05.縛って、落ちて、溶け込んでいく

可愛い編み上げブーツ。

「……何見てんだ」
「あっ、……」

 私の斜め前を歩いていた人は、どうやら私の視線に気がついてしまったらしい。

 任務はまだ数えられる程しかこなしていないが、どうやら人間の適応能力はそこそこ高いらしい。徐々にここでの生活も馴染んできて、昼夜逆転生活は当たり前になったのだから。と言っても、任務がない日もあり適宜合わせた生活ではある。
 ツルハシを持った獄卒、田噛さんと一緒になったのは二度目だ。他の人たちにももちろんお世話になっているのだが、母数が少ない中で二度目を更新したのは田噛さんが初めてだ。なんなら佐疫さんとは同じ任務に就いたことがないので、実践する姿を見たことはない。
 さて、今回の任務はと言うと、下・中級怪異の退治である。この世にある、すっかり寂れた廃ビルに棲むらしく、人間たちに悪さを働いているという。

 私の羨望の眼差しを受け取ってしまった田噛さんは、一瞬だけこちらを振り向いてから、足を止めることなく投げかけたのだ。

「いや、……そのブーツ、可愛いなって思って」

 以前から気になってはいたのだが、田噛さんのブーツは編み上げになっていて可愛い。初めての任務で気がつき、もしかすると獄卒としての時間が長いと履けるようになるのかしら、と思ったが、他の人と任務に行ったときは全員、私と同じブーツだった。
 私の言葉を聞いた田噛さんは、少し立ち止まって、ツルハシを持っていない方の手で、帽子を示すようにほんのわずか頭上を見上げながら、わざとらしく被り直した。

「あー……別に制服とこの帽子以外は自由だ。履きたいなら履け」

 上に頼めば支給してくれるだろ、と付け加えると、また前を向いて歩き出した。そういえば今日の田噛さんは以前と違って黒手袋も着けている。もしかすると案外お洒落さんなのかもしれない。それと、なんだかんだで田噛さんは怖い人ではなさそうだ。質問には割と受け答えしてくれる。まあ、適当に答えるときもあるが。どちらかと言えばやはり面倒臭がりで、下級の怪異くらいなら私に投げてその辺に座っているといった感じだ。今日の任務の序盤の方はツルハシで戦ってくれていたが、鍛錬のおかげもあってか、私が割と動けることを踏んだ田噛さんは、だるいから頼む、の一言を残し、それはそれはダラダラしている。他の人たちが言っていた、田噛さんの酷評も何となくわかる気がした。
 しかしまあ、何とか怪異を倒した暁には、腕は悪くねぇな、なんて褒めてくれるので、嬉しい気持ちの方が大きい単純な女である。

「佐疫に習ってんのか」
「はい、佐疫さん、……と、谷裂さんが付き合ってくれます」
「……は?」

 聞かれたことに加えて、特に変わったことは言っていないつもりなのだけれど、足を進めていた田噛さんは不意にその場に止まってしまったので、驚いた私も同じように止まった。どうしたことかと田噛さんを見ると、綺麗な夕焼け色がこちらを真っ直ぐ見ていたので、思わず逸らそうとするが、そうさせてくれなかったのは田噛さんの酷い顔であった。いや、酷いと言うと語弊がある。唖然としたような表情に、それから綺麗と言えども冷めたような眸だった。

「お前……よくあんなだるいのに付き合ってられんな」
「えっと、谷裂さん?」
「あんなの斬島にでも投げればいいだろ」
「でも、まだわからないことも多い中ですごくありがたいし、」

 そう言うと、田噛さんは決して深くはないが、浅くもない溜息を零すと、その溜息に乗せるように、クソ真面目、とだけ呟いて、また足を進めた。でも確かに、私と佐疫さんと斬島さん以外が谷裂さんと手合わせしているのを見たことがない気がする。ならば、あの三人の並びは間違いなく真面目だから、そこに並ぶ私も自然と真面目だという方程式が成り立ちそうだ。少し遅れて歩き出した私は、田噛さんに追いつくように早足になった。

 すべての怪異を倒し終えただろう、最上階、といっても六階であるが、そこまで上りきった私たちはまた一階へとボロボロの階段を使って降りていった。エレベーターが壊れているので、ここまでも階段で上ってきたが、やはり向かう途中に洩らしていたと同じように、だるい、と数十秒に一回は口にしていたので、つい苦笑が零れてしまった。
 三階から二階を繋ぐ階段の間に、田噛さんはまた、口を開いた。こうして話題を作ってくれるだとか、なんなら独り言でもすごく助かる。何とかして気まずくない空気を作ろうと考えを巡らせる必要がない。田噛さんは二度目もあって、少しの沈黙にも慣れてきた。一番苦しかったのは斬島さんとの任務だったかもしれない。しかしその肝心な話題はと言うと、少し反応に困るものではあった。

「お前この前なんで撃った」
「えっと、」
「頭だよ。お前の頭」

 そう言った田噛さんの表情は、特に深刻には考えていなさそうな、いつもと変わらない真顔で、そこにさらに欠伸も加えた。この前というのは、間違いなく初任務のときだろう。なんて言おうか、死にたかった、なんて言うのは馬鹿らしいし、最近は別に死にたいわけではない。なんとなく、なんて言うのは論外だろう。言い淀んでいると、田噛さんは小さくではあるが舌打ちを鳴らして、そのまま一階へと足を進めたので、少し遅れて、今度は追いつくことをせずに私も下りた。
 空が少しずつ白んできていたのが、硝子越しに見えたので、少し歪んでヒビの入ったその扉に向かって足を運ぶ。先程よりも気まずい無言だ。何か話そうかな、そう考えていると、急に足が重くなった。疲弊とかじゃなくて、明らかな違和感。どうしよう、進まない。進まないどころか、後ろに引っ張られていく。きっとこれは、怪異だ。下級みたいに悪さをあまり働かないやつじゃなくて、多分中級の、

「う、わっ……!」

 そのままありえない程の引力に逆らえなくて、それに釣られるように後ろを振り向くと、穴だった。ただの落とし穴とか可愛いものじゃなくて、きっと、あの世でもこの世でもなくて、異界に連れていかれるような。今まで倒してきた怪異は確かに悪さを働いているという噂にしては大したことがないと思っていたが、こいつが元凶だったか。急いで腿に取り付けたベルトに手を伸ばすが、遅かった。どうしよう、落ちる。
 視界が反転したとき、この間と同じ感触がした。この間よりは広範囲だ。引かれて頭から暗闇に吸い込まれていく最中に、私の身体に鎖が巻きついた。そのまま加減なんて知らずに、ぐっ、と引っ張られると、強い引力に見事打ち勝った。鎖が巻きついた身体が痛いが、それよりは怪異だ。すぐに立て直して、わずかに緩んだ鎖の中で急いで銃を構えると、田噛さんが既にツルハシで一撃を食らわせているところであった。大きくて黒い、手のようなものが無数に生えている怪異だ。一撃入ったからと言って油断はできない。私も倣って、一発二発、三発目は怪異の不自然な目のような箇所に打ち込むと、喉が潰れた人間の声のような音を発して、消滅した。

「前より悪くねぇ動きだな」
「ありがとう、ございます」

 穴のようなそれが消えるのを見送ると、田噛さんはひと息ついてこちらへと向かってきた。そうだ、まだ鎖が巻きついたままだから、解いてもらわないと。
 そう思っていたら、まあ今日は大波乱。パラパラと何かが頭上から降ってきて、それがコンクリートの破片だと気がついたときには遅かった。間違いなく、劣化である。今回は物事がスローモーションに感じることはなくて、天井が崩れて私の上に落ちてくるまでに脳裏に浮かんできた言葉は単純だった。

 あ、また死んじゃう。

 そのまま大きな塊が私の上に落ちてくるのを、目で追う。どうせまた回復するからいいか、なんて呑気な考えを持って。こうやって死ぬのは任務では久しぶりだ。その大きなコンクリートの塊が、私の頭を打つ前に、またしても身体に大きな衝撃が走った。その衝撃は確かに痛いが、鈍痛と言うより、全身に走る締めつけられるような痛みだ。その正体が先程から巻きついていた田噛さんの鎖だとわかったときには、天井が崩れた場所から離れた位置で、田噛さんの上に倒れ込んでいた。

「わ、……た、助かった」
「……危なっかしいやつだな」

 間違いない。確実に迷惑をかけてばかりだ。田噛さんの鎖が偶然まだ私を取り巻いていたから良かったものの、もし解かれていたらきっとあのコンクリートの下敷きになっていた。今日もこの前の任務も、助けてもらいっぱなしだ。確かに狙撃の腕は佐疫さんに敵わないながらも、徐々に上がっているのだろうが、判断力はまだまだということだろう。一呼吸置いて、のしかかったまま口を開く。

「……助けてくれて、ありがとうございます」
「わかったわかった。わかったからそろそろ退け」
「ご、ごめんなさい!」

 田噛さんに全体重を預けてしまっていた私は、確かにこのままでは田噛さんが動けないな、と思い、焦ってその場から起き上がった。しかし、生前ならば異性とこの距離になると拒否反応を起こしたりもしていたのに、それがないのは、やはり目の前にいるのが人ではないというのが大きいだろう。前に支えてもらったときも、他の人との任務で距離が縮まったときもそうだ。
 そのまま立ち上がらずに一歩、二歩分ほど後ずさりをすると、田噛さんはやれやれといったように上体を起こし、帽子を被り直すと、依然私に巻きついたままの鎖を解き始めた。

「あの、」
「なんだ?」
「どうせ回復したのに、どうして助けてくれたんですか」

 片手で器用な、何かからくりでもあるのではないかと思わせるほどに綺麗に巻きついている鎖を、今度は解くために引っ張る田噛さんに合わせて私も身体をくぐらせたり回ったりしていると、私の質問を聞いて眉を顰めた。そんな表情向けられるなんて、まるで私が変なことを言ったみたいではないか。その何とも言えない表情の正体はと言うと、非常に合理的なものだった。

「回復に時間かかるだろ」
「……ああ」
「早く帰れねえ」

 この返答を予想できなかった私が馬鹿だった。だとすればこうしてもしコンクリートが頭上に降ってきた場合よりも、初任務のときのように確実に脳天を狙ったあのときの方が回復に時間を要しただろう。優しいのか何なのか、田噛さんは案外それを待っていてくれている。それとも私がまだここに来たばかりだからか。どちらにせよ優しいのには変わりない。だとすれば本当に申し訳がないので、貸しがいくつもできてしまった。

「とりあえず死なないことには変わりねぇから」
「? はい」
「あんまり変なこと考えるな」

 その言葉と同時に解けきった鎖は、どういう原理だか、綺麗に田噛さんの袖の中へと収納されていってしまった。銃をいくつも使い分ける佐疫さんもだが、使い勝手が良いにしろ、全然違う武器二つを使い分ける田噛さんにも感銘を受けた。私はベルトに取り付けた一挺だけであるが、これを極めるか、はたまた違う武器を使うかどうかは、今後考えていった方が良さそうだ。
 それから二人揃って立ち上がると、今度こそ扉の方に向かうと、田噛さんはこちらを振り返って、一言だけ私に向けた。

「貸し一つな」

 本来なら五つ分くらいあるはずの貸しを一つにしてくれた田噛さんは、やはり優しい。

 ☓☓☓

 言われた通りに上層部にブーツの件を伝えると、数日後に、田噛さんのとは少し違う、編み上げのショートブーツが支給されて、上がってしまうテンションを抑えきれない。入ってきてひと月も経たないが、仮に新人なのに調子に乗っているといびられても、可愛いから問題ない! と開き直ることができる。しかしここにはそんなことを言う人なんていないので、安心して新しいブーツを履いて、軽やかな足取りで廊下を歩いた。

「あれ、飢野」
「わ、お疲れ様です」

 廊下ですれ違う直前に私を呼び止めたのは、暑そうな外套を身にまとい、いつものように空色の目を優しく細める佐疫さんだった。その暑苦しい外套の中に佐疫さんが使い分けるいくつもの銃が収納されているらしいが、とても見た目からでは想像がつかない。
 佐疫さんはにこやかに微笑みながら、私の足元に目を配った。

「ブーツ新調したんだね。よく似合ってるよ」
「ふふ、ありがとうございます」
「だから今日はご機嫌なのか」

 細かいことに気がつくことのできる人だ。現世にこんな人がいたらモテモテで、いや、知らないだけであの世こちらでもそうかもしれない。悪いことを言わないし、何より嫌味がない。佐疫さんの手にかかれば女の亡者なんて一瞬で冥府に送ることができそうだ。ぜひその瞬間に立ち会ってみたいものであるが、不運にも佐疫さんと任務が被ることがそうそうない。見た通り優秀だから、重要な任務に当たることが多いのだろうか。

 偶然すれ違った佐疫さんと、以前の後ろめたさとか、そんなものは忘れて話し込んでしまっていると、廊下の角から見覚えのある姿が現れた。

「いた。飢野」
「は、はい!」

 無視をするかと思ったその人は予想外にも私を呼んで、それから佐疫さんのように私の足元に目を遣ったかと思えば、それに関しては何も言わずに私の前に立ち止まった。足元だけ見るとお揃いである。シミラールックである。
 そんな呑気なことを考えているなんて知らないであろう田噛さんは、溜息をついてから舌打ちをして、私を見た。珍しい、溜息と舌打ちの二本セットだ。

「この前貸し作ったろ」
「あ、その節は――」
「これでいい。あいつの相手してくれ」

 そうして田噛さんが親指で自身の背後を指すと、バタバタと忙しない音が聞こえてきた。この館でこの音を鳴らす人なんて、一人しかいない。バタバタというより、ドタドタの方が的確だろう。その音が聞こえてくると、予想は的中。

「田噛ぃぃ! かくれんぼしようぜ!!」
「飢野がやってくれるらしい」
「マジ!? さんきゅーな飢野!!」
「あ、えっ、私、」
「じゃあな、頼んだ」

 私に有無を言わさずに手を軽く上げると、田噛さんは去ってしまった。しかし去り際に一つ残したことはと言えば、「機嫌がいいから死にやしねぇよ」ということだ。最初は何のことかと思ったが、きっと以前谷裂さんが言っていた、機嫌が悪い平腹さんにやられてしまうそれだろう。私の手を持って上下に振る黄色の目を輝かせた平腹さんから目を逸らして佐疫さんに助けを求めてみるが、望んでいた展開にはならなかった。

「俺は調べ物があるから、頑張ってね飢野」
「え、そ、そんな」
「早く行こーぜ!」

 少し引きつった笑顔でそう言った佐疫さんは、私を助けてくれるわけもなく、図書室に向かってしまった。平腹さんと一対一だなんて、どうすればいいのかわからない。以前任務で一緒になったときは結構好き放題していたイメージがあるのだが、どうなのだろう。
 誰かに擦り付けたい気持ちもあるが、平腹さんの期待を裏切るわけにはいかないし、田噛さんに借りを返せるせっかくの機会だから、大人しく平腹さんに引っ張られるままに外へと向かった。

 ☓☓☓

「もういいかーい」

 こんなの、いつぶりだろう。
 獄卒でも訓練として、定期的にかくれんぼやら鬼ごっこが行われるらしいが、私が来てからはまだ一度もそういった訓練がなかった。平腹さんはいつもゲームをしているイメージだったが、天気が良いからか、今日はそういう気分ではないらしい。この歳――もう人間でないから歳なんて関係ないのだが、それでも「もういいかい」と声を張って言うのは少し恥ずかしいものだ。それに、二人でかくれんぼってなんだ。この広い敷地もあって、二人でババ抜きとは真反対の意味で、二人でやるには向いていない遊びな気がする。いや、基本的に外遊びが二人向きではなさそうだ。しかし今日は幸いにも、新調したショートブーツが私の気分を上げていてくれたので、何でもどんとこいの精神である。

「もういいかーい」
 
 返事がなかったので、隠れたのだろう、と念のためにもう一度言ってみれど、やはり返事はないので、平腹さんを探しに行くことにした。

 しかし、一瞬で決着がつきそうだった。
 その理由はと言うと、どうせ平腹さんだから、単純なところに隠れているだろう、と半舐めプ状態で敷地内を探索し始めたのだが、予感は的中、平腹さんの帽子が草陰でひょこひょこ動いていた。やっぱりか、と思った私は、苦笑しつつも、そちらの方に近づく。

「もう、もっとちゃんと隠れな――」

 ちゃんと隠れないと駄目ですよ、なんて注意の言葉を遮った要因は、地面だ。要因は地面と言うより、平腹さんか。そう、大事なのは、決着がつき“そうだった”というところだ。揺れ動く帽子を見つけた私は、そのまま草陰を覗こうとすると、私の視界が沈んだ。平腹さんを単純な人だと侮っていた。もっと目を凝らしていれば、地面の掘り返した跡に気がついただろうに。
 短時間では浅い穴しか掘れないだろうに、平腹さんのパワーなのか、二メートルほどの穴にはまってしまっていて、なんとも無様な様子が目に映っているだろう。

「よっしゃああ! 初めて引っかかった!!」
「わ……初めて……」

 初めて、と言うのは、きっと獄卒何人もに試して、そのうちで引っかかったのが私だけだったのだろう。ついでだが、私が落とし穴に引っかかったのも生前含めて初めてだ。どういう仕掛けになっているのかは、甚だ疑問である。私を見下ろしながら跳ねて喜ぶ平腹さんには悪いが、とても喜ばしいことではない、複雑な感情が私を取り巻いている。複雑と言うより、どちらかと言えば嫌かもしれない。こんなに単純な罠に引っかかってしまう獄卒だなんて。他の獄卒たちがこんな姿を見てしまったら、鼻で笑うだろうか。きっとそうだ。

「さんきゅーな飢野! どいつも引っかからなくてつまんなかったんだよ!」
「あ、……平腹さんの今日のかくれんぼの狙いって、」
「そう! 落とし穴!」

 そう言って平腹さんは泥だらけのシャベルを私に見せた。ああ、そういえば平腹さんの武器はシャベルだった。以前の任務でシャベルを投げたり思いっきり叩いたりの姿しか見ていないが、本来の使い方もするものだ、とこの状況ながら呑気に感心もした。
 上体をわずかに起こすと、泥のついてしまったおろしたてのショートブーツが目に入って、つい感情に任せて悲鳴を上げたくなってしまったが、冷静に自身を俯瞰してその悲鳴を喉のあたりで止めておいた。けれどまあ、紐を通す穴に土が詰まってしまっていて、悲しいは悲しい。今後いくらでも汚れる機会はあるのだが、そうだとしても、ムッとしてしまったのは事実なので、親切にも手を差し伸べてくれている平腹さんの手を掴むと、そのまま穴に引きずり込んだ。

「痛ってぇぇ! 何すんだよ!!」
「わ、ごめんなさ、な、成り行きで……」
「……ま、飢野が落ちてくれたからいいけどな!」

 予想外の動きに口を開けてあわあわさせながら落ちてきた平腹さんは、私の上に鈍い音を鳴らして落ちると、その口をへの字に曲げて大声を出したので、絶対やられる、なんて、調子に乗った自分を恨みつつも急いで謝ったが、そうでもないらしい。平腹さんは相当な気分屋らしい。よくよく考えれば、何を考えているのかわからなくて怖いという印象を抱いていた平腹さんであるが、ただ気分が変わりやすくて、それが表に出るだけではないだろうか。何だかそれって、

「ふ、ふふ……」
「何? なんか面白いことあんの?」
「ふ、何でも、ないです」

 大きい赤ちゃんみたいだ、なんて思ってしまったのは、心の片隅にしまっておくことにした。私の上に平腹さんが乗っていて、重くてとても身動きが取れなかった。それから、私だけ落ちたのが悔しくて、今度は斬島さんや田噛さんも落としてみようと、穴の中で作戦を練り始めた。そうやって話しているうちに、平腹さんは読めなくて怖いだとか、そんな感情はとうに消え去っていたのだ。

 しばらくその状態で笑い合っていると、走り込みに行っていたであろう谷裂さんが穴を覗き込んで、「間抜けが」と表情を変えることなく鼻で笑った。


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