君は泡盛で気を許す

まさか飢野が乗ってくれるなんて思わなかったなあ。そりゃあ、昼酒は他の誰も当然のように付き合ってくれないけど、任務が舞い込んでこない日は忙しくない限り、佐疫とかが付き合ってくれたりする。谷裂や田噛は見ての通り付き合いが悪いけど、それでも一応全員と盃を交わしたことはある。長すぎる付き合いというのもその理由としては大きいと思うけれど。

 それにしても、飢野がいつもおれの誘いを断るときは「未成年なので」なんて言ってたなあ。あまり他人の過去を深掘りするのは良くないと思っているし、趣味じゃないんだけど、元が人間って本当の話だったのか。いや、疑っていたわけじゃないんだけど。

「初めてだから、ちょっとドキドキします」
「大丈夫だよ。飲みやすいのを持ってきたからね」

 焼酎だとか、ましてやウイスキーなんかを初心者に勧めるほど鬼じゃない。確かこの世でも、女性が好んで飲みやすいのはリキュールとかの果実酒だって聞いていたから、その中でも度数の低めのものをこの場に持ってきた。血よりも濃度が低そうな赤色をした液体がグラスに注がれていく様を、飢野が目で追う。八分目まで注がれたのを確認すると、興味深そうに、グラスを回した。初めてなのに、そのベテランのような姿につい頬が緩む。気に入ってもらえるといいんだけど。

「じゃあ、飲もうか」
「は、はい」
「今日の飢野の活躍と日々に、乾杯」

 おれの合図と共に、ちりん、と音を鳴らしてぶつかった二つのグラスは、その音をきっかけに離れて、口元へと運ばれていく。おれはいつものように、迷いなくそれを喉に流し込むが、グラスを挟んで彼女の様子を見た。飲み慣れないが、果物特有の甘さが舌鼓を打つのを感じていると、彼女がおずおずと酒を喉へと流していった。ゆっくり、ゆっくり、味を確かめるように。
 数秒後、やがてグラスから口を離した飢野は、決して驚いた表情をしているわけでもないし、不満そうな表情をしていたわけでもなく、いつもよりも優しい表情で電球の明かりを反射したその赤い液体を見つめていた。

「気に入ったかい?」
「……ジュースみたい」
「美味しいってことで大丈夫かな」
「思ってるより、全然美味しいです」

 変に緊張して損した、なんて笑みを零す飢野。気のせいじゃない。最近の飢野は、ここに来て一週間二週間よりは表情が柔らかくなっている気がする。それはまあ、緊張してたんだろうな。そりゃあ誰だって、特に元が人間で、それに未成年ともなると、この世でいう高校生だろう。そんな飢野がいきなりこんなところに連れられて、知らない鬼たちと一緒に過ごす、なんてなると恐怖心を煽られるだろうし、肝が据わっている方がおかしい。それでも、最近の変に力の入っていない飢野を見ると、安心する。

「今日の飢野、すごく格好良かったよ」
「そ、んな、ふふ、ありがとうございます」

 早くも二杯目に手をつけるおれとは対照的に、ちびちびと口に運んでいく飢野。おれの言葉に謙遜するわけでもなく、なんなら嬉しさが抑えられていないようにも見えた。どうせならおつまみも用意しよう、とチーズや生ハムをお皿に持っておれと飢野の真ん中に置いた。手をつけても良いのかと迷っている様子の飢野は、おれがそれに手を伸ばしたのを見計らって、倣ってチーズを手に取った。

「佐疫との一騎打ちは惜しかったね。檻の中から見てたんだ」
「そうだったんですか。う、……本当に本当に悔しくて」
「健闘してたよ。しかも、おれたちの知らないところで田噛まで倒してくれてるなんて思わなかったなあ」

 谷裂を倒すのと、佐疫からの狙いを見極めるのに必死で、まさか佐疫を倒しに向かっている最中に田噛を片付けているなんて思いもしなかった。丁度茂みに隠れる位置だったから、飢野と田噛の戦いを見れなかったのが酷く悔やまれる。田噛が手を抜いていたのか、飢野が不意を突いて倒したのか。
 今日はいつものより度数が弱いから、酔いが回るのが遅い。それにもどかしい気持ちにもなるが、今日はこれでいいか、なんて思って、飢野のグラスが空になったのを確認すると、また酌んだ。

 すると酒の力か、二杯目を飲み干した飢野は、今度は自主的に酒をついだ。さらに心做しか、いつもよりも陽気になっているらしかった。

「皆さん最初は怖いな〜って思ってたんですけど、」
「うん」
「本当に優しくて優しくて、いい人たちなんです」

 しかもいつもより饒舌だ。なるほど、このタイプの酔い方なのか。いつもは受け身な飢野が、こんなに自発的に話してくれるのは初めて見る。もしかするとおれが初めてなだけで他のやつらは見ている、なんてパターンがあるかもしれない。もしそうだとしたらちょっと悲しいなあ。
 こういうときでも敬語が崩れないのはすごいと思う。おれたちも酔ったとて災藤さんや肋角さんには敬語を使うし、きっと普通のことなんだけど、おれたちは特務室で獄卒を任されたやつらのことはその時点で兄弟のようなものだと思っているし、もう少し砕けてくれても嬉しいものはある。きっとこれを思っているのは、おれだけじゃないと思う。先輩後輩関係はどうしても年数の違いが他の獄卒よりも明らかに大きすぎて崩しようがないのかもしれないが、飢野のことは誰だって同僚で友達で、妹のように思っているはずだから。

「それでそれで、」
「それで?」
「ほんっとうに、最近楽しくて楽しくて」
「うんうん」
「私、ここに来て本当に良かったあ」

 三杯目、気がつけば四杯目と酒を進める飢野は、一杯目を飲んだときよりもペースが上がっていて心配になるが、比較的度数が弱いし大丈夫だろう。けれどまあ、明日までこの酔いを引きずってしまっては、頭が痛いやらで任務どころではないだろうから、抹本に酔い醒ましの薬を調合してもらおう。おれと飢野では体格が違うから、いつもおれが作ってもらっているやつではなくて、飢野専用に作ってもらわないと。
 そんなことを思いながら、おれは少しペースを落として、飢野の様子を見ることにした。いつもからは想像できない、蕩けて緩んだ表情で、ああ、きっとこの姿を見たのはおれだけだろうなあ。それに、獄卒としての生活が楽しいだなんて、これ以上ないほどの喜びだ。他のやつらにも聞かせてやりたい。

「おれも飢野が来てくれて嬉しいし、楽しいよ」

 これも、おれだけじゃなくて、おれたち獄卒全員の気持ちだと思う。任務に一生懸命で、鍛錬も怠らなくて、平腹の遊びにも付き合ってやっている。仕方なし付き合っているところもあるだろうけれど、嫌な顔という嫌な顔も見たことはないし、楽しいのも本心だろう。うん、それだけで十分だ。意外に負けず嫌いなところも、向上心となってすごく良いことだからね。

「私、本当に……」
「うん」

 そこまで言うと、机に張り付くように力が抜けた飢野の口から言葉が聞こえなくなった。そろそろ充電切れだろうか。そう思って、部屋まで運ぶのは少し申し訳ないから、毛布でも持ってきてやろうと思ってその場を立ったとき、寝息が聞こえる前に、小さな声が机に打たれた。

「…………死ねなくて、……良かった」

 穏やかな寝顔と、規則正しい寝息に気を取られる前に、おれは今耳にした言葉を耳から零すことはなかった。

『死ねなくて良かった』

 そういえば飢野は、最初一週間のうちは気絶するような攻撃を食らっても、元が人間にしては恐怖心をあまり持っていないように思えた。流石におれたちよりは恐怖心があるが、それでも、死にたくない、なんて意思は見えないような。
 それに、よくよく考えれば、ただの人間にしろ、元から人間でないにしろ、肋角さんに選ばれて拾われるなんて、“何かあった”者だ。おれたちは皆、肋角さんに選ばれている。他の獄卒の過去なんて知らないし、知ろうとも思わないし、おれ自身自分の過去なんて薄らとも覚えていない。それと違って飢野はきっと、生前の記憶がまだ新しく、鮮明に覚えていることも多いだろう。死ねなくて、なんていうのは、それに通ずるものかもしれない。
 しかし、他人の過去を深掘りするのは趣味じゃないし、知る必要もない。だって、今が楽しいなら良いじゃないか。飢野だって、きっとそうだろう? だからもし、飢野に辛い過去があったとしても。

「ゆっくり、安心してお休み」

 おれは飢野の頭を軽く撫ぜて、丸まった小さな背に毛布をかけた。君の目が覚めるまでここにいるから、楽しい思い出に耽って、安心して眠っていていいよ。


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