綾なす平行線
シピをこの宇宙から消した後、私は自室のベッドの上で目を覚ました。夢でも見ていたかのようだったのに、私はこの指先に残る感触を鮮明に覚えている。天井に腕を伸ばして、指に神経を集中させるように握ったり、開いたりを繰り返した。この宇宙の私は、紛れもなくグノーシアだ。
いつも通り、メインコンソール室にて会議が開かれる。集合までまだ時間はあるはずだ。LeViのアナウンスがあるまで食事でも済ましておこう、と廊下に出ると、ちょうど自室から出てきたらしいラキオと鉢合わせた。
「おはよう」
朝から複雑なつくりをした服を着こなし、メイクもばっちりの端麗な彼は私とは対照的に眠そうな様子もない。どこに行こうというのだろう、詮索しようとする私をただ横目でじっと見ていた。もちろん、挨拶が返ってくるはずなどない。
ぎゅるるる、と腹の虫が鳴くと、私とラキオの意識がそちらに移った。会議ではそれなりに頭を使わなければならず、その場のライブ感では乗り切れないこともしばしばあった。それに備えてしっかり食事をとらなければ、と私のお腹の音を聞いて顔を顰めた彼に声をかけた。
「ラキオもご飯食べに行く?」
「はっ、僕は君と違ってイートフェチじゃないンだ。無駄な時間を消費したいのなら一人で行けば?」
「だと思った」
「昨日からその知ったような口ぶりはやめてくれないか」
ラキオは効率と論理性を重視する、面倒な性格だ。その事実は以前のループで得ていたため、この返答は当然予想がついた。しかし、だとすれば、何故彼は二回目のループで食堂に姿を現したのだろう。
甚だ疑問に残るところではあるけれど、一旦はここでお別れだ。じゃあまた後で、と軽く手を振ると、彼は私の背に声を落とした。
「念のため忠告しておくけど」
輪郭の曖昧なその声に引き止められて振り返ると、彼は私の目をじっと見た。蒼玉のように澄んだ瞳は、無表情のまま、しかしわずかに侮りを含んでいた。
「僕と君が協力関係にあることを決して悟られない動きをするンだね。こんなこと言われなくとも理解していると思うけれど」
彼のことだ。この会話こそ聞かれたらまずいが、誰一人として乗員の姿がないことは確認済みだろう。淡々と口にされる指示に、私はほんの少し肩を落とした。グノーシア仲間ではあるが、露骨に庇い合ったり同調したりという行為は人間側からの疑いを産む。それは以前のループで痛いほど経験した。
「わかった」
表立って協力できないのは残念だが、仕方のないことだ。――残念? 私はラキオ相手に何を期待しているのだろう。記憶障害のせいだろうか、自分自身の考えがわからない。
私のそんな思いなんて興味がないであろうラキオは、私と反対方向に歩き出すと、鼻で笑って言葉を放った。
「今日も僕の意見を支持すれば良いよ。冷凍庫送りにされたくないのなら大人しくしていれば?」
余韻などまるでなく、廊下にはただ、ヒールの音だけが鳴り響いた。
⊕⊕⊕
二日目の会議も、なんとか生き延びることができた。ラキオの言う通り大人しくしつつも、ラキオの疑いに同調する人間が現れれば、私もそれに乗る。運良く、本物のエンジニアであるコメットが私を調べなかったことも大きい。そしてラキオはセツを調べた体で人間と判断したため、セツは少なからずラキオの味方をしてくれると見込んだ。私が昨日セツも脅威に感じていることを伝えたからだろうか。
結果として、コールドスリープに選ばれたのはステラだった。ステラは今までのループを見ていても、疑いを向けられやすい事実があったので、この結果は予想の範囲内だ。
なんとか悪目立ちせずに、ラキオと共にこの場に残れたことに安堵の息を零すと、ドン! と背中に強い衝撃を覚えた。思わず前方にふらつくと、ケタケタと笑い声が聞こえた。
「痛っ!」
「やほやほ、ナマエっち! ちょっと今からSQちゃんとお茶でもしない?」
ハートのピアスを揺らして躓きかけた私の前に軽やかに回り込んだのは、このループではほぼ初めて関わるSQだった。大人びた顔立ちに、どこかあどけない笑顔を浮かべる。やや前傾になって後ろ手を組み、下から私を覗き込む彼女はカールさせた睫毛をぱちぱちさせた。
珍しく誰もいない食堂で席を広々と使うように、彼女はどんと脚を組んで紅茶に砂糖を入れる。ティースプーンでグルグルとカップをかき混ぜると、小さな泡がいくつか浮いた。
「いやー、物騒な事件に巻き込まれてしまいましたNA」
頬杖をついて大きく溜息をつくSQの前に、フードプリンターで作られた固いクッキーを出した。フードプリンターの技術自体は素晴らしいけれど、やはり人が作るよりは劣っているのが事実だ。私も紅茶をカップに注ぐと、ミルクを一つ入れた。
「私とお茶なんてどうして?」
SQが私をこうして誘ってくるのはこのループが初めてだった。彼女は論理的思考をとるのが得意ではないことを考慮しても、演技力が抜きん出ている分、何を考えているのかわからないところがある。今回は彼女は人間だけれど、どういった思惑があるのかは警戒しておく必要があった。
彼女は考える素振りを見せると、すぐさま口端をつり上げてこちらを見た。
「そりゃSQちゃんの気分だZE! ……というのは半分冗談で、ちょっとナマエに提案がありまして」
人差し指を立てると、強いピンク色に発色した唇に添えたSQは、囁くように声を落とした。その仕草は、同性の私でもドキッとしてしまいそうなものだった。
「SQちゃん、今日からナマエと力を合わせてみようかなーって思ったんだ。……どう? ダメ?」
彼女は先程までと打って変わって、どこか自信なさげに眉を下げた。これは同情を誘うための彼女の演技かもしれない。不安げに潤むルビーが、熱い視線を向けてきた。
しかし、協力することにデメリットはない。ラキオはセツを人間だと判定したため、セツはラキオを信用してくれるはずだ。その上私はSQと協力関係を結んだ。仲間を増やすことは、限りなく生存率を上げてくれるはずだ。――この勝負、勝てる。
「いいよ、協力しよう」
そうして私はSQに手を差し出すと、彼女は得意げに笑った。細く長い指が私の手を掴む。先端だけが、やけに華やかだった。
「交渉成立DEATHな!」
⊕⊕⊕
昨晩はジナを消滅させた。もちろんこの考えも妥当だった。二日目会議終了時点で残っていたのは私とラキオ、それからセツ、ジナ、SQとコメットだ。消去法でジナを消すほかなかった。
今回のループ、初めてのグノーシアにして私は勝利を飾る。今日ラキオの対抗エンジニアであるコメットをコールドスリープさせれば、人間とグノーシアが同数になり私たちの勝ちだ。――そう、思っていた。
「ふーん。じゃあ次、僕の調査結果ね。――とりあえずSQがグノーシアだよ。あははっ!」
ラキオが、高笑いしながらそう告げる。しまった。
「おっと、そう来ましたか。ううん……SQちゃん人間なんだけどなあ」
空間転移の時点で私がSQと協力関係になったことをラキオに知らせておくべきだったか。そうすればきっとラキオはSQにグノーシアという判定を下さなかったはずだ。事はそう上手く運ばない。冷や汗が頬を伝った。
そしてもう一つの脅威であるコメットだ。彼女は直感は冴えているが、嘘をつくのが上手くない。デメリットにも思えるそれは、今この場ではメリットにもなってしまう。心臓がどくどくと鳴っている。
セツはラキオとコメットを交互に見てから、頭を押さえて大きく息をついた。
「ラキオは、味方だと思っていたけど。……恐らく、違う」
セツの目が疑いに染まる。この八回のループで、私はずっと気になっていた。セツは乗員のことを何故だか知り尽くしている。彼女は、コメットが本物であることを見抜いてしまったのだ。
今この場の注意はすべて、青い芸術作品である彼に集まってしまっていた。こればかりは私たちの伝達不足だ。
「おっとラキオ攻め? はいはーい、SQちゃんも参加しまーす」
「お、ラキオの嘘に気づいた? ヤルじゃんセツ」
「僕を責める正当な理由がないからって人格攻撃?」
私は、どうしたら。今ラキオを庇うと不自然すぎる。私とラキオがグノーシアであることが確定して下手すれば二人一気にコールドスリープだ。
だとすれば私もこの疑いに同調すべきだろうか。いや、さすればラキオのコールドスリープは確定。そこから私が最後まで生き残れる自信は正直ない。
「何故君たちはSQを信用できるンだい? 凡愚の考えはわからないな……」
どうする? SQを見捨てる? いや、その選択肢を取ることは決してない。しかし、ラキオなしでも上手くやれるのだろうか。それか私の計画通り対立エンジニアのコメットに疑いを向けるか――いや駄目だ。セツが厄介すぎる。だとすればセツに疑いを向けてコールドスリープさせる手もあるが、彼女は議論に説得力がありすぎる。
SQとラキオが口論しているのをよそに、最善策を練ろうと試みる。考えろ、考えろ。
「――SQ被告の弁護人……ナマエ! 反対弁論ヨロシクねー」
突然、明るい声が空気を打ち破った。私の名前が、呼ばれた気がした。
「……えっ」
顔を上げると、その場の四人全員の視線が私を向いていた。SQが熱い眼差しを私に向ける。呼ばれた気がしたのではない。実際に呼ばれたのだ。名指しで助けを求められるなんて、初めてだった。
予想外の出来事に、先程まで考えていたことがすべてまっさらになる。私は、どうしたら。SQを庇うか、ラキオを庇うか。この選択に命運がかかっている。
SQからの熱視線を受けながら、私の隣のラキオをちらりと見ると、彼はいつものごとく、頭に手を添えては顎をわずかに突き出し、見下すように口もとだけで笑っていた。
「ナマエ。君はヤケに静かじゃないか」
彼は顔を近づけると、至近距離で私の目を探るように見た。彼のこの挙動は、知っている。ごくりと喉が鳴った。
「ナマエみたいに黙りがちな相手を責めるのも、一つのセオリーじゃない?」
この彼の挙動は、二ループ目で私を疑い、私と敵対したときのものだった。
――ラキオは、私を切った。
⊕⊕⊕
投票により、私がコールドスリープすることが決定してしまった。ラキオの言葉で、味方だった――味方だと思っていたセツとSQは私への投票を決めたのだ。さて、今回も私を見送ってくれるのは、美しくも憎らしい、私の唯一の仲間だった彼であった。
「言っただろう、状況によっては君を見捨てるって」
LeViから合図があるまで、こうしてコールドスリープする者と見送りの者が言葉を交わすのはどのループでも同じだった。
最後の最後でラキオに裏切られたが、私は彼に対して苛立ちなど感じていなかった。私が最善策を思いつかなかった以上、グノーシア陣営が勝利するためにはラキオにとってこの手が最善だったのだから。
「ラキオらしいね」
服を脱ぎながらそう言うと、彼はこちらに視線を寄越したかと思うと、重たげな唇を躊躇いなく開いた。
「まあ、君の動きは悪くなかったンじゃない」
「それって」
「ああ褒めてなどいないよ。あくまで部分的にさ。最後僕が疑われたときはもっとやりようがあっただろう。なンなら僕を冷凍庫送りに選べば君は生き残りグノーシア側の勝利はほぼ確実だったというのに、なンとも愚かな選択をしたことか。ああ嘆かわしい」
SQと協力関係を結んだことを知ったラキオからすると、確実に私たちが勝利するには私がラキオを裏切ることが必要だったようで、思わず口を開いた。私はまだまだ彼のことを知らないようだ。彼は、何も自分のことだけを考えているわけじゃないのかもしれない。
それでも、もし私がその手が最善策と捉えたとしても、決してその選択を取らなかっただろう。つい頬が緩むと、彼はそれを見て顔を歪めた。
「私、ラキオと二人で生き残りたかったんだ」
これは私のわがままだ。ラキオの意思なんて無視した、私のエゴ。
ラキオは目を何回かぱちぱちさせると、長い睫毛を伏せては吐息を漏らした。
「……フン。厚かましいにも程があるね」
お礼を言うだとか照れるだとか、そんなことを彼がするはずないのは承知していた。それでも彼にほんの少しでも認めてもらえていれば、なんて心の端で考える。この顔だけの汎に――顔だけだと思っていた汎に、いつかの宇宙で認めてほしい。どうも受け入れがたいが、ループを重ねるごとに彼の顔以外に興味が沸いてきてしまっているようだった。
装置の中に入ると、ラキオは鼻を鳴らしては愚弄した。
「心配しなくとも、僕は明日愚かな人間たちに勝利をしてこのD.Q.O.を乗っ取ってやるさ」
「ラキオなら大丈夫だ。頑張ってね」
この「頑張って」は当然嘘ではなかった。初めて私にグノーシアとしての役割を、本能を教えてくれた彼には最後まで生き残ってほしい。この目で見届けたかったけれど、私はコールドスリープをして間もなくこの宇宙から消える。だからせめて、この宇宙のラキオの幸福を祈るだけでも。
「気分次第では君のことも起こしてあげようじゃないか。数少ないグノーシアだからね」
「ふふっ! 変わらないな、ラキオは」
二つ前のループとほとんど同じようなことを言うラキオに、つい顔が綻んでしまった。それを見たラキオは、したり顔をしていたかと思いきや、口角の歪みを消し、綺麗な瞳を三回ほど瞬かせた。
もう十秒もすればコールドスリープだ。重い蓋が機械的な音を立てて閉まる。ガラス越しでも、彼はやはり今まで見た何よりも美しかった。
「じゃあ、おやすみ」
ありがとう、この宇宙のラキオ。私はあなたの勝利と幸福を願って、今ここに眠る。
そうして目を閉じ、冷気に沈みゆく意識の底で――
「……君はずっと誰を見ているのかまるでわからないね」
彼の声だけが、ガラス越しに歪んで遠くなった。