翳りに手を伸ばす
私は未だに置かれた状況を把握できていない。なのに、もう五回は同じ日を繰り返している。――いや、実際にはメンバーが少しずつ増えているので、以前推察した通り、まったく同じ日を繰り返しているわけではなさそうだ。
「……この僕を冷凍睡眠させるんだ。救いがたいね。集団自殺する動物のようだね。ああ僕はいいよ。構わない。例え僕には死刑宣告に等しいとしても甘んじて受け入れよう。むしろ甘美だよ。感涙ものだね」
ラキオのこのセリフを聞くのは二回目だ。一番初めのループではこれとは違う、長ったらしいセリフを吐いていたが。五回のループのうち、三回も真っ先にコールドスリープさせられてしまっているラキオを見ると、どうもあのとき的確なアドバイスをくれたラキオだとは思えない。むしろ、「どの口が私にアドバイスをしているんだ」と苦言を呈したいところだ。しかし、彼の助言のおかげでここ数回は疑われにくくなったのも事実だ。もちろん人数が増えたということもあるかもしれないけれど。
ラキオがコールドスリープされてしまったことは残念だけれど、彼がグノーシアの可能性もある以上仕方がない。今回も一日目が無事に終わり、息をついたところで、私の目線の先に「彼女」がいた。
「ナマエ」
「は、はい!」
名前を呼ばれると、思わず背筋が伸びた。
今回のループから参加している、夕里子。彼女が漆黒の瞳で私を見た。セツが、彼女は恐ろしい人だと言っていた。言われずとも、彼女はひと目見たときから常人ではありえないオーラを放っていた。あのラキオですら、少し身構えるほどの。
何せ、彼女はその若さからは想像もできない貫禄を持っている。それに、彼女もまた美人だ。その事実がさらに迫力を助長しているような。
「ふふ……何を恐れているの? 場所を変えます。ついて来なさい」
彼女はそう言うと、手入れの行き届いた黒髪を靡かせて歩き出した。少し遅れを取りながら、言われた通り彼女について行った。
⊕⊕⊕
夕里子は一体何者なのだろう。しげみちよりも未知なる人物だ。
彼女は前回のループで、私の「歪み」とやらを正した。私は、何やら「歪み」のおかげで今までグノーシアに襲われたり、コールドスリープさせられたりしなかったそうだ。それも前回のループで終わりだった。展望ラウンジにて、夕里子の手が私に伸びてきたかと思うと、その晩私はグノーシアに襲撃された。
確かに妙だと思った。論理的思考が苦手で説得力に欠ける私がコールドスリープされないことも、グノーシアに襲われないことも。
「んー? ナマエ、どうかしましたかNA?」
「えっと、夕里子は?」
「ゆりこ? 誰それ?」
六回目のループ。前回居たはずの夕里子の姿が、メインコンソール室になかった。ただメンバーが増えていくだけではないのか。首を傾げるSQに、なんでもない、と微笑んだ。
一日目、コールドスリープしたのはセツだった。初日は誰がグノーシアだか推理しようがないので、セツは運が悪かったと言えよう。ひとまず、今回も初日を無事に生き延びたという事実に安堵する。
なぜループしているのかわからないとはいえ、少しずつこの状況に適応はしてきた。ループを重ねるごとに、わずかであるが物事を論理的に考えられるようになってきた。ゲームで例えるところのステータスが都度引き継がれるのだろう。いわゆる「強くてニューゲーム」が可能なのだ。
一日目を無事に乗り切った私は、とりあえずシャワールームへと足を向けた。今日はさほどお腹も空いていないし、空間転移前に身体を清めておきたい。そう思ってシャワールームの扉を開けると、彼がいた。
「あ」
「……」
相変わらずの整った顔だ。メイクがまだ施されているところを見るに、彼もこれからシャワーを浴びるところだろう。一度ばっちり目が合うと、やはりこの世界で最も美しい人間にじっと見られていることに良い気がせず、慌てて目を背けた。個室の前で佇んでいるラキオを遮るように一つ飛ばした個室の方に移動して、横目で彼を見ると、またしても目が合った。――どころか、彼の視線が私の頭の先から足の先までゆっくりと移動した。
「……な、何?」
そうもまじまじと観察されると私自身グノーシアですらないのに後ろめたさが芽生えた。そんな私の気もつゆ知らず、ラキオはじっと私の顔を見て潔く瞬いた。
「フン、ナマエねえ……」
ぼそ、と私の名前を呟く彼に思わず眉をひそめた。彼は一体何を企んでいるのだろう。彼がグノーシアだとすれば、今晩私を消すのか。それとも私に疑いを向けてコールドスリープに持っていくのか。ラキオの言う通りの足りない頭でいくつかの可能性を考えるが、考えても、追いつける気がまるでしない。答えは出そうになかった。
――と、ラキオは私を見て溜息をついた。
「仕方ないか。選択の余地もさほど無いしね。とりあえず君にしておくとしよう」
「……え? え?」
なんとも失礼な、渋々といった表情で彼はいつものように頭に手を当てた。何の対象を私に決めたんだ? 考える暇もなく、ラキオの表情は一変、屈託ない笑顔を向けた。相も変わらない美しい彼が見せてくれる様々な表情は、また私の中の「美」を広げていく。
「ははっ、良かったねナマエ。君は幸運だよ? この僕と手を組めるンだから」
ラキオは手を差し出した。畏れ多くも、私に握手を求めてくれているらしい。いつものごとく自己陶酔。この船の誰よりも、ラキオはラキオへの評価が高いのは一目瞭然だ。
それにしたって――
「私と、協力を?」
自他ともに認めるロジカル特化、効率重視のラキオが、協力相手に私を選ぶだなんて。今までのループで一度も、ラキオに限らず、協力関係を求められたのは初めてだった。わからない。協力が何を指すのか。何のために結託するのか。
手を伸ばしたラキオは、不満そうに手を軽く動かし、顎で催促した。
「そう言っているじゃないか。理解力に乏しいね。君はそこまでおめでたい頭をしていたのかい? 何度も言わせないでくれないか」
普通にそう言ってくれればいいのに、やはりどこかやりにくい相手だ。この自信家、当然に人を馬鹿にする態度。次第に慣れてはきたけれど、すべては整った顔のおかげだ。美男美女は何したって許されるけれど、ラキオはその最上級だと思う。
ともかく、ラキオに促されるがまま私は彼の手を取った。想像通り、ひんやりとした肌の冷たさが伝わる。青色に白い肌がよく映える。
「それは、確かに幸運だね」
「フン、よくわかっているじゃないか。光栄だろう?」
「光栄だ」
実のところ、彼に触れていることが信じられなかった。私がこの「美」に触れられるなんて、身の程知らずどころではない。にっと口角を大きくつり上げた彼は、また哀れむように眉を寄せた。さして身長はないのに、この嫌な性格のおかげで心なしか威圧感がある。
「心配しなくても大丈夫さ。今後は僕の判断に沿って動きなよ。僕が示した相手を疑い、票を入れるだけ。このくらい凡愚でもできるだろう?」
どこまでいっても、嫌な汎だ。ロジカル特化、SQと違ってかわいげなんて微塵もない。手を組むことが吉と出るか凶と出るか。しかし、孤独に他者を疑い続けるよりも良い。生き残る確率も上がるかもしれない。
「それならできるかも」
私は喜んで彼と協力関係になった。細い指ではありながら、わずかに骨張っているその手に力を込めると、ラキオはまた鼻から息を漏らしては私の手を解いた。
「ま、何かあれば僕は君を切り捨てるけどね」
「酷いね」
「当然じゃないか。君は僕が生き残るための手段に過ぎないのだから」
美しい顔。なのに発言は少しも美しくない。やはり私はラキオのことを好きになりきれない。こんなの、ただの性悪な芸術作品だ。鑑賞するにしたって、この馬鹿にするような最悪の態度が邪魔をする。
そんなラキオが、協力関係に私を選んでくれた。もしかすると、何かが彼の心を動かしたのかもしれない。彼は私に何かを見出してくれたのかもしれない。シャワーを浴びるのか、個室の戸へ手をかけるラキオに、そのような期待を込めた。
「どうして私を選んだの?」
胸がどくんと鳴った。これは緊張か、期待か、不安か。耳のあたりが熱くなる。私はラキオの言葉を待った。
彼は扉に手をかけたまま、こちらを顧みて、焦らすでもない。きっぱりとその厚みのある唇を開いた。
「まさか自分が特別に選ばれたとでも? 自意識過剰も甚だしいね。理由? ないよ。今そこにいたのが君だった、それだけだ」
それだけ残すと、彼は個室へと消えていった。なんだ、それだけか。
私は少しの間その場に佇み、水の音が聞こえると同時にまた個室へと入った。
⊕⊕⊕
「論理的に考えれば疑うべき対象は……しげみち、君なンだけど」
「ラキオ様を支持いたします。わたしの立場では、しげみち様と対立せざるを得ませんから」
昨日はまず真っ先にセツがコールドスリープして、昨晩はなんと被害が出なかった。どうやら、守護天使が役目を果たしてくれたそうだ。
対抗エンジニアはステラとしげみち。エンジニアをコールドスリープさせてしまうのは不利だけれど、このどちらかはグノーシアだと確定しているのだ。今回のエンジニア報告によると、ステラはラキオを人間だと判定し、しげみちはSQを人間だと判定した。
さて、ラキオは今回はしげみちを冷凍庫送りにしたいらしい。リスクは高いが、このループでは私はラキオの道具に過ぎない。もっとも、ラキオは人間だと判定しているステラに信用を置くのは当たり前だろう。私もステラに続くように、ピンと高く挙手をした。
「わ、私も! しげみち! 怪しいと思う」
すると、メインコンソール一帯がしんと静まり返った。まるで私が変なことを言ったかのように。何がおかしかったのかと、ラキオの方に目配せすれば、彼は頭を抱えて大きく溜息を零した。
そして、私を見て目を細めたSQは、円卓にどんと胸を乗せては反対側にいるこちらに向けて身を乗り出した。
「どしたんナマエっち? いきなりそんな大きい声出して。これは怪しい匂いがプンプンしますZE!」
んー? と言いながら下から覗き込んでくるSQは、丸い目をほんのわずか、横に逸らした。本当に、ほんのわずかだ。その一瞬を追いかけるように視線の先を見遣ると、しげみちがいた。どうして、しげみちを?
SQはブーツの踵をコンコンと鳴らして立ち上がると、両腕をさするような仕草をしながらこちらに視線を預ける。
「こう言っちゃ悪いけどさー、SQちゃんナマエのこと苦手ってゆーか、鳥肌がアレしちゃうのよねー」
すると、それに乗っかるように、しげみちはメタリックの腕を伸ばして私を勢いよく指さした。
「だよな! ナマエ変だよな、な!」
SQに同調するように私に疑いを向けるしげみち。SQと、しげみち。先程の目配せ、きっと彼らは私とラキオのように手を組んでいるのだ。いや、ラキオは何か根拠をもってSQを真っ先に疑ったに違いない。SQがグノーシアであると仮定すると、自動的にしげみちもグノーシア、対抗エンジニアのステラが本物のエンジニアということになる。
「待って、グノーシアはSQとしげみちだよ」
このままじゃ会議が終わってしまう。なんとか、なんとかして皆にこの事実を信じてもらわなければ。そうは思うけれど、皆からの視線のせいで、プレッシャーのせいで、どうも頭が上手く回らない。しっかりと論理立てて出した考えなのに、上手く言葉にできない。
しくじった。以前のループで、ラキオに落ち着きがないことを指摘されたところなのに、どうも上手にできなかった。冷や汗が、首筋をじわりと伝った。
⊕⊕⊕
服を脱いで、アクセサリーを外す。目の前の彼は腕を組んでは嘆息した。私は、ラキオという味方がいながら失敗してしまった。
「やれやれ、君と組んだのは悪手だったようだ」
「……ごめんなさい」
「これでは人間側の敗北が決定したようなものじゃないか。まったく、君は僕が思っていた以上に馬鹿だった」
コールドスリープ室には、ラキオが見送りに来てくれた。ラキオの言う通り、グノーシアがSQとしげみちだとすれば、今晩守護天使が上手く働かなければ人間側の敗北が確定してしまう。あまりの不甲斐なさに、ぎゅっと肌着の裾を握った。
ラキオはそんな私にまた呆れたように溜息をつくと、白魚のような指で私の額をとん、と押した。
「ナマエ、君は凡愚にしては観察力に長けている。なのに落ち着きがない。言動がわざとらしい。その上疑われると焦りを隠せない」
以前のループで指摘されたことと、ほとんど同じことをまた指摘される。ループ回数が少ないにしても、私は恐らく他の乗員より様々な分野で劣っている。記憶障害も影響しているのかもしれないが。今度こそ、今度こそと口端を固く結ぶと、ラキオが真剣な面持ちでこちらを見た。私は、こんなときでも呑気だ。やはり目の前の彼に、このような状況に置かれてもなお美しいと目が離せないのだから。
「今更言ってももう遅いけど。君はSQのような演技力でも身につければ勝てていたかもね」
私に足りないものは、たくさんある。ラキオのようなロジックや、しげみちのようなカリスマ性。その中でも、彼は演技力を指摘した。私の、次のループでの課題が見えた。
ラキオは性格が良くない。口も悪いし、私たちをこれでもかと見下す。けれど、彼にも彼なりの気遣いがある。このループでは失敗してしまったけれど、ラキオやステラを助けることはできなかったけれど、それとは裏腹に胸の奥ががじんわりと熱をもった。
「ラキオ、私を選んでくれてありがとう」
間もなく私はコールドスリープする。それでも、愚かな私を選んで、最後に助言まで与えてくれたラキオにせめてもの感謝をと、その手を握った。
ラキオは一度固まって、少しだけ驚いたように目をわずかに見開くと、緩く私の手を払ってそっぽを向いた。
「もしこの騒動がやり直せるとしても、僕は二度と君と組むことはないだろうね」
どうやら私はこの宇宙でのラキオに、相当な悪印象を与えてしまったらしい。私はこの宇宙のラキオに色々なものを貰ったのに対して、本当に最後まで愚かな人間だったな、と苦笑を漏らした。
せめてもの償いとして、次の宇宙で私はラキオを。
コールドスリープは今回が初めてだ。装置に入ると、扉がゆっくりと閉まった。これで、この宇宙のラキオとはお別れだ。こんな私でごめんなさい、というように微笑むと、ラキオは私の目をじっと見つめて――
「まあ、運良く生き残ってグノーシアをコールドスリープさせることができたら、君のことは起こしてあげるよ。せめてもの情けさ。君のせいで人間側が勝利する確率は限りなくゼロに近いけどね」
最後まで、長々と言葉を残した。この宇宙のラキオが、生き残れますように。守護天使の加護がありますように。彼が生き残っても、グノーシアに敗北しても、この宇宙に私はもう存在しない。彼が私のコールドスリープを解除しても、その中に私は居ない。――そもそも、ラキオが私のコールドスリープを解除することなんてない。
「……ありがとう」
眠りに落ちる直前、私はこの宇宙のラキオに言い放った。私はあなたのことを誤解していたのかもしれない。少なくとも、この宇宙のラキオのことは、案外嫌いじゃなかった。