仮初の真珠を落とす
今回も、一日目を無事に生き延びられたことに安堵の息を漏らす。このループでの私は、久しぶりに守護天使の権限を持っていた。会議が終わったいま、今日名乗り出た二人のエンジニアのうち、今晩はどちらを守るべきか――そんなことを考えていた。
皆がメインコンソール室を後にしていくなか、不意に真朱の瞳がこちらを捉えた。セツは周囲を見回してから、私へ小さく手招きをする。
「ナマエ、ちょっと」
セツがわざわざ私を呼び止めるなんて、情報共有――あるいは会議での立ち回りについて何か言いたいことがあるのだろう。もちろん、他の乗員に聞かれるわけにはいかない。
私もつられるように辺りへ視線を巡らせる。夕里子の姿は既に無かったものの、ラキオはまだその場に残っていた。私は彼のことを夕里子に次ぐ危険人物だと考えている。ひとまず彼の視界から逃れるように、私たちはメインコンソール室を後にした。
向かった先は、人目につかず、滅多に誰も近づかない部屋――私がセツと初めて出会った、医務室だった。
「随分会議にも慣れてきたみたいだね」
「そうかな、ありがとう」
「うん。だからループも多く経験してきたんじゃないかと思って。情報共有をしておきたかったんだ」
実のところ、ループ回数はセツに劣る。それはお互いの『鍵』をかざした時点で明らかだった。それでも、彼女の言う通り、何度もループを経験してきたおかげで、乗員たちのデータは少しずつ集まり始めていた。
それぞれの空白を埋めるみたいに、『鍵』が控えめな光を放つ。私の『鍵』も、ほんのわずかに満たされていった。
「良かった。役に立てたみたいで」
セツは私の『鍵』へ目を遣ると、ようやく安心したみたいに目を細めた。
しかし、お互いの持っていない情報を補い合ったとしても、未だにこのループから抜け出す方法はわからない。私もセツも、その答えには辿り着けていなかった。
彼女は麦色の髪をひと束耳へかけると、「まだまだ長い戦いになりそうだね」と視線を伏せ、小さく息を吐いた。
「わざわざありがとう。明日からもよろしくね」
そうして医務室を出たとき、薄藍色の瞳が鋭く光って、私の姿を捉えた。しまった、と慌てて目を逸らしたけれど、そんなことはお構いなしに、ラキオはブーツを鳴らしてこちらに歩いてくる。
ラキオは直感型ではない。その代わり、些細な違和感を拾い上げる観察眼と分析力に長けている。性格の悪さも相まって、他人の綻びを見逃さない。
彼は私とセツを交互に見ると、形の良い唇が緩やかに弧を描いた。
「何をこそこそやってるンだい?」
ああ、デジャブだ。いくつか前のループでも、ラキオは私とセツに目をつけた。喉の奥がひりつくように軋んだ。
「君とセツには隠し事があるみたいだね。はっ、悪いけど僕にはお見通しさ」
ラキオは嘲るように口端をつり上げる。どうにかして、どうにかして誤魔化さなければ。しかし頭の良い彼を化かす方法など到底思いつくはずがない。焦るほど、考えがまとまらなくなる。
――いや、待てよ。思わずセツに目を向けると、彼女もまた同じように私をじっと見つめていた。ラキオは、『鍵』について何かを知っているように見えた。ならば、今この機会は私たちがループを抜け出す情報を得るのにうってつけなのではないだろうか。
セツは睫毛を伏せると、ただ静かに頷いた。
「ラキオには話しても大丈夫だろう」
「……セツ」
どうやら、彼女も私と同じ考えをもっていた。そもそも、このループが終わればラキオは記憶を失う――次のループでは、彼は私とセツがループを繰り返していることを知らないラキオだ。ならば、と私も頷くと、躊躇うことなく口を開いた。
「私とセツ、ループしてるんだ。何回も、このグノーシア騒動を経験してる。……信じてくれる?」
恐る恐る顔を持ち上げてラキオを見ると、彼はゆっくりと視線を落として、顎に軽く手を添えた。紫色をしたアイシャドウが、光を反射した。
「……ふぅん。なかなか興味深いね」
彼は、いとも簡単にループについて信じるように口角を上げた。これは、やはり何か情報を得るチャンスなのかもしれない。
確信を得てセツと無言で目を合わせて頷くと、彼は私たちに目を向けず――
「あるいは――そうか。ふぅん、なるほど……」
背を向けて、廊下の奥へと消えてしまった。残された私とセツだけが、取り残されたみたいに顔を見合わせる。
「行っちゃった」
「……このループで少しでも手がかりが見つかるといいけど」
セツは小さく溜息を漏らすと、そのままどこかへ去っていった。明日もし生きていたら、ラキオにループと『鍵』について知っていることを聞いてみよう。
⊕⊕⊕
いい加減にしてよ、馬鹿。
「……この僕を冷凍睡眠させるんだ。救いがたいね。集団自殺する動物のようだね。ああ僕はいいよ。構わない。例え僕には死刑宣告に等しいとしても甘んじて受け入れよう。むしろ甘美だよ。感涙ものだね」
ラキオにループのことを伝えてから、彼がコールドスリープするのを見送るのは実に五回目だった。また駄目だった、とその場で肩を落とした。
あのループで、私はラキオのもとを訪ねた。他でもない、ループについての情報を得るために。すると彼は自身がグリーゼ移動船団では白質市民――言うなれば最上位層の人間であることを私に教えてくれた。
そして、私とセツがループを繰り返している原因についても聞き出せるかと思いきや、ラキオは長い睫毛を伏せ、愉快そうに口角をつり上げてこう言った。
『ならば僕を守ることだ。このグノーシア騒動が終わるまで、あらゆる危険から』
その結果が、これである。
ここ五回のループで、私は決まって守護天使の権限を得ていた。きっと、彼を守るために。
そしてラキオもまた、一度としてグノーシアになることはなかった。それはつまり、彼を生き残らせない限り、先へは進めないということだ。
守護天使という役割のおかげで、グノーシアの襲撃から彼を守ること自体は難しくない。けれど、会議の中でラキオを生き残らせるのは実に骨が折れた。彼は前々から、初日か二日目にはコールドスリープされやすい。ロジックは飛び抜けているくせに、周囲のヘイトを買いやすいのだ。それもそのはず、彼の言動は何かと鼻につく。
コールドスリープへ送られる彼を見送る者は、もう誰もいない。また今回も、ここに残っているのは私だけだった。
「……どうして?」
「何か文句でもあるのかい?」
とうとう堪えきれなくなって、私はラキオを睨みつけた。何度も、何度も失敗してきた。守ると約束したのに、その度に彼は自分から疑われにいくような言動をして、こうして冷凍庫へ送られていく。
「どうして自ら凍らされるようなことを言うの? 私、ちゃんと守ってるのに」
ラキオは一瞬だけ目を丸くしたあと、呆れたように肩をすくめた。長い睫毛がゆっくりと伏せられる。
「僕だって好きでコールドスリープしてるわけじゃないンだ。そういうのは投票した奴らに言ってくれないか? それに弁護しきれなかったナマエが実力不足なンじゃない? 君が上手く立ち回れば守ることは容易だったと思うけど?」
「ラキオだって、いつもいつも……もう少し大人しくしていたら最後まで生き残れるかもしれないのに!」
嫌味ったらしいその言葉に、思わず声が大きくなる。この馬鹿。グリーゼの白質市民だか知らないけれど、調子に乗りやがって。確かに顔は良い。腹立たしいほど整っている。長い睫毛も、宝石みたいな瞳も、作り物じみたフェイスペイントも、全部ひっくるめて完成されている。黙って立っているだけなら芸術品みたいだ。なのに口を開けばこれである。人を小馬鹿にしたような笑い方、無駄に癇に障る喋り方。ああ、腹が立つ。本当に、腹が立つ。
当のラキオはというと、反省する素振りなどまったく見せずに、喉の奥で小さく笑った。
「はっ、君ごときが僕に黙っていろと? 随分傲慢なことを言うじゃないか」
まるでこちらの苛立ちなど意にも介していないみたいに、ラキオは薄く笑った。そんな性格さえしていなければ、私は彼の表情に見惚れていただろう。しかし、腹立たしさが勝っているせいで、素直に見惚れる気にもなれない。
間もなくコールドスリープの時間であるとLeViが告げると、彼は大人しく装置に身体を収めた。その様子を腕を組みながら眺める私に、彼はまたもう一度鼻で笑った。
「苛ついている暇があるなら次のループに向けて対策でも練れば? まあ、せいぜい頑張りなよ」
それだけ言って余裕のある笑みを浮かべると、また今回も、彼は眠ってしまった。
⊕⊕⊕
「ナマエがまがい物なンじゃない? そんなので本物の人間だったら、逆に哀れだよね」
今回のラキオは、真っ先に私に疑いを向けてきた。つい、無意識に歯を擦り合わせた。
あれからまた、三回のループを繰り返した。焦ってラキオを守るうちに、今度は私がコールドスリープされてしまうことが増えた。
前回のループでは、あからさまにラキオを庇いすぎたせいで、今度は私がコールドスリープに選ばれた。セツは私のコールドスリープを見送りに来てくれた際、こう言った。
『ヤケになって弁護をしたり他の人に疑いを向けるのは控えた方がいい。冷静さを取り戻すんだ』
さり気なく弁護していたつもりが、傍から見れば酷く不自然だったのであろう。実際、ラキオと交渉するまでは会議で上手く立ち回れていたという自信があった。
私はセツの指摘通り、むやみに根拠もなく彼を弁護することはなかった。ただ、私はわざと視線を伏せて、目元を滲ませた。――そう、ここ数回のループで、ククルシカやSQから盗んだ技術だった。
「……どうして私を疑うのかわからない。……でも、私はラキオを信じたいんだ」
涙目を彼に向ける。ラキオの睫毛が、わずかに揺れた。それから、彼は綺麗な青色の瞳を一度丸くした。今回、隣についている沙明が「泣くなって」と私の肩を数回叩いてから、その歪んだレンズ越しにラキオをじっと睨めつけた。
「なんでラキオを庇うんだよ。今ナマエはアイツに疑われてんだぜ? ン?」
「……頭がいいから、かな。私ね、ラキオはグノーシアじゃないと思う。だから、明日以降、きっと怪しい人を見つけてくれるでしょ?」
そうして沙明に微笑みかければ、彼は頬を掻いて「オウケィ」とどこか納得いかなそうに私の頭にぽんと手を置いた。沙明に続くように、セツが手を上げては、私とラキオに向けて交互に目配せをした。
「今、ラキオに消えてほしくないな……それに、ナマエのことは信じたいからね」
そうしてセツは、ふと頬を緩めて私を見た。あなたのおかげだよ、と返すように、ぼやける視界の中、そっと微笑み返した。
――そして最終日。ステラをコールドスリープさせ、グノーシア反応が船内からなくなった今。私とラキオは無事に生き残ることができた。ようやく。ようやくだ。何度も彼のコールドスリープを見送ってきたせいで、彼が隣に生きていることにまだ現実感がなかった。
この騒動の中、私がここまで生き残らせたというのに、感謝する様子もなく、ラキオはただ自室のベッドで横になっていた。
「これで終わり? 案外あっけないもんだね」
「……はぁ。どれだけ大変だったと思う?」
「知らないね。知る必要もないよ」
私の苦労などつゆ知らず、彼は大きく欠伸をした。次のループまで時間がないというのに、彼は本当にループの真相を教えてくれるのだろうか。彼を急かすように、その端正な顔をじっと見つめていると、面倒くさそうにこちらに手を伸ばしては色のついた指先でくい、とこちらを促した。
「いいだろう。とりあえず出してみなよ」
「出すって?」
「決まっているじゃないか。『銀の鍵』だよ。どうせ持ってるンだろう?」
『銀の鍵』――恐らく、セツの言っていた『鍵』のことだ。彼の言う通りに、手のひらの上に水色のホログラムを出すと、彼はベッドから起き上がってはわずかに眉を寄せた。
「もう少し近くに来なよ。よく見えないだろう」
不満そうにそう言う彼に、溜息をつきたいのを堪えながら、私は躊躇うことなく隣へ腰を下ろした。
この状況は、いつかのループを思い起こさせる。癖づいてしまったみたいに、私は彼の横顔をじっと見つめた。鼻筋から顎にかけての線が滑らかで、まるで彫刻のようだった。あれだけ振り回されたというのに、顔だけは良いと認めざるを得ないなんて。
ラキオは私の持つ『鍵』をじっと見ていたかと思うと、ふと哀れむように息を漏らした。
「……やっぱりね。予想通りだ。『銀の鍵』が定着しているじゃないか」
そう言って彼は高らかに笑った。――と思いきや。
「フン……この泥棒猫が」
「え? 急に何?」
唐突にあまりにも率直な罵倒が口にされる。突然のことに驚きながらつい眉をひそめると、彼は私の『銀の鍵』を指さした。
「それは本来、僕のものだ」
「……え?」
冗談めいた口調だった。けれど、ラキオがこんな状況で意味もなく冗談を口にするとは思えない。思考が、上手くまとまらなかった。
私は確かにこの『鍵』をセツから受け取った。あの日、セツに『鍵』を託された瞬間から、私の長い旅は始まったのだ。ならば、セツはラキオから『鍵』を盗み、それを私へ渡したというのか。しかし、セツ自身も同じ『鍵』を持っていた。だとすれば、一体どういうことなのだろう。そもそも、何故私たちはループを繰り返している?
「……その『銀の鍵』は一種の生命体だ。人間に寄生し、情報を食う生き物。一度寄生したら、近隣の平行宇宙に移動しながら食い荒らし続ける。そう、君がループと呼んだ現象のことだ」
ぞわり、と背筋が粟立った。この『鍵』が、生きている? 生命体? 思わず手のひらのホログラムを見る。淡く発光するそれは、今までと何も変わらないように見えた。
しかし彼の言う「平行宇宙への移動」はあらかた予想通りであった。今までループを繰り返す中で、同じ人間でも、言動が少しずつ違っていたため、ひょっとするとそうではないかと思っていたのだ。つまり、別の宇宙で消えてしまったラキオは、皆は、もう戻ることはない。
ならば尚更早くループから抜け出さないと、と彼の宝石のような瞳を見つめながら、少し身を乗り出した。
「どうしたら、そのループを止められるの? どうしたら抜け出せる?」
縋るように問いかけると、ラキオは何故かそこで口角を吊り上げた。嫌な予感がする。口角がひくひくと引きつった。すると彼は脚を組み直すと、長い指を後ろにつき、余裕ぶるみたいに上体を傾けた。
「――謝罪してもらおうか。僕の所有物を盗んだこと、膝をついて許しを乞いなよ」
そうして彼は、ベッドの下――床を人差し指で示した。まるで、それが当然だと言わんばかりの態度だった。この汎は、本当に性格が悪い。ようやくループの真相に辿り着けるかもしれないという場面で、わざわざこんな意地の悪い要求を挟んでくるのだから。
しかもラキオは、私が困っている様子を楽しんでいる節がある。青い瞳を細め、口角を薄く持ち上げるその顔は、腹が立つくらい綺麗だった。
盗みなど働いていない私に、頭を下げろというのか。
「私、盗んでない。謝らないよ」
即答すると、ラキオはほんのわずかに眉を上げた。
「僕が聞きたいのは、そンな言葉じゃないンだけど?」
呆れたような声だった。けれどその実、彼が本気で謝罪を求めているわけではないことくらい、もう何度もループを繰り返した私にはわかっていた。これは嫌がらせだ。あるいは、単なる暇つぶし。
「謝らない」
「謝りなよ。もちろん膝をついてね」
「絶対に謝らないから」
ラキオは数秒こちらを見つめたあと、呆れ果てたみたいに深く息を吐いた。長い指で額を押さえ、そのまま首を横に振る。付き合っていられないと言わんばかりに、ラキオは後ろについた手へ体重を預けた。
「フン……まったく強情だな。いいだろう、僕の負けだ。教えてあげるよ。どうせ最初から話すつもりだったしね」
ラキオは肩をすくめると、どこか機嫌が良さそうに口角を持ち上げた。
人を見下してばかりのくせに、自分だけが知っている知識を披露するのは好きなのかもしれない。彼は私の手のひらに浮かぶ『銀の鍵』をなぞるように指先で触れながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「その『銀の鍵』の唯一の欲求は、情報収集だ。ならば、近隣の平行宇宙の情報を集め終えたら――食えるだけ食って満腹になったら、どうなると思う?」
――どういうことだろう。
理解が追いつかず、眉を寄せて首を傾げる私を見て、ラキオは愉しげに笑った。優越感に満ちたその表情すら、腹立たしいほど様になっている。
「当然、より良い餌場、より良い宿主を求めて移動しようとする。こことは異なる宇宙への『扉』が開くのさ」
つまり、『銀の鍵』が欲している情報というのは、恐らく乗員データのことなのだろう。目的もわからないまま集めていたものが、ループから抜け出すための鍵だったとは。
それに、私とセツの予想通り、情報を集めるほど『銀の鍵』は満たされていく。それが限界まで満ちたとき、なるほど、このループから抜け出せるということらしい。
「……教えてくれてありがとう。やっぱりあなたはすごいね」
ここまで辿り着くまで、本当に散々だった。何度もコールドスリープを見送って、時には自分が冷凍庫送りにされて、その度に振り回されて、腹を立てて。なのに、こうして答えへ辿り着けたのは間違いなくラキオのおかげだった。
やっぱりこの男はすごい。そして腹が立つくらい顔も綺麗だ。得意げに笑うその表情すら様になっているのだから、なおさら癪だった。
私の言葉を受けてか、ラキオの睫毛がわずかに揺れた。ほんの一瞬だけ、意表を突かれたみたいに目を見開いた。けれどすぐに普段通りの表情へ戻ると、彼は興味を失ったみたいに壁際へ寝転がった。
「フン。せっかく生き延びることができたからね。愚かな君なりの努力に免じて、だ」
相変わらず、嫌な言い方をする汎だ。しかし、その声を聞いた途端、不思議と少しだけ安心した。
刹那、指先が淡く透けていく。まるで頃合いを待っていたみたいに、私の身体は静かに輪郭を失い始めた。
その気配に気づいたのか、ラキオがゆっくりとこちらを振り返る。青い瞳が一瞬だけ私を映して――そのまま、世界が途切れた。