これは深愛である

「兄さん達。姉さんを見なかった?」

 アマンドの言葉に、カタクリは首を横に振った。カタクリの近くで寛いでいたオーブンが代わりに、「さっき、シェフ達と買い出しに出掛けるのを見たぞ」と答えた。

「あぁ、なるほど…」
「何か用があったのか?」
「いいえ。用、はないけど……」

 珍しく、アマンドが口ごもる。どうかしたのかと心配した次の瞬間には、カタクリもオーブンも、妹が答えに窮する理由を察していた。

「アマンド!おまえ、おれ達を出し抜いてカヌレ姉と出掛けるつもりだな?」
「!…べ、別にそういう訳じゃ…」
「嘘だな」
「正直に言え」

 兄二人に詰られ、最初は誤魔化そうとしていたアマンドだが、そのしつこさにやがて拗ねたようにそっぽを向いた。

「だって姉さん、この遠征中、ずっと働き詰めなんですもの」

 確かにと、カタクリは口元を覆うファーを引き上げながら頷いた。
 総料理長として、ビッグ・マム海賊団の厨房を担うシュトロイゼンが年齢による体調不良を起こしたため、今回の遠征にはカヌレが総料理長代理として同行している。姉は子供の時からお菓子作りが上手くて、誰も見たことがないようなお菓子を手早く作る様は魔法のようだと、幼心に思ったものだ。シュトロイゼンは昔から、「カヌレには料理人としての天賦の才があるぞ!」と姉を褒めちぎっていたし、母もカヌレの作るお菓子を気に入っている。
 また、カヌレは料理の腕も抜群だった。もちろんシュトロイゼンの料理やお菓子に不満などないが、姉の手料理を食べたいと思うのが、弟心というものであろう。

 カヌレの腕前は、総料理長にも劣らない。少なくとも味に関しては、文句のつけようもない。問題は、馴れだ。
 母と出会うより前から料理人だったシュトロイゼンは、大量の料理とお菓子を毎日三回作ることに馴れている。対して、カヌレがメリエンダのお菓子を焼いていたのは、弟妹の数がもっと少なかった時だけ。料理ともなると、誰かが体調を崩したり怪我をした時に病人食を作るか、マーガリン島の自分の屋敷に弟妹達が遊びに来た時ぐらいの頻度だ。つまり、姉はシュトロイゼンのように、毎日三回大量の料理を作ることに馴れていないのだ。だから、万国を離れた瞬間からこの港町に着くまで、寝る間を惜しんで翌日の仕込みのために厨房を駆け回っているのだ。疲労が溜まらない訳がない。

「だから、少しでも息抜きをして欲しくて…」

 姉を想う妹の気持ちは痛いほど理解できた。昔のようにカヌレと共に船に乗り、手料理を食べられるのは幸せだったが、姉はやはり働き過ぎだ。恐らく、母が“食い患い”を起こすことを危惧して気を張っているのだろうが、せめて港に停泊している間だけでも、リラックスして欲しい。

「帰ってきたら、一緒に遊びに行けばいい。ママも少しくらいは大目に見てくれるだろう」

 「そうね」と微笑んで、妹は部屋を出て行った。カタクリは息を吐きながら、窓から覗く町の様子へ視線を送る。
 賑やかで、平和な町だ。町全体がそれなりに裕福で、母を満足させられるだけのお菓子もある。何も文句はないはずだ。……だと言うのに、この妙な胸騒ぎは何だろう。

「カヌレ姉が買い出しに行ったのはいつだ?」
「…?…正確な時間までは…昼飯食った後ではあったが」
「そりゃ、昼飯は一緒に食ったんだから、その後に決まってるだろう」
「そう怒るなよ。なに、そこまで心配するな。カヌレ姉はシェフ達と一緒なんだ」
奴らは戦闘員ではないが、盾になるぐらいはできるだろう。

 オーブンの言葉を聞いたカタクリは、紅茶に口をつけながら、長姉のことを考えた。



 弟妹にとっても同じことだろうが、カタクリ達三つ子にとっても、カヌレは姉であると同時に、母同然の存在だった。母の代わりに愛情を与えてくれたのはカヌレだ。カタクリの頭や頬を撫で、抱き締め、微笑んでくれたのはカヌレだ。カヌレだけだ。
 もちろん、姉に叱られたこともある。姉や兄の言うことを聞かなかったり、喧嘩をしたり、嘘をついたり…特にカタクリ達三つ子は未だに、「長女と長男の手を最も焼かせた三つ子」と認識されているから、叱られた回数は他の兄弟よりも多いかもしれない。何で姉を怒らせたのか、その全てを覚えているわけではないが、体感として最も多かったのは、カタクリ達が危険なことをした、だったと思う。

 シャーロット家の子供達は、生まれ落ちたその瞬間から海賊だ。さすがに3歳くらいまでは庇護されるべき存在ではあるが、それを過ぎれば戦闘員だ。母親が必ず守ってくれるとは限らないし、ペロスペローやコンポートが傍にいてくれるとも限らない。ある程度は、自分の身は自分で守るだけの力を習得しなければならない。だから、怪我は付き物だった。敵から受けた傷だけでなく、兄弟と修行をするうちについた傷、弟妹を庇おうとしてできた傷……挙げればきりがない。力をつけるようになるまでは、生傷が絶えなかった。それを見るたびに、姉は日頃優しく弧を描く眉をひそめた。そして、例えば無茶な戦い方をして負った傷、油断によって生まれた傷を見るやいなや、容赦なく叱り飛ばしてきた。
 最初は、なぜそこまで叱られるのか、あまりピンとはこなかった。戦闘でついた、名誉の傷。母は「よくやった」と褒めてくれたのに、なぜカヌレは褒めてくれないどころか、怒るのだろう。自分はただ、姉に褒めて欲しいだけなのに。

 カヌレの怒りの理由を知ったのは、ブリュレが怪我をしたあの時。
 治療を終え、ベッドで眠るブリュレの手を両手で握り締め、ぎゅっと唇を噛んで涙を堪えるカヌレの姿を見て…目覚めたブリュレに、心底安堵したように、とびきり優しい微笑を浮かべて抱き締めるのを見て、やっとわかったのだ。
 カヌレは、心配してくれているのだ。己の弟や妹が傷つくのが心配で堪らなくて、だからこそ叱るのだ。自分の身をもっと大切にしろと、愛ゆえに怒っているのだ。
 
 その事実に気づいた瞬間、これまで姉に心配をかけるようなことばかりしていた己を恥じた。それゆえに尚更、カタクリは「完璧な男」を目指すと決めたのだ。ブリュレのようにもう二度と、大切な家族が傷つくことがないように。最愛の姉を心配させないように──



「なぁ、カヌレ姉は?」

 姉との思い出に浸っていると、そんなカタクリを現実へ引き戻す声が聞こえた。ダイフクが、扉から顔だけ覗かせている。

「買い出しからまだ戻っていない」

 カタクリが答えると、ダイフクは目を丸くした。

「…シェフ達ならもう全員帰ってきているんだが?」

 「カヌレ姉も戻ってると思ったのに見つからねェから、さっきから探してんだよ」と続けられ、今度はカタクリとオーブンが目を丸くする番だった。
 シェフ達はすでに帰ってきている。しかし、カヌレの姿はどこにもない。…と言うことは。

「おい、まさか……!」

 カタクリが立ち上がったのと同時に、オーブンも椅子を蹴って立ち上がった。その反応から理解したのであろうダイフクも顔色を変え、「シェフ達に話を聞いてくる」と去った。その後を追うように、カタクリ達も部屋を出る。

 甲板に出て間もなくすると、厨房から戻ったダイフクと、他の弟妹達も続々と集まってきた。

「カヌレ姉は買い出しが終わった後、シェフ達と別れて一人で町を散策しに行ったらしい」

 「同行していたシェフが言っていた。因みに、ママの許可は下りている」と付け足して、ダイフクは腕を組んで港町を見下ろした。

「一人でうろうろしないでくれと、あれほど言ったのに…」
「出航前に、ペロス兄さんやコンポート姉さんにも散々言われていたのに……」
「シェフ曰く、「どうしても息抜きがしたい」らしい」
「だから、一緒にお出掛けしましょう、って誘うつもりだったのに!」

 カヌレが働き詰めでストレスを感じているだろうことは周知の事実。だからこそ妹達は、少しでもカヌレの息抜きになればと、一緒に町へ出掛けようと考えていたのだろう。
 それはカタクリとて同じこと。万国ができてからも、遠征に出ていることの多いカタクリは、大臣として働く姉とゆっくり話す時間がなかった。だから、今回の遠征にカヌレが同行すると聞いたときは、また昔のように、姉と過ごす時間ができると秘かに喜んでいたのだ。
 しかし、いざ出航してみれば姉は仕事に忙殺され、まともに顔を合わせる機会もない。恐らく、万国を出てから姉が最も多く会話しているのはシェフだろう。そのことに皆が嫉妬しながらも、「仕事だから仕方がない」となんとか割りきろうとしていることを、きっとカヌレは知らない。だから、こうして一人でふらふらと出歩くことができるのだ。あれほど、「一人は危ない」と言ったのに。手配書の写真を撮られた時もそうだったが、なぜ姉には危機感というものがないのだろうか。有り余る母性の代わりに、母の腹の中に置き忘れたのかもしれない。

「シェフ達は、カヌレ姉の行き先に心当たりはあったのか?」
「いいや。向こうの大通りで別れたらしいが、行き先までは知らねェと……」

 なんて役に立たないのだろう。何の為にカヌレと一緒にいることを許されたと思っているのか。カヌレの盾にもなれないのならば、その隣に立つ資格などない。姉を守ることができない者が、家族を差し置いて姉の時間を独占するなど、あっていいはずがない。
 カタクリは、じっと町を見据える。シェフ達が別れたのは、おおよその町の中心部。とは言え、この町は広い。入れ違いになってしまう可能性も考えられる。

「オペラ」

 弟を呼び寄せ、この場に残るように言いつけた。

「もしカヌレ姉が帰ってきたら、おれ達に連絡しろ」
「わかったファ」

 電伝虫を各々が持ったのを確認して、カタクリ達は船から下りた。早く、見つけなければ。最愛の姉を。

「もし、カフェでのんびり寛いでいたらどうする?」
「兄弟全員呼んで、好きなだけ食って飲んで、全額奢ってもらう。散財しても知らねェ」

 それくらいは許されるだろう。弟妹達との約束を破ったのはカヌレなのだから。

「もしも、誰かがカヌレ姉を傷つけたら?」
「誰であろうと殺せ。男も女も、子供も老人も」

 それくらい当然だろう。シャーロット家の愛する人を傷つけたのだから。

 「承知した」と、散っていく家族。カタクリもそれを見送り、歩き始めた。



 姉の目撃情報は、比較的すぐに得られた。なにせ、あの容姿だ。一度見れば忘れられないだろう。「顔はよく見えなかったけど、とんでもなくスタイル抜群のお嬢ちゃんだったから、年甲斐もなく見惚れてしまったよ」とは、町の広場のベンチで休んでいた老人の言葉である。カヌレは、大通りから逸れて歩いて行ったようだ。

 やはり、姉の容姿はよく目立つ。カヌレの父が何の種族なのかは、姉に美貌以外の身体的特徴がないためにわからないが、きっと父親はさぞ美しい男なのだろうと思う。もちろん母も美しいが、姉は髪の色以外は母に似ていないから、あの美しさは父親譲りなのだろう。
 
 しかしカヌレの美しさは、整った顔立ちによってのみ成り立っているものではない。穏やかな話し方や、淑やかな立ち振舞い、触れれば溶ける雪のごとき儚さ……そのどれかが一つでも欠けていれば、きっとあの美しさは完成しない。それほど、姉は完璧な人だ。だからこそ、カタクリは憧れて止まない。

 姉に戦闘能力はない。母も、我が子達の中で唯一長女には求めていない。代わりに、ただ美しくあることを求めた。それを、姉は見事に体現している。容姿に限らずその心根もどこまでも清く、美しく、完璧で、家族の期待を決して裏切らない。理想の人だ。

 険しい表情で、荒々しい足取りで行くカタクリを、町の人達が不安な面持ちで見守っている。ただでさえ、ビッグ・マム海賊団の上陸にざわついていた町が、個々に名を上げている子供達が苛立ちを隠しもせずに歩き回っているとあって、余計に混乱している。この混乱に気づいて、さっさと姿を現してくれればいいものを。

 そう思っていると、懐の電伝虫が鳴いた。エフィレからだ。

「どうした」
「兄さん、大変!裏通りの広場に海兵が!」

 そんなこと、わざわざ知らせてくるものでもなかろう。妹達はともかく、カタクリ達は並みの将校には遅れを取らないのだから。
 だが、そう指摘するより前に、妹が一際高く叫んだ。

「姉さんが、海兵に囲まれてるの……!!」

 吐かれた言葉を頭が認識した途端に、カタクリは走り出していた。


 勝手に手配書の写真を撮られたあの一件から、姉はカタクリ達との約束を守って、下船する時は必ずサングラスと帽子を被るようになった。だが、こうして一般人からの目撃情報が容易く得られるほどには、その美しさは隠しきれない。海兵ならば尚更気づくだろう。いや、もしかすると姉の素顔を見た誰かが、海軍に通報したのかもしれない。いずれにせよ、生かしておく訳にはいかない。

「カタクリ!」
「兄さん!」

 向かった先では、すでにダイフクやオーブン、妹達が海兵と戦っていた。近づいてきた海兵を殴り飛ばしたカタクリは、その向こうに、海兵に囲まれ銃口を向けられているカヌレの姿を視界に収めた。


 一体、誰に銃を向けている?
 一体、誰を傷つけようとしている?
 その人がおれに…おれ達にとってとれほど大切な人なのか、わかっているのか?


 衝動のままに、カタクリは海兵達を一気に飛び越えようと地を蹴った。空中で、カヌレと目が合う。青い瞳が見開かれ、形よい唇が微かに震えるのを、カタクリは見た。確かに、「助けて」と。

 瞬間、身体中の血が凍って、そこから一気に沸騰するような感覚に侵される。コントロールする間もなく暴れる“覇王色の覇気”に、耐性のない海兵達がバタバタと、カタクリを中心にして倒れていった。妹達が頭を抑えて踞り、カヌレも糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。それを近くにいた将校が、恐らく反射的に受け止める。その光景を前にして、血管の切れる音がした。


 家族でもない、ましてや部下でもない者が、姉の体に触れている。勝手に、誰の許可もなく。カタクリの前で──


「その人に……触るな……っ!!!」

 激情のままに投げつけた“土竜”が、将校の体を串刺しにした。一声で絶命した将校を足蹴にし、地に落ちるカヌレの体を寸でのところで抱き止める。気絶した姉の頬には、将校の血が飛んでいた。
 肩で息をしながら、カタクリはそれを拭う。優しい姉に、血の赤は似合わない。だがそれでも、この人はなんて美しいのだろう。敵の血に汚れていてさえ、その清らかさが失われることはない。いつでも、どんな時でも、カタクリ達の理想で、最愛の姉だ。


 眠るように気を失っているカヌレを、強く胸に抱き寄せる。

「カヌレ姉……もう、大丈夫だ…」

 怖いことは何もない。カヌレに銃口を向けた敵は殲滅した。向こうにいる敵も、家族が片付けてくれる。姉に恐怖を感じさせたこの町の人間は皆殺しにするから、もう何も不安がることはない。シェフ達も同じだ。彼らが姉に同行していれば、こんな目に遭うこともなかったから。
 優しいカヌレは、きっとシェフも町の人間も許して欲しいと言うだろう。自分のわがままが招いたことだから、と。

 だが、だから何だと言うのだろう。姉の願いは、どんなことでも叶えられて当然だ。家族との約束を破ったことには腹は立つものの、優先されるべきはカヌレの望み。カヌレが願いを叶えたために起きた惨事など、取るに足りない。その為に死んだ人間の命など、極めてどうでもいいではないか。

 姉が、姉さえ幸せならば、家族は皆幸せなのだから。

 それ以上を望むのは欲深い。姉が、カタクリ達を愛してくれる。それだけで、全てが満たされる。姉が笑ってくれるのならば、どれだけ人が死のうと、どれだけの災害が起きようと小事である。



 シャーロット家の子供達は、一番上の姉を愛している。母としても、姉としても。他の誰よりも、深く、深く。 

||
Top