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 マクゴナガル先生がハリーを連れて行った後、入れ替わるようにフーチ先生が戻ってきた。


 残りの授業時間は誰もが──きっとネビルのことが気にかかっていたのだろう先生も──上の空で、軽く二メートル浮上した程度でお開きになった。そして授業終了後の帰り道、ハーマイオニーの怒りはハリーにもマルフォイにも向いていた。

「喧嘩を売ったり買ったり…小さい子じゃあるまいし!」
「まぁまぁ、ハーマイオニー、落ち着いてよ。男の子ってそういうものじゃない。…私だって、相手がパンジー・パーキンソンだったら買ってたかもしれないよ?」
「あなたが?まさか!」
「わからないよ?話したことなかったけど、さっきの授業で大嫌いになったから」

 考えれば考えるほど、パーキンソンに喧嘩を売られたら、喜んでそれを買う自分の姿が鮮明に浮かんでくる。彼女がマルフォイと共にグリフィンドール生に絡んでくるのなら、いつか本当に売られた喧嘩を買ってしまいそうだ。

「仮にそうだとしても、カヤはもっと考えて動くでしょう?」
「もちろん。喧嘩を買うなら、自分の評価を落とさずに買うよ」
…まぁ、私のことはともかく。
「マルフォイが相手なら、絶対にハリーは立ち向かったと思うよ。…それにハリーが怒ったのは、マルフォイに腹が立ったのもあるだろうけど、ネビルの為みたいなところもあるしね」

 そう言うと、ハーマイオニーは不機嫌そうな顔をしつつも、同意した。規則や先生の言いつけを厳守するタイプのハーマイオニーだからこそ、ハリーの行いは許せないのだろうが、それ以上に腹立たしいのは自分たちの仲間がバカにされたことと、仲間のために立ち向かったハリーが罰を受けるかもしれないことなのだ。原因は全て、マルフォイにあるのに。

「ハリー、大丈夫かなぁ…」
「どうだろう。マクゴナガル先生なら、有無を言わさずってことはないと思うけど…」
「でも、めちゃくちゃ怒ってたよね…」

 マクゴナガル先生の厳格さは折り紙つきだ。ハリーの行動が正義感によるものであっても、“規則を破った”という事実に変わりはない。先生が都合よく、その点を無視してくれる可能性は限りなく低そうだ。退学、なんてことにはならないと思うが。

「…あ、そうだ。私、図書館に本を返しに行かなきゃならないんだった!」
「そうなの?だったら、私、先に寮に戻ってるね」
「えぇ。また、夕食の時に!」

 慌ただしく、ハーマイオニーは廊下の向こうへ消えていった。久々の飛行に緊張していたせいで、体がまだ強張っているのを感じた私は、一休みしようと寮へ戻った。



 気がつくと、とっくに夕食の時間になっていた。あのまま倒れ込んだベッドに、俯せのまま眠っていたようだ。体を起こすと、頬に涎の跡がこびりついている。飛行訓練終わりに別れたハーマイオニーは、もう大広間にいるだろか。早く行かないと。

 だが、勢いよくベッドから降りようとした瞬間、急に目眩に襲われた。慌てて座り直すが、閉じた視界がまだぐるぐると回っている。突如として吐き気まで込み上げてきた。飛行訓練の後遺症だろうか。そう言えば、昔箒に乗った後、気持ち悪くなって嘔吐したことがあったっけ。
 今日は、箒を降りた直後は何ともなかったから、すっかり忘れていた。今頃になって、気分が悪くなるなんて。空腹だから、尚更気持ち悪い。

 腰かけたまま、じっと考える。目眩が落ち着いてから大広間に行けば、間違いなくたくさんの料理が私たちを迎えてくれる。美味しいけれど、脂っこ過ぎたり、甘過ぎたり。弱った胃に、いっそ暴力的な食べ物だ。考えただけで吐きそうになる。日本食が恋しい。出汁の優しい味が恋しい。
 しばらく安静にしていると、くるくると回っていたのが治まってきた。何とか、一番苦しいところは越えたらしい。吐き気はまだ残っているが、歩けない程ではない。このままここにいても仕方がないし、とにかく大広間へ下りようと何とか立ち上がり、ゆっくり部屋を出て無人の談話室を横切り、“太った婦人”の肖像画の穴を潜り抜けた。そこで、ウィーズリーの双子のどちらかに出くわした。

「ジョージ?」

 当てずっぽうで名前を呼ぶと、相手は困ったように顔をしかめた。

「違うよ、僕はフレッドだよ」
「あっ、…ごめんなさい、フレッド」
「嘘、嘘。ジョージであってる。よくわかったな?」
「凄いでしょ?…って言いたいところだけど、ごめんね、ただの勘なの」

 ジョージはゲラゲラと笑った。彼らのお母様でさえ時折間違えることがあるというのだから、出会って数日の私が見分けられるはずがない。…まぁ、十年後の私が二人を完璧に区別できているとも思えないけれども。

「大広間に行かないのか?食いっぱぐれちまうぞ」
「うたた寝しちゃってて、今から行くところよ……ジョージは?」
「もう食ってきたんだ。リーが見つけた秘密の抜け道を見に行くところなんだけど、ちょっと忘れ物があってね」
フレッドが取りに行ってるんだ。
「こんな風に、こそこそ動く夜には欠かせない代物でね……と言うか、カヤ、何か顔色悪くないか?」

 ジョージは私の顔を見ると一度言葉を切って、軽く眉を寄せた。心配いらないと、私は顔の前で手を振った。

「大丈夫よ。久々に箒に乗ったから、今ごろになって酔っただけだと思う」
「大丈夫か?気分が悪いなら、医務室に行けよ。マダム・ポンフリーなら、吐き気なんて一瞬さ」
「ありがとう。でも、吐き気が治っても、今日はあんまりご飯食べられないかも」

 そう言うと、「なるほどな」と彼は頷いた。

「スープくらいなら食えそうか?」
「…多分。でも、ディナーにあった?」
「いいや、今日はない。けど、カヤになら教えてやってもいいぜ」
「なにを?」

 ジョージは悪巧みしている時に浮かべる笑みを張りつけて、身を屈めて私の耳元に声を落とした。

「玄関ホールの左手に、地下通路に通じるドアがある。奥の廊下にある果物が器に盛ってある絵の梨を擽ると、その裏に隠し扉があって、そこがホグワーツの厨房になってるんだ」
「!」
「俺たちもよく世話になってるんだ。ちょっと野暮用で飯にありつけなかった時とかな」
「そうなんだ。でも、勝手に入っていいものなの?」
「さぁ?知らないけど、そんなこと気にする必要はないさ。何てったって、厨房には屋敷しもべ妖精たちしかいないんだ」

 その一言で納得した。彼らは奉仕することを至上の喜びとする生き物だ。魔法族の中には、彼らを自分たちより下等な種族と見なす輩もいるが、彼らは魔法族とは異なる魔法を操る素晴らしい種族だと私は常々そう言われてきたし、実際そう思っている。我が家ではしもべ妖精に対する暴言・暴力はご法度だし、誰もが椿を家族の一員と見なしている。そう言うと椿は大号泣するが。

「スネイプに見つかりゃ、減点されるだろうけどな」
「ふふ……なら、先生が食事中の今がチャンスね」
「あぁ、そうするといい」
「ありがとう、ジョージ!」
「どういたしまして!」


 片手を上げて鷹揚に応えたジョージに笑みを返して、私はまず医務室に向かった。その途中で、一度大広間に顔を出してハーマイオニーを探した。

「あぁ、カヤ、やっと来たのね」
「ごめんね。うっかり寝落ちしちゃってて…」

 ハーマイオニーは、パーシーと語らっていたようだ。パーシーが席を詰めようと腰を上げかける。

「大丈夫よ、パーシー」
「?」
「実は寮に戻ってからちょっと気分が悪くなっちゃって、今から医務室に行くところなの」
「大丈夫?私も一緒に行きましょうか?」
「ううん、一人で平気。だから、今日は夕食はあんまり食べられそうにないから、それだけ言っておこうと思って」
「わかったわ。わざわざ知らせてくれてありがとう」
医務室から帰ったら、すぐに寝るのよ?
「無理はダメだからね」
「もちろん」

 「お大事に」と言うパーシーと、心配そうな顔をするハーマイオニーに手を振り、私は今度こそ医務室へ赴いた。


 フレッドが言った通り、マダム・ポンフリーから貰った薬を飲むと、ものの数秒で吐き気は治まった。「飛行訓練があった日は、あなたみたいな生徒が毎年出るんですよ」と、きびきびとした口調で彼女は語る。
 用がないならさっさとお帰りと言いたげな目で見られ、入院しているネビルのお見舞いも叶わず医務室から放り出されたその足で、また玄関ホールに戻ってきた。そして、大広間は階段の方へは行かず、右手の扉を潜った。

 蝋燭の灯りに揺れる地下通路は温かみがあって、食べ物の絵がずらりと壁に並んでいる。目当ての絵は、すぐに見つかった。

(確か、梨を擽るんだったよね…)

 言われた通り大きな梨の絵を擽ると、梨はクスクス笑って身を捩り、大きな緑色のドアに姿を変えた。恐る恐るそのドアを開けば、大広間と同じくらいの広さを誇る部屋が広がっていた。石壁の前には鍋やフライパンが積み重なり、大きな煉瓦造りの暖炉が備わっている。奥には四つの長テーブルがあり、ここから料理が上の大広間にある各寮のテーブルに送られているようだ。
 私が一歩踏み込んだ瞬間、わらわらと小さな影が駆け寄ってきた。屋敷しもべ妖精たちだ。実家に仕える椿を思わせるキーキー声は、私の突然の来訪を歓迎してくれているようだ。

「忙しい時に、邪魔してごめんなさいね」
「とんでもありません、お嬢様!」

 一人のしもべ妖精に導かれ、私は暖炉の前に置かれた椅子に腰を下ろした。

「何かお飲みになられ・・ますか?」
「何でもいいから、スープを一杯貰える?今日は少し体調が悪くて、大広間の食事は食べられそうにないの」

 他の妖精が、私の言葉が終わるのと同時に、たっぷりの野菜入りのスープを差し出してきた。「ありがとう」と受け取ると、妖精は嬉しそうに頭を下げた。

「今さらだけど、ここって生徒が勝手に入ってもいい所だった?」
「私にはわかりませんが…私たちはいつでも大歓迎でございます!」
「なら時々遊びに来ようかな…」

 あちこちで、私を歓迎する声が上がった。椿を思い出して、少し感傷的な気持ちになる。誤魔化すように、スープを口に運んだ。温かくて美味しい。胃のむかつきがマシになったような気がした。

 あぁ、すごく美味しい。今度から、食欲のない日はここにお邪魔しようかな。

 ふと、あることを思いついた私は、一番近くにいたしもべ妖精を呼んだ。

「ねぇ、和食って知ってる?」
「ワショク……?」

 こてんと首を傾けるところを見るに、知らないようだ。仕方がないが、少し残念だ。そう思ったのが顔に出てしまったのか、尋ねられた妖精は大きな目をみるみるうちに潤ませて、床に身を投げ出した。泣きながら地面に頭を打ち付けるのを何とか押し止める。

「和食って言うのは日本料理のことなんだけどね。私日本人だから、時々日本食が恋しくなるの。今日みたいに体調が悪い日なんかは特に」

 純日本人としては、体調不良の時はお粥かうどんを食べたいのが本音だ。

「もし和食を作れるしもべ妖精がいたら、本当たまにでいいから、私がここに遊びに来たときに作って欲しいなぁ…と思って」
「申し訳ございません、お嬢様!」
「いいの、いいの!謝らないで、泣かないで。私のわがままなんだから!」

 もう一度、地面に叩きつけられそうになった体を掬い上げる。

「お嬢様に必要とされたのに、お役に立てず……っ!」
「…あー……じゃあ、たまに厨房を使わせてもらうことはできる?」

 自分を罰しなければ気が済まなさそうな雰囲気を察知し、代替案を口にする。しもべ妖精は少し思案したあと、「大丈夫です!」と頷いた。

「ありがとう。なら、そうさせてもらおうかな…」

 こうして私は、ホグワーツの厨房を極々たまに借りる権利を得た。
 しかし、家族に手紙を送って和食に欠かせない材料を打診したところ、届いたのは300gの小袋に入った米だけだった。ふくろうの長距離輸送に耐えられるのは米以外ないだろうとのことで、少なくとも今学期は塩むすびを作るしかなさそうだ。私は受け取った小袋を手に、深い息を吐き出した。