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お盆が明けると、我が家は俄に多忙を極めた。私の入学が、眼前に差し迫ってきたからである。
ホグワーツからの手紙の返事は、手紙が来た翌日にふくろうに持たせた。そして、ホグワーツ入学が正式に受理された私は、9月1日の新学期を心待にしながら、入学の為の準備――制服や教科書等の必需品の買い物――に追われた。無論日本で揃えることのできるものもいくつかあるが、ほとんどロンドンの“ダイアゴン横丁”でなければ完全に揃えることはできない。
…と言うことで、祖父を除く私たち三人は、お盆を終えるとイギリス行きの飛行機に飛び乗った。祖父の兄――次期総理大臣候補――は、政府に申請して
移動キーを作ることを勧めたが、母が『移動キーは酔うから嫌だ』と言ったので、マグル式の移動法を採択したのである。イギリスー日本間を移動するとなると、体にかかる負担はとてつもないし、何よりそう簡単に作成の許可が下りないそうだ。それを、無理矢理コネで解決させようとしたらしい。
それにしても、祖父の実家――魔法省の高官揃い――はなぜああも自然にコネを使わせようとするのだろう。『持ってるものは何でも使え!』と祖父はよく言うけど、そこにはコネも含まれている……?
とにもかくにも、なんとか無事に――家を出る前に一族総出の送り出しがあり、号泣する親戚の子供たちや椿を宥めるという事件が発生したが――到着したロンドンで、私たちは大叔父に描いてもらった地図を片手に、散々迷いながらようやくダイアゴン横丁の入り口である、“漏れ鍋”に到着したのだ。
『描いてもらってなんだけど、叔父上の地図、わかりにくかったよな?』
母が漏れ鍋の店主と話している傍ら、父がそう溢した。その手に握られている地図は大叔父お手製のもので、目的地までの道程を勝手に描き換えては、私たちを大いに混乱させたのだ。『行き先までの道順を示す地図が勝手に変わるってどういうこと!?』と三人で騒ぎ立てていた私たちは、さぞ奇妙な外国人だと思われたに違いない。
『大叔父様が悪戯好きなのは、周知の事実じゃない』
大叔父の、老いても変わらないいたずらな光を宿した眼差しを思い浮かべる。きっと今頃、かつて男前と評され、女性にモテにモテた顔を歪めて、ケラケラと笑っていることだろう。闇祓いという仕事柄顔中に傷があり、そのせいで怖い人だと思われることが多いが、中身は学生時分と同じユーモアに富んだ愉快な人なのだ。
『そうなんだけど、叔父上にしか聞けなかったんだよ…』
祖母の二番目の弟である、もう一人の大叔父は入院中、大叔母は壊滅的に説明が下手で絵心もないとなれば、上の大叔父に頼むしかなかったのだ。しかし大叔父も、最後にイギリスを訪れたのはホグワーツ卒業に、親友の結婚式に参加した時以来だというから、40年以上前の記憶を頼りにせざるを得なかった。そんな記憶に悪戯心がプラスされればどうなるかは、火を見るよりも明らかだった。案の定振り回され、予定よりも3時間遅れてここに到着したのである。歩き疲れた脚が痛い。
「ありがとうございます」
聞き慣れた声が、少したどたどしく英語を紡いでいる。ちょうど、店主と話をつけた母がこちらへ戻ってきた。
『今日から9月1日までの2週間程、ここで宿を借りられるそうよ』
『よかった……これでもし宿が取れなかったら、魔法を使ってでも飛行機のチケットを取らなきゃだったよ』
『そうなったら、大叔父様へのお土産はなしだったね』
店主の優しさに一家三人感謝の意を表しながら、宛がわれた部屋へ向かう。本音はもう一歩も動きたくないと叫びたいところだが、さっさと用事を済ませてしまいたい気持ちもある。迷うぐらいならやってしまう方がいいだろうと言うことで、私たちは休憩もそこそこに、ダイアゴン横丁へ繰り出した。
*
『イギリスではレンガを叩いて魔法界に入るのか…』
人でごった返した通りを歩きながら、父はイギリスのマグル界と魔法界を繋ぐ出入口を頻りに褒めていた。変なモノや事に興味を示すのが父の癖だとわかっているから、私も母もほとんどその呟きを無視した。
『何から買うの?』
『そうね…教科書や大鍋は、制服の採寸中にお母様たちで行くから、先に杖にしましょうか』
『杖、わざわざ見てもらわないとダメなのか?母上が華耶に遺したものなんだ、ちゃんと言うことは聞くと思うけどなぁ…』
父が歩きながらぼやく。母は、そんな父の意見を一睨みで黙らせた。
『杖はきちんと選ばないと。いくらお義母様が認めていても、杖自身が華耶を認めないかもしれないじゃない』
現に、この子に渡したときはうんともすんとも言わなかった。
私は、その時のことを思い出して居たたまれなくなった。祖母は遺言状の中で、私に自分の杖を遺してくれた。ホグワーツへの返事を書いたあと、祖父から渡された杖に初めて触れたのだが、杖は何の反応も示してはくれなかったのだ。
杖を媒介にして魔法を行使する私たちにとって、杖は何より大切なものだ。だから、魔法魔術学校への入学が決まった子供たちは、杖作りの元で杖を購入する。そこで専門家に合わせてもらい、自分と最も相性のいい杖を選んでもらうのだ。私のように、身内の誰かの杖を使う人もいるだろうが、その場合でもきちんと杖作りに見てもらった方がいいというのが、母の意見だった。言うことの聞かない杖を使い続けるのは魔法使いにとってもストレスだし、本来の力を十分発揮することができないからだ。
そうして向かったのは、“オリバンダーの店”と書かれた小さな店だった。紀元前382年創業らしい。入店を告げるベルの音を聞きつつ、店内を不躾にならない程度に見渡す。天井まで積み重ねられた細長い箱には、杖が入っているに違いない。
「いらっしゃいませ」
柔らかな声に振り返れば、一人の老人が立っていた。この人が、オリバンダーさんなのだろう。
「こんにちは」
「…おお、これは珍しい。遠くアジア…東の国からのお客様とは。フジミヤ家の四兄弟以来じゃ」
「私、その四兄弟の長女の…サクヤの孫の、カヤ・フジミヤと申します」
オリバンダーさんの銀色の目が丸くなる。じっと見つめられているのを感じ、少し居心地が悪くなった私は軽く身動ぎした。
「なんと!…では……」とその目が両親の方へ向くと、オリバンダーさんが何を言わんとしているのかを察した父が、「あー…私が、サクヤの長男です」とはにかむ。
「そうでしたか。いやぁ…どことなく、お母様に似ておられる」
あなたもおばあ様に似た、可愛らしいお嬢さんだ。
美人で評判だった祖母に似ていると言われて、嬉しくない訳がない。微笑みを浮かべると、「今日は、その杖がこの子に合うかどうか見て頂きたくて…」と、母が切り出した。その視線に促され、私は持っていた箱から一本の杖を取り出し、オリバンダーさんへ差し出す。
「…25センチ、桜の木…妖狐の尻尾…これは、ミセス・フジミヤの、…あなたのおばあ様の杖じゃな?」
「はい。母が亡くなる前に、この子が使うようにと遺したものです」
「彼女の訃報を知った時は、寂しさで胸が潰れそうでした。あんなに優しく、聡明な魔女は見たことがない」
老人は、ふと哀しみに目を伏せた。しかしそれは束の間で、直ぐに「杖腕はどちらかな?」と尋ねてきた。右腕を差し出すと、すかさず寸法が測られる。
「ふむ……長さは十分。杖自体も柔らかく、素直で扱いやすい。芯に妖狐の尻尾が使われているから、非常に変身術に長けている…あなた方フジミヤ家とも、非常に相性がいい」
何でも見透かすような眼差しに、思わず身を固くする。オリバンダーさんの言う通り、妖狐の尻尾が使われた杖は、私たちの一族ととても相性がいい。藤宮家の人間は全員漏れなく変身術が得意なのだが、それは杖の力に依るところも大きいのだと、祖父から聞いたことがある。
我が家では慣習として、イギリスにしろ日本にしろ、魔法学校に入学する頃になると、本家の庭に植えられている桜の木の枝と妖狐の尻尾を材料として、杖を作ってもらうことになっている。祖母たちも慣習に従い、ホグワーツ入学時にはオリバンダーさんに材料を提供し、杖を作ってもらったそうだ。
「さぁ、ミス・フジミヤ。杖を軽く振ってごらんなさい」
オリバンダーさんの言うがままに、手にした杖を軽く振る。指先にじんわりと温もりが広がるのを感じた直後、杖先からはらはらと桜の花弁が咲き溢れる。
驚いて両親を振り返ると、二人も目を丸くしていた。家では無反応だったのに、どうして突然言うことを聞いてくれたのだろう。
「素晴らしい!…やはりその杖は、あなた方一族と深い縁で結ばれているようじゃ」
「…では、私がこの杖を使っても大丈夫なんですか?……家で振ってみた時は、無反応でしたけど…」
「もちろん。あなたに従わなかったのは、その時はまだ杖があなたを認めていなかったからでしょう。しかし、杖はたった今、あなたを自らの主人として選んだのです。この杖はもう、あなたのものだ」
老人はそう、にっこりと微笑んだ。
お礼を言って店を出るときには、胸に温かいものが流れていた。祖母の母校に通えるだけでなく、祖母が遺してくれた杖を使うことができるなんて。
家を出る前に手に取った時は何ともなかったのに、オリバンダーさんに言われて手にした時に感じた、あの温もり。あれは、杖が私を祖母に代わる主人として認めてくれたからこその感触だったのだ。
『さぁて、杖も無事に使えるとわかったことだし、次は何を買う?』
『…あぁ、そうだ。華耶、入学祝いに何かペットを買ってあげる』
『本当?やった!』
『何がいい?確か……ヒキガエル、猫、ふくろう、のどれかだったかな?』
『そうよ。でも、ヒキガエルはやめてね。お母様が苦手だから』
母のリクエストを受け、猫かふくろうの二択になった。単純な好みで言えば猫に惹かれるが、ホグワーツからの郵便を運んできたふくろうの愛らしさに胸打たれたばかりだから、ふくろうも捨てがたい。
『猫とふくろうなら、お父様はふくろうをお勧めするよ。郵便物を運んでくれるから、いつでも好きな時に手紙を出せる』
華耶には毎日でも手紙を書いて欲しいから、ふくろうの方が便利じゃないか?
毎日は書かないと思うが、確かにふくろうの方が手紙のやり取りを考えると便利だろう。それに、なんと言っても可愛い。
『なら、ふくろうにするわ』
『じゃあ、全部の買い物が終わったら、最後に買いに行きましょう』
そうして、全ての買い物を終えて訪れた“イーロップのふくろう百貨店”は、ホーホーという静かな鳴き声に満ちていた。どの子もとても可愛かったけれど、一番心惹かれたのはモリフクロウだった。他と比べるとやや小柄で、大人しくおっとりした性格だそうだ。店内に入って、真っ先に目が合ったこの子は、決して逸らすことなく、寧ろ興味津々といった様子で私を見つめてきた。その姿に、胸を射抜かれたのだ。
『お父様、お母様。私、この子がいい!』
両親が買ってくれたのは、雄のふくろうだった。まだまだ子供だが、手紙の配送には問題ない大きさだ。腕に抱えた籠の中で、小首を傾けて私を見上げるこの子の名前は、“夕霧”に決めた。柔らかな羽は霧のような白ともグレーともつかない色合いだったし、ちょうどそれが通りに差し込む夕陽に染められていたからだ。呼び掛けると、名前を気に入ってくれたのか、夕霧は愛らしい声で鳴いた。
『最高のプレゼントよ。ありがとう』
微笑む二人を見つめ、私は籠をぎゅっと抱き締めた。