04

 しゃくり、と林檎を齧れば、しっかりと熟した甘い果実の味が口いっぱいに広がった。トウトが木の皿に林檎を剥いては乗せて、少女とシュヴァルツに食べさせるものだから、本当に果実だけで腹が満たされてしまいそうだ。目覚めてはじめて食べる食事は、ひどく甘く美味しかった。
「……俺が剥くよ。トウトも食べろ」
「いいって、適当に食ってるし。お前が林檎取ってきたんだから俺が剥くのが筋だろ」
「…………そうか」
「その理論で行くと私は片づけをすればいいのかしら。近くに水場はある?」
「怪我人働かせるわけないだろ。おとなしく休んどけ」
「そこまで酷い怪我ではないと思うけれど……じゃあ治ってから存分に働くことにするわ。いまはお言葉に甘えるわね」
「……おう」
 そう言ってからもうひとくちと林檎を齧った少女のことを、トウトは不思議そうな目で見つめていた。林檎の皮を剥く音が止まり、少女とシュヴァルツの爽やかな咀嚼音がやけにうるさく聞こえる。少女がその視線に気が付き小首を傾げれば、はっとした様子で林檎を剥くのを再開した。
「……なにかしら?」
「いや……なんでもない」
「なにか変だったかしら。ごめんなさいね」
「平気だよ」
どうやら己はかつての自分──記憶を失う前のコハクとは随分と違う振る舞いをしているようだ、と少女は思った。ふたりが少女に違和感を覚えていることは明白で、優しい彼らは少女にそれを押し付けないだけなのだろう。どこがどう違うのか当然少女には分からないのだから、治そうと思っても治しようがないのだけれど。
「……それで、詳しく話を聞いてもいいかしら」
 食事をしている間に、頭の中で簡単に情報の整理を終えた少女は、手元にあった林檎の最後のひとかけらを口に放り込んだ後にゆっくりとそう問いかけた。洞窟には冷たい風が吹いていて、少女のことばに合わせるように白い髪を掬いあげる。ようやく自分用にか林檎を剥いていたトウトの手がゆっくりと止まるのを見てから、少女は目を細めた。
「林檎を食べた後でかまわないわ。それとも話したくないかしら?」
「いや……そう言うわけじゃないよ。食いながらでも話せるし……何から聞きたい?」
「私が昨日追いかけられていた理由から教えてもらいたいわ」
 少女がそう言えば、トウトはこくりと頷いたあとに剥き終わった林檎をひとくちと齧る。垂れた果汁を指で拭いながら、トウトはそっと視線を泳がせた。
「……そうだな、どこから話すか」
 そう言って迷った様子を見せたトウトに、シュヴァルツも林檎を食べる手をそっと止めていた。おそらく喋るのが不得手なのだろうが、それでも説明をしてくれようとしているのか、彼もまたなにかを考え込むように目を伏せる。長い睫毛が、少女と同じように黒い瞳を覆い隠していた。
 林檎を齧りながらしばらく考えた様子だったトウトは、しばらくしてから少し微笑んで少女に向き直った。
「お前が追いかけられてた理由は、髪の色だよ」
「……髪の色?」
「そう。真っ白だろ、お前の髪」
「そうだけれど……この髪が、何かいけないの?」
「この地域では、白い髪の女を疎む風習があるんだ。西と南は昔から昨晩くらい酷かったらしいんだけど、北の町──昨日の町でも最近はとうとうあんな暴動が起きてる」
「彼らは諍いに慣れている様子ではなかったけれど」
「自警団だからな。素人の集まりだよ。人数だけはいるから盗人とかを捕まえるには頼もしいんだけど」
「……白髪はなぜ疎まれているの? なにか根拠があるのかしら」
「白の髪の女は……水を操って人々を沈めるって言われてる。この地を治めてる水龍様の力を悪用して、水を呼ぶんだとさ。少し前までは北の町もそれでもまあ、外に出しゃばらなきゃ害されもしないし穏便な対応だったんだけど、この前大きな水害があって以来その……ことごとく白の髪の子が罪人として捕まってるんだ」
 そんなことないのにな、とトウトは自嘲気味に言った。
 水を操る、という非現実的な言葉に、少女は小さく首を傾げた。そのうわさが本当ならば、少女にも水は扱えるのだろうか。それとも、ただの迷信なのだろうか──それにしては、町の人々が過激すぎる気もするけれど。
「白の子は本当に水を操るの?」
「いや、そんなことないよ。俺たちずっとお前と住んでたけど、そんな素振りも話もない。只の迷信だよ」
「迷信でそこまでするものかしら。或る意味信心深いのね」
 少女が吐いたため息に思うところがあったのか、トウトは肩を竦めて黙ってしまった。話を聞く限り、少女とトウトたちはずっと、あの町に住んでいたのだろう。それ故か、彼らは白の子の迷信を信じてはいないようだった。
 少女が皮肉を込めて言った言葉に応じたのは、たどたどしく喋るシュヴァルツだった。
「…………迷信、といっても、教会が教えている歴史とか……伝統だから」
「女子供を追い回すのが伝統……随分と物々しいわね」
「…………そうだな」
「では私が何か罪を犯したわけではないのね。迷信が原因で捕まるなんて御免だわ、助けてくれて本当にありがとう」
 そういって笑った少女に、トウトはいやいやと首を振った。どうやら、昨晩目を覚ました町は随分と物騒なところのようだな、と少女は淡々と思う。
 彼らは、白の子が追い回される度、少女にしたように町の外へと逃がしているのだろうか。それとも、物陰に隠れている少女を見つけたのはたまたまなのだろうか。最初から逃がそうとしているような口ぶりだったことを思い出しながら、少女はトウトをじっと見つめた。その視線にぱっとわざとらしく笑って見せた彼は、明るい口調で続けた。
「まあ、そんなわけでさ。半年前までお前と一緒に居たのもあるし、白の子に肩入れしてる身でもあるからさ。あの町を出て行くって話になったんだ。その前にお前に出会えてよかったよ」
「……雨の日の夜にわざわざ出歩いて、白の子を探していたようだけれど。白の子のためにいつもこうして匿って逃がしているの?」
「いや、いつもはそんなことできないよ。匿ったりした俺たちまで捕まって終わりだ」
「では、昨日はなんで出歩いていたの」
「言ったろ。もう町を出るつもりだったんだよ、だからもう町の奴らに遠慮しなくて済むと思ってさ。匿わなくても、俺たちがイズまで送り届けることだってできる」
 それに雨の中なら白の子を逃がせるかと思って、とトウトは口元だけで笑った。
「イズとはどこのこと?」
「引っ越し先だよ。白の子の差別がない町なんだ」
 彼の物憂げな視線が、行き場をなくしたように手元の林檎に向けられていた。話している間に少しづつ食べていたそれはとっくに芯だけになっていて、もともとの赤く熟れた姿は見る影もない。
「それにしても……随分と危険なことをしていたのね」
「お前が帰ってくるかもって思いながらも、町を出ることになったからさ。お前は危ないからやめろって怒るとは思ったけど……最後に罪滅ぼしのひとつでもしたかったんだよ。なあシュヴァルツ」
「……罪滅ぼし?」
 シュヴァルツが、トウトの言葉に静かに頷いた。それから数拍置いて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「…………でも、多分、罪滅ぼしできたんだと思う。俺は」
「俺もそう思う。コハクが戻ってきてくれたからな。自棄になってなかったかと言えばうそになるけど、それでも白の子を探しに行くって選択ができて良かったよ」
「話が読めないわ。何に対する罪滅ぼしなの?」 
「お前にだよ。そう、それも話したいんだ」
 そう言って、トウトは林檎の芯を少し向こうの土へと放り投げる。蟻がすぐに寄ってきて集っていた。少女はじっとトウトを見つめて、話の続きを促した。
「半年間会ってなかった理由についてなんだけどさ」
「ええ」
「行方不明だったんだ。お前は一年前──行方不明になる半年くらい前から夢遊病で、或る日の夜中に町を出ていったまま帰ってこなくなったんだ」
「……夢遊病?」
「眠っている間に勝手に起きて、どこかへふらふら歩いていくんだよ。町の外に行こうとしてて、ちゃんと俺たちも見張ってたはずなんだけど……半年前に消えて以来、足取りが掴めてない。そのころはまだ町も落ち着いてたから、外に出るまでは西の門番が確認してたんだけど、それ以来見つからなかった」
 夜中に町の中で目を覚ました理由は、それだろうか。少女がそう冷静に思っている間にも、トウトは淡々と説明を続けた。
「準備もなしに森に行って、帰ってこれるとは思えない。それ以上に、どこの盗賊や白の子を疎む旅団に見つかるかわかんねえんだ。きっと死んだんだって──ありとあらゆる周りの人に言われたよ」
「……生きているわ。今ここに」
「分かってる。記憶がなくても、お前が帰って来てくれて本当によかった」
「ええ、こちらこそ。あなたたちに会えて良かった」
 トウトの焦げ茶の瞳が細められた。差し込む日光が瞳をきらめかせ、蜂蜜色の光が反射するんじゃないかとさえ少女は思った。慈しむ、という心を閉じ込めたような視線にいともたやすく縫い留められ、少女は何度か瞬きを繰り返す。これはきっと、あたたかな家族愛だ、と思った。
 少女が笑顔で応えれば、トウトはぱっと明るい口調に切り替えて続けた。
「これでも大分探し回ったんだぜ、お前のこと。半年で諦められるわけないし、まだ助けられるかもしれないからな。……いやまあ、俺たちのことが周りからどんな風に見えてたかわかんねえけど、最終的には諦めて、この町を出て心機一転しろって引っ越しの後押しされたけどな」
「誰に?」
「世話になってる工房の頭。引っ越し先での仕事も紹介してくれた」
「……俺も、トウトも、世話になってる工房なんだ。そこで、『子供がする顔じゃあねえだろ』って、言われた」
「……随分と心配をかけたみたいね。御免なさい」
 小さく頭を下げた少女に、ふたりは小さく首を振った。穏やかな顔で「帰ってきてくれたからそれでいい」と言われ、少女はそうねと肩を竦める。
 まるきり記憶がない自分が、このあたたかな愛を享受していいものだろうか。一瞬迷った少女は、ふたりの柔らかな視線にいやと思い直す。こんなことで悩むくらいならば、一刻も早く記憶を取り戻すほうが先決だ。話を聞く限り、自分は夢遊病とやらを患っているらしいから、早くそれらを治して彼らに恩返しをするのが筋だろう。
 そうして少し考えこんでいた少女の頭を、トウトの手がぽんと軽く叩いた。驚いて肩を揺らした少女に軽く謝ってから、トウトはゆっくりと少女の白髪を撫でる。少女の華奢な手のひらとは異なる、同年代ながらに骨張った男性的な手だった。
「落ち着いたら出発しような。道中辛ければおぶってやるから」
「ええ。何から何までありがとう」
「気にすんなって。素直に甘えとけ、家族なんだぞ」
 隣で、シュヴァルツもこくこくと頷いていた。安心させるように薄茶の髪を揺らして胸を張ったトウトに、少女はくすと笑いを零す。
「頼もしいわね、ふたりとも」
 その言葉に、ふたりは一瞬ぴたりと動きを止めた後にひどく嬉しそうに笑って見せた。
「いつでも、頼ってくれ」
「シュヴァルツの言うとおりだな。コハクは何でもかんでも抱え込み過ぎなところあるからな。もう何にも縛られなくていいんだから」
「──そうみたいね。嬉しいわ」
 もうなににも縛られなくていい、という言葉が、少女の胸にゆっくりと響いて、暖かな温度を広げていった。胸元で拳を握りしめた少女は、目覚めてから一番柔らかく微笑んでみせる。頬に赤みが差していた。
 それは、出発前のささやかなひとときだった。全てを把握するには難しすぎて、受け止める心の空き場もないような話をしたあとだったというのに、洞窟には幸せそうな笑い声が反響している。穏やかな温度が心地よかった。ふたりの笑顔がやけに輝いて見えた。
 少女の瞼の裏に、その光景がひどく鮮明に焼き付いていく。
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