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「あなたの理論に従うなら、私もチームに入るべきかしら?」
それまで黙っていたフジミヤの言葉に、ドラコは驚きを隠せなかった。いつも優しげな弧を描くその目は、射抜くようにドラコを見据えていた。
「ハリーはご両親がいない、ロンはお金がない、ネビルに脳みそがないなら、私には“純血の誇り”ってものがないわね」
うちはあなたと同じ代々純血だけど、それを振りかざすような人は、一族の中には一人もいない。
「私はグリフィンドールだし、ホグワーツに通った親族に、誇り高いスリザリンに属した人は誰もいないわ。私こそ、あなたの言う“気の毒な人”なんじゃない?」
初めて会った時も、ポッターたちと話しているときも、彼女はいつも笑顔を浮かべていた。だが、今自分を睨み上げるその顔は怒りに燃えている。それが腹立たしくて、ドラコは言葉が出るに任せて口を開いていた。
「君のような人間が“最も影響のある純血の魔法族”なんて、日本の魔法界も落ちたものだな。グリフィンドールに属したばかりか、こんな奴らと付き合って家名を汚すなんて、純血の恥さらしだ」
ウィーズリーの声が割り込んできたが、二人は目を逸らさなかった。黒く澄んだ目に吸い込まれそうだ。時間が二人を置き去りにして、どんどん流れていってしまったような感覚に陥る。実際には、十秒と経っていないのに。
「ロン!カヤ!」
だが、グレンジャーの叫び声に、フジミヤは我に返ったようにドラコから視線を外して、急降下を始めたポッターに移った。それが堪に触った。
だから、ポッターを侮辱する台詞を吐き出した。それに切れたウィーズリーが掴みかかってきて、観客席に倒れ込む。揉み合い激しく揺れる視界の隅で、クラッブとゴイルが、ロングボトムと取っ組み合っている。フジミヤが制止を呼び掛ける声が、互いに殴り合う音に掠れて聞こえた。そこからは、スローモーションだった。
ロングボトムが投げ飛ばされ、フジミヤの杖が弾かれる。聞き慣れない言語が何かを叫んだ。と思った次の瞬間、鈍い衝撃音が響いた。ドサリ、という音と共にフジミヤがその場にひっくり返る。真っ先に反応したのはウィーズリーだった。
「カヤ!!」
ドラコから飛ぶように離れたウィーズリーは、フジミヤの傍に膝をつく。ドラコが立ち上がり、ぐしゃぐしゃになった襟元やローブを正しながら見やれば、一撃を食らったらしいフジミヤの鼻が真っ赤になっていて、鼻血まで出ている。ウィーズリーは必死に名前を呼びながら、ハンカチで流れた血を拭った。ドラコはそれを一瞥し、未だに暴れている二つの巨体を止めようと近づいた。その時、足先でコロリと何かを転がしてしまった。フジミヤの杖だった。
拾い上げて観察したが、特に損傷はしていないように見受けられる。
眺めていると、また耳に打撲音が聞こえた。いい加減に止めさせようと、今度こそ二人に声をかける。
「クラッブ、ゴイル、やめろ」
フジミヤが倒れる音とドラコの声に気づいた周囲の人間たちが、気絶しているロングボトムから二人を引き剥がす。二人は荒い息のまま、まだ足りないと言わんばかりにドラコを見下ろしてきた。状況を読めないその頭の悪さに辟易する。
「……行くぞ」
慌てふためくウィーズリーと、ポッターの活躍に湧くグリフィンドールの面々に背を向けて、ドラコはスタンドを離れた。
不味いことになった。
医務室で簡単な手当てを受け、談話室のソファーに座り込んだドラコは頭を抱えた。ロングボトムやウィーズリーはどうでもいい。問題は、巻き添えを食らい昏倒したフジミヤのことだ。
「それなりの関係性を築いておいた方がいいだろうな」
脳裏に、父の声が蘇る。同時に、その時の会話までもが頭を過り、ドラコは小さく呻き声を上げた。
*
クリスマス休暇。
ディナーの席で、彼女のことを両親に話した。二人は、キングズ・クロス駅で見かけたアジア人の一家があのフジミヤ家の人間だと知り、大いに驚いていた。
「そうなの…では、両親もホグワーツ?」
「いいえ。両親は日本の魔法学校出身だそうです」
本人に聞いた訳ではないが、知るのは容易かった。彼女がグリフィンドールの誰かに話した内容は、瞬く間にホグワーツ中に広まったからだ。
「ですが、彼女の祖父母世代がホグワーツ出身と聞きました」
「では、それが私が父から聞いた日本人の兄弟だろうな」
ルシウスは、グレーの瞳を細めた。ナルシッサは静かに頷きながら、ルシウスの言葉を待っている。
「イギリスの学校に日本人学生とは珍しいと思っていたが…まさか、それがフジミヤ家の人間だとは…」
「どの寮なの?」
「グリフィンドールです」
両親の上品な顔が、嫌そうに歪められた。が、ウィーズリー家を蔑む時のような言葉はどちらからも出てこなかった。両親が、フジミヤ家を自分たちと同格か、それ以上の家柄だと認識しているが故のことだろう。
「…フジミヤ家は、日本の魔法省に広く顔が利く。次期魔法省大臣の最有力候補として挙がっている男は、弟がフジミヤ家に婿入りしたとか……繋がりを持っておいて損はない」
父の持つ情報網は、イギリス内部に止まらない。魔法省の中枢の深いところと繋がりのある父だから、海外の事情にもある程度通じている。
日本とイギリス。地理的には遠く離れていても、日本はアジアの大国の一つであり、その後ろにはアメリカがいる。パイプが物を言う権力の世界では、どんな繋がりが必要とされるかわからない。持てるパイプは持っている方がいい。それも、相手は自分たちと同じような純血の名家。世界全体で見ても、純血一族が少なくなっている今こそ、その尊い血を大切にする必要がある。遠く離れた異国であってもだ。父はおそらく、そう考えているのだろう。
「その娘は誰と懇意にしている?」
「ポッターやウィーズリー、“穢れた血”のグレンジャー…それから、ロングボトムと一緒にいるところも何度か見かけたことがあります」
“穢れた血”、ドラコがそう吐き捨てた瞬間、更に両親の顔が忌々しげに歪む。
「ですから、彼女もまた“血を裏切る者”として有名です。特にスリザリンでは…」
「だが、腐ってもフジミヤ家の娘だ」
ルシウスの手の動きに従って、グラスに満たされたワインが波立った。父が何を言おうとしているのか、ドラコはもう察しがついていた。そして、それが一筋縄ではいかないだろうということも。
「とは言え、本人はグリフィンドールに組分けされるような人間であり、フジミヤ家内での立ち位置もわからない。仲良くしろとは言わないが、それなりの関係性を築いておいた方がいいだろうな」
「長い目で見れば、我らの利になるやもしれん」とルシウスが付け加えると、ナルシッサが僅かに身動ぎしたような気がした。
「……はい」
息子が素直に従うのを、ルシウスは鷹揚に見届けて、この話に終止符を打った。母も、止めていた手を動かし始める。ただドラコだけが、父が言ったことを達成する為には、並々ならぬ労力が必要になることを思い、心の中で溜め息を溢したのだ。
*
休暇が明けて、ルシウスの言いつけを頭の隅に置きながらホグワーツに戻って早々、この様である。
直接的でないとは言え、ドラコたちが起こした喧嘩に巻き込まれて、フジミヤが怪我を負ってしまった。仮にも女子の、顔面に。マダム・ポンフリーの治療があれば跡形もなく治るだろうが、そういうことではないことぐらい、ドラコにもわかっている。自分の世界の全てである父の言いつけを、どうやら守れそうにないことも含めて。
(だいたい、最初から無理だったんだ…!)
頭を抱えたまま、頭の中に居座る父親に向かって叫ぶ。あの時は従順に頷いたが、土台無理な話なのだ。あのフジミヤと、友好的な関係性を築くことなど。
フジミヤの、ドラコに対する心象が良くないのと同様に、ドラコの、フジミヤフジミヤに対する心象も決して良くはない。育ちの良さを感じさせる振る舞いを好ましく思ったのは最初だけで、実際の彼女はかなり気が強いし、すれ違い様に日頃からは想像もつかないような目力で睨み付けてくるし、成績もずば抜けていい訳でもない──変身術は除く、しかしなぜあんなにも変身術に長けているのかは謎だ──。考えれば考えるほど、フジミヤにはドラコが好ましいと思う要素が限りなくゼロに近いのだ。自分の手を取り、共にボートに揺られたリトルレディは、あの夜の幻だったのだと思う。
自分もよく思っていない。相手も自分をよく思っていない。そんな人間と、どうやって親しくなれと言うのか。
…もう、ありのままを父に報告しよう。叱咤されるのは目に見えているが、父の説教を聞く方が、フジミヤと打ち解けるよりもずっと楽で簡単だ。……そうだ。自分は努力したが、相手が頑なで上手くいかないのだと訴えればどうだろう。我が強過ぎる女性は、父も母も好まない。“フジミヤ家の娘”という血統書付きでも、“血を裏切る者”、グリフィンドール、性格も淑女にあらず、とくれば、父が気に留めることもなくなるはず。…そうだ、そういうことにしよう。
ようやく落ち着きを取り戻したドラコは、自分の足に突っ伏すように倒していた体を起こした。そのまま、ソファーの背もたれにふんぞり返る。
これで大丈夫だ。もう何も、自分を悩ますものなど何も……
体勢を変えた時、ローブのポケットに入っている何かが動いた。どことなく、収まりが悪い。一体何が、と思いポケットに手を突っ込む。瞬間、血の気が引いた。
引っ張り出したのは、一本の杖。自分のものではない。では、この持ち主は誰なのか。答えは一つしかなかった。
(フジミヤの杖……!)
あぁ、そうだ。彼女が取り落としたものを、スタンドで拾い上げたのだ。ウィーズリーにでも放り投げればよかったのに、クラッブとゴイルを止める方に意識が向いていてすっかり忘れていた。自分の杖をローブにしまい込むように、フジミヤのものまで持って帰って来てしまったのだ。
背もたれに預けた上体を、すぐさままた元の体勢へ戻す。ドラコの激しい動きに、近くを通り掛かったザビニとノットがびくりとしたのだが、あいにくドラコはそれどころではなかった。
どうしよう。これは当然、フジミヤに返さなければならない。しかし、自分の不注意とは言え、不本意なことである。ウィーズリーやポッター、グレンジャーに預ける手もなくはないか。…いや、本人に直接返せば父の言いつけを実行するチャンスにもなるのではないか?
だが、今すぐ返しに行けば、彼女の怪我に一言触れない訳にはいかない。顔面に肘を食らわせたのはドラコではないが、そもそもドラコが吹っ掛けなければ始まらなかった喧嘩が原因なのだ。普通であれば、謝るのが筋だ。紳士が女性に怪我をさせるなんてもっての他。その上、それを謝らないなんて万死に値する。相手は“血を裏切る者”であれど、純血名家の令嬢。性格は淑女には程遠いが……
一人、ドラコは悶々と考え込む。その間、パンジーが話しかけてきたが、ドラコの耳にはほとんど届いていなかった。
やがて、ドラコの反応の悪さにへそを曲げたパンジーが去り、談話室に一定の静けさが戻ったところで、ドラコの考えはまとまった。
よし、潔く返しに行こう。
すくっと立ち上がる。決然とした顔で、フジミヤの杖を握り締めた。ドラコはローブを翻す。
怪我の話題は軽く触れる程度で、ドラコが直接危害を加えていないことはフジミヤもわかっているだろうから、謝罪は極々シンプルに。そのまま杖を返却して…あぁ、ついでにあれも持って行こう。
頭に、昨日母から届いた菓子を思い浮かべる。見舞いに手ぶらで行くのはよくない。“フジミヤ家とのコネ作りの第一歩”という下心はあるが、腐っても相手は
一応淑女で、ドラコは紳士なのだから。
自分のプランを一頻り自画自賛すると、ドラコは一度寝室へ引き返す。そして、上等な焼き菓子の詰まった箱と杖を手に、意気揚々と薄暗い談話室を後にした。