寂寞の共犯を
可憐な少女は澄んだ瞳を揺らしながら、私に向かって手招きをする。純白の花が辺り一面に咲き乱れている。彼女は、彼とはまた違った、まるで人形のような美しい顔立ちをしていた。顔に余白がない。繊細に重なった睫毛が光を弾いて瞬いた。彼女は私をもっと近くにおいでと手で合図を送ると、私の頭に花冠を乗せた。
新たな乗員としてククルシカとジョナスを迎え入れ、もう十回目のループとなる。私は、いつまでこのループに囚われ続けるのだろうか。一体、なんのために、いつまで。
一日目の会議を無事に生き残ると、廊下に出た私は倒れ込むように壁にもたれかかった。ループを重ねるごとに人数と経験は増えるが、肝心の原因については何もわからない。小さく溜息を零すと、私の肩を誰かが叩いた。
「ナマエ」
声のする方を振り返ると、赤色をした双眸と目が合った。少し心臓が跳ねたけれど、どうやらグノーシアのそれとは少し色が違っており、安堵の息をついた。
「……セツ」
「お疲れみたいだね」
セツはどうやら私を気遣って、真っ先にメインコンソール室から飛び出した私を追いかけてくれたようだ。ああ、どうしよう。私はこの宇宙を何度も繰り返している。一体いつになったら抜け出せるのか。気が狂いそうだ。そんな不安を目の前の彼女にぶちまけてしまいたい。しかしそんなこと、誰も信じてくれるはずがない。一人で宇宙をループするのは寂しい。
言いたいけど、言えない。そう思って口端をきゅっと固く結び、唇を親指で軽く触れる。すると、セツは見透かしたように目を細めた。
「ナマエはまだ、ループ回数が多くはないだろう?」
「……え?」
今、セツはなんて? どうしてそれを知っているの?
まだ誰にも言ったこともない、そもそも知る由もないのに、彼女が私のループについて知っている。驚きが隠せず、口をあんぐり開いたままでいると、セツは口もとに手を添えて息を漏らした。
「驚いた? 実は私もループしているんだよ」
その言葉を聞いて、身体中の力が抜けると、地面にへたり込んだ。不安からの解放で、一気に心臓が騒がしくなる。ずっと感じていたセツに対する違和が、すべて腑に落ちた。私だけじゃなかった。大きく息を吐く私を、彼女はおかしそうに笑った。
「もっと……早く言ってよ」
「ふふっ、ごめんね?」
彼女はマリオネットのようになってしまった私に手を差し伸べてくれたので、もう、と苦笑を返しながらその手を取った。
「どうして隠してたの?」
「今回の会議で君は人間側だと推測したんだ。それに見る限り、まだ慣れていなさそうだったからね」
膝を払いながら尋ねると、彼女はそう言った。私が人間であることと、ループについて明かすことはどのように関係しているのだろう。それから、「見る限り」という言葉だ。どう見たって私はまだここに来たばかりなのだから、ループが始まったばかりのときに明かしてくれれば良かったのに。
不満げに思う私の様子を見てか、セツは真剣な表情を私に向けた。
「ごめん、もっと早くに言えばよかったね。大丈夫、きっと今回はナマエの味方だよ」
「……今回は、セツは人間ってこと?」
「そうだよ。……まあ、そうとしか言えないんだけど」
彼女はこの疑心暗鬼で溢れた船内で、私を人間であると確信した。これはグノーシア側の一種の戦法かもしれないけれど、ループのことを明かしてくれた彼女を信じない手はない。私はセツを信じたい。眼差しにその思いを込めると、彼女の表情が和らいだ。
すると彼女は、「まだまだ長い戦いになるから」と私に会議におけるアドバイスをくれるそうだった。まだまだループからは抜け出せない。しかし、セツが一緒ならば心強い。先程までの重い不安は嘘のようにするすると解けていた。
「ナマエは不安なときに唇を触る癖があるだろう? それは会議においては気をつけた方がいいかもしれない」
会議において疑われやすい行動などを教えてくれたのち、セツは今しがたの私を真似るように唇を親指で触れると、そう指摘した。私ですら意識していなかったのに、と感嘆の息を漏らした。
「そんなところまで気がつくんだ。セツはすごいね」
「私は何度もループを繰り返して何度も君のことを見ているからね。ただ、ラキオなんかはすぐに気がつきそうだろう?」
「ふふ、確かに」
ラキオはこのD.Q.O.の乗員の中でも観察眼が優れている。私も以前ラキオに観察力があると言われていたのでその自負はあるけれど、ラキオは少し違う。彼はその上で細かな動揺から言葉の矛盾、すべてを指摘してくるのだ。少しの行動も気をつけなければ、とセツに頷くと、彼女は少し考える素振りを見せては口を開いた。
「そうだね、あとは――」
「何を二人でこそこそしているンだい?」
ハッとして私とセツは突如飛び込んできた声の主を見た。誰の声だか脳が判断するのと、その姿を捉えるのはほとんど同時だった。言うまでもなく、その正体はラキオだった。
一体どこまで聞かれていた? ループのことは聞かれたらまずいのか? ぐるぐる思考する間に、セツは私から一歩後ずさって淡泊に唇を開いた。
「なんでもないよ。じゃあまたね、ナマエ」
「あっ、うん。また……」
そう言うと彼女は私に手を軽く振っては背を向けた。ラキオはというと、そのセツの背中をじっと見つめたのち、私を見ては腕を組んだ。なんとなく彼のその視線がいたたまれなくて、私は目を合わせずにその場から立ち去った。
⊕⊕⊕
私もセツも無事にグノーシアに襲われず、二日目の会議を迎える。円卓の向かいにいるセツに目配せすれば、彼女もごく薄く微笑んだ。
どうやら今回から新しく役職が追加されたらしい。前回のループのAC主義者に引き続き、ドクターがいることが開示された。そう、それもジョナスによって。
「あっ。だから昨日コールドスリープ室に残って」
「ご明察。このジョナスが昨日コールドスリープしたSQのことを調べさせてもらった」
彼の発言にぞわぞわと鳥肌が立つ。昨日セツと分かれた後、私はコールドスリープ室の前を通りかかった。SQを見送った際、ジョナスが不自然にもコールドスリープ室に残ると言った。それを頭の片隅にその部屋を通りかかったとき――私はどうやら見てはいけないものを見てしまったのだ。
『冷たくも美しい、凍れる彫像……。それに引き換え、この私の肉体の不様さよ』
ねっとりとした声に、思わず小さく悲鳴を上げた。照明の落ちた部屋で、彼は何やらコールドスリープしたSQを見ていたようだった。この人は、近寄ってはならない人なのだろう。そう思ってその場から離れた。
――しかしまさか、これがジョナスがドクター権限をもつ故の行動だったとは、と合点がいった。ループを重ねていくうちに、人数が増え、役職が増えていく。まだ乗員の性格や関わり方も理解しきれていないのに、セツはこれを何回も何十回も繰り返しているのだろうか。
ジョナスの報告によると、SQは人間である。他にドクターを名乗り出る者はおらず、その上ドクターの存在自体を知らない人間の方が多かったことから彼はドクターで確定だろう。
エンジニア報告も今はまだ頼りになりそうにない。エンジニアを名乗るジナとステラはククルシカを人間と、ラキオはシピを人間と判定した。さて、今日の会議はどのように進行するのだろう。周りの出方を見るように様子を窺っていると、真っ先に口を開いたのは誰でもない、彼だった。
「ナマエは何か隠してるンじゃない?」
妖しく光る青色の目が私を捉えた。ぐいと片側の口角をつり上げた。そう来たか。ぎり、と歯が擦れる音が頭に響いた。
「昨日の会議後もセツと二人で何やら話していたじゃないか」
「そうなんか!? そりゃあ怪しいな」
昨日あの瞬間、ラキオは私とセツを標的に決めたのだろう。彼は私とセツを交互に見ると、こちらに注目を集める。しげみちはワッと驚いたように手を広げると、大袈裟にラキオの指摘に頷いた。
彼は議論を動かすために私たちに疑いを向け、グノーシアがボロを出すのを観察する作戦なのかもしれない。しかし今までのループにない動きだ。ラキオの意図を読め。考えろ。するとセツは迷いなく反論を試みた。
「ラキオ。あれはナマエの体調が優れなかったから介抱をしていたんだ」
「へぇ? とてもそうは見えなかったけれど」
セツの弁護むなしく、ラキオは私たちの反応を楽しむように余裕そうな笑みを浮かべた。
「今日だって会議が始まった直後、君たちは何やら目で合図を送りあっていたじゃないか」
セツの言う通りだった。私はラキオの観察眼を少々見くびっていたようだ。議論を動かすにしても、私とセツに集中攻撃をしすぎている。彼はきっと、グノーシアだ。今回の会議で彼は私をコールドスリープさせるつもりなのだ。
彼は敵になると厄介だ。ここまで本気で私を消そうとすると尚更である。しかしこちらにはセツがいる。
『必要なときには、恐れず発言した方が良いだろうね』
『大丈夫。私もできる限りはサポートするから』
セツが昨日私に言ってくれた言葉だ。セツがあの状況で嘘をつくとは思えない。ぐっと唾を飲み込むと、前に見たままの宝石のような瞳の奥を見据えた。目を逸らすな。呑まれるな。
「……違うよ」
「へぇ?」
今までのループでラキオと関わって、私は自分があなたよりも劣っていると思っていた。その美しさも、秀ですぎた論理的思考も、決して私の手に入らないものだから。しかしこの宇宙では、私はラキオと絶対的に敵対する運命になってしまったのだ。
やや緊張感が漂う中、彼はヒールの踵をカツカツと鳴らすと私の目の前に現れ、指先で自身の頭を軽く叩いた。
「僕に楯突くンだ。ならそれ相応の言い分は用意してあるンだろうね?」
根拠はある。しかし彼に勝てるかどうかは五分五分だ。服の裾をきゅ、と握ると、それを視線だけで追ったラキオがほくそ笑み、整った顔を私の眼前に近づける。アイシャドウをぎらぎらと光らせた彼の目が、私の目の奥を覗き込んでいる。恐らく私を動揺させるために。ならば私にできることは、目の前の美術品に怯むことなく、私の考えを皆に伝えることだ。
彼の瞳の奥を覗き返すと、私は一歩後退しては皆に演説するように腕を広げた。
「昨晩襲われたのはコメット。そして昨日コメットが投票してたのは、シピだ」
そうしてシピに視線を送ると、わずかにたじろいだような気がした。そしてラキオに目を向けると、決して話を途中で遮ることなく、腕を組み、意外にも真剣な表情で私を見ていた。まるで私を試しているかのようだ。
「コメットは直感が飛び抜けているから、私やセツより彼女が疑っていたシピを疑った方が順当だと思う」
コメットは勘が鋭い。それに気がついたグノーシア陣営からすれば、彼女は早いうちに始末しておきたい。役職を持たないならば尚更だ。――私だって、そうだったから。
「シピがグノーシアだと仮定すれば、彼を人間だと判定したラキオ。あなたも怪しいと思うけど?」
別の宇宙のあなたは、私の選択を及第点だと言った。私の動きを悪くないと言った。また別の宇宙のあなたは、きっと私の観察力を認めてくれた。二人のラキオに褒められたこのおめでたい頭だ。この宇宙のあなたも、これで認めてくれるだろうか。
彼はまた一歩、私へと近づいた。私を至近距離で見つめる彼を、私も見つめ返す。その状態で数秒――やがて、彼はすっと目を細めて短く息を漏らした。
「それが君の言う根拠かい?」
「そうだよ。まだ断定するには難しいけどね」
ラキオがグノーシアならば、もう指摘されるところはないだろう。念には念を、最後のひと押しだ。ラキオではない、私の長々とした言い分を聞いてくれた乗員たちに向けた、最後のひと押し。
彼に向けてかすかに笑みを浮かべると、その煌びやかな肩に手を置いた。
「私がコールドスリープしてもラキオがコールドスリープしても……明日になればグノーシアかどうかわかる。根拠は薄いけど、試してみる価値はあると思うよ」
ジョナスに確認を取るように視線を預けると、彼は帽子を片手で押さえながらただ静かに頷いた。それから乗員の皆を見渡した後、碧青をもう一度見つめた。
ラキオはただ、唇の端をわずかに持ち上げた。
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「ありがとう、ナマエ。君のおかげで勝てた」
私の予想通り、グノーシアはラキオとシピだった。二日目ではラキオをコールドスリープさせ、その晩はなんと運が良く守護天使の働きがあり――エンジニアを名乗るステラがシピをグノーシアであると報告したところで、私たちの勝負はついた。ジナは嘘が見破られやすいため、エンジニアであることが虚偽であると気づかれたのだった。
さて、その肝心の守護天使はどうやらセツであったそうだが。
「ラキオに指摘されたのはすまない。私の過失だ」
「ううん。セツがフォローしてくれたおかげでグノーシアに勝てたんだ」
投票の寸前、票数を動かしてくれたのは誰でもない、セツだった。彼女のカリスマ性が、ラキオに投票すべきであると指し示してくれたのだ。
今回のループで得られたものがたくさんあった。前回のループを引きずって乗員を信じてはいけない、全員が敵であること。その中でも信じるべき人がいること。会議での立ち回り方や、癖の消し方。このループを経験できて良かった、と頬を緩めた。
私の表情を見たセツも同じように破顔させると、体重をすべて預けるように壁にもたれかかった。
「それにしても君はすごいな。まだループ回数も少ないというのに」
「セツがいてくれたからだよ。私も今までの会議であんなに話せたのは初めて」
今までのループだったら、ラキオに言われっぱなしだったかもしれない。けれど、セツが私の味方だったから。あなたを信じることができたから、安心して恐れることなく発言することができたのだ。
セツに改めてありがとう、お礼を言うと、どこか照れくさそうに私から目を逸らして頬を掻いた。普段はあまり見れない、外見相応の少女らしい表情に胸が熱くなる。
彼女は円卓に目を遣ると、視線をそのままに口を開いた。
「……ナマエはラキオに肩入れしているところがあると思ったけど、杞憂だったみたいだね」
「肩入れ? そう見える?」
「今までのループでね」
今までの十回のループで、私がラキオと協力していたのはものの数回だ。基本的には彼は真っ先にコールドスリープしてしまうたちだ。セツの発言との矛盾点に疑問を浮かべつつも、その思考の傍らにはラキオの姿があった。彼の端麗な横顔が、脳裏に駆けた。
「でも確かに。……今回勝てたのは、ラキオのおかげかもしれない」
今までの宇宙での彼の発言、この宇宙での彼。彼が私が今回のループで人間側を勝利に導かせてくれた。私はこのループでセツのことを信じた。それと同じくらい、ラキオを信じることができたから、私はラキオに勝つことができたのだと思う。
私の言葉を聞いたセツは、目を真ん丸にすると、右手で髪を一度梳いてから――
「それはラキオに感謝しないとね」
穏やかな声音だった。からかうでもなく、ただ事実を受け止めるような響きに、思わず苦笑が漏れる。
刹那、ふわりと視界の端が揺れた。身体が透けていく。光の粒が、静かにほどけていく。もう、時間のようだ。
消えていく感覚には、まだ慣れない。けれど、今は一人じゃない。ずっと、一人じゃなかった。
「また次のループで会おうね」
「……うん。また会おう」
短く言葉を交わす。それだけで、十分だった。
私たちはこの宇宙に背を向けて、また新しい宇宙へと踏み出す。