愛さねばならぬのは
今回の茶会の目的はひとえに、ビッグ・マム海賊団の威信を見せつけることにある。対象は、茶会に列席する裏社会の権力者達、ライバルである海賊団──百獣海賊団や白ひげ海賊団、ロジャー海賊団等──、ひいては遠くから監視の目を向けているであろう海軍。
彼らに、今後ビッグ・マム海賊団及び万国を支えて行くことになる子供達の存在を…特に、長子であり母のお気に入り、かつ希少なヴィーラの血を引くカヌレの存在を知らしめるのだ。
そして、こう宣伝するのだ。
ビッグ・マム海賊団も、万国も、シャーロット・リンリンとその子供達は磐石であると。
母の思惑の成功を確信したのは、会場に現れた姉を一目見た時だ。初めてカヌレの姿を目の当たりにした客人が、次々と椅子から転げ落ちるのを視界の端で捉えて、オーブンは改めて、姉の人間離れした美貌に感心した。
クラッカー達三つ子が選んだドレスは、姉の儚さをより一層際立たせ、スカートに刺繍された花と編み込んだ髪に散らされた花が、純白の中に彩りを添えている。神が自ら造り上げた精緻な顔には、たおやかな微笑こそなかったが、それでもその美しさは損なわれていない。
焦がれるような吐息を溢したのは誰だったか。招待客達は無論、弟妹達も惚けたように、ただ一人を見つめている。会場中の視線を全て集めたその人は、母の前に辿り着くと従えていた侍女達を下がらせ、膝を折った。満足そうに笑っていた母が、更に笑みを深めた。
「20歳の誕生日、おめでとう、カヌレ。今日の主役はお前さ。好きなお菓子を好きなだけ食って、好きに過ごすといい」
「ありがとう、ママ」
そうしてようやく、カヌレはにこりと微笑んだ。いつもと変わらぬ笑みだ。優しくて、たおやかで、煮詰めた砂糖のように甘い笑み。それは到底、“昨夜弟恋人を殺された女”が浮かべるものではなかった。
あまりにもいつも通り過ぎる姉を見て、オーブンを始めとする年長の兄弟達は思った。
姉にとってあの男は取るに足らぬ存在だったのだ、と。
*
その話を耳にしたのは、何度目になるかわからない、カヌレの結婚話が潰れて間もなくのことだった。
結婚話といっても、最初から潰される予定の話だった。いつも通り、カヌレを妻に迎えたいと宣う身の程知らずが、全財産を擲つ勢いで貢ぎ、用済みになったから殺されたというだけのこと。“結婚話”と称することも不似合いだ。当事者のカヌレは、自身に結婚話が持ち上がったことなど知らないのだから。「ビッグ・マムの、美貌の誉れ高い長女と結婚できるかもしれない」と舞い上がっていたのは男だけで、当人は舞い上がりすぎてあの世にまで飛んでいってしまったという訳だ。
自身の結婚も、子供達の結婚も政略結婚とみなす母にとって、カヌレの存在は最上の駒だった。“ビッグ・マムの娘”というだけでも注目の的だったところ、手配書によってカヌレの美しさが広く知れ渡り、「ビッグ・マム海賊団と縁故を結ぶのなら、是非美貌の長女を妻に」と望む者が現れるようになったからだ。何をせずとも、手配書のカヌレに心を奪われた者が、母の下に集まってくる。そして母の許しを得ようと、ありとあらゆる品を貢いでいくのだ。これほど旨い話があるだろうか。
長女の存在をちらつかせるだけで、人と金が手に入る。その事実に気づいた母は、カヌレを実際に政略結婚の駒とすることを止めた。カヌレが独身でなければ、全て成り立たないからだ。こうしてカヌレは事実上、生涯未婚を貫くことを命じられたのである。
そのことを姉が知っているのか否か、オーブンにはわからない。しかし、これでよかったのだと思う。これでカヌレは、家族以外の誰か一人のモノにならずに済むのだから。
シャーロット家の子供達に、自由な結婚は許されていない。男であっても女であっても、海賊団の為、すなわち母の為に母が決めた相手と結婚する。それが定めだった。須らく全員そうだ。
だから、カヌレや弟妹達の希望など無関係に、母が結婚相手を連れてくれば結婚する以外に道はなかった。残された弟妹達は、最愛の姉が、どこの馬の骨とも知らぬ男に奪われていくのを、ただ見ていることしかできなかったはずだった。
だが、母がカヌレを独身でいさせると決めた時点で、そのようなことは決して起こらないとわかった。絶対的な権限を持つ母が、カヌレを結婚させないと決めたから。母の気が変わらない限り、これは不変の“法”だ。そして、母の気はきっと変わらない。つまりは永遠に、カヌレは家族みんなのモノなのだ。…当然だ。血の繋がった家族ですら独り占めすることができない姉を、赤の他人が独り占めできる道理がどこにある。血を分けた兄弟に譲ることすら、本当は許し難いのだ。姉の美しさや、“ビック・マム”の威信に目が眩んだだけの男に譲るなど、できる訳がない。そういう連中は、死んで当然だ。
「今回もダメだったのね」
骨も残さず焼き溶けた男と、その仲間。彼らが貯め込んでいた宝はすでに運び終わり、空になった船は放たれた炎によって間もなく燃え尽きるだろう。仕事を終えたオーブンは、もう帰途につくだけだった。その船の中で偶然、給仕係の女達の話し声を聞いた。
「すっごくお金持ちだったらしいじゃない」
「そんなの関係ないわ。ママが気に入らなければ、それで終わりよ」
「これじゃ、カヌレ様は一生結婚できそうにないわね」
「勿体ない、あんなにお美しい方なのに、花嫁姿を見られないなんて…」
女達は、オーブンに筒抜けであることも知らず、好き勝手に話している。しかし、別に咎めるようなことではない。勤務中の雑談を禁じたことはないし、会話の内容も家族を侮辱している訳でもないのだ。ただ、話題がカヌレについてだったから、つい聞き耳を立ててしまっただけだ。
「仕方ないわ。ママもご兄弟も、カヌレ様の結婚には反対だから」
「ここのご兄弟は、みんなとても仲が良いけど、カヌレ様は特別ね」
「そりゃあ、万国ができるまでに生まれた方達にとって、カヌレ様は姉であると同時に母親でもあるんだから。カヌレ様は小さい時から、ご兄弟の面倒をずっと見ていらしたそうよ」
そう。カヌレは特別。オーブンには二人の姉はいるが、姉であり母であったのはカヌレただ一人。カヌレの代わりはいないのだ。記憶のない赤ん坊の時からずっと、自分を見て、愛して、時に叱ってくれた人だから。
しかし、それにしても、女達は一体どこからそんな昔話を仕入れてくるのだろう。古参の部下や使用人達からか、総料理長シュトロイゼンか。もし、その光景を傍らでずっと見てきたシュトロイゼンが面白がって言い触らしているとすれば、多少話を盛っているところもあるかもしれないが、大部分は真実であろうから気恥ずかしさを感じなくもない。今度会ったならば問い詰めてやろう。
そう思い、オーブンはその場から離れようとした。これ以上、彼女達の話を盗み聞きいているのも悪いと思ったからだ。だが、そんなオーブンの足を引き留めるような台詞を、一人の女が溢した。
「ねぇ。カヌレ様と言えば、知ってる?あの噂」
「噂?…ヴィーラのハーフじゃないかってヤツ?」
「それは噂じゃなくて事実でしょうよ」
「違うわよ。…カヌレ様に恋人がいる、って噂よ」
女達が一斉に息を呑んだのが、オーブンにもわかった。オーブン自身も、吸い込んだ息の吐き場所を失っていたから。今、女は何と言った?…カヌレに恋人ができた?
「嘘!カヌレ様のお眼鏡に叶う男が、この世にいるの?しかも万国に?」
「そんないい男が近くにいたなんて、知らなかった!」
「私もそう思ったんだけど、この間妹から聞いたの。妹の友達に、マーガリン島で働いている子がいて、その子がカヌレ様と恋人の密会現場に遭遇したんですって!」
そんなことあるはずがない。きっと間違いだ。あの賢く従順な姉が、母の意に沿わぬことをするはずがない。命を落とすことを承知で、そんな愚かな真似をするはずが…
「ちょっと、詳しく教えてよ!」
「相手の人、バタータウンで有名なジャム屋の店主らしいんだけどね、その子がたまたま店に行った時、店から出てきたカヌレ様とすれ違ったの。その時嗅いだ石鹸の香りと全く同じ香りが、店主からもしたそうよ」
「きゃあっ♡」
「…なんだ、噂ってその程度?そんなの、ただの偶然かもしれないじゃない。石鹸なんて、どれも似たり寄ったりよ」
「バカねぇ、あんた。その子が店に行ったの、お昼休憩よ?真昼間から二人で同じ石鹸の香りさせてるって、そんなの理由なんて一つしかないじゃない」
時が止まるとは、こういうことをいうのかもしれない。
「けど、もしそれがホントだとしたら、さすがにまずいんじゃ…」
「そうね。ママやご兄弟に知られたら大事だわ。相手の男はもちろん、カヌレ様まで殺されてしまうかもしれないもの」
「でも、こう言ってはなんだけど、何だか素敵だと思わない?周囲の誰にもバレてはいけない、まさに命懸けの秘密の恋!」
「確かに。物語みたいね」
「素敵…♡」
オーブンが立ち尽くしている間に、女達はきゃっきゃっと楽しそうに会話を弾ませながら行ってしまった。残されたオーブンは、たった今女達から聞いた話を反芻する。
姉に、恋人。バタータウンで有名なジャム屋。……その話なら聞いたことがある。
以前姉の屋敷を訪れたブリュレが、姉が気に入っているジャムを貰ったと言っていた。バタータウンにできたばかりの店のもので、味に惚れ込んだカヌレが定期的に屋敷に卸させていると。よくある話だからと、気にも留めていなかった。だが、なるほど。女達の話を聞いた今ならばわかる。
姉が気に入ったのは、ジャムの味だけではあるまい。誰に怪しまれることもなく、店主に会うための口実だろう。白昼堂々店を訪れたのもそう。屋敷に卸させるくらい気に入っているのだから、時折店に足を運んでも不自然なことではない。話だけ聞けば、おかしいとは思わない。現に己も、何も思わなかった。最愛の姉が、家族でもない部下でもない他人に、その心を傾けていたというのに…──
「……おれの電伝虫を持って来い!!」
耐えきれず、腹の底から溢れた声で部下を呼びつける。
これは、由々しき問題だ。家族全員に関わる。だが、母には知られる訳にはいかない。例えお気に入りの娘であっても、母は容赦なく命を奪うだろうから。そんなことは望んでいない。だから、兄弟達だけで対処する必要がある。カヌレを失う訳にはいかないのだ。どこの誰とも知らぬ男に奪い去られるのも、母に寿命を抜かれるのも御免だ。
母に気づかれる前に、姉の目を覚ましてやらなければ。
その一心で、長兄の電伝虫に繋がる番号を押した。
*
物思いから覚めると、年少の弟妹達が固まって、カヌレの元へ駆けて行くところだった。みんなで用意した誕生日プレゼントを渡すのだろう。その奥で、彼らよりも年長の弟妹達が同じく固まって、姉の様子を伺っている。彼らが退けば、いよいよオーブン達年長の兄弟の番ということらしい。
「いつも通り、…いや、いつも以上に美しいな。おれ達の姉さんは」
静かなペロスペローの声に、オーブンは心の内で同意した。昨夜恋人を失ったとは思えぬほど、カヌレは常と変わるところがなかった。それがどれだけ、弟妹達のささくれ立った心を癒したか、カヌレが知ることはないのだろう。
オーブンがペロスペローに伝えた姉の恋人の話は、瞬く間に年長の兄弟──アマンド達四姉妹まで──間で共有された。そしてすぐに、恋人と噂される男の始末が話し合われた。
兄弟を差し置いてカヌレに愛される存在など不要だ。男には“死”以外にない。しかし、ただ殺すだけでは意味がない。今後二度と姉が道を誤らないように伝えておかなければ。
あなたが愛すべきは…心を砕くべきは家族だけだと。
それ以外はいらないのだと。
もしもまた、あなたの目が他所へ向いたなら、世界から人間が一人減るのだと。
骨も残さず、消えていくのだと。
だからオーブンとペロスペローは、わざわざお茶会の前日の夜に男を訪れたのだ。
絶対に欠席できない茶会の直前に、犯人が誰なのかわかるように男を殺して、家族の愛の重さを思い知らせること。そして、恋人を失ったカヌレの反応から、姉にとって男がどんな存在であったのかを知ること。それが目的だった。
昨晩、大臣達の突然の訪問を受けた男は、二人の来訪の理由を初めから知っていたようだった。兄のキャンディに体を固められても、燃え上がるオーブンの両手を見ても、見苦しく騒ぐことはなかった。ペロスペローはそれに感心していたが、オーブンにはどうでもよかった。男に近づいた時に微かに香った石鹸の香りのせいで、元々滾っていた怒りが刺激されていたからだ。
給仕の女が言っていた。二人から同じ石鹸の香りがした、と。それが、彼らの関係に疑念を持つきっかけになったのだ、と。二人が真っ昼間から同じ香りを纏っていた理由がわからないほど、オーブンは子供ではない。
何よりオーブンを苛立たせたのは、男に見えたことで、なぜ姉がこの男を選んだのか、わかってしまったことだった。それは、ペロスペローも同じはずだ。
男には、オーブン達のような強さはなかった。ペロスペローのような賢さも、カヌレのような美しさもだ。どこまでも平凡で、優秀なシャーロット家の子供達の中でも、ずば抜けた逸材である姉には不釣り合いだった。
しかしそれゆえに、男には兄弟達の誰も持たないモノを持っていた。
『最期に、言い残すことはあるか?』
怒りと嫉妬に滲んだオーブンの声に、男は何も答えなかった。ただ、己を見下ろすペロスペローとオーブンを見て、笑ったのだ。
それは決して、勝ち誇るようなでも、嘲るようでもない。優しくて、柔らかくて、温かみさえ感じる笑み。カヌレが、弟や妹を見る、愛しさに溢れた笑みだ。それと同じものを、男は浮かべたのだ。己を殺そうとしている相手に向かって。その相手が、オーブン達だから。……己が愛する恋人の、家族だから。
家族が持たず、男が持っているモノ。それは、限りない優しさ。家族や仲間のように、自分の懐に入れた者だけでなく、その更に外側にいる者にまで及ぶそれを、シャーロット家の人間は持ち合わせていない。持っているのはカヌレだけ。だから、姉は惹かれたのだ。兄弟達が、姉の纏う穏やかな空気に癒され、救いを求めたように。家族から得られない穏やかさを男に見出だしたのだ。だからカヌレは、この男を…──
キャンディに覆われた男を見、ペロスペローはオーブンに、男自身も店も何もかもを燃やすように命じた。カヌレに男の死を知らせる目的もあったが、何よりも男の生きた証を消し去ってしまいたかったのだ。認めたくなかったのだ。家族よりも、カヌレに愛された人間がこの世に存在した事実など。どうやっても、受け入れられなかった。
「やはり、カヌレ姉は何を着ても、何を身につけても似合うな」
「ありがとう。オーブン。こんなに綺麗な宝石、見劣りしてしまうんじゃないかと思ったけど…」
しかし、今の姉を見れば、昨夜の判断は間違っていたのだとわかった。
愛した男を殺した相手に、いつも通りの優しさの詰まった笑みを浮かべる女がどこにいる。泣いて取り乱すことも、そんな素振りすらないカヌレを見れば、男の存在の小ささがよくわかった。
「誕生日おめでとう、カヌレ姉」
弟妹の清濁入り交じった思い全てが詰まった極上の首飾りを身につけて、姉は笑った。物心ついた時から見続けてきた、見ているだけで心が温かくなる、大好きな笑顔だ。
「ありがとう。私の可愛い兄弟達」
あぁ、やはり、姉にとって家族以上に大切なモノなどないのだ。確かに男は恋人で、惹かれる気持ちもあったのだろうが、所詮は死を知って尚平常心でいられるほどの、取るに足りない存在だったのだ。
「みんな、大好きよ」
カヌレはちゃんとわかっているのだ。自分が愛するべき相手、心を砕くべき相手が誰なのか。その相手は今ここに集う、カヌレの血を分けた弟妹以外にいない、ということを──。
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