唯一無二のあなた

 シャーロット家の子供達にとって、生みの親がビッグ・マムこと、シャーロット・リンリンであれば、育ての親はシャーロット・カヌレである。

 カヌレは、子供達が実母から得ることのない愛情を、分け隔てなく全ての弟妹達にたっぷりと注いでくれる。母に届かない子供達の声と想いを掬い上げてくれる。優しくて、美しくて、シュトロイゼンにも負けないほどお菓子作りが得意な自慢の姉。長子ということもあって、母からの覚えもめでたい、「シャーロット家の誇り」。
 弟妹達の誰もが、長姉に愛されたい、姉の特別になりたいと願った。
 けれども、カヌレは決して誰か一人に特別目をかけることはなく、いつでも、どんなときでも平等に家族を愛した。それを嬉しく思う反面、疎ましいと感じたこともある。

 どれだけ尽くそうとも、どれだけ長い時を共に過ごそうとも、姉が誰か一人にのみ心を傾けることはない。姉を独り占めすることはできない。叶わない。あの人は、みんなの姉だから。
 それでも、どうしても手を伸ばしたくなるのは、幼い頃に交わした言葉が、未だに己の中に生きているからだろうか。

『ペロスペロー』

 柔らかいあの声が好きだ。いついかなる時も、ペロスペローが望む耳障りのいい言葉だけを囁いてくれるから。姉が口にすれば、どんな言葉でも美しく早変わりするのは、一種の魔法だと思う。

弟や妹たちみんながいないときは、もっといっぱいあまえていいんだよ』

 緩く弧を描いた姉の瞳は、どこまでも優しかった。まるで、弟への愛情だけを何時間も煮詰めてかき混ぜたように。

『ペロスペローは、わたしだけの弟なんだから!』

 そう言った姉の笑顔は、ペロスペローの瞼に今も焼きついている。決して忘れたくない、大切な記憶。ペロスペローとカヌレの、二人だけの秘密。甘美で、濃厚で、狂おしいほどに優しい思い出である。



「?」

 母からの呼び出しを受け、ホールケーキ城の廊下を歩いていると、ちょうど中庭に差し掛かった辺りで賑やかな声を耳にした。弟妹達が遊んでいるのだろう。母との約束の時間まではまだ余裕があるし、久々に兄弟の顔を見ていこうかと、ペロスペローはふと顔を覗かせた。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、壁紙や天井に描かれた空の青と雲の白、そして芝生の緑。その鮮やかさに目を瞬かせている間に、幼い子供特有の甲高い歓声が聞こえた。よくよく見れば、中庭の真ん中で、子供達に囲まれて、膝を崩して座る姉の姿に気づいた。あぁ、長姉が遊び相手をしてくれているから、弟妹達はあそこまではしゃいでいるのか。見た限り、ホールケーキ城に住む年少の子供達がほぼ全員──ブリュレ・ブロワイエの双子から、メリゼまで──が集って、シャボン玉に興じているようだ。
 
 姉がふっと、吹き棒に向かって息を吐いた。シャボン玉がいくつも連なって宙へ舞い上がり、周囲の光を反射してキラキラと光る。子供達がきゃっきゃっと嬉しそうにはしゃいだ。姉の華やかな笑い声が上がる。風に踊ったシャボン玉が、姉と弟妹達を取り囲んで…──

「……ペロリン♪」

 溜め息が出るほど美しい光景だと、ペロスペローは心から思った。美しい姉と、可愛い弟妹達が幸せそうに、楽しそうに笑っている。ペロスペローが何よりも大切にしている愛すべき者達が笑っている。こんなに幸せなことはないと、胸の内が熱くなった。

「ペロス兄」

 この世の全ての幸せを詰め込んだような光景に目も心も奪われていると、重厚な声に名前を呼ばれた。振り返ると向こうから、二つ下の三つ子が並んで歩いてくるところだった。

「なんだ、お前達も呼ばれていたのか」
「さっき、コンポート姉がアマンド達を連れて歩いているのを見かけたが、上の兄弟は全員集合なんじゃねェのか?」
「おれ達の姉さんなら、あそこで絶賛シャボン玉中だが?」

 三対の目が、ペロスペローが指差す方向へ向けられた。ちょうど、カヌレがまた、ふっとシャボン玉を飛ばしているところだった。世界最強の女海賊の住む城で見られるとは思えない平和な絵面に、三つ子達はやや呆れつつも、どこか羨ましそうなオーラを滲ませた。暢気にシャボン玉を吹かす姉を羨んでいるのか、姉に構ってもらえている弟妹を羨んでいるのかは、ペロスペローにもわからない。

「カヌレ姉が呼ばれてねェなら、遠征の話か?」
「十中八九そうだろうな」
「あぁ」
「しかし、シャボン玉を吹かす様さえ美しいとは、全く罪な人だな。ペロリン♪」

 三つ子はペロスペローに同意するように大きく頷いた。

 昔から、身内の贔屓目なしに美しい人だと思っていたが、少女から女性の域へ足を踏み入れようという今、その美しさは例えようもない。不快な虫が寄ってくるのも、無理のないことであろう。無論、虫は全て姉の目に触れる前に、弟妹達が二度と近づかぬように追い払っている。“危機感”というものを母のお腹に置き忘れ、全てペロスペローに譲ってくれた姉は、そんな弟達の苦労を知らないだろうけども。

「マーガリン島には、カヌレ姉のファンクラブがあるらしい」
「アイドルかよ」
「実際そうなのだろう。マーガリン島への移住者が一番多いのは、間違いなく姉さんのお陰だ」
「ビッグ・マム海賊団の広告塔だからな」
「……チッ」

 愛する姉を表現するのに極めて不適切な言葉ではあるものの、実際そうなのだから、弟達から舌打ちと共に鋭い視線を浴びせられても、ペロスペローは肩をすくめるしかない。お茶会の出席者の中にも、美貌の誉れ高いカヌレを一目見ようと目論んでいる者がいるくらいなのだ。広告塔というのもあながち間違いでもなかろう。

「金取ってやろうか」
「瞬く間に大金持ちだな」
「金なら腐るほどあるだろう」

 三つ子たちの会話を聞きながら、ペロスペローはもう一度姉の方を見た。すると、偶然姉がこちらを向いた。カヌレは、ペロスペロー達が集まっているのを見ると、パチリと目を瞬かせる。そして笑みを浮かべてひらひら手を振ってきた。ペロスペローは三つ子が気づくよりも先に、小さく手を振り返し、弟達の背を押して扉から引き離した。

「さぁ、お前達。ママがお待ちかねだ。早く行くぞ」

 だが、遅れてカヌレの視線に気がついた三つ子達は、兄の目論みに気づいて全力で抵抗した。その抵抗は、三人の足元をキャンディで固めなければならないほど凄まじく。

「何すんだよ、ペロス兄!今カヌレ姉、こっち向いてたの に!」
「おれ達に手振ってくれてたのに!」
「ペロス兄だけ振り返しやがって!」
「おれ達にじゃねェ。おれに・・・振ってくれたんだ。おれは姉さんの特別だからな。ペロリン♪」

 そう、ペロスペローは特別なのだ。“カヌレだけの弟”は、ペロスペローしかいないのだから。

「ペロス兄のバーカ!」
「カヌレ姉はそんな贔屓はしねェ!」
「ペロス兄のアホー!」

 そんなくだらないことを言い合っていると向こうの方から、「あの…」と控え目な声が聞こえた。見れば、チェス戎兵達が遠慮がちな視線を向けている。

「ママがお待ちです。すでにコンポート様、アマンド様方もお揃いで…」

 と言うことは、今、母はここにいる四人を待っているのか。あの母を待たせている、そう考えるともう言い合いなどしていられない。四人は急いで、女王の間を目指した。




「やっと揃ったねェ、おれの可愛い子供達」

 集められたのは予想通り、ペロスペローからアマンド達四姉妹までの九人。カヌレが呼ばれていないことから、やはり遠征に纏わる話なのだろうと当たりをつけたペロスペローは、これは長くなりそうだと覚悟した。早く用事が済めば、カヌレと共に弟達と戯れようと思っていたのに。

「今日集まってもらったのは、お前達に頼みたいことがあってねェ」

 母の頼み。それは一体どれほどの無理難題だろう。示し合わせた訳でもなく、全員が一斉に身構えた。そんな子供達の様子など気に留めることもなく、母はひらりと一枚の写真を見せた。

「お前達に、遠征に出たついでに探して来てもらいたいモノがある」

 そこには、一人の男が映っていた。透き通るような白銀の髪と、水面のように揺れる青い眼差しを持つ男だ。その顔を見て、誰もが息を呑む。真っ先に声を上げたのは、アマンドだった。

「カヌレ、姉さん……?」

 そう。男は、カヌレによく似ていた。ただ美しいだけでなく、上品で、儚くて、けれどもどこか不思議な色香を纏う姉にそっくりだった。だからこそ、この男が誰なのか聞くまでもなかった。

「…カヌレ姉の、父親……?」
「そうさ。カヌレは髪の色はおれと同じだが、顔は父親似だろう?おれの自慢の可愛い娘さ!!」

 そう、カヌレは母のお気に入り。長子であるということを差し引いても、母はカヌレを気に入っている。強さを持たないどころか、他の子供達よりも遥かに非力でか弱く、けれども誰よりも美しいカヌレのことを。

「…だが、ママ。なぜ今になって、姉さんの父親を?」

 その場にいる子供達全員の気持ちを代弁するようにペロスペローが問うと、母は上機嫌だった表情をやや崩しながら答えた。

 曰く、母はとある港で出会った男の、世にも珍しい美しさを気に入って夫としたものの、それ以外にこれといった特徴がなかったために、子供にこの美しさが受け継がれれば御の字程度に考えていたらしい。生まれてきたカヌレは、母の思惑通りに美しく、けれども成長しても特別な何かが目覚める訳でもなく、やはりただ見目麗しいだけの人間だと諦めていたのだと言う。たが、最近母の夫となった男がカヌレを見て、気になることを言ったそうだ。『あの子は、“ヴィーラ族”のハーフなのか?』と。

「“ヴィーラ族”……?」
「あぁ。お前達も、名前ぐらい聞いたことがあるだろう?お伽噺や伝説に出てくる、夢のように美しい種族のことさ」

 知っているとも。幼い頃に、姉が読んでくれた絵本の中にも出てきた。老若男女問わず見目麗しく、儚く、そして容易く人の理性を溶かす魔性の種族だと。
 だが、“ヴィーラ族”の存在は極めて不確かで、だからこそ架空の物語にしか登場しない。物語においても、ある物語では「空島に住む種族」と叙述する一方で、別の物語では「北の海の果ての果て」、また別の物語では「深海」というように、創作上でも好き勝手に語られている状況でもあった。それほど、確かなことが何一つわからないのだ。
 見目麗しい人間に対して冗談混じりに、「お前はヴィーラの血を引いているのか?」などとからかうことはあっても、実際にヴィーラなのかどうかを知る術はない。美しい以外、見た目は限りなく常人に近いからだ。だから、彼・彼女らの存在を証明することは非常に難しい。向こうから公言してくれない限り、いっそ不可能であると言っていいかもしれない。だから母も、男をただの人間だと思っていたのだ。18年間ずっと。

「それが妙に気になって調べさせてみれば、ちょうどこの男と出会った海域は、昔からヴィーラ族が住んでいるという噂のある海域らしくてねェ…」
しかも最近学者達の間では、“ヴィーラ族”は皆髪は白銀、瞳は青…まさに、この男によく似た容姿が特徴だと言われているらしい。
「つまり、この男はヴィーラの男で、カヌレはヴィーラのハーフってことで間違いないらしい。そう、ヴィーラはお伽噺の中だけの存在じゃなかった!!」

 そこまで聞けば、母の言いたいことは十分に伝わった。
 母はこの万国トットランドを、あらゆる種族が平等に住まう夢の国にしようと考えている。そして自身も、ありとあらゆる種族との間に子供を産んで家族になることで、本当の意味で全種族を手中に収めようとしているのだ。そんな母がこれまで、美しさだけが取り柄だと思っていた娘の血筋が貴重なものであると知れば、どんな行動を取るか。

 カヌレは人間とヴィーラのハーフ。その血が希少なのは変わらないが、コレクションとして欲しいのはやはり純粋なヴィーラ。だから、カヌレの父親が欲しいのだ。男の生死はわからないものの、この男を追えば他のヴィーラ族を見つけることができるかもしれない。それを母は求めているのだ。
 子供達が己の願いを正確に汲んだことを理解した母は、最後にもう一度、「この男を生け捕りにするんだ」と言った。

「抵抗するようなら、手足の一本や二本引きちぎっても構わねェ。顔さえ傷つけなければ、生きていてさえいれば何でもいいさ。期限も特に設けない」
あと、カヌレに父親の話はするなよ。
「種族の話をした時も、特に父親に興味を示した様子はなかったが、変な情を抱かれても面倒だ」

 そう言うと、もう話は終わったとばかりに、母は再び手元の菓子を貪ることに意識を移した。それが、面会終了の合図だった。



「どうするんだい?ペロス兄さん」

 女王の間から出た後、真っ先にペロスペローに話しかけたのは、すぐ下の妹コンポート。ペロスペローは、母から受け取った写真を指先で弾いた。

「まずは情報収集だな。特にママがこの男に出会った町と、カヌレ姉が生まれた町…すなわち、男が船から追い出された町を徹底的に調べるんだ。ペロリン♪」
「だが、コイツの足取りは18年前までしかわからねェ。満足に情報を集められるかどうか…」
「何もないよりはマシでしょう。それに、この顔なら記憶している人間も多いかもしれない」

 アマンドは、ペロスペローが持つ写真を覗き込んだ。確かに、これだけ美しい男なら、18年も昔のこととは言え人々の記憶に残っている可能性が高いかもしれない。

「集められるだけの情報を集めてから、今後のことを考えよう。ママも言っていたように、急ぎの案件じゃねェしな」
「わかったよ」

 ペロスペローの方針を受け入れたコンポート達女性陣は、やがて連れ立って行ってしまった。想像していたより遥かにさっさと用事が済んでラッキーだと、ペロスペローはキャンディケインを振り回しながら歩き始める。向かうは、姉が弟妹達と戯れる中庭だ。本当は一人で行きたいのだが、人生とはそう上手くはいかないものだ。

「……おい。なぜお前達までついてくる?」

 後ろを振り返ることもなく尋ねると、カタクリは事も無げに答えた。

「別に。おれ達は、たまたま・・・・ペロス兄の後ろを歩いているだけだ」
「そうさ、ペロス兄」
「あぁ。何も気にしないでくれ」

 嘘つけ、と内心で呟く。カタクリ達三つ子も、ペロスペローと同じことを考えているに違いないのだ。半分しか血は繋がっていないのに、思考回路や行動はよく似ているのだから、血縁とは本当に不思議なものである。振り切ることなど不可能なので、ペロスペローは後ろに弟三人をくっつけたまま、中庭へ降りた。だが──

「……」

 カヌレと下の兄弟たちとは、先程と変わらず中庭にいた。違うのは、彼らの体勢。芝生の上で、弟妹達は各々仰向けに、カヌレは横向きに寝転がり、すやすやと寝息を立てていたのだ。ついさっきまで、シャボン玉を吹いてはあんなにはしゃいでいたのに、それが嘘だったように、穏やかに眠っている。

「……寝てるな」
「…さっきまで起きてたじゃねェか」
「子供か」
「コイツらはともかく、カヌレ姉はもうすぐ19になるだろ」

 19歳といえば、母がコンポートを生んだ年である。だが、姉はどうだ。やや口を開けた寝顔は、2歳のスムージー達と同じようにあどけない。
 全てを包み込む母のように優しく、大人びた美貌の持ち主でありながら、どこか幼く頼りなくて、だからこそ庇護欲が湧く。姉に対して抱く感情ではないのかもしれないが、この無垢な寝顔を見ていると、そう思わずにはいられない。

 ずっとこの人を守っていきたい。ずっとこの人を愛していたい。ずっとこの人に愛して欲しい。誰か一人のものになど、況してや家族以外の誰かのものになど、なって欲しくはない。

「!…ペロス兄、何やってんだ?」

 ダイフクの問いに、ペロスペローはそうするのが当たり前であるかのように、「おれもたまには姉さんと昼寝をしようかと…」と答えた。そのままキャンディケインを転がして、姉の隣の空いたスペースに横になる。三つ子も慌てて、「おれも!」と声を揃えて各自場所を探した。ダイフクとオーブンはそれぞれ、カヌレの足元に引っ付いていたサンマルクとバサンズを己の腹の上に乗せてその場に寝転がり、カタクリは姉の頭上の木に凭れかかって、昼寝の体勢に入った。弟達が目を閉じたのを見届けてから、ペロスペローは隣で眠る姉を見下ろした。


 あぁ、なんて美しいのだろう。ヴィーラの血を引いているのも納得だ。「人の理性を溶かす魔性」、「視線一つで虜にする」とはよく言ったものである。姉の瞳は際立って美しいが、あれは生まれながらに備わった種族の特徴だったのだ。きっと姉と血が繋がっていなければ、兄弟達は皆カヌレに狂っていたに違いない。今でも十分狂っているのに。

 だが、それは何も姉の美貌に誘われてのことではない。美しい、ただそれだけの理由で、家族はカヌレを求めない。子供達には、カヌレしかいないのだ。普通の子供が親から貰う愛情をくれたのは、カヌレだけだから。抱き上げて、頬擦りをして、キスをして、「大好きよ」と囁いてくれたのは、カヌレだけだから。失うことなど考えられない。

『ペロスペローは、わたしだけのおとうとなんだから!』

 カヌレはペロスペローの、たった一人の姉なのだ。他の誰にも代わりなど務まらないし、代わりはいらない。カヌレこそが、唯一無二の最愛なのだ。

||
Top