常磐を此処で

さあ、ベッドの上で意識を失ったあいつを初めに見つけたのは誰だっただろうか。俺でないことは確かだ。
 任務もなくて、部屋で寝ようと思って横たわったときに、俺の睡眠タイムを妨害するかのように、銃声が響き渡った。これだけ大きく聞こえるってことは、まあ同じ階だろう。でも佐疫がいきなりぶっ放すわけがないし、あの音から推測するに、そこまで大きい銃じゃねえ。もしかすると誤発砲かもしれねぇな、なんて考えながら一度ベッドから起き上がったとき、もう一発聞こえた。そこでまあ、確信した。間違いない、飢野だ。

 あいつ、また自分に撃ったんじゃねえのか。

 出そうになった欠伸を自然と抑えると、部屋から出て、普段はわざわざ行くことのない飢野の部屋に行くと、既に何人かは集まっていた。他のやつらの部屋とは違う、どこか甘い香りと、鉄のような香りが混ざって、噎せ返りそうだ。ミシ、と音を鳴らす少し古い床を踏みしめながら、他のやつらに囲まれてるのを覗くと、案の定だった。

「飢野!」
「どうしたんだ、飢野」

 もちろん呼びかけに応えるはずもなく、意識は今はないだろう。今回は特に、前回と違って人間の心臓の位置にも撃ち込んでやがる。以前こいつが自分の頭を撃ってる姿を見てなくても、自分で撃ったのなんて一目瞭然だ。胸元に置かれた手は、拳銃を構えるみたいな状態のまま動かない上、横に飢野愛用の白と銀の細かな装飾があしらわれた拳銃が落ちていた。
 ここから推測するに、どうも一発ぶち込んだだけではいかなかったんだろう。どうせ死なないのに、馬鹿なことを。

「これじゃあ回復に半日以上はかかるだろう。病院に連れていこう」
「わかった。救急車を呼ぼう」

 飢野の初めての任務のときも、いきなり脳天なんて貫きやがったから、まあ回復まで一時間か二時間かはかかった。もちろん早く帰りたかったが、入ったばかりのやつを置いてくほど意地は悪くねぇつもりだった。でも今回は急所を確実に撃ってやがる。病院まで送ったとしても数時間はかかるだろう。本当に迷惑かけやがるな、こいつは。

 俺も何度か世話になってる、リコリス総合病院に搬送された飢野を追うように、他のやつらも病院に向かった。そういえば飢野は初めてか。鈍臭ぇし馬鹿なやつだけど、腕はまあ悪くない。勘も割と冴えてる。それに、慣れてきただろうがまだ俺たちに比べると獄卒としての歴が浅いから、一緒に任務に行くやつに守られていた節があるだろう。俺も何だかんだで、そうだったかもしれない。
 俺は正直見舞いになんて行かなくても良いか、なんて、無慈悲にも自室に戻ろうとしたが、関係ないにしろ同じ獄卒で仲間なことには変わりないし、こいつが自殺しようとしたのを見ていたのも俺だけだ。

「だるいな」

 行動に移す前や、苛立ったときに自然と、無意識に出るようになってしまった舌打ちをしてから、俺も飢野が搬送された病院へと向かった。

 ☓☓☓

 しかし、俺も最近は世話になってなかったから、ここに来るのは久しぶりだ。抹本はもちろん、俺以外のやつは割とこの病院に顔を出している印象だ。世話になっているにもかかわらず、俺は好んで来たいとは思わないな。居づらいわけではないが。

「あれ、田噛。来たの?」
「あ? あー……一応な」

 透明な手動の扉を開くや否や、受付に立ってる看護婦と話していた佐疫の視線がこちらに向いたと思いきや、驚いたように目を丸くして、俺の方に近づいてきた。それから待合の方を見渡すと、俺以外は来ているみたいだった。多分。

「田噛もやっぱり仲間想いだね」
「は?」
「飢野の部屋は一○三号室だよ」

 俺が聞き返すのも気にしないように、いつものことだが、それだけ言うと佐疫は診察室に入っていった。飢野の経過でも聞きに行ったのだろうか。この様子だと当然まだ目が覚めていないみたいだ。
 仲間想いというか、まあ、どいつもうぜぇしだるいが、嫌いではない。飢野も変な女だが、嫌いなわけではない。まあ、仲間だしこれからもずっと一緒にいるんだから、当然のことと言えば当然のことだ。何も考えてなさそうな平腹でさえも、まあ衝動的に沈められることはあれど、どの獄卒もお互いのことを想ってるもんだろ。こんなこと、わざわざ声に出して言うもんでもねぇけど。
 飢野が起きるまで待つのも面倒だが、待合のソファで寝るなりして待っていればそのうち目が覚めるだろう。俺もベッドを借りたいぐらいだが、重症を負ってまで寝たいわけではない。背もたれに身を任せて、下を向いて夢の中に飛び込もうとしたところで、また声をかけられた。なんだ、今日はやけに睡眠を邪魔されるな。

「あれ、田噛」
「……なんだお前。まだ来てなかったのか」
「そう不機嫌にならないでおくれ。見舞いに飢野の好きな酒を買ってきたんだ」

 怪我をしたやつに普通酒なんて買うか? 見舞いって言ったら花とか菓子とか買ってくるだろ、普通。酒なんて持ってきて喜ぶのはお前くらいだ、木舌。それに入院するわけでもねえ。重症とは言え、回復力は備わってるんだ。そういえば、木舌と飢野はよく一緒に酒を飲んでいる。おかげで俺が付き合わされることも少なくなってきた。なるほど、あいつは第二の平腹な上に第二の木舌なのか。そしてついに、眠気が抑えられなくて欠伸を一つ。

「邪魔したかな」
「ああ、そうだ。俺はとりあえず寝るから起こすなよ」

 すまないね、とだけ謝った木舌は、俺の前を通り過ぎると、飢野が眠る部屋を覗いて、どうやらまだ目が覚めていないみたいだな。その赤い酒瓶を持ったまま出てきて、そのまま俺の視界から消えた。
 俺は今度こそ、と、誰にも邪魔をされないことを願って、俯いて、そのまま目を閉じた。次に俺が起きる頃には起きてろよ、飢野。

 ☓☓☓

「飢野起きたー!?」
「院内は走らないでくださる?」

 よく聞き慣れた、うるさい声が耳元に飛び込んできて、そのあとに看護婦長の声が聞こえてきた。ぼやけてはっきりとしない視界の中で、軽く目をこすって、まだ眠いのか欠伸をした俺は、そのまま壁にかかっている時計を見た。流石は俺だ。こんなソファでも三時間、四時間か、熟睡できたのだから。まあ、寝心地が特段悪いわけではないがな。
 平腹の声を数秒遅れで頭の中に繰り返した俺は、ああ、やっと起きたのか、と飢野のいる個室の方に視線を向けた。すると、平腹が入っていって、そのまま流れるように斬島、木舌、それから最後に躊躇っていたのか、個室の前で留まっていた谷裂が入った。何してんだあいつは。立ち上がって軽い伸びをした俺は、重い足取りで一○三号室に向かって、扉の前に立った俺は、入ろうとしてドアノブに手をかけたが、開けようとするのをやめた。今更遅れて入るものでもないし、飢野も前に自殺未遂を見られた俺と会いたくはないだろう。俺はそのまま、音を立てないようにドアにもたれて、悪趣味だろう、聞き耳を立てた。

『田噛、さんは』
『ああ、田噛? 本当に信頼してるんだね。田噛は待合の方にいるよ。ここには入ってこないだろうけど』

 あー、会いたくなくはないのか。いや、やっぱよくわかんねぇな。会いたくない故のそれかもしれない。あの感じ、佐疫はここに俺がいるのに気づいてるな。面倒臭ぇ。
 それから、数十秒の沈黙があった。なんだ、気まずい空気でも流れてんのか?

『飢野? まだしんどい?』
『俺たち、外に出ていようか』
『良くなるまで外で待とう』

 なるほど、まだ痛ぇんだな。まあ無理もない。あれだけ急所を外さずに、まあ頭の方は若干外したのだろうが、目が覚めたとて意識が戻っただけで、傷は癒えていないのだろう。獄卒は気が昂る、興奮すると治りも早くなるが、現に飢野にそんな余裕はなさそうだ。平腹なんかはいつも異常な速度で回復するんだがな。ともなると、あいつらが出てくるから、かち合う前にここから退くか。そう思って背につけたドアから離れたときだった。あいつの、今までにないほどにか細くて、それでも今まで以上に何かが込もっているような声だった。

『ま、待って……』

 その飢野の聞いたこともない震えた声に、中にいたやつらだけじゃなくて、俺をもこの場から去るのを引き止めた。
 不思議なことに、扉越しでもなんとなく飢野が今から言うことはわかるし、見えない表情も見える。随分あいつに侵食されたわけだ、俺たちは。

 それから、数十秒、数分の準備を持って、飢野は口を開いた。

 ☓☓☓

 どうやら飢野の生前は相当辛かったらしい。まあ、そんなことは聞く前からなんとなくわかってたことだ。俺だけじゃなくて、他の獄卒たちもそうだろう。何せ飢野は、獄卒という職に就いた。肋角さんにあの世で選ばれたんだ。何かしらの事情がなけりゃ、しかも人間なんて、死んであの世に来て、そのまま閻魔様に転生するかどうかの裁きを受けるだけだ。そんな人間が、鬼になったんだ。下手に未練があってもこの世を彷徨う。こんなケース、稀にもない。
 俺たちは人の心を知らないから、かろうじて同情ができるかどうかだ。俺もまあ、できないことはない。あまり好き好んでしようとは思わないが。それに、言ってしまえば、俺たちにとっては過去なんてそんなに重要じゃない。自分の過去も、他人の過去も。そこが人間との違いだろう。過去に囚われるかどうか。それに飢野はついこの間まで人間だったんだ。その頃の記憶が染み付いているのも当然のことだ。

『――っていう、つまらない話』

 数分間話し続けた飢野は、それだけ言うとまた、黙り込んだ。他のやつらからの言葉を待っているのだろう。
 ああ、確かにつまらない。けれどお前にとってはつまらなくねぇだろ。追い詰められて自ら命を絶った上で、また二度も死ぬことを諦めなかったんだからな。死ぬ恐怖を持った上で何度も死ぬだなんて、相当追い詰められている上、余程肝が据わってないとできることではない。死ぬためには勇気も必要なもんだ。
 飢野は、自分は生きていて幸せじゃなかった、なんて言った。大体こう言う人間は被害妄想をして、可哀想な自分に酔っているだけの人間だが、飢野の場合はそうではなかった。そうではなかったから、現にここにいるのだろう。

 すると、予想外にも真っ先に口を開いたのは平腹だった。こういうところは本当に、あいつの長所だとは思う。

『オレも今が楽しいから獄卒やってんだし』

 平腹なんかに共感したくはねぇが、その通りだ。ここでの暮らしが嫌なら、こうも長い間ここで過ごすなんてできないし、とうに辞めているだろう。なんだかんだで、だるいのもめんどいのも、生活の一部で、楽しくやっている。
 その後は平腹に続くように、一人ひと言、ふた言ずつ飢野を元気づけるような、軽い気持ちにさせようとする言葉を紡いでいった。綺麗事なわけもなく、もちろん一人ずつの本音だ。聞いているだけで小っ恥ずかしくならなくもないが、今の飢野にはきっと大きく響くものなのだろう。ちょっとした言葉でも、飢野にとっては、必要とされている事実や大切に思われているという言葉が、きっと初めてで、傷を埋めるのに不可欠な材料となるはずだ。
 斬島がなかなかに良いことを言ってから、またしても数秒、十数秒の空白を挟むと、飢野の息遣いが確かに扉越しに聞こえた。

『大好きです、皆さん』

 その言葉を合図にして、俺はその場から静かに離れた。

 ☓☓☓

 それから一時間か二時間程が経過して、ようやく飢野はほとんど回復が行き渡ったのか、帰る準備をしているようだった。結局酒は木舌が持って帰るらしく、一体何だったんだと思ったが、まあ何も言わないでおいた。俺も先に館に戻ろうかと思ったが、どうせ足を運んだのなら少しでも顔を合わせておくか、なんて、俺にしては珍しく機嫌が良く、待合で飢野が出てくるのを待っていた。

「あれ、田噛。飢野を待ってるの?」
「あ? あー、佐疫か」
「俺は先に帰らせてもらうよ。田噛も飢野にひと言くらい何か言ってあげて」

 田噛も、なんて、やっぱりこいつ気がついてやがったな。こいつも大概趣味が悪い。それだけ言うと佐疫は、看護婦長に会釈をしてから、扉を押し開けて帰っていった。

 それにしても、ここで待ってるだけじゃつまんねぇな。そう思った俺は、名案だ。前に飢野にされた頭突きを不意打ちで食らわしてやろうと企てて、飢野から死角になるところに潜んだ。そうすると、何も知らない飢野が部屋から出てくるのを確認して、準備をした。緊張感のない、靴が地面を叩きつける控えめな音が近づいてくる。その速さと音の近さから、最も近くに来たのを確認すると、俺は不意にそこから飛び出して、いつかの仕返しのように、飢野に思いきり頭突きをしてやった。先程まで怪我を負っていたやつにすることじゃないが、今飢野は人間じゃなくて獄卒だ。かなり痛ぇが、痛みを伴う前に俺の前に見えたのは、気の抜けたような酷い間抜け面。思わず笑ってしまいそうだ。

「……痛ぇ。頭硬いなお前」
「い、たた……た、田噛さん?」

 その顔色を見るに、どうやら初任務のときより、なんならこの前までの過去を忘れようとしていたときよりも心做しか表情が明るい。当然過去の傷が完全に埋まったわけではないだろう。死ぬより前に、人間だった頃に俺に出会っておけば良かったのにな。けれどもちろん、それは無理な話で、それに会わなかったからこそ今こうして一緒にいるのかもしれない。

 大丈夫だ飢野。もう死にたいなんて考えるな。どの道お前を傷つけたやつらには、罰が下る。生きているうちに下らなくても、あの世こっちに来たときにな。それを見届けてからも、見届けなくても、そいつらのことを忘れても、ずっと一緒に生きよう。


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