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うだるような暑さの中、遂に学年末試験がやって来た。
頭の中には常に“賢者の石”と、それを狙う“例のあの人”のことがあったが、いざ試験が始まるとどこかへ飛んでいった。
筆記試験と実技試験、いずれもそれなりに力を発揮できたように思う。変身術では、ネズミを完璧な嗅ぎ煙草入れに変えることができたし、魔法薬学ではマルフォイに教わったことを思い出しながら、“忘れ薬”を調合することができた。
最後のテストは、魔法史だった。学問としては興味深いものの、幽霊のビンズ先生は強力な催眠術の使い手だ。私は授業中、何とか眠気に打ち勝ってきたので問題なかったが、授業時間のほとんどを睡眠時間としているハリーとロンは苦戦したようだ。
「思ってたよりずっと易しかったわ。1637年の狼人間の行動綱領とか、熱血漢エルフリックの反乱なんか勉強する必要なかったんだわ」
「……そんなの授業で習った?」
「あら、教科書の隅に書いてあったじゃない。すごく小さな字でね」
ハーマイオニーは試験の答え合わせを求めたが、ロンが断固拒否したので、私たちは湖の傍の木陰に転がり、解放感に浸っていた。ウィーズリーの双子とリーが、浅瀬で大イカの足を擽っている。遠くから、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
なんて穏やかなんだろう。
キラキラと降り注ぐ陽射しの中、私はロンが嬉しそうに息を吐いたのを聞いた。
試験が終わった瞬間から、それまでどこかへ飛んでいっていた悩み事が戻ってきて、チラチラと頭を過っている。“賢者の石”、“例のあの人”…どちらもとても不穏な響きだ。それでも、確かにここは平和だった。
だが、あの夜からハリーは常に額の傷が痛むと言っていた。病気ではなく、危険が迫っているという警告なのだと。そのことが、この平和を純粋に楽しもうとする気持ちに水を差していた。忘れるなと、戒めるように。
「ハリー、リラックスしろよ。ハーマイオニーの言う通りだ。ダンブルドアがいる限り、“石”は無事だよ。スネイプがフラッフィーを突破する方法を見つけたっていう証拠はないし…」
ロンが、ハリーを何とか落ち着かせようとしている。
「仮に“石”を手に入れられたとしても、奪われたことに校長先生が気づかないはずがないわ。ここは先生のお膝元なんだから」
「そうだね…」と溢したハリーは、考え込むような顔つきで雲一つない青空を見上げている。私もその視線を追う。ふくろうが学校の方へ飛んでいくのが見えた。なんてことのない、日常過ぎて特に言及することもない景色だ。
突然、ハリーが立ち上がった。その顔は真っ青だ。
「今、気づいたことがあるんだ」
すぐ、ハグリッドに会いに行かなくちゃ。
ハリーは私たちの返答も聞かずに、ハグリッドの小屋の方へ歩き始めた。私たちも慌てて立ち上がり、その後を追いかける。
「どうして?」
「おかしいと思わないか?」
息を切らしたハーマイオニーに、ハリーも同じく息切れしながら続ける。
「ハグリッドはドラゴンが欲しくてたまらなかった。でも、いきなり見ず知らずの人間が、たまたまドラゴンの卵をポケットに入れて現れるかい?」
魔法界の法律で禁止されているのに、ドラゴンの卵を持って彷徨いている人がザラにいるかい?
「ハグリッドにたまたま出会ったなんて、話がうますぎると思わないか?どうして今まで気づかなかったんだろう」
…そうか。ハリーの言いたいことがわかった。
ドラゴンの卵を持っていた相手は、初めからハグリッドを狙っていたのだ。ハグリッドがドラゴンを欲していることを知っていた人間が、その卵をエサにハグリッドから情報を得ようとしたのだ。きっと、たらふくお酒を飲ませて。
小屋が見えてくるとハリーが全力疾走したので、私たちも走った。痛む横腹を抑え、家の外にいたハグリッドを、ハリーが問い詰めるのを見守る。
「ハグリッド、聞きたいことがあるんだけど。ノーバートを賭けで手に入れた夜のことを覚えているかい。トランプをした相手って、どんな人だった?」
「わからんよ。マントを着たままだったしな」
『嘘でしょ?』
そんな、見るからに怪しい相手と賭け事をしたの!?
絶句する私たちを前に、ハグリッドは言い訳するように言った。
「そんなに珍しいこっちゃない。“ホグズ・ヘッド”なんてとこにゃ……村のパブだがな、あそこにはおかしな奴がウヨウヨしてる。もしかしたらドラゴン売人だったかもしれん。そうじゃろ?顔も見んかったよ。フードをすっぽり被ったままだったし」
ハリーは、とうとう地面にへたり込んでしまった。
「ハグリッド。その人とどんな話をしたの?ホグワーツのこと、何か話した?」
「話したかもしれん。うん……俺が何をしているのかって聞いたんで、森番をしてるって言ったな……そしたらどんな動物を飼ってるかって聞いてきたんで……それに答えて…あんまり覚えとらん。なにせ次々と酒を奢ってくれるんで……」
私の考えは当たっていたようだ。これがテストだったらよかったのに。今は、ちっとも嬉しくない。
「うん、それからドラゴンの卵を持ってるけどトランプで卵を賭けてもいいってな……でもちゃんと飼えなきゃだめだって、どこにでもくれてやるわけにはいかないって……だから言ってやったよ。フラッフィーに比べりゃ、ドラゴンなんか楽なもんだって……」
話の行く先を読んだハーマイオニーが小さく息を呑む。遅れて理解したロンも白目を剥いた。
「それで、そ、その人はフラッフィーに興味あるみたいだった?」
「そりゃそうだ……三頭犬なんて、たとえホグワーツだって、そんなに何匹もいねぇだろう?だから俺は言ってやったよ。フラッフィーなんか、なだめ方さえ知ってれば、お茶の子さいさいだって。ちょいと音楽を聞かせればすぐねんねしちまうって……」
そこまで言ってから、ハグリッドが急に口を閉じた。私たちにフラッフィーについて教えてしまったことに、今更ながら気づいたらしい。だが、私たちはそれどころではなかった。一目散に、学校に向かって走り出す。ハグリッドが何か叫んでいるのが風に乗って聞こえてきた。
盗人は、クィレル先生が折れるよりも前から、フラッフィーのなだめ方を聞き出していたのだ。そして先日、遂に先生が脅しに屈した。もう、石を守るモノは何もない。あとは盗み出すだけだ。
「ダンブルドアのところに行かなくちゃ」
玄関ホールに着くと、すかさずハリーが言った。最早、私たちがなぜ“賢者の石”やフラッフィーのことを知っているのか、先生たちに知られることを恐れている場合ではない。“石”が奪われてしまえば、私たちの世界は脅かされ、私の親友が殺されてしまう。それを思えば、例え自分が退校処分になろうとどうでもよかった。
「ハグリッドが怪しい奴に、フラッフィーをどうやって手懐けるか教えてしまった。マントの人物は、スネイプかヴォルデモートだったんだ……」
「ハグリッドがドラゴンを飼いたがっていることを知っていたなら、スネイプ先生の可能性が高いね」
「かもしれない……ハグリッドを酔わせてしまえば、あとは簡単だったに違いない。ダンブルドアが僕たちの言うことを信じてくれればいいけど」
ベインさえ止めなければ、フィレンツェが証言してくれるかもしれない。
「校長室はどこだろう?」
私たちは辺りを見回す。だが、校長室の所在は誰も知らなかった。そもそも、校長が普段、この城のどこにいるのかも知らないのだ。ここに住んでいるのかさえも。
「こうなったら僕たちとしては…」と、ハリーが言いかけた時、ホールの向こうから声が飛んできた。
「そこの四人、こんなところで何をしているの?」
マクゴナガル先生だった。
どうしよう。
私は素早く、ハーマイオニーと視線を交わす。正直、今一番追求されたくない相手だ。何を言っても通用する気がしない。
「ダンブルドア先生にお目にかかりたいんです」
「ダンブルドア先生にお目にかかる?」
「はい、先生」
マクゴナガル先生の鸚鵡返しに、私は大きく頷いた。先生は私を鋭く射抜いたまま、「理由は?」と尋ねた。答えたのはハリーだった。
「ちょっと秘密なんです」
私とハーマイオニーは、両側からハリーを凝視した。その言い訳はない。有り得ない。マクゴナガル先生でなくても、絶対に通用しない。案の定、その一言は先生を苛立たせるのに十分だった。
「ダンブルドア先生は10分前にお出かけになりました。魔法省から緊急のふくろう便が来て、すぐにロンドンに飛び発たれました」
「先生がいらっしゃらない?この肝心な時に?」
私たちは一足遅かったのだ。湖の傍で寝転びながら見上げたあのふくろう。あれは恐らく、校長を呼び出すための罠だ。
「ポッター。ダンブルドア先生は偉大な魔法使いですから、大変ご多忙でいらっしゃる……」
ハリーは食い下がるが、先生の対応はどこまでも冷たい。マクゴナガル先生を苛立たせてしまった以上、ハリーは慎重さをかなぐり捨てることにしたようだ。「実は……」と口火を切った。
「先生……“賢者の石”の件なのです…」
マクゴナガル先生の腕から、バラバラと本が溢れ落ちた。先生はそれを拾おうともせずに、「どうしてそれを……?」としどろもどろに呟くだけだった。
「先生、僕の考えでは、いいえ、僕は知ってるんです。スネー……いった!…いや、誰かが“石”を盗もうとしています」
どうしてもダンブルドア先生にお話ししなくてはならないのです。
真剣な顔つきで言い切ったハリーだが、目は涙目になっていた。ハリーが「スネイプ」と言いかけた時、すかさず私が足を踏みつけたからだ。
「ダンブルドア先生は、明日お帰りになります。あなたたちがどうしてあの“石”のことを知ったのかわかりませんが、安心なさい。磐石の守りですから、誰も盗むことはできません」
「でも先生……」
「先生、聞いて下さい」
「ポッター、フジミヤ。二度同じことは言いません」
四人とも外に行きなさい。
「せっかくのよい天気ですよ」
マクゴナガル先生は、「ありがとう」と私の手から本を受け取り、さっさと行ってしまった。残された私たちは当然外へ出ることなく、その場に佇む。
「今夜だ」
先生が遠退くのを待って、ハリーが言った。
「スネイプが仕掛け扉を破るなら今夜だ。必要なことは全部わかったし、ダンブルドアも追い払ったし」
スネイプが手紙を送ったんだ。
「ダンブルドア先生が顔を出したら、きっと魔法省じゃキョトンとするに違いない」
「でも私たちに何ができるって…」
ハーマイオニーと共に声を呑む。ハリーとロンの後ろにスネイプ先生が立っていた。抑揚のない声が、「ごきげんよう」と紡ぐ。
「諸君、こんな日には室内にいるもんじゃない」
その、微笑とも呼べない歪んだ笑みは、一体何を意味しているのだろう。
「僕たちは……」
「もっと慎重に願いたいものですな。こんな風にウロウロしているところを人が見れば、何か企んでいるように見えますぞ」
グリフィンドールとしては、これ以上減点される余裕はないはずだろう?
痛いところを突かれ、ハリーの顔に赤みが差す。落ち着かせるようにその腕に触れる。そのまま、彼を引っ張って形だけでも外へ連れ出そうとした。すると、先生がまた声をかけてきた。
「これ以上夜中にうろついているのを見かけたなら、私自ら君を対抗処分にするぞ。さぁもう行きたまえ」
先生は大股で去っていった。職員室に戻るのだろう。私たちはその場から少し離れ、計画を立てた。
私とハーマイオニーが先生を見張り、ハリーたちが四階の廊下を見張る。
単純な作戦だが、これ以外に方法はない。私たちでは太刀打ちできないが、すぐに大人たちに知らせることができれば、“石”を守れるかもしれないと考えたのだ。
上手くいくかはわからない。わからないけれど、やるしかない。世界の平穏とハリーの命は、今この瞬間、どういう訳か私たちの手に懸かっているのだから。
*
ハリーの指示の下、私とハーマイオニーはスネイプ先生を見張るために、職員室の前にやって来ていた。
「…どうする?」
尋ねると、ハーマイオニーは緊張した面持ちで周囲を見回した。
「カヤは、向こうで待機してて」
彼女が指差したのは、ちょうどここからでは死角になった場所。私は頷いてハーマイオニーと別れ、影に身を潜めた。
スネイプ先生が職員室から出てきたのは、正にその瞬間だった。先生はオロオロしているハーマイオニーに不意打ちのように話しかけると、一旦中へ引っ込んだ。
ハーマイオニーがこっちを見た。どうしたのだろうと顔を覗かせると、「ごめん」とその口が動く。
また扉が開いて、今度はフリットウィック先生が出てきた。スネイプ先生は、ハーマイオニーに笑顔を浮かべて話しかけるフリットウィック先生の隣を、悠然と通り抜けた。地下の自室に戻るのだろう。私は自然を装い、その姿を追いかけた。
先生がハーマイオニーの咄嗟の嘘を見抜いたかどうかはわからないが、ハーマイオニーは完全に足止めされてしまった。先生を尾行できるのは私だけ。私がしっかりしないと──。だが。
「…ミ、ミ、ミス・フジミヤ」
尾行を開始して間もなく、角を曲がった先生に続こうとした瞬間、後ろから呼び止められた。
「こんにちは、クィレル先生」
弱々しく微笑む先生を横目に、私はスネイプ先生を探した。先生の姿はもうどこにもなかった。今目を逸らした一瞬で、見失ってしまったのだ。
「す、少し、お、お時間はありますか…?」
「えっと、…今、ですか?」
先生は頷いた。私は視線をさ迷わせ、もう一度スネイプ先生が消えた方向を見る。ハーマイオニーが尾行できない以上、私が尾行を続けないといけなかったのに、見失ってしまった。クィレル先生に声をかけられるなんて、タイミングが悪すぎる。もう、ハリーとロンに賭けるしかない。
そう判断した私は、「大丈夫です」と絞り出すようにして答えた。そして心の中で三人に謝罪をし、クィレル先生の後を追った。