名もなき憧憬
まるで夢の中のようだ。目が覚めて、セツと出会って、わかったかと聞かれて、またしても何もわからず首を横に振った。
前と、同じだ。
それなのにセツは違和感なんて抱くことなく、前と同じように私をメインコンソール室へと連れていった。
『疑うな。畏れるな。そして知れ。すべては知ることで救われる』
セツは別れ際、私にこう言った。水色に光る、綺麗なホログラムを手に乗せながら。
何もわからないまま、私はセツの隣に座っていた。皆が交わす言葉は半分も理解できず、ただ置いていかれないよう耳を澄ませるしかなかった。まず初めに、投票でラキオがコールドスリープさせられた。ラキオは、私に投票をした。そしてその晩にジナはグノーシアと呼ばれるものに消滅させられ、私は翌朝――セツに投票をした。やけに親切にしてくれるセツを疑い、コールドスリープさせた結果、私は敗北したのだ。SQこそが、人間ではない存在だった。
「――、ナマエ」
ハッとして声のする方を向く。セツは「大丈夫?」と私の顔を覗き込んだ。私の困惑と疑いを込めた視線は、自然とSQへと向いていたようで、SQは不思議そうに目を丸くした。
「ごめん、考え事してて」
「記憶喪失でいきなりこの状況だもんね。無理もない」
セツは私の様子を見てただ頷いた。少し前――初めてこの船で目を覚ましたときと同じ流れだから、私にはわかる。SQが私たちの敵で、眠らせるべき相手なのだ。
その間、セツとラキオとの間でグノーシア対策についての話題が進んだ。あらかた同じ流れであったが、疑問点はいくつか解消された。グノーシアが空間跳躍の度に一人ずつ人間を襲うことはもちろん、グノーシア反応が消失するまで一人ずつをコールドスリープしなければならないこと。それから、この船の擬知体――LeViはこの船にグノーシア反応を検出した時点で、船ごと自爆する義務があるという。この議論を通したコールドスリープを条件に、この船の自爆を猶予してもらうという契約らしい。
記憶を失っているため、最初に目が覚めてからの知識しかない私は、その前提を必死に頭に詰め込んでいた。
さて、時間内に誰か一人コールドスリープする人を議論で選ばなければならない。その議論が幕を開こうとしていたが、私は先程説明してもらった前提以前のことがわからなかった。
「グノーシアって、そもそも何?」
私のこの発言に、ラキオは眉を上げて二回、三回と瞬きをした。まるでありえないと言いたげに。セツはああそうかと思い出したように、小さく声を上げた。
「そうだね。ナマエにはそこから説明しないと」
セツは私にわかるように、グノーシアについて説明してくれた。昨日のうちに知っておけば、今日の議論はもっと円滑に進んだはずだけれど、終わったことは仕方ない。
異星体グノースに触れた人間が、人間ではないグノーシアとなってしまうこと。それに補足するように、ラキオが淡々と語った。その異星体グノースについては、何もわからず、様々な仮説が立っているだけだということ。本当はその根本的なところから知りたいものだけれど、わからないなら「そういうもの」とするほかない。
すると、羽根をふわふわと揺らした美麗な目の前の人物は、私を哀れむように、鼻で笑った。
「で、だ。ナマエ。そんなことも知らないとか、君、嘘っぽいンだけど?」
顎を突き出してそう言うラキオに、わずかに身を引く。まただ。この人は何かと理由をつけて他者を疑う。私には誰がグノーシアだかわかっているのに、こんなところでコールドスリープさせられてしまえば元も子もない。
負けじと反論をするように、私たちが囲っている円卓に手をついた。
「そんな、嘘なんかじゃ」
「嘘をついている人間こそ、そうやって焦って否定するものさ」
私の反論を通すわけもなく、ラキオは愉しそうに口角をつり上げながらヒールを鳴らした。円卓を挟んでいたその距離は、ラキオによって縮まり、そして私を蔑むような眼差しを向けた。ぐい、と顔を近づけられ、その麗しさに喉のあたりがドクンと鳴った。昨日よりも余程近い距離で、とても本意とはいえない状況ではあるけれど、私はまたしても、その姿に見惚れた。
肌がきめ細かい。細部までこだわっているであろうフェイスペイントに、特徴的なアイライン。目元の紫色も、色彩センスが良い。潤った唇は、厚みがありつつも彼のメイクのおかげで主張が控えめだ。指先で触れてしまえば、その美は一瞬で壊れてしまいそうだった。こんなに綺麗な顔をしながら、こんな言葉を吐くというのか。
じっと彼を見ていると、私を煽るような表情をしていた彼は、怪訝そうに眉をひそめて私から半歩ほど離れた。
「……何。僕の顔に何かついているというのかい?」
首を横に振る私を見て、頭に手を添えながら元の位置へと戻っていった。ほっと胸を撫で下ろす反面、どこか残念な気持ちは拭いきれない。
⊕⊕⊕
結局、私がSQを疑っていることをほのめかせば、予想以上に皆が乗ってくれたため、彼女をコールドスリープすることができた。初めは私に噛み付いていたラキオも、セツのフォローと、初日は何にせよ当てずっぽうになるという観点から、SQに投票してくれたのだ。
――しかし、彼女はグノーシアではなかった。昨日までと同じなのに、同じじゃないということに混乱が止まらないけれど、考えうる可能性とすれば。私は、同じ日を繰り返しているわけではないのかもしれない。
SQをコールドスリープしてもグノーシア反応が消失しなかったため、明日も議論が続行するようで、各々が空間転移まで自由に船内で過ごすという流れになった。
LeViが船内のさまざまな施設を案内してくれて、それにセツも不安だろうからと同行してくれた。
「ナマエ。やけにラキオを気にしていたようだけれど、何か気になることがあった?」
LeViに案内されるまま娯楽室に到着して、ビリヤードなどの旧式のゲームから最新のゲームまでをプレイすることなくただ眺めていると、セツが私にそう投げかけた。そんなに私はラキオのことを見てしまっていただろうかと、ぎょっとしてセツの方を向く。
「いや、言いにくいことならいいんだ」
私の表情を見てか、心情を汲み取るようにセツはそう言った。言いにくいなんてとんでもない。今のところ性格が良い印象はあまりないけれど、あの美しさに何も思っていなさそうなセツやジナ、SQが異様にも思えた。
私は、記憶を失う前――あのような幻想的な人間に会ったことがあったのだろうか。彼を想えば、まるで白昼夢のように、目の前が白んでは小さく光が弾けた。
「ナマエ?」
「……綺麗な顔だなと思って」
「へ?」
心配するように顔を見つめてくれるセツにそう答えると、見た目通り少女のような素っ頓狂な声が漏れ出た。赤色の瞳を丸くして口をぽかんと開けたセツは、目を数回ぱちぱちさせてから、我を取り戻すように小さく首を振った。
「あ、ああ。そうだね。確かに、綺麗な顔だ」
確かに、なんてレベルではないはずなのだけれど。ううんと考え込むように顎に手を添えると、セツは私の横顔を見てはすっと目を細めた。
「ナマエはラキオみたいなタイプが好きなんだね」
「ううん、性格は全然」
「ふふ、ラキオは厄介だけど頼りになるよ」
確かに顔はこの上ないほど秀麗だとは思う。しかし、あの性格はなんだ。頼りになるなんて信じられないとセツの言葉に顔を歪めると、セツはまた笑った。
セツも私にばかり着いていないで自由に動きたいだろうし、LeViは信頼できるからと、娯楽室を出たところでそれぞれ分かれることとなった。
廊下の床が、次に向かうところを示して光る。そろそろお腹が空いてきたとLeViに伝えれば、食堂までの道を案内してくれた。自分で作ることも、フードプリンターで作ることもできるらしく――手作りのものを食べたい、なんてわがままを言う時間もないので、手っ取り早く済ませるためにフードプリンターを起動させた。
あっという間に出来上がったハンバーガーと、ウォーターサーバーから汲んだ水をテーブルに置いた。そのハンバーガーの出来はというと、流石はフードプリンター。バンズがパサパサで、肉も何だかねちょっとしている。食べられないほどではないけれど、と水でパンを流し込んでいると、いつの間にか開いていた食堂のドアの付近に、彼が立っていた。
「君もイートフェチか。まったく、何が良いのかわからないね」
小さく溜息をつきながら、カツカツとヒールを鳴らす。大きな口を開けて食べていたところが見られていたかしら、と誤魔化すように口もとを拭うと、彼はソファに腰かけるでもなく、カウンターに背を預けた。私を端正なその顔立ちでじっと見つめていたかと思いきや、「僕にはこれで十分」と言いたげにサプリを口に放り込んでいた。
「お腹空かないの?」
「必要栄養素はこれで事足りるけれど?」
どこか会話になっていない。顔は本当に綺麗で、またしても視線が奪われてしまうけれど、肝心の性格がこれじゃあな、とハンバーガーを頬張った。不味くはない。ラキオはそんな私を見ていたかと思うと、「時間の無駄だったね」と姿勢を正した。食事はサプリメントで済ませ、無駄を嫌う。ラキオは徹底した効率主義なのだろう。
ラキオが食堂を後にしようとしたところで、その後ろ姿を見送ろうとしていた私は、ハッとして声だけで引き止めた。
「ねえ、ラキオ。質問なんだけど」
「君ごときが僕に質問だって?」
背を向けていたラキオは顔だけをややこちらに向けると、せせら笑うようにそう言った。彼のそういう人を見下す態度に内心苛立ちを覚えつつも、水を飲み干すと紙コップをテーブルに置いた。
「うん」
私の短い返答に眉根を寄せると、口角がすっと元に戻った。そうして彼は手で頭を軽く押さえながら、こちらへと踵を返した。
「……なンだい。つまらない質問なら僕は部屋に戻るよ」
まっさらになったお皿に紙ナプキンを丸めた。ラキオは先程とは違い、私の向かい側のソファの背もたれに肘を預けて頬杖をつく。そのまま私の質問を待つように、嘲るような表情でなく、綺麗な顔立ちそのままの表情を見せた。
「あなたはどうして私を疑うの?」
ほんの少し自身の眉間がひくついたのがわかった。ラキオはなんと言うだろう。私のことが気に入らないから。私のことが嫌いだから。唾をぐっと飲み込み、ラキオの返事を待つと、ラキオはまるで私がおかしなことを言っているかのように頬杖をついていたその手を少し広げて、ほんの一瞬呆然としたかと思いきや、また私を見下すように笑った。
「ははっ! 君は本当に頭が足りていないようだ。まったく、哀れだね。滑稽だ。むしろ同情すら覚えるよ。誰が敵か味方かもわからない状況で、他人を信じる方がおかしいだろう。何も君だけを疑っているわけじゃない」
その言葉に、今度は私がきょとんとした。確かに、彼の言うことはもっともだ。むしろ、私を必死に守ってくれるセツの方がこの場に置いては異例だ。それに、ラキオの今までの言動を鑑みれば容易に見当はついただろう。ラキオの言う通り、記憶喪失を考慮しても私は本当に頭が足りていないらしい。
恥ずかしさに情けなさからほんの少し俯くと、ラキオは体勢を立て直し、腕を組んではふう、と息をついた。
「落ち着きがなさすぎる。あとは、もう少し論理的な意見でも出せば、疑われにくくなるンじゃない。結論だけを急ぐ人間は信用されないよ」
中性的なその声が頭上に降ってくると、私は勢いよくそちらを向いた。今のは、果たして助言と捉えて良いのだろうか。
確かに私は、ラキオに疑われると真っ先に否定をしている。しかし、それは傍から見れば怪しいことこの上ないのは事実だ。それに、今日SQに投票する流れに持っていったのは私だけれど、ほとんど根拠なんてなくて、セツに任せきりだった。彼の指摘は、的確だ。
テーブルの上に置いている手でぐっと拳を握ると、ラキオは私の手と表情を交互に見てから、その場を離れた。
「ま、明日君が生きているとは限らないけどね」
そう言い切ると、長い睫毛を瞬かせては再び私に背を向けて彼は一つ欠伸をする。ラキオにも、あんな一面があるなんて。言葉の圧や他人を嘲笑する態度は決して気に入ることはないけれど、良くも悪くも彼は秀でた論理的な思考力をもった上での性格なのだろう。そう考えると、セツの言葉も正しいのかもしれない。この人は、ただ切り捨てるだけじゃないのかもしれない。ほんの少し、希望が持てた。
「ありがとう、おやすみなさい」
青色の彼に向かってそう言い放つと、当然「おやすみ」などと返ってくるわけはなく、手を振ってくれるわけもない。ただ羽飾りだけが視界の端で揺れていた。
――その晩、グノーシアに襲撃されたのはラキオだった。