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翌日、私はマダム・ポンフリーのお墨付きを得て退院した。
大広間に直行した私は、三人を見つけるとその眼前に杖を掲げた。そして驚く彼らに、昨日の態度──ありがたいことに、彼らはちっとも気にしていなかった。「もしも自分の杖が…しかも家族の形見が失くなったとなれば、取り乱すのも当然だよ!」とロンは笑って言ってくれた──を謝った。ロンとハーマイオニーは首を振り、ハリーは私たちのぎこちなさが晴れたことに安堵の息を吐いた。
「でも、誰が見つけてくれたの?私たちも、十分探したと思うんだけど…」
「マダム・ポンフリー経由で返してもらったから、私も誰かは知らないの」
私は知らないふりをした。友人に嘘をつくのは忍びないが、真実は明かさない方がお互いの精神衛生上の為である。
大広間での食事を終えると、私たちは空き教室に滑り込んだ。そこで、ハリーが試合後に仕入れた新たな情報を共有し合うためだ。
「クィレル先生が最後の砦なの?…こんな言い方するのもなんだけど、頼りなさ過ぎじゃない?」
それが、最初に浮かんだ感想だった。クィレル先生のことは好きだ。しかし、“賢者の石”という重要な品物を守る大役をあの人が担っていると思うと、日に日に窶れて青ざめていくのも納得できるというか。ハリーが見た限りでは、先生はスネイプ先生に脅されているという。
それを知ってから、ハリーとロンの、クィレル先生への態度が変わった。抵抗している先生を励まそうという意図によるものだ。だがイースター休暇が目前に迫ってくると、私たちは“賢者の石”ばかりに係ってはいられなくなってきた。“試験”という単語が、先生たちの口から溢れるようになったからだ。
ハーマイオニーは自分が勉強するのはもちろんのこと、ハリーとロンにも勉強を強要した。二人は私に助けを求めてきたが、残念ながら私もハーマイオニーと同意見なので、彼らを擁護する人はいない。
私たちは勉強のために、四人で図書館に籠ることが増えた。
*
「こんなのとっても覚えきれないよ」
数日後、一緒に図書館で勉強していたロンが、遂に羽ペンを放り出した。ハリーがその隣で、欠伸を噛み殺している。魔法薬学の教科書と睨み合う私は、「集中力がない時は、思い切って休憩した方がいいよ」とだけアドバイスした。
「君は?」
「私はキリのいいところまでやってから休憩するわ。魔法薬学、あんまり得意じゃないから」
「へぇ、君でも苦労するんだ。いつでもどんな科目でも、そつなくこなしてるじゃない」
「もちろん苦労してるわ。特に魔法薬学は教科書を読むので手一杯で、内容をしっかり理解するところまで至らないの」
これは一重に、私の語学力不足だった。教科書に出てくる単語は専門用語がほとんどだし、言い回しも小難しくて和訳に時間がかかる。魔法薬学は特にそうで、予習するだけでもかなり時間を要するし、内容を理解しようとすればその倍はかかる。授業中は簡潔な板書や先生のわかりやすい口頭説明があるし、それでも理解できない時はハーマイオニーに質問するのでなんとかなっているが、一人で勉強するとなると一苦労だ。
「そうか。君、日本人なんだよね。君と会話で困ったことがないから、すっかり忘れてた」
「先生たちにもよく言われる」
「それは、カヤがちゃんと予習も復習も欠かさないからだわ」
ハーマイオニーの目が、鋭くロンに突き刺さる。それから逃れるように、ロンは明後日の方向に顔を逸らした。
「ハグリッド!図書館で何してるんだい?」
ロンの救世主が現れた。ハグリッドは背中に本を隠したまま、決まり悪そうな表情を作った。一体、何の本を持っているのだろう。「いや、ちーっと見てるだけ」と言った声は、明らかに上ずっていた。
「おまえさんたちは何してるんだ?まさか、ニコラス・フラメルをまだ探しとるんじゃないだろうね」
「そんなのもうとっくの昔にわかったさ」
それだけじゃない。
「あの犬が何を守っているかも知ってるよ。“賢者のい…」
「シーッ!」」
ハグリッドは慌てて周囲を見渡した。だが、その声の方がロンの声より大きい。
「そのことは大声で言い触らしちゃいかん。おまえさんたち、まったくどうかしちまったんじゃないか」
「ちょうどよかった。ハグリッドに聞きたいとことがあるんだけど。フラッフィー以外にあの石を守っているのは何なの?」
「シーッ!」
今度の大声には、遠くから司書のマダム・ピンスの一睨みが飛んでくる。
「ハグリッドこそ、もっとボリューム下げて」
「おぉ、すまん。…いいか、後で小屋に来てくれや」
ただし、教えるなんて約束はできねぇぞ。
「ここでそんなことを喋りまくられちゃ困る。生徒が知ってるはずはねぇんだから。俺が喋ったと思われるだろうが……」
「じゃあ、後で行くよ」
ハグリッドはモジモジしたまま、いそいそと図書館から去っていった。ハーマイオニーがさっそく、彼が持っていた本が何だったのか推理を始めた。
「もしかしたら石と関係あると思わない?」
勉強に飽きたロンが、ハグリッドが見ていた書棚を探索しに行った。程なくして帰ってきたロンの腕には、大量の本が抱えられている。全部、ドラゴンに関する本だ。
「ハグリッドはドラゴンの本を探してたんだ。ほら、見てごらん。『イギリスとアイルランドの竜の種類』、『ドラゴンの飼い方──卵から焦熱地獄まで』だってさ」
「初めてハグリッドに会った時、ずーっと前からドラゴンを飼いたいと思ってたって、そう言ってたよ」
「でも、僕たちの世界じゃ法律違反だよ。1709年のワーロック法で、ドラゴン飼育は違法になったんだ。みんな知ってるよ」
…下の大叔父がドラゴン嫌いでよかった。もしあの人がハグリッドと同じようにドラゴン好きだったら、広い上に保護魔法のかかった藤宮家の土地──藤宮の血を引く者か、一度でも招待されたことのある者以外は立ち入ることが出来ない──で飼育していたことだろう。
「ハグリッドは一体何を考えているのかしら?」
「さぁね。行けばわかるさ」
「それもそうね。カヤも一緒に行くでしょう?」
私は自分のノートや教科書と、手元にあった計画表を見比べた。この計画表はハーマイオニーと一緒に、試験日から逆算していつ頃までにどの科目の、どの範囲まで復習を終えればいいのか考えながら作成したものだ。私の進度は、魔法薬学に限り遅れている。少なくとも今やっている箇所は今日中に終わらせないと、後の予定が狂っていくだろう。
「……ごめん。これ、今日中に終わらせたいから…」
「わかった。なら、三人で行ってくるね」
「ハグリッドにも謝っておいて。ハグリッドから教わったこと、あとで私にも聞かせてね」
そして私は三人を送り出し、一人黙々と教科書に向き直った。
「……はぁ」
やっと一息つき、羽ペンを置く。窓の外を見ると、さっきまでの鮮やかな青空はオレンジに染められていた。
凝り固まった体を伸ばしながら、自身の成果を見下ろす。あらかた復習し終えたけれど、いくつか不明点がある。参考書を目を皿のようにして探したが、どうしても見つからなかったのだ。あとで、スネイプ先生かハーマイオニーに質問しよう。
そう思い、一度寮へ戻ろうと荷物をまとめようとした。その時、すぐ傍を誰かが通りかかった。何となくそちらを見る。呼吸が止まった。
「マルフォイ!」
手に本を持ったその人は無言で私の傍らに立ち、テーブルを見下ろしていた。何を見ているのだろうと不思議に思ったが、すぐに彼はノートの文字を追っているのだと気づいた。
「これ、日本語なの」
質問された訳ではないが、何となく口にする。無視されるだろうという私の予想に反して、「……へぇ」と短い反応が返ってきた。
「君はいつから英語を学んでいるんだ?」
「7歳ぐらいから」
「なぜ日本の学校に?」
「祖母の希望よ。詳しいことは知らないわ」
「両親はホグワーツ…じゃないんだろう?」
「うん。おばあ様たちはホグワーツだけど」
「グリフィンドール?」
「ハッフルパフ」
一頻りマルフォイの質問に答えたあと、「…と言うか、この質問なに?」と尋ねた。すると彼は、その端正な顔に気まずそうな表情を漂わせ、黙り込んだ。
「…君が言ったんだろう」
「?」
「!…僕の口から言わせる気か?」
押し殺したような声で、苦々しく告げるマルフォイ。私は、先日の自分の発言を振り返る。答えは直ぐに見つかった。彼のことをもっと知りたいと、そう言ったのだ。思い返せば小っ恥ずかしい台詞を吐いたものである。今頃になって、急に恥ずかしくなってきた。誤魔化すように、軽く咳払いする。だけど、それよりも。
「…怒ってないの?」
「なぜそう思う?」
「だって、真っ赤な顔して「勝手にしろ!」って捨て台詞吐いて帰っちゃったから、てっきり怒ってるのかと…」
そう言うと、またマルフォイの青白い肌が赤くなった。あの時と同じくらい真っ赤だ。
「……気のせいだろう」
「気のせいじゃないわ。今だって…」
「夕陽のせいだ!」
「えっ、でも夕陽当たってな…」
ガン!と座っていた椅子が揺れた。マルフォイが蹴ってきたのだ。「ちょっと!」と抗議のために言葉を切る。
「何するのよ!」
「ふん……それより、…」
マルフォイの手が、今正に片付けようとしていたテーブルへ伸びる。つまみ上げたのは、魔法薬学の教科書。
「…この、ページを折ってあるのは?」
「どうしても理解できないから、ハーマイオニーかスネイプ先生に教えてもらおうと思って」
するとマルフォイは、ぎょっとしたような顔をして見せた。
「グレンジャーはともかく…君、グリフィンドールなのにスネイプ先生に質問に行くのか?正気か?」
「正気よ。何度か教えてもらったことあるもの」
「君のその度胸はどこからくるんだ?」
心臓に毛でも生えてるのか?
「僕がもしスリザリンでなかったら、授業外であの人に話しかけようなんて思わない」
「多少の嫌味を我慢するだけよ」
マルフォイから教科書を取り返して、カバンの中へしまい込む。彼は呆れたように息を溢した。
「君が、そんな図太い神経の持ち主だったとはね」
「知らなかったでしょ?」
「あぁ。……だが、君も知らないだろう?」
「何を?」
「僕の得意な科目。知っていれば、互いに利になると思うが?」
カバンを持って立ち上がると、マルフォイも帰るところだったからか、どちらから言い出すのでもなく、一緒に図書館を出て歩く。私は少し考えてから、彼の問いに対する答えを口にした。飛行訓練と少し迷ったが、話の流れから考えれば自ずと答えは絞られる。
「魔法薬学?」
「あぁ。僕の加点が一番多いだろう?」
「……確かに」
言われてみればそうだった。スネイプ先生が加点するのはほぼスリザリンだけだし、マルフォイはお気に入りなので何かと贔屓しているからよく加点されるのだと思い込んでいたが、マルフォイ自身も魔法薬学はちゃんと得意だったように思う。今まで、先生にもマルフォイにもとても失礼な評価を下していたらしい。心の中でそっと謝罪する。
「魔法薬学が得意と言えるなんて、羨ましいわね」
「そうだろう。…ちなみに苦手…という訳ではないが、あまり得意でないのは変身術」
「そうなんだ。まるっきり反対ね。私は一番得意よ……あっ」
ぴたりと足を止めた。心なしか得意げな顔をしているマルフォイも立ち止まる。彼が言った、「互いに利がある」という言葉の意味を察したのだ。
「あなたが私に魔法薬学を教えてくれる代わりに、私があなたに変身術を教える、ってことね」
「そうだ。互いに利があるだろう」
それに、勉強を教え合うとなると必然的に顔を合わせなければならない。
「話す機会が増えれば、互いをよく知ることができるんじゃないか?」
その通りだ。わからない箇所を教えてもらえるのはありがたいし、マルフォイのことを知りたいと思ったのは本当だから、話す機会が多くなるのも嬉しい。
でも今、彼は「互いを」と言わなかっただろうか。
「あなたも……私のこと知りたいと思ってくれるの?」
ストレートに尋ねると、マルフォイはたじろぎながらも頷いた。
「君にだけ情報を与えるのも癪なんでね。僕は君には一切、本当に、小指の爪程も興味はないが、僕だけが喋り続けるのも不公平だ」
「もちろんよ。私だけ質問し続けるのも楽しくないわ」
大階段に差し掛かった。談話室に戻りたい私と、大広間に行きたいマルフォイの進路はここで分かれることになる。
「さっそくだけど、勉強会、いつにしましょうか?」
「明後日のこの時間は?」
「大丈夫よ。場所は図書館?」
「いや、…もっといい場所がある」
「どこ?」と聞き返そうとした時、階段を上がってくる誰かの姿が見えた。そのローブは緑色だ。
スリザリン生に、二人でいるところを見られるのは嫌だ。
マルフォイも同じことを思ったのだろう。「連絡する」とだけ告げて、さっさと階段を下りて行った。
揺れるブロンドを見送り、私はホクホクした気持ちを抱えたまま、グリフィンドールの談話室へ戻った。