03.沈丁花は所構わず咲いている
私たち獄卒は、死なないらしい。
どれほど粉々になろうと、時間は要するが、どの道再生する。これは獄卒に限るのか、それとも獄都に住む他の妖怪や亡霊も同じなのか、そんなことを聞く余裕なんてなく、私たちが居たという痕跡を消した後、獄都へと戻った。
「あら飢野ちゃん、おかえり。ご飯できてるわよ〜」
「戻りました、いただきます」
館へ戻って、自室に一度戻っている間に田噛さんは朝食を済ませてしまったらしく、私一人で食堂に顔を覗かせると、味噌汁と焼き魚の匂いが鼻を打った。私の姿を目にした炊事係のキリカさんは、陶器の茶碗を手にして、ご飯を盛り始めた。昨日も朝、昼と食事をいただいたのだが、それはそれは美味しくて、生前に現世で食べていたものより何倍も温かさを感じたのだ。あの世で、もちろんこのキリカさんも人間ではないのに、不思議だ。食卓の方を見やると、見知った顔がいくつかあった。その理由は簡単で、昨日も一緒に食事をしたからだ。
「おー! 飢野!」
「平、腹さん。おはようございます」
箸を手に持ったまま、ぶんぶんと手を振るのは、黄色の眸を光らせる、平腹さん。昨日は何も持っていなくて気がつかなかったけれど、この人は、佐疫さんが言っていたシャベルの人。床に放り投げられたであろうシャベルが、その証拠である。平腹さんは私に挨拶を投げると、すぐにご飯を口にかきこみ始めた。平腹さんといえば、田噛さんが任務中に、平腹にでも投げれば良かったか、と零していたのを耳にしたので、仲が良いのか、はたまた平腹さんが単純なのだろうか。そんな考えも、独断で後者だろう、と考えた私は、キリカさんがご飯を置いてくれた席についた。
いただきます、と手を合わせて視線を机の上に滑らせると、昨日と同じ、絵に描いたような朝食である。焼き魚から卵焼き、そのまま視線を滑らせると、私の前にいるのは、紫の眸の、
「なんだ」
「あ、……いえ」
確か、谷裂さん。そうだった気がする。肋角さんも意地が悪い。新入りが来たのだから、それぞれの自己紹介タイムくらいは設けてほしいところだ。私の反応を見て顔を歪めてから、卵焼きを口に運ぶ谷裂さんの第一印象は、でかい。肋角さんほど身長が高いわけではないが、近くで話したことのある佐疫さんや田噛さんと比べると、段違いにガタイがいい。むしろ佐疫さんと田噛さんはこの中では小柄な方に分類されるのかもしれない。
私もお腹が空いているので、黙々とご飯を口に運んでいると、谷裂さんが立ち上がったとほとんど同時に佐疫さんが帰ってきたので、なんだか緊張が解けていくような、とにかくほっとした。それに加えて、胸が苦しくなったのは、恋なんて可愛いものじゃなくて、今日の任務での私の行動を思い返したからだ。おかえりなさい、と言うと、昨日や一昨日から変わらない穏やかな表情で、ただいま、と言って、谷裂さんが座っていた隣の席についた。
「初任務、どうだった?」
「え、……えっと、初めてなので、そんなに動けなくて」
「最初は誰だってそうだから焦らないで」
動けなくて、と言うより、佐疫さんに忠告されたことだとかを無視して感情のままに好き勝手して、田噛さんにも迷惑かけた挙句に自殺を試みてしまっただなんて、とても言えることではない。落ち着いて綺麗な姿勢で食べる佐疫さんを目の前に、自然とご飯を口に運ぶスピードが上がってしまう。きっと佐疫さんはそんなこと気にせずに、口に入れていたおひたしを飲み込むと、再度私に視線を送る。
「そういえば、田噛と任務だったんだって?」
「そうです、田噛さんと」
「大変だっただろう。田噛はやる気さえ出せばすごく頼りになるんだけど……」
「い、いえ! すごく! 頼りになりました!」
次第に佐疫さんと二人での会話に気まずくなってきてしまって、そう言うと同時に、ごちそうさまでした、と手を合わせて立ち上がった。佐疫さんは、頭が良いしきっと勘も冴える。田噛さんもどこかそんなタイプな気がして、この二人の前では下手な発言はできないような、そんな感じがするのだ。少し驚いていたような気がするが、気まずさのあまりそんなことを気にする余裕もなく、食器を運んでから自室へと戻った。
☓☓☓
お風呂に入ってから、昼食の時間まで眠る。まだ
昨日、今日と見た感じ、谷裂さんと斬島さん、それから木舌さんは時間通りに来ることが多そうだ。木舌さんは緑の目をしていて、優しそうな人ではあるのだが、今日の目は蕩けきっている。その正体は紛れもなく、この匂いと木舌さんの手に握られた酒瓶である。こんな昼間、しかも任務の前からお酒なんて、と思ったが、佐疫さんの親友である斬島さん曰く、お酒を止める役を果たす佐疫さんが今は不在だから、だそうだ。
「飢野も酒、どうだい?」
「私まだ未成年で……」
「もう人間じゃないんだから関係ないさ〜」
昨日見た姿と打って変わっている。豹変というほどではないのだが、この、話の通じない感じが面倒だ。佐疫さんや田噛さんがいればきまりが悪いといえばそうなのだが、いなかったらいなかったで、対処法やら何やらがわからないので困ったものだ。田噛さんはまだ少し怖いが、それでも一応話せる獄卒の一人である。面倒な酔っ払いに絡まれたものだ、と新鮮ながらも迷惑がっていると、谷裂さんが口を開いた。
「たるんでいるぞ、木舌」
「ええ〜酷いなあ谷裂」
そのひと言で酔っ払いの意識が私から谷裂さんに移ったらしいので、ふう、と息をついて安堵しつつも、肉じゃがを口に運び始めた。
昼食を終えて向かった先は、道場であった。昨晩の任務での思いから、肋角さんに獄卒をやめたい、と言おうと思ったのだが、今この時間にそう思っているかというと、別にそうではなかった。生前から不思議なことに、きっと人間の性質だろう。そのまま持ってきてしまったのだろうか。昼間は朝よりも夜よりも考え方がポジティブなのだ。ポジティブと言うより、楽観的と言った方がいいだろうか。だから、もっと冷静に判断して、それから生前のことを思い出さなければ、獄卒としてやっていけるのではないか。それに加えて、獄卒になりたいと言ったのは私だ。決定権まで委ねてもらったのに、それを自ら辞退するなんて、無様だ。生前から持っていた変なプライドの高さが、ここにきて活きている。それと単純に、少し楽しいのも本音だ。生前ではできなかった経験が、そこらじゅうに溢れているから。
昨晩や今朝よりは軽い気持ちで、狙撃の練習でもしようと道場の扉を開けたとき、でかい人がいた。こちらを振り返らなくても、後ろ姿でわかる。谷裂さんだ。
「あー……」
「お前も鍛錬か」
「……先客、いました?」
「構わん」
少し遠くで紫が光っていた。谷裂さんの武器は、え、金棒? 血のような配色の金棒が、壁に立てかけられている。昨日の田噛さんですらコスプレ感が否めなかったのに、金棒だなんて、より現実味を帯びていなくて、コスプレ感が滲み出ている。むしろ現世に行くには金棒くらい派手な方が良いのかもしれない。
谷裂さんの邪魔をするだろうか、と部屋を出ようとしたけれど、言葉によって引き止められたので、私も中に入った。谷裂さんは、帽子と制服の上着の方を脱いで、上だけ下着姿で腕立て伏せをしているところであった。食堂などで見かける谷裂さんは、何度見てもがっちりしているとは思っていたが、こうやって日々鍛錬を怠らないのならばそれにも納得だ。普段は布地に包まれた筋肉が、よく見える。
金棒が立てかけてある壁に私ももたれかかり、銃弾の確認をしていると、いつの間にやら制服に身を包んだ谷裂さんが立ち上がってこちらに歩いてきた。やはり肋角さんほどではないが、威圧感が強い。
「飢野と言ったな」
「はい」
「入ってきたばかりで鍛錬とは感心する」
「は、はあ」
「とても田噛が教育係とは思えん」
どこからどう情報が漏れているのか、その情報は間違いであることを訂正したい。田噛さんが私の教育係だったのは一夜限りのものだ。佐疫さんからも谷裂さんからも、田噛さんのあまり良くない評判が口から飛び出してくるのだが、普段はそんなに酷いのだろうか。昨晩は本当にお世話になったもので、まあ怖いしやる気は感じられないけれど、とても頭が上がらない。
谷裂さんは私の横にある禍々しい金棒を手に取ると、また私から少し離れて、こちらにそれを伸ばしてきたので、思わず硬直しかけてしまった。
「えっ、と……」
「鍛錬だ。付き合ってやろう」
「撃って、いいんですか?」
「当たり前だろう」
何を馬鹿なことを、と首を傾げられる。なんだろう、小柄な人がすればキュンとするリアクションなのだろうけれど、失礼ながら谷裂さんがしたところで可愛さが皆無だ。そんなもの狙っていないのだろうが。それにしても、ここに来てからやたら馬鹿馬鹿と言われている気がする。それはまあ、世間知らず、あの世知らずの私の自業自得なので仕方がないだろう。
遠慮することなく、銃口を谷裂さんに向けた。まだ基礎的な射撃しか習っていないけれど、やはり習うより慣れろ、だ。周りから見れば、仲間同士で武器を向け合うなんて、物騒極まりない光景なのだろうが、ここでは日常茶飯事なのかもしれない。白い銃を構えた私を見た紫色の眸を持つ目の前の鬼は、口角を上げた。
「女だからといって手加減せんぞ」
「……そっちの方が助かります」
初日に佐疫さんの言っていた女の扱いがわかっていないのは、この谷裂さんだろうか。けれど、変に区別されるよりは幾分か楽だ。女というフィルターを通して見られることがないのだから。決して女扱いされるのが嫌なわけではないけれど、こうもはっきりと男女共に平等に厳しいような人ならば、それはまあ、やはり気散じだった。
「では、始めるぞ」
「お願い、します」
合図と共に、赤黒い金棒がこちらに思いきり伸びてくる。獄卒になって身体能力がわずかに上昇したのだろうか。器用にも、まるで漫画に出てくる戦闘シーンのように、少し体勢を反らせると、私の顔を掠めそうになった。避けることができたということに感動している余地なんてなく、私も引き金を引いたけれど、直撃することはなく、谷裂さんの肩に少し掠った程度だった。それを見てまた、紫色の眸はにんまりと笑った。
そこからは、谷裂さんが手加減をしているのか、それとも私の運が良いのか、十数秒という文字にすれば短い時間を、攻防戦をして互角に張り合った。
谷裂さんが少し姿勢を低くしたとき、今だ、そう思って銃口を向けたけれど、突如すべてがスローモーションに動き始める。この感覚は、知ってる。危機的状況に陥ったときこそ標的がゆっくり動いて、思考がよく回る。これは今までに何度か経験したことがある。もしかしたら、死ぬかもしれない。でも、私たち獄卒は死なない。そう田噛さんは言った。谷裂さんだって、その前提でこうやって鍛錬に付き合ってくれている。けれど、それって、昨晩のは偶然で、もしかすると――
私は次第に脱力していくと、不気味な色合いの棒がこちらにゆっくり、次第に速く伸びてきて、そのまま私の頭の方で鈍い音を鳴らすと、平衡感覚が途絶えて、そのまま倒れた。最後に見た光景は、谷裂さんの金棒と同じ、赤黒く染まった床だった。
☓☓☓
「……んん、」
「回復したか」
目を開けると、先程の鈍い感覚は未だに頭に残っているものの、血が出たであろう患部を押さえると、どうも血は出ていないようだった。しかし床の赤黒い染みは、意識が途絶える前と同じであった。ゆっくりと起き上がると、少し離れて胡座をかいている谷裂さん。この展開は、デジャブだ。
「やっぱり、生きて……」
「当たり前だ。獄卒だからな」
私の銃は、谷裂さんが戻してくれたのだろうか。倒れる前の記憶では確か、手が届かない場所に飛ばされたはずだったのだが、私の腿のあたりのベルトにしっかりと固定されていた。あの世の者だから怖く感じるだけで、なんだかんだ優しい人が多いのかもしれない。これは私の願望でもあるのだが。
「飢野の動き、途中までは悪くなかった」
「途中まで……」
「ああ。しかし途中で殺気が消えた。気を抜いたか」
「気を、……抜いた、かもしれないです」
気を抜いたというか、気を抜かざるを得なかったというか、気が抜けてしまったというか。整理をすると、谷裂さんにやられてしまうという危機感と、どうしようもなく回避できない状況と、本当に獄卒は死なないのか、という三つが重なった結果だろう。死なないかどうかの実験は、もちろん予想通りの結果になったが、もし死んでしまったところでどうということもなかった。私の煮え切らない返事を聞いた谷裂さんは、本番だと思って最後まで気を抜くな、と活を入れた。
「ただ、死なない分お前は死ぬ経験もした方が良いだろう」
「死ぬ経験? 死なないのに矛盾では……」
「黙れ、例えだ」
いつもと同じ怖い顔をさらに顰めて、こめかみをひくつかせた。そんなにムキにならなくてもいいのに。真面目でストイックで冗談が通じないタイプだろうか。人によって合う、合わないがあるタイプだ。しかしそれは誰でもそうだと思うので、誰にでも好かれるタイプとなると佐疫さんあたりになるのだろうか。
怖い形相のまま、谷裂さんは立ち上がると金棒を手に取った。
「貴様のような元が人間のやつは特に、死の恐怖を持っている。早めに慣れた方がいい」
「ああ、確かに……」
「任務ではもちろん、今みたいに鍛錬でこうなることもあれば、日常的に仲間に殺されることもある」
これも例えだが、と釘を刺す谷裂さんであるが、言葉だけ聞けばえらく物騒だ。しかしこの世界だからこそ、そういったことがコミカルに行われているのかもしれない。谷裂さんが言うには、機嫌が悪い平腹さんに話しかけると一発で沈んでしまうらしく、特に注意が必要だそうだ。あの何も考えていなさそうと言えば悪いが、そんな平腹さんだからこそなんだか、一番怖い。やはりここには怖い人が多い気がする。
死の恐怖はといえば、自分で手を下す分には、私は自身の手で命を捨てた身だから、そこまで感じていなかった。しかし自身の手と他人の手では、やはり他人に殺される方が慣れていなくて慄いてしまうのも事実である。
加えて、私は怪我をするならば、中途半端に骨折や意識がある程度の大量出血よりは、昨晩のように脳天を撃った限りなく死に近い状態だったり、先程のように脳震盪を引き起こしてからの気絶をすることだったりが望ましい。この身体でもやはり痛覚はあるものだから、半端な状態が最も苦しいのだ。
「今日はこの辺にしておく。明日からも怠るなよ」
「あっ、ありがとう、ございました」
私より先に道場から立ち去る後ろ姿に、急いで立ち上がって頭を下げる。その扉が閉まる音を確認すると、またしても気が抜けたように座り込んでしまった。
「やっぱり、死なないんだ」
この人生では当然すぎる言葉を口にすると、余韻に浸るように、自身の手で固く握り拳を作ってから、広げた手のひらを天井の蛍光灯にかざして、しばらく見つめていた。