悪いのは私なのか
──目を開けると、見覚えのある天井が広がっていた。クイーン・ママ・シャンテ号の、自室である。ベッドに寝かされているようだ。
のそりと、体を起こす。頭に鋭い痛みが走ったけれど、恐らく久々に覇王色をまともに食らったせいだと思う。ママの覇気はともかく、弟の覇気ならばまだ耐えられると思っていた──事実これまでも気絶するほどのことはなかった──が、随分と成長したようだ。……まぁ、それだけぶちギレていたのだろうと思うが。
部屋を見渡すと、ベッド脇のテーブルに、先程身に付けていた帽子とサングラス、そしてコーヒー豆の入った紙袋が置かれていた。私が気絶した後、ちゃんと回収してきてくれたようだ。
そっとベッドから下りて、ソファーにかけられていた上着を羽織る。まだ若干頭が痛いが、そうは言ってられない。窓から差し込む陽光の傾き具合からして、メリエンダの時間はとっくに過ぎ、夕食の仕度を始めなければならない時間に差し掛かるはず。早く、厨房に行かないと。
少しふらつく足取りで、部屋の扉へ近づく。ノブを握って扉を開けようとすると、ガタン!と何かに押し返されたような反発を受けた。えっ。
「このドア…ホーミーズだっけ……?」
そんな訳がない。ホーミーズが当たり前にいる暮らしには多少慣れたものの、さすがに自室にまで入り込まれるのは嫌なので、クイーン・ママ・シャンテ号とマーガリン島の屋敷の私室には、ホーミーズを入れていない。だから、このドアが自分の意思で開けることを拒んでいるはずがないのだ。部屋の鍵は私しか持っていないし、服のポケットの中に入っているから、外から鍵を閉めることもできない。とすれば。
(誰かの能力で、勝手に開かないようにしやがったな……!?)
大方、カタクリの“モチ”だろう。姉を閉じ込めるとは、一体どんな育ち方をしたらそうなるんだ!私はもっとまともに育てたぞ!…あれか、ママの血か!?ママの血なのか!?
「……て言うか、そんなに許せないってこと……?」
弟妹達と交わした約束を破り、一人で町へ出掛け、海軍まで呼び寄せたことを、そんなに怒っているのだろうか。ママに怒られるのならば、(一応)親だし船長なので当然だと思うが、弟妹に怒られる筋合いが、果たして私にあるのだろうか。ママの許可なら、先に帰ってもらったシェフ達を通じて得ていた。元々制限もされていなかった。通報されてしまったのは私の落ち度だが、それはこうして姉を自室に軟禁するほどの落ち度だったのだろうか。あんなにぶちギレて兄弟全員で暴れ倒し、覇王色まで持ち出すほどのことだったのだろうか。
気絶する直前は、ガチギレ状態の弟達にドン引きしたものの、難が去って時間が立ち、一人で冷静になることができてる今、なんだか納得いかないという思いに囚われる。彼らのお菓子を勝手に食べてしまった訳でもないのに、そんなに怒らなくてもいいじゃん 。手配書の写真を撮られた時といい、あの子達は私を今年生まれたばかりのメリゼ(18女)と同じく、庇護するべき存在だとでも思っているのだろうか。
…まぁ私の戦闘能力はゼロだから、海賊や海軍との交戦中に守ろうとしてくれるのはわかる。本音は、弟妹達(あとは絶対に大丈夫だと思うけど、ママも)が怪我さえしなければ、私は流れ弾とかに当たってポックリ死にたいところ。痛いのは嫌いなので苦しみたくはないから、急所を外さず即死させてくれるのならば誰であれ大歓迎だ。
もちろん、そんな私のクズを極めた本音を知らない家族は、私を戦いから守ろうとしてくれる。それは素直に喜びたい。(家族には)優しい子に育って……!と。だが、その優しさが走り出し過ぎた結果が、この過保護さを招いたのかもしれないと思うと、素直に喜ぶことができない。
私の育て方が悪かったのだろうか…と悩みつつ、私は扉から離れた。あぁ、なんて焦れったい。早く厨房に行って、みんなの夕食の仕度を手伝わなければならないのに。お前らは一日ぐらい飯食わなくても我慢できるか知らんけど、ママは無理なんだから、早くしないと下手すりゃ船が沈むんだが!私は別に死んでもいいがな!!寧ろ死にたいがな!!
やはり大人しく知っているのは無理だと、私はドンドン!と強く扉を叩いた。誰でもいいから私が起きたことに気づいて、能力を退けてくれ!そして厨房に行かせてくれ!!
「カヌレ姉?起きたのか?」
しばらくして、扉の向こうから弟その4の声がした。オーブンである。
「えぇ。だから、“モチ”を退けるようにカタクリに言ってくれる?」
「あぁ。呼んでくる」
別に呼ばんでいい。お前が伝えるだけに留めてくれ。
喉まで出かかったそれを押し込めて、「お願いね」と返す。足音が遠ざかっていくのを聞いて、私は大きく息を吐いた。本当はベッドにもう一度ダイブしたいが、やがて弟が来訪するのだし、とみっともない真似はやめておいた。代わりに、ソファーに腰を下ろす。
考えるのは、海兵に追い詰められ絶対絶命な私を、華麗に助けてくれたヒーロー達のことである。特に、勢い余って私を気絶させるぐらいには、私の身を案じてくれる可愛い弟のこと。…ねぇ、あの子あれでまだ15歳なんだよ?信じられる??さすがママの子。身長も抜かされて久しい。もう3mぐらいあるんじゃない?知らんけど。
余談だが、うちの弟妹達には、身長が伸びると必ず私に報告してくるという習慣がある。「何p伸びた!」とか、「◯◯に2.5p勝った!」とか。その時はちゃんと聞いているのだけど、なにせ私の弟妹は現在40人いるのでいちいち全員の身長を覚えている訳がないし、知らないからと言って特に何の支障もない。そもそも覚えていなかったり、間違えて覚えていたとしても、弟妹が少し拗ねるだけのこと。つい最近も、三つ子の背の順──本来は、カタクリ・オーブン・ダイフクの順らしい──をものの見事に全員の順番を外して、拗ねた三つ子の機嫌を取るのに苦労した。私としては誰が一番背が高かろうとものすごくどうでもいい。なんでこの世界の人間って、巨人でもないのにあんなバカみたいにデカいんだろうね?かく言う私も2mあるんだけど、周りがデカ過ぎてチビの部類に入っちゃってるよね。
……話を戻そう。問題は、間違いなく私に腹を立てているだろう弟妹達のことである。
確かに、約束を破ったのはよくなかった。ストレスが溜まりすぎてイライラしていたのもあるから、衝動的に破ってしまったという言い訳はさせて欲しいけれど、不満を抱きつつも交わした約束とは言え守るべきだった。そこは認めよう。
だが、逆ギレや論点のすり替えと言われてること覚悟で言えば、私は一人の時間が欲しかっただけなのだ。これまでの人生で私が一人だった時間なんて、ペロスペローが生まれる前か、トイレの間のほんの一瞬しかない。お風呂も幼い妹達と一緒に入るし、夜は新生児達と同じ部屋で眠っている。子供の世話が決して嫌な訳ではない。寧ろ、昔は可愛かったのに、年々(家族以外に)狂気的でヤバい海賊になっていく弟妹のお世話──て言うか、一番上の弟(ペロスペロー)で17歳になるのにお世話って何事??──をするよりはマシだ。そうは言っても、一人の時間はやはり大切なはず。世のお母さん達だって、どれだけ我が子を愛していても、四六時中一緒にいては疲れてくる瞬間があるだろう。それと同じだ。
ホールケーキ城では弟妹のお世話、マーガリン島では大臣としての仕事に追われる日々。今回の遠征では、シュトロイゼンの代理の料理長として厨房で走り回り、僅かな空き時間で自分の食事や風呂、睡眠を取りつつ、近づいてくる弟妹の面倒を見る……社畜じゃねェか。「前世」はめちゃくちゃクリーンでホワイトな企業に勤めてたから、こんな24時間365日サービス残業パラダイスのブラック企業もう我慢できない!!
…よし。弟が来て、勝手に一人で船を下りたことについて怒られたら、約束を破ったことと迷惑をかけてしまったことはきちんと謝って、その上で言い訳させてもらおう。うん、そうしよう。そして、私の言い訳を論破しようとしてきたら、「夕食の仕度しなきゃだし、迷惑をかけたからママに謝って来ないと〜」とか言って、無理矢理話を終わらせよう。別に嘘でもないし、そもそも私は話し合いがしたい訳ではないのだ。
ただ、この「弟妹に行動を制限される姉」という構図が、少し気に入らなかっただけだ。あの子達が私を思ってくれているのはわかっているけど、一応私にも歳上としてのプライドがあるから、この情けない姉の図に物申したかったのだ。
言い訳の口上を考えていると、複数人の気配がした。みんな私のこと大好きかよ。知ってたけど!と思う間に、部屋の扉が開かれた。…ノックをしろといつもあれほど言っているのに、どいつもこいつも人の話聞かねェしデリカシーもねェな!ほんとに私のこと好きなのかよ。
やって来たのは、予想通りあの場にいた子達。三つ子ちゃんと四つ子ちゃんの、計7人である。全員背が高いし、三つ子に至っては体格がいいので部屋が瞬く間に息苦しくなる。
「もう体は平気?」
モンデの問いに、私は笑みを浮かべて頷いた。
「平気よ。ありがとう」
「よかった…」と、本当に心の底から安堵する様子を見せた四つ子に、途端に罪悪感が押し寄せてきた。私が数時間気絶していただけでこれなら、いずれ私が死んだ時、この子達はどうなるのだろう。うっ"…想像したら、胸が痛くなってきた……ごめんな、こんなド屑な姉ちゃんで。
「みんな、さっきは迷惑をかけてごめんなさい」
それに、みんなとの約束も破ってしまった。
「私が軽率だった。私のせいで、みんなを危ない目に遇わせてしまった。本当に……」
「カヌレ姉」
「ごめんなさい」と続けるはずだった言葉を、私の正面に立っていたカタクリが遮った。そんなこと、これまでしたことないのに。……えっ、そんなに怒ってんの?私、殺されちゃう感じ?まぁそれはそれで大歓迎なんだけど、なるべく痛くないように死なせて欲しいなぁー……
「おれ達はそんな言葉が聞きたいんじゃない」
「?…あっ、態度で示せって?…土下座?」
「何でだよ!!」
ダイフクのツッコミが決まり、オーブンが呆れたように息をつく。…えっ、「前世」では土下座がオーソドックスな謝罪だったんだけど、海賊の世界ではもっと別のやり方があるの?指を詰める的な……?
「違う」
「……なんで私が考えてること、わかったの?」
「そんなモン、顔を見りゃわかる。何年弟やってると思ってんだ」
いや、私三つ子の姉ちゃんやって15年経つけど、顔見ただけではお前らの考えることわからんのだが。揃いも揃って思考回路ぶっ飛んでることを差し引いてもわからん。
「カヌレ姉。おれは、海兵を率いていた将 校を“土竜”で串刺しにしたんだ」
「おっふっ……」
衝撃のカミングアウト。…そりゃあね、気を失う前にガチギレ状態のカタクリを見ているので、多分あの海兵達は死んでるんだろうなぁ、とは思ってたけど!なんでそれを今突然言うの??お姉ちゃん今まで出したことない声出たんだけど。
「カヌレ姉、おれは奴らの軍艦を真っ二つにしてやったんだ」
「姉さんを取り囲んでいた海兵達は、ほとんどはカタクリ兄さんの覇気で倒れてしまったから、きぜつした奴らはアッシュと一緒に斬り殺したの」
「私とエフィレは、気絶しなかった連中を残らず蜂の巣にしてやったわ」
「おれは増援に駆けつけた海兵達を皆焼き殺してやった」
順にダイフク、アマンド、モンデ、オーブンの言葉である。私は相槌を打つことを忘れていた。
「それにね、姉さん」
アマンドが私の手を取った。ゆっくり視線を合わせると、嬉しそうに表情を弛める。
「私達、みんなで町の住人を皆殺しにしたの」
「!」
思考が止まる。…この子達は、何を言ってるの?
「だって姉さんが海兵に襲われたのは、町の誰かが通報したからに違いないもの」
「カヌレ姉を傷つけた奴はもちろん、傷つくきっかけを作った奴も、生きるに値しない」
「姉さんの素顔を見た奴は、みんな殺したわ」
「……あぁ、でも、安心して。あの喫茶店は無事よ」
「姉さん、あの店のコーヒーが気に入ったんでしょう?」
「わざわざ買っていたものね」とアッシュが、微笑んだ。脳裏に浮かぶのは、お洒落な髭の似合う店主。穏やかな語り口で、コーヒーの淹れ方や豆の選び方を教えてくれた。亡くなった奥さんと切り盛りしてきた店を、奥さんの死後も家族みんなで守っていくのだと、話していたのに……
「店まで燃やしてしまうと、姉さんの気に入ったコーヒー豆が手に入らないから、店は無事よ」
「店、“は”……?」
「えぇ。でも、さっき、店にあった分のコーヒー豆は全部運び終わったって言ってたから、店に火でもつけて燃やしましょうか。そうすれば、姉さんの気も少しは晴れる?」
何てことない調子で落とされたその呟きに、私ははっと妹を見上げた。鍔の広い帽子のせいで、その顔は翳っていてよく見ない。
「シェフ達が言っていた。「気晴らしがしたかったから、一人になりたがっていた」と…」
「ごめんなさい、姉さん。私達、姉さんがいっぱいいっぱいになっていたことに気づいていたのに、何もしてあげられなくて…」
「だから、今日はもう何もしなくていいのよ。ママに事情を話したら、今日限りだけど許してくれたの」
「姉さん、今日はゆっくりお風呂に入って、ゆっくり休んでね」
「本当はもっと一緒に過ごしたいけど、姉さんの体の方が心配だから…」
みんなの声が、遥か遠くから聞こえてくるようだ。耳に届いているはずなのに、内容を認識できない。脳が認識することを拒んでいるのか。聞いてしまえば、狂ってしまうからだろうか。わからない。わかりたくない。
「カヌレ姉」
アマンドが握っている方とは反対の手を、カタクリが掬い上げた。弟が床に膝をついたおかげで、いつもより顔がずっと近くなる。
「全部、カヌレ姉の為にやったんだ」
姉さんを助けるために、姉さんを守るために。
「カヌレ姉に褒めて欲しくてやったんだ」
「そうよ、姉さん。だから私達のこと、いっぱい褒めてくれる?」
両方の手が、強く握り締められる。彼らの望む言葉を、早く言えとばかりに。
さっきからずっと、心臓が暴れている。腹の底から込み上げてくる恐怖が、「早く逃げろ」と訴えてくる。でも、どこへ逃げろと言うのだろう。どこへ逃げても、何も変わらないだろうに。
「…そう……」
溢れ落ちた声は、不自然に震えていないだろうか。今にも泣き出してしまいそうな恐怖が、溢れ出てはいないだろうか。ぐっと歯を食い縛ってから、私は顔を上げ、彼らの顔を見上げた。彼らが望む言葉を吐き出すために。
「すごいわね、みんな。…それに、私のためにありがとう」
いつもの自分を意識して、にこりと微笑む。妹達が華やいだ表情で私に飛び付いてくる。弟達も、心底嬉しそうに目を細める。カタクリが離してくれた手でその顔を撫でると、後ろで「次はおれだ」「いいや、おれが先だ」と弟×2が喧嘩を始めた。あまりにも普段通り過ぎるその光景が、その異常性をより強調させていた。
悪いのは、私なのだろうか。私がこの子達の育て方を誤ったから、こんなことになってしまったのだろうか。いいや、きっと違う。私は、「前世」で弟や妹に接するのと同じように接してきた。甘やかしはしたけれど、叱るべき時はちゃんと叱った。ママから受け継いだ残虐性はあると思うが、それ以外は至って普通の、可愛い弟妹だったはず、なのに。
あぁ、そうか。私はなんてバカなのだろう。この子達は、最初からそうだったじゃないか。だって、あのママの子だもの。ママの所業を一番長く見てきたくせに、私はそれをすっかり忘れていたのだ。ママは怖いけれど、いつも身近にいる弟妹達はみんな甘えん坊で可愛い子ばかりだから、失念していたのだ。
この子達が可愛かったのは、子供だったからだ。小さくて無邪気な子供だったから、私が大好きな子供だったから、「ママは怖いけど、子供に罪はない」と、心から愛することができたのだ。でも、私が成長したように、この子達も成長したのだ。
もうみんな、小さくもないし、無邪気でもない。ママと同じ。残酷で、残虐で、狂っている。これまでと同じように、愛することなどできるはずがない。彼らが怖くて堪らない。一緒になどいられない。ここで生きることはやはりできない。
心底私を愛する家族を前にして、決して思うべきことではないとわかっているのだが、今さら気づいてしまった私の心は、もう自分を誤魔化す嘘をついてはくれなかった。
目の前にいるこの子達は、もう私の可愛い弟妹などではない。残酷で、残虐で、狂った怪物だ、と。
そう、思ってしまったのだ。心の底から。恐れてしまったのだ。愛していたはずの家族を。
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