碧落に凪ぐ

「ラキオ」

 機械仕掛けの扉が低い駆動音を立てて開く。室内には淡いホログラムの光が滲んでいて、その中央でラキオが立体投影パネルを操作していた。細い指先が空中を滑るたび、幾重もの情報ウィンドウが静かに移り変わっていく。以前のループでも見た光景だった。
 その青色は私を捉えた瞬間、露骨に眉が寄る。まるで面倒なものを見つけたと言わんばかりの顔だった。

「僕は入っていいなんて言ってないンだけど?」
「でも入れてくれるでしょ」

『銀の鍵』によると、今回のループではラキオからの好感度が高い。これまでの経験上、この宇宙のラキオは問答無用で私を追い出したりはしないだろう。
 私は返事を待たず、いつものように彼の隣へ腰を下ろした。ラキオは横目で一度だけこちらを見ると、面倒くさそうに指を払う。すると空中に浮かんでいたホログラムが音もなく消えていった。

「……で、なんの用だい? くだらないことなら出ていってもらうよ」

 ラキオは露骨に嫌そうな顔のまま深く溜息をつくと、諦めたみたいに後ろへ体重を預けた。何十回と見てきたはずなのに、その整いすぎた顔立ちには未だに一瞬だけ目を奪われる。
 そうして私は小さく息を吸うと、すぐに本題へ移った。

「私ね、ループしてるんだ。前のループでラキオに『銀の鍵』について聞いた。元はあなたの所有物だってことも」
「へぇ?」

 ラキオは本当に頭がいい。このループでは、私がループしていることを知るのは初めてのはずだ。なのに一から十まで説明しなくとも、ラキオは私の置かれている状況を瞬時に理解してしまう。
 興味が湧いたのか、ターコイズブルーがわずかに細められる。私はそんな彼の前へ、『銀の鍵』を浮かび上がらせた。

「私の『銀の鍵』について調べていいから……ラキオのことを教えてほしい」

 今回の始点で、セツにこのループを止められる方法を伝えた。とにかくたくさんの情報を『銀の鍵』に与えてやること。ならば、今の私たちにできることは、乗員たちとの関わりを密にすることだ。
 ラキオとは今までのループで特に深く関わってきた。それでも、まだ埋まっていない特記事項がいくつか残っている。好感度の高い今回のループなら、普段なら聞けないことまで引き出せるかもしれない。
 すると、彼は私を鼻で笑い、組んだ脚の膝へ気怠げに頬杖をついた。長い睫毛の影が薄く落ち、こちらへ向けられた瞳がわずかに歪む。

「はっ、これだから凡愚は。君が勝手に巻き込まれたくせに、何故僕が君をループから抜け出す手助けをしなくてはならないンだ。それに元は僕の『銀の鍵』だ、この泥棒」
「でも、寄生した『銀の鍵』は気になるでしょ?」

 彼にとって『銀の鍵』に寄生されてしまった私は「実験対象」に過ぎない。グノーシア騒動に巻き込まれてもなお研究を続ける彼だ。いま私が置かれている状況は、彼の興味を引くのにうってつけだった。
 一度長い睫毛が震えたかと思うと、ラキオの視線は、いつの間にか私ではなく『銀の鍵』へ向けられていた。検分するみたいに細められた瞳には、露骨な好奇心が滲んでいる。どうやら、交渉成立したようだ。

 私の手のひらに乗せた『銀の鍵』を、彼はただじっと眺めていた。時折ラキオの指示に従ってホログラムの情報をスクロールしたり、乗員データという名の個人情報を開示したり。乗員たちには悪いが、これもループから抜け出すためだ。
 淡いホログラムの光が、長い睫毛や白い横顔を青白く照らしている。肩が触れそうなほど近いのに、ラキオはそんなこと気にも留めていないらしい。縹色の瞳は、ただ『銀の鍵』だけを追っていた。
 その横顔を見ているうち、なんだか妙に落ち着かなくなる。けれど当の本人は、私の反応など視界に入っていないのだろう。ただ一心に、『銀の鍵』を観察し続けていた。
 やがて一通り確認し終えたのか、ラキオは小さく息をついて壁へ体重を預けた。

「ナマエも概念伝達ができればもう少し話はスムーズなンだけどね」
「概念伝達?」

 なんだろう、それ。
 初めて聞く言葉に首を傾げる。伏せた睫毛の奥で目を細めると、呆れたように額へ手を当てた。

「やれやれ。まさか言葉それ自体も聞いたことがないとは……」

 そうしてまた深い溜息をひとつ落としながら、彼は脚を組み替える。その未知なる言葉について説明を求めるように、その美麗な顔を見つめていると、やがてラキオは愉しげに口角をつり上げた。やはり彼は、知識のない相手へ教えを垂れること自体は、案外嫌いではないのかもしれない。

「今ここの乗員がしているのは音声伝達――言葉で話しているだろう? 無駄が多いうえに抜け落ちる情報が多すぎる」

 ラキオはただ、淡々と説明を続ける。その横顔には先ほどまでの露骨な嫌味っぽさはなく、ただ事実を述べているだけのように見えた。

「音声や文字を介した言語では、前提条件が抜け落ちていても会話が成立してしまう。だからこそ誤解が生まれるし、理解にも個人差が出る。非効率極まりない」

 呆れたみたいに小さく息を吐いてから、ラキオはようやくこちらへ視線を向けた。

「けど、概念伝達は違う。思考、感覚、前提知識――それらを『概念』として直接相手へ流し込むンだ。つまり、最初から完全な情報を共有できるってことさ。――君の頭でも理解できたかな?」

 海色の瞳が真正面からぶつかって、思わず息が詰まる。宝石みたいに澄んだその目は、わずかに眉を寄せてこちらを試すように細められていた。どう見てもこちらを煽っている表情なのに、それでも腹立たしいほど綺麗だから余計に質が悪い。
 しかし、ラキオの説明は不思議とわかりやすかった。音声伝達と比較して説明されたおかげか、「概念伝達」がどういうものなのか、ぼんやりと輪郭を掴めた気がする。

「じゃあそのヘッドフォンと背中の機械は、えっと……概念伝達に使うもの?」

 ラキオは、初めて会ったときから欠かさずヘッドフォンと不思議な機械を身につけていた。あの性格で音楽を嗜む姿もどうにも想像できない。だから、もしかすると「概念伝達」に必要な装置なのかもしれない。
 彼の耳元、それから背負われた機械へ交互に視線を向けながら尋ねると、ラキオは即座に首を横へ振った。

「違うね。僕はもともと概念伝達を主としているから君たちより聴力が高くない」
「そのヘッドフォンで私たちの声とか音を聞いているってこと?」
「端的にはそういうことだ。情報を取捨選択して音量を上げているンだよ。……無駄に喋りたくはないからね」

 なるほど、と今までの謎がひとつ解けた。彼はグリーゼの中でも白質市民だと言っていたし、このD.Q.O.内で交わされる議論や雑談も、ラキオにとっては煩わしくて仕方ないのかもしれない。
 すると、ラキオについての情報を食らったのだろう。手元に浮かぶ『銀の鍵』が、ほんのわずかに満たされる。
 しかし、胸の奥に小さな違和感が引っかかった。ラキオの今の言葉は、これまでの彼の言動とどこか噛み合っていなかったのだ。あれ? と首を傾げながら、私は隣にいるラキオの顔を覗き込んだ。

「その割には結構喋るよね」

 私の言葉を受けたラキオは、ただ辟易したように眉をひそめると、何やらヘッドフォンへ指先で触れた。――あ、これ絶対、情報の取捨選択だ。

「……無視だ」

 わざとらしく肩を落としてそう呟けば、ラキオは一瞬だけこちらをちらりと見た。けれどすぐに興味を失ったみたいに視線を逸らし、再び『銀の鍵』へ意識を向ける。縹色の瞳は静かに細められ、その関心は、もう完全に『銀の鍵』へ戻ってしまっていた。

 ⊕⊕⊕

 三日目の会議も無事に生き残り、ラキオもまた議論を主導する一人として船内に残っていた。前回までのループでは、彼を生き残らせるために散々振り回されたというのに、この宇宙のラキオは案外こちらが手を貸さずとも生き延びている。運命とはいえ、残酷なものだ。
 さて、今日は先回りして部屋で待っていよう――そう思ってベッドを背もたれに床へ座り込んでいると、やがて重々しい扉が潔く開いた。

「……どうして僕より先に部屋に入っているンだい」
「あ、待ってたよ」

 ひらひらと手を振ると、彼は軽く溜息をつきながら、いつもと同じようにベッドへ腰を下ろした。シャワーを浴びてきたのだろう。奇抜な化粧の消えた顔は驚くほど端整で、濡れた髪が額へ張りついている。シャツにハーフパンツというラフな服装も相まって、いつもよりどこか無防備に見えた。
 静かな部屋に、パチン、パチン、という音だけが響く。どうやらそれが気に障ったらしい。背後から、あからさまに嫌そうな溜息が落ちてくる。

「わざわざ僕の部屋にまで爪を切りに来たのかい?」
「ちょっと気になったからね」

 普段はブーツに隠れているせいで気にしたこともなかったのに、一度目についてしまうと駄目だった。こんな状況で何をしているんだろうと思いながらも、私はパチン、ともう一度爪切りを鳴らす。
 その音を聞いていたラキオは、とうとう耐えかねたのだろう。背後から、今度はうんざりしたみたいな溜息が落ちてきた。

「……ほら、早く出しなよ」

 もう少し待ってほしい気持ちはあるが、私とラキオの交換条件である以上仕方がない。爪切りを持ったまま空いた手を軽く掲げる。もう『銀の鍵』を出すのにも慣れてしまっていた。水色のホログラムがふわりと浮かび上がり、淡い光が薄暗い室内をぼんやり照らした。

「見えづらいだろう」
「ラキオが持ってていいよ」
「それは君に定着しているンだ。そんなことができたら君はもうとっくにループから抜け出しているはずだけど?」

 確かに、『銀の鍵』はそのときの所有者にしか触れられないことはラキオの行動を見るに明らかだった。ならば、やはり爪を切り終えるまで待ってもらおう、と彼を振り返ろうとした――その瞬間。背後からラキオが身を乗り出してきた。ベッドに腰かけたまま、私の肩口越しに手元を覗き込むみたいに顔を寄せてくる。さらりと濡れた髪が頬の近くで揺れ、ふわりと石鹸みたいな清潔な匂いが鼻先を掠めた。思わず肩が強張る。
 このループのラキオは、今までよりずっと私への好感度が高い。そのせいだろうか。これまでなら綺麗な顔をしているな、腹が立つな、で終わっていたはずなのに、今回は妙に調子が狂う。こうして不意に距離を詰められるだけで、心臓が落ち着かなくなるのだから始末が悪い。
 けれど当の本人は、そんなこちらの反応など気にも留めていないらしい。美しい青色の瞳はただ『銀の鍵』だけを見つめ、観察するように細められていた。

「昨日から気になっていたンだけど」

 肩口越しに落ちてきた声に、思わず息が止まる。振り返れば、濡れた髪を額へ張りつかせたまま、ラキオがすぐ近くでこちらを見ていた。淡いホログラムの光を受けた瞳が、長い睫毛の奥で静かにこちらを捉えている。どこか真剣な色を帯びたその表情は、化粧の落ちた端整な顔立ちも相まって、とても絵になっていた。

「……えっ?」

 ぼんやり見惚れていたところへ不意に声をかけられたせいで、間抜けな声が漏れる。
 けれどラキオはそんな私の反応など気にも留めていないらしい。すぐに視線を『銀の鍵』へ戻すと、表示されたデータを流し読むみたいに目を細めた。

「このデータはいつ手に入れたンだい?」

 その声につられるように私もホログラムへ目を向ける。開かれていたのは、ラキオについての特記事項が記されたページだった。
 ――そして彼が見ているのは、恐らくこれだ。

『肉体的には汎性ではないが、魂の問題らしい』

 途端に嫌な予感が背筋を走る。以前のループで、私はこの情報を手に入れた際――確か、SQに半ば無理やり連れ回される形で、ラキオの入浴中に鉢合わせてしまったのだ。

「……覗きを働いた、なんてことはないだろうね」

 すっと細められた青い瞳に、心臓が嫌な音を立てる。

「ち、違う! 断じて! 誤解だって! 私はラキオの顔しか見てない!」
「なんだい、その『他にも見た人間がいた』みたいな言い方は。……まさか」

 ラキオの声が一段低くなる。静かな口調なのに妙な圧があって、思わず視線が泳いだ。

「……SQに、連れられて」
「……偶然にもデータを得られて良かったね」
「確かに、SQに感謝かも」

 彼の言う通り、あの日SQが無理やり私をシャワー室へ連行しなければ、このデータは埋まらなかったのかもしれない。うんうん、と頷けば、ラキオは呆れたみたいに長い息を吐き、再び『銀の鍵』へ視線を落とした。淡い光が、静かな部屋で揺れている。

 ――穏やかだ。今までのループにはなかったような、この関係性が。
 隣でラキオが身じろぐたび、白い香りがかすかに掠める。静かな空気に気が緩んだのか、私はほんの少しだけ背中をベッドへ預けた。すぐ後ろにいるラキオの膝へ軽く触れる程度の距離だったけれど、彼は特に何も言わない。
 相変わらず憎まれ口ばかり叩かれるのに、不思議と嫌ではない。こうして彼と話す時間さえ、今は少し心地良く感じてしまう。
 しかし、このループが終われば、そんな時間もまた消えてしまうのだ。この宇宙のラキオとはもう二度と会えない。この宇宙からは、私の存在そのものが消えてしまう。

 次のループでは、彼はまた何も知らないラキオに戻る。私だけが、この時間を覚えている。そう思うと、ほんの少し胸が痛んだ。

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