朱殷の境界を知った

 今回で八回目のループを迎える。私以外はやはり、ループをしている様子がまるでない。私が、私だけが、どうして。
 今回の始点もまた、始めて目が覚めた場所だ。医療ポッドの蓋が開く。以前のようにセツが私を起こしてくれて――

「ようやくお目覚めかい?」

 耳に飛び込んできた声に思わず勢いよく起き上がる。展望ラウンジで一度だけ見た、地球という星では見られるらしい青い空。たった今、私の目の前に現れたのは、その色をしていた。天色が私をじっと見つめる。
 今日この医務室に来たのは、セツでもステラでもなく、なんとラキオだったのだ。どうして彼が。考えるより先に、私は自身が何も着ていないことを思い出し、急いで上半身を腕で覆った。ラキオが汎性なのは理解していてもなお、流石に素っ裸を見せることには抵抗がある。
 そんな私とは反対に、彼は表情を変えることなく吐き捨てた。

「安心しなよ。誰も君の裸体になンて興味ないさ」

 今までの彼の言動から、彼が他人にさほど興味を示さないことはわかっていた。予想通りとはいえ、ここまではっきり言われては、なんとも惨めだ。
 セツやステラと違い、彼は私の服を取ってくれるなんてことはしなかった。棚まで自分で取りにいかなければ、と思ったが、一糸まとわぬ姿で歩き回るのには抵抗がある。それにラキオが何も思わないにしても、私には思うところだらけだ。
 ラキオと棚を交互に見て、どうしようかと思いを巡らせていると、ラキオは溜息をついて身体ごと扉の方を向いた。――気を、遣ってくれたのだろう。

「……まったく。どうして僕が何もわからない記憶喪失の人間なんかと組まなくてはならないンだ。状況説明なんてしていては効率が悪いどころの話ではない」

 服を着る私に背を向けたラキオはいつものように、長ったらしく嫌味を零す。ラキオと組む? 今回のループは何かいつもと違うのだろうか。
 彼も私に一から事を説明するのは面倒だろうし、第一そんなに世話を焼いてくれるとは思いがたい。私も、もう八回目だ。自身については何もわからずとも、この船内が置かれた状況はもう十分に把握している。

「あなたは、ラキオ。この船にはグノーシア汚染されてしまった人間が潜伏している。この後開かれる会議でその汚染者を見つけ出してコールドスリープさせなくてはならない。……だよね?」
「……旧式とはいえ、促成学習も少しは役に立つようじゃないか」

 私の言葉に、彼はこちらを向いてそう言った。実を言うと、促成学習にはそこまでの内容は組み込まれていないと思う。何度か経験するうちに促成学習の中身を少しずつではあるが追えるようになってきた。
 ラキオの反応に安堵するように息を零すと、彼はわずかだけ上げていた口角を、ぐっとつり上げた。なんとも愉しそうに。

「しかしその促成学習には少し補足が必要だね。ははっ! 僕たちは今回乗員の中からグノーシアを探し出す必要はないよ」
「え? どうして……」
「君はまだ自分の置かれた状況を把握しきれていないようだから親切な僕が教えてあげよう」

 グノーシアを探し出す必要がない。すなわち、この船にはグノーシア汚染された人間がいないということ? それならば今回のループは特殊だ。運が良い。――しかし、彼は「私と組む」と言った。グノーシア汚染されていない船内で、何を目的として協力関係を結ぶというのか。
 考えうる可能性を張り巡らせていると、ラキオは私に向けて腕を伸ばした。手を、差し伸べた。

「何故なら――僕とナマエがグノーシアだからさ」

 同時に、つい今の今まで鮮やかな青色をしていた瞳が血のような赤色を灯した。ああ、ようやく腑に落ちた。

 ⊕⊕⊕

 ラキオは初日にコールドスリープされやすい。また、一日目の晩にグノーシアに襲われることもあった。私に助言を与えてくれたラキオがすぐに疑われてしまうところを見て、彼こそ発言を控えた方が良いのではないかと思うこともしばしばあった。
 しかし、何故ラキオはコールドスリープ送りにされることが多いのだろう? ここまで七回のループを、ただの人間として経験したことでわかった。彼はセツよりも、夕里子よりも頭が良い。論理的思考の上で彼の右に出るものは船内どころかこの宇宙でも有数だろう。それだけ――人間側にとってもグノーシア側にとっても、彼は脅威となりうるのだ。

「いいかいナマエ。下手な真似をして、僕の足を引っ張るなよ」

 会議が始まる前に、私はラキオの部屋へと連れてこられた。私の部屋と同じ作りで、それどころか内装もほとんど同じだった。ラキオがベッドで脚を組みながらそう言うのを、私は床に正座をしながら見上げた。お客人を地べたに座らせるなんて、この宇宙でも、グノーシア汚染されても相変わらずらしい。
 彼は値踏みをするようにこちらに視線を落とした。見慣れた表情だ。それでも、ある意味での美しさを見出した私は背筋を震わせた。そんなラキオに、薄く笑って返した。

「ラキオの方がすぐにコールドスリープされそうだけど」
「へぇ? 君、運良く僕とグノーシアになれたというだけでよくもそこまで言ってくれるじゃないか」
「だって――」

 今までそうだったから。そう言いかけて、慌てて口を噤んだ。
 それにしても、初めてのグノーシアがまさかラキオとだなんて。果たして運が良いのか悪いのか、しかしまだまだ未知数の彼のデータを集めるには悪くないと思った。
 言い淀む私を見て、ラキオはそれ以上詮索するでもなく、後ろ手に体重をかけたまま脚を組み直した。

「あらかじめ言っておくけど、状況によっては君を見捨てるから」
「ふ、だと思った」
「会ったばかりの君に僕の何がわかるというンだ」
「確かにそうだ。ふふ」
「……僕はとんだハズレくじを引いてしまったのかもしれないね」

 ラキオは、二つ前のループと同じようなことを言っている。違う宇宙で、違うラキオでも、やっぱりラキオはラキオだなと気の抜けた笑みが漏れた。私をハズレくじ扱いするところも、どこか安心感すら覚えるラキオで間違いない。
 あなたのことを好きになれそうにない。でも嫌いとも言いきれない。その美しすぎる顔を抜きにしても、何度もあなたと関わることで少しずつあなたの短所こそがあなたであるような気がした。

『間もなく会議の時間です。皆様、メインコンソール室にお集まりください』

 LeViのアナウンスが船内に響き渡る。それを合図に、ラキオは依然として頬を緩めた私に呆れたように息を漏らしては、ベッドから立ち上がった。

「まあいいさ。とにかく、僕は誰も信用しない。人間だろうがグノーシアだろうが、ね」

 そう投げつけると、ラキオは部屋の扉を開けて廊下へと出て行った。私は緩む頬をパチン! と両手で叩くと、ラキオに続くように廊下に出た。
 それからメインコンソールへ続く道を、ラキオの足跡を追いかけるように、頼りにするように同じ歩幅で歩いた。するとラキオは、こちらを振り返ることなくこう言った。

「ナマエ、少し距離を取って歩きなよ。不愉快極まりないからね」

 やっぱり、この人の好きなところなんて一つも増えていない。

 ⊕⊕⊕

 乗員数は九名、その中には守護天使が一人とエンジニアが一人いるという。今までの経験から、グノーシアのうち一人はエンジニアを名乗るのが定石だった。会議の前にさしたる作戦を立てることができなかった私は、ただラキオの動きを黙って見て――ラキオがエンジニアを名乗った。私が名乗るより、生存率が高まるだろう。初日にコールドスリープされやすいという点を鑑みても、良い判断だと思った。
 対抗エンジニアはコメット。彼女とは前回のループで会ったばかりのため未知数であるが――嘘を見抜きやすい。彼女は早く始末しておきたかったが、本物のエンジニアである以上難儀だ。

「……時間が止まってる?」
「そうだけど?」
「うわっ!」

 グノーシアとなって最初の空間転移を迎える。辺り一帯から色が失われて、控えめな空調の音が消えた。揺らいでいた空気が一定になった。いつもなら空間転移をした直後に朝がやって来るのだが、今回はそうではないらしい。
 初めての経験に戸惑っていると、そんな私に答えるように声が降りてきた。――ラキオだ。いつの間に私の部屋に来たのだろう。彼の姿を認識しようとするまでもなく、彼はそこに居た。いつも以上に異彩を放つ、彼がそこに居た。

「空間転移は汎可能性演算を使うからね。端末である僕や君が、グノースと接続されるのは当然だろう?」
「全然何言ってるのかわかんない」

 そもそも理解しようとしても意味はわからないけれど、今はそれどころではなかった。目の前にいるラキオが、ひと際目を引く外見をしていたから。青色に緑色に紫色。そんな幻想的な姿をした彼が、色のない世界にいる。この時が止まり、色を失った空間で彼の存在は異質なはずなのに、どこか溶け込んでいる。これが、グノーシアか。思わず息を飲んだ。

「はっ、流石だね。まあ理解する必要はないよ。そして君に説明する気もないよ」

 彼の嫌味なんて右から左へと流れていく。理解なんてとてもできそうにない。だって、彼があまりにも美しいから。とてもこの宇宙に存在しているなんて信じられないくらいに。

「なんだい。そんな間抜け面を晒して。みっともない」

 いつもと外見は変わっていても、ラキオはラキオだ。眉を寄せて、興味なさげに視線を落とした。なのに、その表情すらも、今この空間での「美」を助長するだなんて。

「……なんでもない」
「早く立ちなよ。そろそろ決めなくてはならないだろう?」

 そろそろ決める――グノーシア汚染されてしまった私とラキオには、今晩しなければならないことがある。言わずもがな、そのことだろう。ラキオの瞳を真っ直ぐ見た。まるで色が反転しているように、彼の瞳は白色に見えた。そして心を決め、慎重に頷いた私を見て、ラキオは満足げに背を向けると髪を揺らした。

「さて行こうか。――哀れな人間の救済にね」

 ⊕⊕⊕

 ラキオは、誰をこの宇宙から消すのか、私に選択を委ねてくれるらしかった。一日目の会議ではしげみちをコールドスリープに追いやった。しげみちは正直残しておいても脅威ではないが、今までの経験からして票を集めやすい。一日目の結果としては妥当だった。

「……シピにしよう」
「へぇ。悪くないンじゃない? 一応その理由でも聞いておこうか」

 私は、今晩消滅させる対象にシピを選んだ。コメット同様、前回のループで初めて出会った彼を。
 時が止まった空間で、彼のヒールが音を鳴らすことはない。それでもいつもと変わらずしなやかに足を運ぶ彼は、肩越しに視線だけを寄越しながらそう言った。ほんのわずかに歩みを早めて、凡愚である私は彼の横に並ぶ。

「本当は、直感が強いコメットを消したかった。でも彼女はエンジニアだから、彼女を消せばラキオが自動的にグノーシアだと確定する」
「その通り。もし君がコメットを選べば僕は呆れてものも言えなかっただろう。それどころか僕がこの手で君を消滅させてしまっていたかもしれないね」

 どちらにせよ、早々にコメットを消すのは難しい。ラキオがいかに周りに自分が本物のエンジニアであると信じさせるかが鍵となる。
 続けて、というようにただ目配せされたので、ラキオに試されているという点で少し不安は残るが、私の考えを述べていった。

「SQはロジックがそこまで強くない……と思うから、最後まで残しても大丈夫だと思う」

 ラキオは相槌を打つことなく、私の言葉の続きを待った。以前、別の宇宙のラキオは私の観察力を褒めてくれた。しかし今回の考えは、私がこれまで七回のループを過ごしてきたから得られたものなのだ。当然、ラキオにそんなことは言えるはずもない。

「正直セツと迷った。セツがいると議論が動きやすいから。でも、私は直感が強いシピの方が脅威だと思った……から」

 セツは頭も良いし皆が話を聞く価値があるとしている点で厄介だ。セツを早めに始末したいということに変わりはない。
 これで、どうだろう。恐る恐る、しかし期待を込めながら私の右を歩く彼に視線だけ移すと、彼はこちらに視線を送ることはなかった。間もなくシピの部屋の前に着いたところで、彼は私の目を無遠慮に見つめ、顎に手を添えては、ふと息を漏らした。

「及第点だ」
「ありがとう」
「別に褒めてなどないさ。それじゃあ行こうか」

 彼の言葉に安堵の息をつく。この嫌味たらしい汎に、少しは認めてもらえただろうか。
 ラキオは手で中に入るぞと合図をすると、扉をすり抜けた。どうやら、このグノースと接続している状態では、私たちは透明人間にも等しいらしかった。
 シピも首についている猫も、息もなく横たわっていた。空間転移されている間、私もこんな感じだったのか、と呑気にも考えた。シピをただ眺めている私の肩を、ラキオがぽんと叩いた。

「ナマエはグノーシアとして人間を消すのは初めてだろう? 君が彼を終わらせてやるといい」

 私が、この手でシピを終わらせる。その発言に、この宇宙のラキオはやはりグノーシア――人間ではないのだと再確認する。これもこのラキオなりの気遣いにあたるのかもしれないが、グノーシアになるのが初めてだった私は、未だそれを躊躇っていた。

「私……少し怖い。グノーシアとして人間を消滅させるのが」

 LeViは、グノーシア汚染されると加虐傾向を示したり、動物的本能を満たしたりするケースがあると言っていた。しかし、今のところ私はまったくその気がないのだ。ループの記憶があるからか、私は人間だった頃と何ら変わりない思考のままだ。
 前のループでは仲間だった彼を消すのが、怖い。左手首をぎゅっと掴んでいると、ラキオは肩をわずかに揺らして笑った。

「さて、それはどうだろうね」

 一体、彼のその言葉が何を意味するのかはわからなかった。

「ナマエ。早くシピの境界に触れるんだ」
「境界に……」

 ラキオに急かされるがまま、私は手をその境界の間近に運んだ。――ただ、そこから動くことができない。私は、グノーシアとして彼を消すのが怖い。仲間だった彼を。消したくない。消したくないはずなのに、頭の中で「目の前の人間を消せ」という声が鳴り止まない。
 どうしよう、怖い。隣のラキオに目で訴えると、ラキオは頭に手を添えて一つ、溜息を零した。――刹那。
 彼は私の手を掴むと、有無を言わせず強引にシピの境界に押し当てた。

「あっ……!」

 その瞬間。シピの輪郭はより強く光を放ち、輪郭が膨れ上がる。ぞわぞわと全身の毛が栗立つのがわかった。心臓がどくどくと大きな音を鳴らしている。口端が震えた。
 やがてシピの輪郭がめくれ上がると、彼はこの宇宙から消滅してしまった。泡のように、まるで初めから何もなかったかのように。

 ふと我に返る。私が、シピをこの宇宙から消してしまった。それより私、今――どんな顔をしていたの?

「ほらね。やっぱり君もグノーシアだ」

 ラキオは私にそう言うと、目を赤く赤く光らせながら妖しく笑った。棚のガラスに私の顔が反射している。信じたくなかった。見なければ良かったと思ったときには、もう遅かった。

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