか。
 少女がぼんやりとそんなことを考えている間に、トウトは何を話すかようやくまとまったようだった。焦げ茶の優しい瞳を少女に向けると、ゆっくりと口を開く。
「ここら辺さ、遥か古代──何百年何千年前の話らしいけど、水龍の信仰が篤い地だったらしいんだ。水龍ってあれな、水をなんだ、こう、この地にくれる感じの神様。他にも龍神さまって呼ばれる神様はいたらしいけど、この地方は水龍だったらしい」
「はい」
「他の龍はなんだったかなあ……炎の龍と、風の龍……雷だったか……? 悪い、昔に聞いた話だからそこらへんは忘れた」
 いえ、と少女は短く返事をした。トウトはぽりぽりと頬を掻いていた手を降ろすと、おもむろに湖を指さしてみせた。
 指先が指す先は昨晩少女が居た湖の、その周りにあるいくつかの朽ちた柱だった。精緻な彫刻の溝に蔓が這っており、無残にも折れた柱があればほぼ原形の残らない台座だけの柱、逆にほとんど原型を保っているらしい柱と様々に存在している。ただ、兵どもが夢のあとというように、この柱たちが必要とされていた時代を大きく超えた上で、たまたまこの地に遺っているのだろうな、というのは安易に予想がついた。
「あれも龍信仰の時代の神殿かなんかの名残らしいぜ」
「……成程。それで龍の紋章」
「この距離でよく見えるなあ、龍の紋章があんならそれが理由だろうな。そう、それで、ようやっと白の呪いの話だ」
「はい」
「『水龍に愛されし白の子』っていう伝承があるんだよ。年を重ねて色が抜けたわけじゃなく、生まれつき白髪の人間──それも特に女。彼らは水龍に愛されて、ついでに水龍が司ってる水にも愛される。水を操ったり水龍……神様って呼ばれる類のものだな、の力を行使できたりするらしくて、水龍信仰がまだまだ栄えてた頃はそれはそれは大切にされていたらしいぜ」
 どこか憮然とした様子でそう語るトウトの話の内容では、白髪の子がただただ大切にされるだけの話である。それが現状ならば、白髪の自分はどうしてここにいるのかという話になってしまう。白の呪いというよりかは水龍の祝い、もっというなれば加護である。呪いと呼ばれるからにはそれ相応の悪意がなければならないものだ。
「……自分で言うのもおこがましいですが、それならば私はこんなところにいるはずはないのでは。それとも、白髪のお人は信仰が途絶えたのちに迫害されたのですか?」
「なんか洞察力高くなったな、コハク」
「そうでしょうか」
「お前はもうちょい視界が狭かったというか……いや、まあいいんだ。お前の言ったとおりだよ。迫害されてたんだ」
「どのように、と聞いても?」
「……そこ話さないと駄目だしな、もちろんだ。迫害……といっても大体が殺害だな」
「……殺害?」
「殺害。白の子は水害を呼ぶからって、大体は自警団が捕虜にして、大きな水害を起こしたとされる奴なら見せしめに殺すこともあったし、まあ万一殺されなかったとしても地下牢での暮らしは免れないだろうな」
 コハクは自分の背に悪寒が走るのが分かった。力を持ったものを人は恐れるものだ、その延長線上で多少差別されるくらいはあるだろうと想定していたけれど──殺害。存外物騒な単語に青ざめたのを見てか、トウトが軽い調子で言う。
「俺たちがいた北の町は、白髪の子がいてもまあ外出さえしなければ狩られたりはしないくらいには過ごしやすい街だったんだけど」
「……成程、だから生きて……」
「そうそう。お前を家から出してやれないのは申し訳なかったけど、暴力振るわれるよりかはましだってことでさ」
 それにしたって殺害とは穏やかではない。髪が白いというだけでそこまでの扱いを受けるなど、少女の価値観では理解できなかった。髪の色が違うだけではないか。涼しかった風がいきなり寒くなり身を縮こまらせた少女に、トウトはそっと寄り添っていた。
「北の町はそこそこ過ごしやすかったよ。俺たちのことを家具やら家やらつくる工房のひとつが雇ってくれてたのも大きいけどさ」
「その町をどうして出ることに……私が何か?」
「いや、運河の大氾濫があったんだ。それで、その氾濫を呼んだのは白の子だってなってなあ……お前以外にもちらほら白の子はいたんだけど、片っ端から狩られてったよ。俺たちは近所の人たちがたまたま優しくて、逃げるのを見逃してくれたからなんとか生き延びたんだ。間一髪だったけどな」
「……本当に、水害を呼ぶのですか。白の子は」
 ──もしかして、私も殺されていたのかもしれない。そう思って数秒、気が付くと、木筒を持っていた手がかたかたと震えていた。そこまでされるなら、本当にそれが白の子はのせいで、氾濫という実害が出ているのかもしれない。逆に言えば、そうでもなければそこまで迫害されることはないと思うのだ。火のない所に煙は立たぬ、何もないのに煙っている世界など怖すぎる。特に、迫害される側の少女としては。少女は、木筒がきしむほど拳に力を込めた。
 そう問いかけた少女に、トウトは曖昧な音を吐いて答えを言い渋った。
「私がもし水害を呼んだことがあるのなら、教えてください。記憶がなくとも自分が何をしたかくらいは知っておきたいです。たとえ家族だとしても、トウトたちにかける迷惑も最小限にしたいですから、それにはまず知識がないと」
「…………ほんとに水害を呼ぶかどうかは俺にはわかんねえ。でも、水を呼ぶってのは、確かなんだろうな。お前は家から出なかったから長らく気が付かなかっただけで……俺たちで町をでたあと、山に流れてる小さな川の水とかがいきなり高く揚がって俺たちに直撃とかはあったかな。でもほんとに多少だ、服が少し濡れるくらい……水害を呼ぶなんてのは嘘だよ。むしろ、お前が水に……」
「……私が水に?」
 こく、とトウトが頷いた。
 そういえば、自分は水難事故にあって行方不明になったのだったか。それは湖に近づけたくないのもわかる。もしも自分が呼んだ水に足を取られて溺れでもしてしまったのなら、水源に近づかないのは適切な対応だ。「白の子」を迫害する人たちの手に寄るものの可能性も否めないために、その話も詳しく聞きたくはあるけれど。
 ──よほど思い出したくない光景だったのだろう。飄々と話していたトウトの手が震えていた。その震えは指先からだんだんと伝染して、無意識にか体が震えている様子だった。
「……話したくないのなら。そうでなくとも、トウトがそこまで辛いのなら、また話せるときに聞きます」
「いや、大丈夫……話す、話すよ」
「その状態で言われても説得力がありませんから」
 少女はゆっくりと手を伸ばすと、震えているトウトの背をゆっくりと撫でた。トウトの息は少しあがっている。……どれだけ、凄惨たる光景だったというのだろうか。それとも、彼らにとって自分がそれほど失うに耐えかねる存在だったのだろうか。なんにせよ、記憶のない少女には知り得ぬことだった。どこか置いて行かれたようなうら寂しい気持ちが少女を襲う。
「……深呼吸してください、トウト」
「……おう」
「…………ここに、いますから」
 こんな言葉でも慰めのひとつにはなるだろうか。体だけでも帰ってきたこと、彼らの望むコハクではなくとも生きていること。それが彼らの、彼の救いとなってくれるだろうか。少女の緩やかな祈りの言葉は、ひどく重く届いた様子だった。
「……そうだな、コハク」
「ええ。家でも言っていたように、守ってくれるのでしょう?」
「もうお前を奪われたりしない、絶対だ」
 くしゃりと笑ったトウトの頬を、一粒の涙が伝っていく。強がりな人だな、と思った。兄として家族として、きっと責任を感じているのだ。少女はその華奢な指で涙を掬い、宙に払った。自分じゃない誰かが望まれているような、そんな贅沢な寂しさも一緒に空へ還すように。
 それから、鞄に入っていたパンを食べて、帰路についた。