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 一晩で150点を失ったグリフィンドールは、最下位にまで転落した。だが、それよりももっと失墜したのは、ハリーの人気である。
 学校一の人気者だったハリー・ポッターは、一夜にして学校一の嫌われ者になった。同寮の仲間はもちろん、ハッフルパフやレイブンクローまでもが敵に回った。ここ数年間、寮対抗杯はスリザリンが手にし続けてきたのだが、ハリーが二度もクディッチで劇的な勝利を飾ったことで、グリフィンドールがスリザリンの快進撃を止められるはずだったからだ。反対に、スリザリン生はハリーが通りかかる度に囃し立てた。
「ポッター、ありがとうよ。借りができたぜ!」と嘲笑う、顔も名前も知らないスリザリン生に私が呪いをかけようとする程にハリーは落ち込み、ハーマイオニーも苦しそうだった。

 二人(とネビル)を励まそうとして、ロンはフレッドとジョージ、私は上の大叔父の話をしたが、「だけど一回で150点も引かれたりはしなかったろう?」というハリーに反論できず、この作戦は失敗に終わった。

 私たちは、もう二度と関係のないことに首を突っ込んだりしない、と暗黙の内に心に誓った。どう考えても、“賢者の石”もドラゴンも、私たちには無関係のことだったのだ。前者に至っては、ずっとハグリッドが警告してくれていたのに。

(こんなんじゃ、到底おばあ様のようにはなれないな……)

 周囲の目と嘲りの声から逃れるために黙々と勉強に打ち込んでいる三人を思い、私は心の奥で自分を責めた。以前ハグリッドが、祖母と弟妹たちの関係について言及したときのことを思う。

 性格がバラバラで、まとまりのない藤宮四兄弟の下の三人。祖母は、そんな彼らをいつも見守り、正しい方へ導いていたという。
 ハグリッドからそう聞いて、私もそんな人になりたいと思った。祖母が弟たちや妹を支えたように、ハリーたちを支えられたらと思っていた。それなのに、私は何もできなかった。導くことはもちろん、慰めることも励ますこともできてない。

 そしてそれはハリーたちに対してだけではなく、もう一人の友人——少なくとも私はそう思っている―—に対しても同じだった。

 
「……元気?」
「そう見えるのなら、医務室で視力を測ってもらうといい」

 約束の場所に現れた、いつもより少し顔色の悪いマルフォイに尋ねると、彼は眉間に皺を寄せながらムッとした表情を浮かべた。

「言い返す元気があるのなら、十分大丈夫ね」
「君の辞書には“気遣い”という言葉がないのか?日本人は得意なはずだろう?」
「気遣っているから「元気?」って聞いたの」

 珍しく机に突っ伏したマルフォイは、「この僕が20点も減点された上に罰則なんて……」と呟いた。例のあの日から、勉強会の度にマルフォイはこの有り様だった。

 ノーバートをチャーリーに受け渡した夜、廊下を徘徊しているところを見つかり捕まったのは、マルフォイも同じだった。彼は私たちの会話を盗み聞き、ハグリッドの小屋を盗み見、そしてチャーリーからの手紙を見て、ハリーたちがドラゴンを受けた渡している現場を抑えようとしたところを捕らえられたのだ。
 マルフォイの行為は実に卑劣だが、一人で20点を失点させてしまった罪悪感に呑まれていることに関しては同情に値する。私が見る限り、スリザリンでのマルフォイの立場が悪くなっているようなことはなさそうだが──何しろ彼は貴族・マルフォイ家の嫡男だし、父親はホグワーツの理事だ──、多少の居心地の悪さはあるはず。とは言え、スリザリンの減点は20点に対して、グリフィンドールは150点も減点されたのだから、スリザリン生の溜飲が下がったことも、マルフォイが顰蹙を買う事態を避ける一因となったのだろう。

「傷口に塩を塗り込むようで申し訳無いけど、私たちに構わなければあなたが失点することも、罰則を受けることもなかったよ?」
「ぐうの音も出ない正論を、今ここで言うなよ…」

 マルフォイは、「父上に知られたら…」と呻いた。そう、彼が案じているのはスリザリン生の目ではなく、自分の父親にこのことを知られた時のことなのだ。

「お父様は、…あなたの話を聞く限り、厳しそうな人だものね」
「…あぁ。きっとお怒りになる」

 名門貴族の当主であれば、当然かもしれない。私の家も名門と言えばそうなのだろうが、日本には“貴族”という存在がいない──戦後のマグル界で貴族制度が廃止になったため、マグル界に密に溶け込んでいた魔法界も同調して廃止になったらしい──ので、どうにもピンとこない。

「なら期末試験で、少しでもお父様のお怒りを静められるような成績を修めないとね?」
「……そうだな」

 ようやくマルフォイは体を起こした。少しはやる気を取り戻したようだ。それならば。

「ねぇ。勉強を始める前に、ちょっといい?」
「?」

 首を傾けたマルフォイの前に、私は鞄から出した小箱を置いた。

「前に実家から送ってもらったもので、私が作ったの」
元気を出すには、食べ物が一番だもの!

 小箱に入っていたのは、私が作った塩むすび。厨房にお邪魔して、以前実家から送ってもらったお米を炊かせてもらったのだ。

 元気のない友人たちを慰めるには何がいいか。ここ数日間、ずっと頭を悩ませていた。そしてふと閃いたのが、“食べ物”である。しかし、食べ慣れているもの──魔法界で人気のお菓子や、朝昼夜の食事の席で出てくる料理──では、何の代わり映えもしないから、もっと別のものがいいはず。
 そこで思い付いたのが、友人たちがおそらく口にしたことがないだろう日本食。あいにく、米しかないのでレパートリーは塩むすびに限られるが、気分転換にはなるはすだと思い、今日の授業が終わってから厨房にお邪魔して、せっせと握ったのだ。

「“おにぎり”っていうの。厳密には、“塩むすび”だけど…本当は中に色々具を入れるのよ」

 マルフォイは興味深そうに眺めたあと、一つ口に運んだ。咀嚼していくうちに、切れ長な目が丸くなる。美味しかったんだな、と思ってニヤニヤ笑いを堪えていると、素っ気ない口調で「…悪くない」と返ってきた。二つ目に手を伸ばしているところを見るに、結構気に入ってくれたようだ。素直に「美味しい」って言えばいいのに。

「そう言えば、以前君にもらった菓子だが…」
「…あぁ」
「あれは、…とても美味しかった。…特に、母上が大変お気に召したようだ」

 マルフォイにお詫びとして渡したのは、錦玉羮。寒天ならばそれほど好き嫌いに左右されない──ゼリーみたいなものだろう──し、見た目もずば抜けて美しいから、舌も目も肥えた貴族にも受け入れられると思ったのだ。

「母上はご自分でも取り寄せたいと仰っていたが、どうにも難しいと…」
「…そうだね。日本の老舗に多いんだけど、あそこも一見さんお断りだから」
「…?」
「初めて入店する人はお断り、ってこと。常連客と同伴するか紹介がないとダメってこと」
「妙なしきたりだな。それじゃ客が増えない」

 肩をすくめる。マルフォイが言うのも尤もだとは思うが、その辺りの事情はよく知らない。

「よければ、紹介状を書いてもらうように言いましょうか?」
「……いいのか?」
「もちろん。でも、夏休みまで待ってもらえる?」
「あぁ、構わない。母上もお喜びになるし…僕も気に入ったから……」

 ぎこちなく、マルフォイがはにかんだ。見慣れないそれにどう反応するべきかわからなくて、私は目を逸らして自分の手元に集中する。

「君と話していると、気が紛れる」

 しばらくして、おにぎりを完食したマルフォイが言った。

「どういう意味?」
「そのままの意味だ。…今日だってあんなに悩んでいたのに、君に会って全然関係のない話をして、自分が何を悩んでいたのか忘れていたよ」
「……ならよかった」

 マルフォイは基本的に性格が悪いし、今回のことはどう見ても自業自得だ。だけど友達だから、どんな理由であれ落ち込んでいるところは見たくない。優しいところもあるのだと、他の人は知らなくても、私は身に染みて知っているから尚更。

「ありがとう」

 真っ直ぐと見つめられ、滅多に見ないにうっすらとした笑みが飛んでくる。

 …なんだか、光に透けるブロンドと色白の肌と相まって、王子様みたい。

 思った瞬間、顔から火が出そうになった。バタン!と机に突っ伏す。マルフォイが困惑した声を上げたが、私はその顔を見ることはできなかった。…額をしこたま打ち付けたせいもある。

 何を考えているんだろう、私は。入学式の夜、湖で見た王子様は外面だけの幻だったはずなのに…

「…どうした?」と心配そうに尋ねてくる彼に、「なんでもない…」と返すのが精一杯だった。



 勉強会を終え、マルフォイと別れて歩いていると、廊下でハリーに遭遇した。
 
「カヤ!どこへ行ってたの?探してたんだよ」
「あー…ごめん。ちょっとね」

 グリーンの眼差しが、追求するように細められた。ハリーが何か──きっと私が何をしていたのか尋ねる言葉だった──言いかけたその時、通りかかった教室からすすり泣きが聞こえてきた。ハリーは声を飲み込み、ドアに近づいていく。私もそれに倣った。二人して耳を寄せたドアの向こうから、クィレル先生の声がした。

「ダメです……ダメ……もうどうぞお許しを……」

 誰かに脅されているようだが、抗う先生の声は弱々しく、もう抵抗の色は伺えなかった。そして遂に、先生の口から恐れていた言葉が転がり出た。

「わかりました……わかりましたよ……」

 次の瞬間、クィレル先生がターバンを直しながら、教室から出てきた。顔は蒼白で、ほとんど泣いている。動転しているせいか、私たちには気がつかなかったようだ。先生の足音が遠退いたのを確認してから、私たちは揃って教室を覗き込む。空っぽだ。だが、向かいのドアが半開きになっている。

「…今のって……」
「スネイプだよ。きっと」

 私もそう思う。とうとうスネイプ先生は、クィレル先生から彼が仕掛けた罠の出し抜き方を聞き出したのだ。“賢者の石”の前に立ちはだかるのは、最早フラッフィーだけになってしまった。


 ハリーが図書館へ引き返すと言うので、私もそれに着いて行った。ハーマイオニーが、ロンに天文学のテストをしている。私たちは交互に、たった今見聞したことを話して聞かせた。

「それじゃ、スネイプはついにやったんだ!クィレルが『闇の魔術の防衛術』を破る方法を教えたとすれば……」
「でもまだフラッフィーがいるわ」
「もしかしたら、スネイプはハグリッドに聞かなくてもフラッフィーを突破する方法を見つけたかもしれないな」

 ロンの言う通りかもしれない。スネイプ先生は、ホグワーツの教師を務めるくらいの魔法使いだ、三頭犬を出し抜き方は知らなくても、息の根を止めることはできるだろう。

「ダンブルドアのところへ行くのよ。ずっと前からそうしなくちゃいけなかったのよ。自分たちだけで何とかしようとしたら、今度こそ退学になるわよ」
「だけど、証拠はなんにもないんだ!」

 ハリーが、ハーマイオニーの意見を切り捨てる。

「クィレルは怖じ気づいて、僕たちを助けてはくれない。スネイプは、ハロウィーンの時トロールがどうやって入ってきたのか知らないって言い張るだろうし、あの時四階になんて行かなかったってスネイプが言えばそれでおしまいさ……」
みんなどっちの言うことを信じると思う?

 大人と子供、そして教師と生徒…普通に考えれば、誰だって大人であり教師であるスネイプ先生の言い分を信じるだろう。同じ教師仲間であれば尚更。11歳の魔法使い四人が声高に叫んだところで、一体誰が耳を貸してくれるだろうか。

「もつ一つおまけに、僕たちは石のこともフラッフィーのことも知らないはずなんだ。これは説明しようがないだろう」
「ちょっとだけ探りを入れてみたらどうかな……」
「だめだ。僕たち、もう十分に探りを入れ過ぎてる」
「ハリーが正しいと思うわ、ロン。フラッフィーを知っていることまで知られたら、私たち、本当に全員アウトよ」

 ロンは歯がゆそうだったが、ハリーがきっぱりと言い切り、私とハーマイオニーがそれに同調した以上、一人異を唱え続けることはできなかったようだ。


 その後、私たちは揃って談話室への帰り道を歩いていた。私は三人の後を追いながら、一人考え込む。

 それは、さっき見かけたクィレル先生のことだ。やはり、あの人のことが気にかかる。理由がわからないからこそ、余計にモヤモヤするのだ。
 ただ、家族のことを聞かれただけ。別段奇妙な会話をした訳じゃない。それなのに、なぜ違和感を覚えたのか。どうしてそれが拭えないのか。
 だが、正直今はそれどころではなかった。私の違和感は“ただの気にしすぎ”で済むかもしれないけれど、クィレル先生がとうとう屈してしまったことは紛れもない事実。不確実なことよりも、確実に危機に晒されるであろう“賢者の石”の方が重大だ。けれども、私たちにできることは何もない。

 11歳の魔法使いが四人揃ったところで、できることなんてたかが知れている。それに気づいたのがつい最近だなんて、バカなことをしたものだ。


 談話室に到着すると、ネビルと鉢合わせた。そこで私は塩むすびの存在を思い出し、四人に振る舞った。おにぎりはかなり好評を得た上に、「また作って!」とハリーにせがまれた。

 そのときの四人の顔は、ここ最近で一番笑顔だった。気になることはあるけれど、大好きな仲間の笑顔は戻ってきた。取り敢えずこれでいいかと、私はクィレル先生のことを頭から追い出した。