下駄の高さと相関性
まだまだ明るくて、水色で、暑い。動きにくくも涼しげのある服装で、かこん、かこんと下駄の裏を鳴らしながら、最近塗装され直したグローブジャングルが特徴的な公園へと向かった。
夏祭りの開催地は、中学校の近くの神社近辺。私の家からだと距離がそこそこあるが、車で送ってもらうほど遠くはない。第一、私よりも中学校から遠いところに住んでいる左右田くんが毎日徒歩で来ていたくらいなのだから。
少し気合いを入れすぎただろうか。自分では上手くできないから、お母さんに頼りきった浴衣の着付けとヘアセット。耳元ではいつもと違う音。しかし、そんな少しの心配は、ポンと宙に消えた。
彼はどこだろう、と探す間もなく、私は確かに彼の姿を捉えた。見覚えのある制服姿や、一度だけ見た作業服ではなく、彼は飾り気こそないがシンプルな浴衣を身につけていた。そして、どこか挙動不審に、というよりそわそわとして辺りを見回す。一度目が合ったかと思えば、ふい、とわざとらしくもなく顔を逸らしたので、私に気がつかなかったらしい。抜き足、差し足、忍び足。なるべく音を立てないように、左右田くんに背後から近づいて――
「――わっ!」
「ぎゃあああっ!!!」
「うわああっ!!!」
トン! と背中を軽く押して、少し驚かせるつもりで、さらには「待たせた?」と続けるつもりだったのに、見事に台無しにされた。左右田くんの想像を上回る大絶叫。見開かれた目。オーバーリアクションといっても過言ではないが、一瞬の震えからの硬直が、オーバーではないことを物語っている。
おかげでどちらもが絶叫するカオスな場面になり、周りの子連れのお父さんや部活帰りの高校生には物珍しそうにジロジロと見られたので、軽く会釈をしては、ふう、と息をついた。
「もー! 寿命縮んだ!」
「こっちのセリフだっつーの!」
心臓がまだバクバクと音を立てている。それは左右田くんも同じなのか、胸元に手を当てて息を少し切らした。それから、今度は左右田くんが息をついて、私をちらりと見てはまた目を逸らした。
「……よう」
左右田くんが、挨拶というには足りなすぎる挨拶を私に向けてくれたので、つい笑いを堪えながら、私もお返しをした。
「おう!」
下を向いて込み上げる笑みをどうにか抑え、左右田くんに向き直って右手を上げると、「おいコラ」と不機嫌そうに言った。それから顔を見合わせては笑い合って、またしてもいつもみたいに「行こう」なんて言葉はなしに、同時にコンクリートを蹴る音を鳴らした。からんころん、からんころん。たまにざらざらとした音に変わる。こうして隣に並んで歩くのは、一週間ぶりか、二週間ぶりだろうか。
「左右田くんも浴衣着てきたんだ。良かった、私だけじゃなくて」
「こっちのセリフだよ。……ま、オメーは着てくるだろうとは思ってたけど」
「何それ、どういう意味?」
「さぁな」
思っているより、会話もよそよそしくはなっていなかった。変わりない、心地よいテンポ。初めて見たときからは想像つかないくらい、思っているよりも合う波長。軽口が叩き合えて、きっとお互いに「素」だろう。下駄を履いているから、目線は私の方が高い――ことにはならず、左右田くんも下駄を履いているためにプラマイゼロ。いつもと同じ目線の高さ。いや、私の下駄の方が、少しだけ高いだろうか。
暑さがマシになってきた。そういえば、とポーチからスプレーを取り出して、自身の首や足にかける。薔薇の香りが広がって、左右田くんは不思議そうにじっと見た。
「虫除け。左右田くん振ってきた?」
「いや」
「振ってあげる。はい」
「……そんな虫除けスプレーがあんだな」
「薔薇の香りです」
プシュ、プシュ、と細かく出るミストが、左右田くんの肌に密着した。薔薇の香りは少し強くて好き嫌いは分かれるけれど大丈夫だったかしら、とちらりと見ると、鼻をすんすんと動かしながら、興味津々といった様子で腕の匂いを嗅いでいるようだった。大丈夫だったのだろう。
からん、ころん。いつもの橋を渡ると、赤く光る提灯が目に入った。少しずつ、辺りが暗くなる。マジックアワー間近。まだ地面に影ができるけれど、赤はとても目立って見えた。
「何食べたい? りんご飴は外せないよね」
「オレはたこ焼きの気分だな」
「あとは回りながら、だね」
「だな」
「お金は大事に計画的にいこ。半分こしたりね」
「サンキュ」
まだ中学生でアルバイトもできないから、お互いにお母さんから貰ったお金を計画的に使わなければならない。屋台の食べ物ってやたら高いし、娯楽にも使いたいしで左右田くんと顔を合わせては、無言で頷いた。小さい子供の声。川のせせらぎ。通りすがりに吠える散歩中の犬。すべてが、今から始まるこの祭りのたった一部だった。夕方の涼しい風が、緑の木々を揺らす。風につられるように視線を外すと、偶然にも左右田くんと目が合った。左右田くんはまた目を泳がせてから、ぎゅっと目を閉じて、私を――私の横髪のあたりを見た。それはどこか、既視感のある視線だった。
「ピアス?」
「お、おう。……スゲェな、それ」
「前に家族で京都行ったときに買ったの。かわいいでしょ!」
「ほー……」
左右田くんが虜になっていたのは、今日ずっと耳元でかすかな音を鳴らしていたピアス。浴衣に合うように、折り鶴を模したものだった。職人さんが手作業で作っているらしく、ディテールに一目惚れして購入をしたのだ。
揺れているであろうピアスを感心の目でじっと眺めてくるものだから、どこか気恥ずかしくなって一歩引いた。
「風鈴のピアスとかもあったんだけどさ」
「涼しそうだな。マジの風鈴なのか?」
「そ。でも耳元でずっとちりんちりんいってるのってさ」
「あー……ノイローゼになりそうだな」
そう言っては、また笑い合う。左右田くんの好みのリサーチにはほんの少ししか役立たなかったけれど、左右田くんがピアスを開ける気になるまで、じっくり悩もう。彼好みの、似合いそうなピアス。
⊗⊗⊗
「……この曲最近めっちゃ聞く気がすんな」
「ていうよりお昼じゃない? ほら、学校で流れてるやつ」
日も落ちて、いつもの風景が嘘のようなくらい、人だらけ。りんご飴を手に持ちながら――食べきれる気がせず、姫林檎の方を選んだのだが、左右田くんのご要望にお応えしてたこ焼きの屋台に並んでいると、五日のうちの三日はお昼休みに流れている曲が流れていた。普通、こういう縁日は囃子みたいなのが流れるんじゃないの? と思いながら、聞き馴染んだそれに安心感すら覚えた。
「なんだっけか」
「『放課後ボヨヨンアワー』だよ。もー、私らの間でも流行ってんだからね。覚えたらモテるよ」
「あー、それだ。覚えらんねーけどよ、ここのバンドなんか……曲ごとのギャップがとんでもなくねぇか?」
「それもまたをかし」
歳の近い彼女たちが結成しているガールズバンドは、同年代の刺さるところには刺さるらしい。私もその一人で、まだヒットこそしていないものの、流行ものに目を光らせるアマゾネスは「あと二年以内にくる!」と、少し長めの予言をしていた。
ガリ、とりんご飴を齧る。大きいものを買っていれば、きっと髪やらにベタベタとついただろう。昔のトラウマが蘇った。店主らしい地元のおじさんが、慣れたようにピックでたこ焼きをひっくり返す。そろそろ夕飯時だろう、左右田くんはうずうずしている。
「去年とかは来た?」
「あー、いや。機械いじってたな。親が夜ご飯に色々買ってきたりはあったけど、花火だったら家の二階からも見えるし」
「うっそ遠いでしょ」
「いいんだよ。ガキの頃何回も連れてきてもらったし」
「過去のことみたいに言わない。私ら今でもまだまだガキだから。クソガキだから」
もしかしたら天宮あたりと、なんて思ったけれど、そうでもなかったらしい。左右田くんからはあまり他の同級生の名前も聞かないし、私が、第一号なのだろうか。左右田くんにとっても、少しでも良い思い出にしてほしい。私から出た「ガキ」「クソガキ」に驚いたように目を見開く左右田くんに、欠けて少し変色したりんご飴を指示棒のように宙に向けて振った。
「社会でやったでしょ、ピーターパンシンドローム。でも私たちはまだ子供で許されんだよ。まだまだガキなの」
私、良いこと言った。左右田くんは、未だに目を丸くしている。前の人たちが列を詰めたのに気がつかず、後ろからの視線を痛いほど感じてはすみません、と二メートルの距離を早足で詰める。ざっ、と少し柔い地面を蹴る音。気を取り直して咳払いを二回して、左右田くんにウインクした。
「私たちはまだ何でもできるよ。だから、ガキのうちにいっぱい楽しんどこ! 今年は私と。ね?」
来年でも、二学期でも、左右田くんにとって一緒にいて楽しい友達ができれば、それが一番良い。もしそれで私と距離ができたとて――そうは決してさせないけれど、そうだとしても今この瞬間がなくなることはない。だから今日は、この瞬間は、私が隣にいるという実感をもって、思い出にしてほしい。
チョコバナナ、フランクフルト、と二つの屋台まで伸びるほどに長かった列の最後尾に並んだ私たちは、間もなく先頭に来ており、私の百円に左右田くんの百五十円を足しておじさんに手渡しをした。「デート楽しんでな!」と言ったおじさんに、「楽しみまーす!」と親指を立てれば、左右田くんが早く行くぞと言わんばかりに下駄を擦る音で急かした。
「苗字って見た目の割になんか……マトモで恥ずかしいこと言うよな」
「あっ、失礼!」
たこ焼きのソースが内側にべっとりとついてしまったビニール袋を提げていると、左右田くんが近くの屋台で、明らかにコンビニで買った方が早いうえにキンキンとは言えないオレンジジュースを手渡ししてくれた。左右田くんは、言わずもがなコーラを手にする。ペットボトルのキャップを開けながら、左右田くんはやはりどこか照れくさそうに、なのに失礼なことを言うから、わざとらしく頬を膨らませた。カシュッ、と炭酸の抜ける音が三十センチの間で完結する。
人通りもかなり増え、祭囃子もどこかで聞こえてくるようになった。これじゃあ、同級生が来ていてもわからないだろう。たこ焼きを落ち着いて食べるべく、木陰の方へと移動していたときだった。
「……あっ」
左右田くんが、小さく声を上げた。コーラがぬるかったのか、何か買い忘れに気がついたのか。どうしたの? と顔を下から覗き込めば、左右田くんの視線は射的の屋台に出来ている人混みに向けられていた。
「どうかした? 射的する?」
「いや、天宮がいた気がしてさ」
「へえ、誰誘ったんだろ」
「……多分あの言ってたメンツだけだ」
射的でなくて、射的のところにいたらしい天宮軍団に目を奪われていたようだ。天宮の性格だから、私が断った後に誰かしら適当に、それこそ私やいつもの二人の系統の他のクラスの女子でも誘うかと思ったのだけれど、どうもそうではなかったらしい。案外友達が少ないのかしら、と底上げした下駄でさらに背伸びをして、人だかりに目を向けた。私の手元でカサ、と音がしたので、天宮よりそちらに気をとられては視線を向けると、左右田くんの骨ばった手が私の持っていたビニール袋に添えられていた。
それから徐々に目線を上げて、ついに左右田くんの前髪の隙間から目が見えたとき、左右田くんはごくりと喉を上下させた。首元は抜かりなく、きっちりと浴衣を着ている。
「苗字、まずくねぇか?」
「なんで?」
「いや、用事あるっつってたしよ。来てること自体が矛盾してるわけだし、なんかお面でも被った方が……」
まずいって、何が? すると彼は顔を射的の横の、お面屋の方に向けた。そこには、安定の狐に、少し古い女児向けアニメのキャラクターや、たぬき型ロボットのキャラクターなど、様々なお面が取り揃えてあった。被ってもいい。けれど、その理由が、天宮たちに気づかれたくない、なんてくだらない理由なら、私は拒否をする。
つい感じ悪げに顔を顰めれば、顔に濃い皺ができただろうか。思考から言葉にするまでのスピードは速かった。
「やだ」
「おい」
「だって私が見つかったとてデメリットとかないし。もし責められてもやっぱり来れることになったって言えば良くない?」
確かに天宮に嘘をついたけれど、どうせ責められるのは私だけだ。言い訳なんてどうにでもなるだろうし、そんなことを気にしてもらうような必要なんて、ない。なのに、一瞬だけ口ごもった左右田くんは、負けじと反論するように、否定の言葉から入った。
「……でもよ。オレといるとこ見られるのまずくね? オレと苗字が並んでること自体が、なんつーか……」
「自信ないの?」
「いや……」
左右田くんは、自分に自信がないんだ。彼自身は陰のグループに分類されるであろうし、だから尚更、うちの学年の陽が支配するような雰囲気に耐えられない、といったところであろう。これはもちろん推測だし、もっと別の要因があるのかもしれない。しかし、彼が自分を卑下している点については変わりない。それでも、そんなのまったく関係ない。
浴衣の袖から覗く彼の手首を掴むと、少し湿っているのは、私の手のひらだ。驚いている彼を気にとめず、ぐい、と屋台の裏――木陰へと引きずり込んだ。
「……左右田くん」
いつもより低い私の声。左右田くんの肩が跳ねた。私は、彼から目を逸らさない。すると、彼も同じように、私の目をじっと見た。
「アイツは私とも左右田くんとも仲悪くないし、そんな変なちょっかいかけないでしょ。てかさ、私は左右田くんといたいからいるんだけど」
私は正論しか言わない。たった数分前、楽しければ良いでしょ、なんて話したところだ。私は左右田くんといるのが楽しいから、左右田くんといることを選んだ。左右田くんだって、私の誘いに乗ってくれたからには、そういうことだということをわかっている。
「左右田くんは私と来たくなかったの?」
左右田くんを試すみたいに、レンズの奥で揺れる瞳を見る。りんご飴が売り切れたという声。酔っ払いのおじさんの唸り声。くじで二等が当たったらしい、ベルの音。左右田くんは、私をじっと見つめ返すと、今度は迷いなく口を開いた。
「いや……今日来れて、スゲェ嬉しい」
「でしょ?」
やっぱり、そうだ。彼の表情だって、心なしか明るく見えた。もっとも、それはフィルターのせいかもしれないけれど、それにしても、鳥居を抜けたときの左右田くんの表情。いつもの地面を擦るようなスニーカーの音でなく、軽快な下駄の音。お揃いの薔薇の香り。全部が、いつもと違うふうに見えた。
にやり、左右田くんに向けて微笑みかけると、左右田くんも、小さく息を漏らしてから笑う。はは、と声を出して笑う。そんな彼に、脳まで熱が届くような思いがして、彼の袖口を引っ張って屋台の通りへと逆戻り。次の狙いは甘いシロップをかけただけの、無駄に高いあの氷だ。
「それにお面なんて被ったら、今日の私のかわいさが台無しだしね」
「……ったく」
「何よ。かわいいのは事実でしょ?」
間違いなく、今日の私はいつもよりかわいいから。ふふん、と鼻を鳴らして闊歩すれば、左右田くんは「そうですね」なんて心にもなさそうな相槌を打ったので、軽くデコピンを食らわせた。