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何がどうして、こんなことになったのか。
昨晩、一睡もできない程考え込んでも見つからなかった答えが、今更になって簡単に見つかるのなら苦労はしない。
一人心の中で呟いて、ドラコは溜め息を溢した。美しく晴れ渡った、気持ちのいい朝には不似合いな気分だった。
今日は、一体何をとち狂ったのか、昨日ドラコから提案したフジミヤとの勉強会の初日である。今思い返しても、自分が何を思ってあんなことを言ったのか謎だった。「親しくなるため」とか、「父上の言いつけを守るため」とか、あれこれ理由付けしてみたが、どうにも納得できないのは、実際のところそうではないとわかっているからだろうか。
それにしても、とんでもない約束を交わしてしまったものである。すっぽかせばいいのに気乗りしないのは、約束を守ることで得るメリットの方が大きいからか?
それともまさか、“罪悪感”なんてものを感じているのか?
……あぁ、もちろん違う。合理的に判断した結果、得られる利益を優先しただけだ。そうに決まってる。
そう自分に言い聞かせ、ドラコは昨日書き上げた手紙を持って、ふくろう小屋に出向いた。
*
昨日、図書館でフジミヤを見かけたことが、事の起こりだった。
課題をこなす為に、ドラコは図書館に籠っていた。談話室ではパンジーを筆頭に誰かが話しかけてくるからと、一人で変身術のレポートを仕上げていた。なんとか書き終えた羊皮紙を丸めて鞄に放り込み、さぁ帰ろうと腰を上げた時、少し離れた席にフジミヤが座っていることに気づいたのだ。幸いなことに、彼女は一人だった。
あの医務室で話した日以来、彼女とは一言も話していない。もともと話すような仲ではないが。代わりに、視線がよく絡むようになった。大広間、廊下、中庭、教室で深紅のカラーを見かける度に、ドラコの目は無意識にあの黒髪を探している……自分の頭がおかしくなったのだと、ドラコは半ば本気で思っていた。
(それもこれも!あいつのせいだ!)
「でも、理由はわからないけど…あなたのこと、知りたいと思う」
そう、ポツリと溢れ落ちた言葉が頭を過る。それ以上でもそれ以下でもない、言葉通りの意味しかない言葉だ。それなのに、あの時ドラコは動揺した。みっともなく狼狽えたのだ。ドラコをじっと見上げ、涙で潤んだ眼差しが、あまりにも真っ直ぐ過ぎたせいかもしれない…そうだろう。きっと。
全くバカらしい。自分は、動揺しただけだ。ベッドを囲うカーテンをはねのけた時もまさか泣いているとは思わなかったし、杖を返した時も泣くなんて思わなかったから驚いただけだ。
…だいたい、そんなことを気にするよりも、ドラコには果たさなければならないことがある。父に言われたように、フジミヤと親しくなる必要があるのだ。“ただの同窓”ではなく、“顔見知り以上友人未満”といったぐらいには、親しくなっておかなければ。父の描く未来図を掴むことはできないが、フジミヤ家とのパイプが役に立つことくらい、まだ子供のドラコにでもわかる。
そのためには、フジミヤについて知っておかなければならない。そのチャンスが今、目の前に転がっている。
気持ちを切り替えたドラコは、まとめた荷物を掴むと、何気ない足取りでフジミヤの方へ歩いていく。フジミヤがポッターたちと離れて一人になることは滅多にない。今を逃せば、次の休暇には何の成果もなく家に帰ることになる。父からどんな小言が飛んでくるか、わかったものではない。
「マルフォイ!」
座っているフジミヤの隣に立つと、ややあってから焦げ茶色の瞳がドラコを捉えた。内心僅かにたじろいだドラコだが、悟られないよう自然を装い、フジミヤの手元に目を向ける。開かれたノートには、見たこともない文字が踊っていた。
「これ、日本語なの」
「へぇ……」
改めて、フジミヤの顔を見る。会話に苦労している姿を見かけない──話す速度は遅いし、少し拙いところもあるが──から忘れがちだが、彼女が外国人であることを改めて思い知ったのだ。自分たちとは違う、あっさりとした系統の顔。パーツはどれも華やかさに欠けるし、平面的だ。でも、例えば意外に長くて濃い睫毛だとか、薄くて小さい唇だとかは魅力的だと思う……
(いやいやいや!何を考えてるんだ!僕は!)
頭を振って、よくわからない思考を振り払う。そんなこと、どうでもいいじゃないか。フジミヤの睫毛が長くても、唇が小さくても…
動揺を隠すように、ドラコは思い付く限りの質問を重ねた。いまいち脈絡はないものばかりだが、フジミヤは不思議そうな顔をしながらすらすらと答える。しかし最後に、「…と言うか、この質問なに?」と尋ねてきた。その返答に、ドラコは言葉を詰まらせる。
尋問のような質問の数々。そう尋ねられるのも無理はない。質問した意図は、ただフジミヤのことを知りたいから。そしてそれは、ただ父に命じられたからだ。
…と、馬鹿正直に答えられたらどれだけいいか。しかし、仮にそれを口にすれば、元々ゼロに等しい好感度がマイナス値まで降りきるだろうことはわかっている。そうなれば、二度とフジミヤに近づくことはできなくなるだろう。
「…君が言ったんだろう」
一瞬の沈黙の内に素早く頭を回転させたドラコは、静かにそう答えた。
どういう風の吹き回しかフジミヤは、嫌悪していたはずのドラコに興味を持った。ドラコのことを知りたいと言う。ドラコにはフジミヤへの興味はないが、今の尋問めいた質問を投げかけた意図を、本来の目的を隠したまま明かす為には、“自分もフジミヤのことを知りたいから色々質問したのだ”、という体を取る以外にないのだ。大変不本意ではあるが。
だが、フジミヤは惚けた顔で首を傾げるばかりで、これと言った反応を示さない。
(まさか…忘れたのか?)
あんなこと──異性の手を握って、「あなたことを知りたい」と恥ずかしげもなく言って──をしておいて、覚えていないと?しかもそれを、僕から言えと?
ふざけるなと念を込めて凄むと、それが通じたのか、フジミヤはようやく何のことだか理解したようだ。だが、やはり大した反応はないまま、ドラコが怒っているのではないか、という的外れな疑問をぶつけてきた。…いや、怒っているから的外れではないのだが、今はそうじゃない。
「…なぜそう思う?」
「だって昨日、真っ赤な顔して「勝手にしろ!」って捨て台詞吐いて帰っちゃったから、てっきり怒ってるのかと…」
ひくりと、唇の端が痙攣するのがわかった。自分でも自覚があったからこそ、指摘されて腹が立ったのだ。赤くなったのは偶然でしかないし、断じて照れたとかそういう訳ではない。決して。
「……気のせいだろう」
「気のせいじゃないわ。今だって…」
「夕陽のせいだ!」
「えっ、でも夕陽当たってな…」
(だ ま れ!)
ふざけたことを次から次へと紡ぐ口を黙らせようと、フジミヤが座る椅子を蹴った。なんて自分らしくない。紳士にあるまじき行為だ。母が見たならば卒倒しそうだ。
だが、フジミヤの口がやっと閉じられたのを見ると、罪悪感は薄れた。これでいい。抗議を無視して、ドラコはふと、テーブルの上へ視線を落とした。広げられていた魔法薬学の教科書には、所々折り目がついていたり、日本語と思わしき文字で書き込みがあった。
「どうしても理解できないから、ハーマイオニーかスネイプ先生に教えてもらおうと思って」
「君、グリフィンドールなのにスネイプ先生に質問に行くのか?正気か?」
「正気よ。何回か行って教えてもらったことあるもの」
フジミヤは何てことない口調で言うが、ドラコは俄には信じられなかった。スリザリン生であり魔法薬学が得意で、さらに父親がスネイプの先輩だからこそ、ドラコはスネイプに対して苦手意識はないし、露骨に贔屓されることが圧倒的だ。他のスリザリン生も似たり寄ったり。
だが、他寮生…特にグリフィンドール生からの評判は最悪だ。自身もスリザリンの卒業生である彼が、グリフィンドールを目の敵にしているし、授業中は何かと理由をつけて減点と罰則のオンパレードだからだ。そんなスネイプ相手に、グリフィンドール生であるフジミヤが質問?
素直に教えてくれるのか疑問を抱いてしまうのは、ドラコが「スリザリンでよかった。魔法薬学が得意でよかった」と思うぐらい、スネイプの贔屓が凄まじいからだ。
「多少の嫌味を我慢するだけよ」と、フジミヤは肩をすくめたが、あのスネイプがグリフィンドール生相手に多少の嫌味で済ますとは思えない。スネイプは通常運転のはずだ。フジミヤが聞き流しているのか、言葉の裏に隠された本当の意味に気づいていないのか──それはフジミヤが鈍感だからなのか、外国人だからなのかも不明だ──、そもそも何も気にしていないのか。
いずれにしても、フジミヤはとんでもなく肝の座った人物らしい。彼女の心臓には、一体何本毛が生えているのだろうか。
その時、突然ドラコは天啓に打たれた。ドラコの得意科目は魔法薬学で、フジミヤがわからないと訴える科目。ドラコの苦手科目はフジミヤの得意科目。二人の苦手と得意は対応している。それならば。
一緒に図書館を出て──なぜ並んで歩いたのかわからないが、恐らく成り行きである──、自分の望む方へ話の流れを変えていく。ドラコの誘導に、フジミヤは正しくついてきた。
「あなたが私に魔法薬学を教えてくれる代わりに、私があなたに変身術を教える、ってことね」
「そうだ。互いに利があるだろう」
そう、ここには利しかない。互いに苦手な科目を教えてもらえるし、その上ドラコは父の指示に従うことができる。親しくなるには、まず相手をよく知ることだ。それに、知りたいと言ったのはフジミヤの方だ。
早口に、尤もらしい理由を並べ立てると、フジミヤがドラコを見上げたままきょとんとした表情を浮かべた。
「あなたも……私のこと知りたいと思ってくれるの?」
(言い方!!)
心の中で激しく叫ぶ。彼女は何だって、こう…誤解を生むような…語弊のある言い方をするのか。事情を知らない人が聞けばどう思われるか。ドラコは身震いしながら答えた。
「君にだけ情報を与えるのも癪なんでね。僕は君には一切、本当に、小指の爪程も興味はないが、僕だけが喋り続けるのも不公平だ」
本当は相手の情報を欲しているのはドラコの方だ。だが、それは好意から“彼女のことを知りたい”と思っているのではなく、ただ単に自分とマルフォイ家の将来を見据えてのこと。何度でも繰り返すが、ドラコには、フジミヤへの個人的な興味などないのだ。
「もちろんよ。私だけ質問し続けるのも楽しくないわ」
だが、フジミヤはドラコの嫌みな言い種には気にも留めずに笑った。その笑みは、がポッターたちに向けるものと同じだった。
そうして二人は勉強会の開催を約束したのだ。
*
(昨日の僕は、本当に頭がおかしかったんじゃないか……?)
手に握る封筒を見下ろす。宛名は書いていないが、フジミヤに宛てた手紙だ。今日の勉強会の場所を記してある。
ドラコが指定したのは、六階にある教室だった。ほとんど使われることがないし、六階には監督生用の浴室があるだけで人の出入りも圧倒的に少ない。ドラコもフジミヤと一緒にいるところを見られたくないし、それは相手も同じだろうと言うことで、人目を避けるにはぴったりだ。
ふくろう小屋に着くと、ドラコの飼うワシミミズクが飛んできた。だが、今回は自分のふくろうを使うことはできない。ドラコのふくろうがこのワシミミズクだと、多くの人が知っている。ドラコのふくろうからフジミヤが手紙を受け取っているところを見られたら、憤死する自信がある。だから、学校のふくろうを呼び寄せた。
「これを、カヤ・フジミヤに」
心得た、とばかりに鳴くふくろうを見送る。ワシミミズクが、「なんで自分じゃないんだ」と、ドラコを睨んでくる。宥めるように撫でたが、機嫌は治らなかった。
そう言えば、フジミヤのファーストネームを口にしたのは初めてかもしれない。全然関係のないことをふと考えていると、ワシミミズクに思い切り指を噛まれた。