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 9月1日、ロンドン、キングズ・クロス駅。

 私は、夕霧の入った籠と大きなトランクを乗せたカートを押しながら、両親と一緒にプラットホームに向かっていた。ホグワーツ行きの列車は11時に出発する。今は10時30分。時間的にも余裕があるし、大叔父たちに聞いていなかった“9と4分の3番線”の所在地についても問題はない。
 周囲を行き交うマグルたちの視線から逃れるように、自然な風を装って9番と10番のプラットホームを分ける柵を通って、真っ赤な蒸気機関車が停車している、9と4分の3番線に到着した。

『9と4分の3番線…なかなかクレイジーね』
『マホウトコロはウミツバメに乗って通うんだっけ?』
『そうだよ。入寮前の子だけね』

 ホームを歩いて、空いているコンパートメントを探す。その道中、チラチラと向けられる視線の数々に落ち着かない気持ちになる。オリバンダーさんの探るような眼差しも少し苦手だと思ったけれど、今よりはずっとマシだった気がする。見世物になっている気分だ。

「…珍しいわね。ホグワーツにアジア人なんて」

 近くで、女性の声がした。どう聞いても、私たち一家のことだ。さりげなく目を向ければ、透き通るようなブロンドの美女が、じっとこちらを見ていた。居心地が悪くなって軽く咳払いをすると、隣を歩いていた母が苦笑した。

『気にしたら負けよ。仕方ないじゃない。ホグワーツはイギリスの学校なんだから、アジア人は珍しいのよ』
『そうだよ。叔父上も言ってただろ、フジミヤ四兄弟は有名だったって』
『みんな、そんなに日本人の平たい顔が珍しいの?』

 思わずふてくされたように呟く。二人は声を立てて笑った。
 

 やがて、列車の中程に空いているコンパートメントを一つ発見した。開いた窓から夕霧の籠を先に押し込んで、父がトランクを列車に乗せ、客室に放り込むと、もう一度ホームに戻った。もう、出発までの時間は残り少ない。

『華耶』

 母が私を呼ぶ。父の目には、キラリと光るものが浮かんでいた。そんなものを見せられては、こっちまで泣いてしまう。父を視界の外に追い出して、優しい母の顔を見上げる。

『ホグワーツのことは、お父様もお母様も通ってないからよく知らない。どんな所なのか、どんな人がいるのか…外国で、当然周囲も外国の人ばかりで心細くて不安だと思う。好奇の目を向けられることも、嫌な思いをすることもあるかもしれないし、言葉の壁にぶつかることもあると思う』
でも、これだけは間違いなく言える。
『おばあ様たちが7年間を過ごした学舎ですもの、とても素敵な所のはずよ。それに、あなたがホグワーツに入学できたのは偶然なんかじゃない。学校が、あなたを選んでくれたの』

 『それを忘れないでね』と微笑みながら私を抱き締めた母の後ろから、父が顔を出す。もう、その目は潤んではいなかった。

『辛いことがあったら、一旦立ち止まればいい。一度後ろを振り向いてもいい。おまえが心を強く持っていれば、どんなことでも乗り越えられるよ』
『お父様、お母様…ありがとう、私、頑張る。絶対、負けないから』

 父が母ごと私を抱き締める。しばらくそのまま抱き合っていたけれど、ごった返す人々がもたらす喧騒に追われるように離れた。名残惜しくて、泣きそうになって唇を噛む。

 泣くもんか。もし泣いてしまったら、列車に乗り込む決意が揺らいでしまう。ホグワーツに行くことを望んだのは私だけど、家族と離れて暮らすのは初めてだから心が強く締め付けられるようだ。
 それでも、私を涙を呑んで顔を上げた。笑顔でいないと、二人を心配させてしまう。離れ離れになることを惜しんでいるのは、私だけではないのだから。

『行ってきます』
『いってらっしゃい』
『気をつけるんだよ』

 二人は最後に私の髪を撫でて、一歩後ろへ退いた。それが合図であったかのように、私も特急へ足をかける。ちらりと見たホームの時計は、もう出発時間を告げていた。笛の音が鋭く響いて、扉が閉まる。窓から身を乗り出す生徒たちの奥から、両親に目を向ける。二人は笑っていた。笑って、手を振っていた。私も笑顔で手を振る。ゆっくりと列車が動き出した。世界で一番大好きな二人が見えなくなるまで、私は手を振っていた。そして二人が視界から消えてしまうと、急に込み上げてきた寂しさをぐっと堪えて、自分のコンパートメントに向かった。入ってきた私を見て、夕霧が優しく鳴いていた。



 列車が動き出して数分後、車内はコンパートメントに戻る生徒、空席を探す生徒で賑わっていた。それを尻目に、私は窓の外の景色をぼんやり眺めていた。籠の外に出て嬉しそうにしている夕霧も、嘴を窓ガラスに押し付けている。

『自由に飛ばしてあげたいけど、迷子になっても困るし、我慢してね』

 そう、小さな背を撫でた時だった。

「ここ、座ってもいいかしら?」

 耳に飛び込んできた英語に振り向くと、入り口に一人の女の子が立っていた。栗色のふわふわした髪の、利発そうな顔をした子だ。

「もちろん。どうぞ」

 「ありがとう。もう、どこのコンパートメントも一杯で…」と、彼女はトランクを荷物棚に引き上げ、私の前に腰を下ろした。

「突然ごめんなさい。私は、ハーマイオニー・グレンジャー」
「カヤ・フジミヤです。あなたも新入生?」
「えぇ。“も”ってことは、あなたもなのね。よろしく。…カヤと呼んでも?」
「もちろん。私もファーストネームで呼んでもいい?」

 彼女、ハーマイオニーがにこりと笑うと、少し大きめの前歯が覗いた。

「カヤは…えっと、アジアから?」
「そう。日本よ」
「日本!私、いつか行ってみたいと思ってたの」

 ハーマイオニーの口から次々と飛び出すのは、日本の観光地の名前。そのほとんどが、マグルの住むエリアにある地名だと気づいた私は、「気に障ったら申し訳ないけど、ハーマイオニーはマグル出身なの?」と尋ねた。

「そうよ。自分が魔女だって知ったのも、ホグワーツからの手紙が来てからなの。だからダイアゴン横丁に行った時、魔法族の子たちに遅れちゃいけないと思って、参考書をいくつか買ってもらって勉強したんだけど…」
「そうなんだ。私、教科書は一応全部に目を通したけど、参考書までは気が回らなかったなぁ…」
「でも、カヤはご両親も魔法使いなんでしょう?」
「そうだけど、私が知ってるのは日本の魔法界のことだけだもの。イギリスのことは詳しくないよ」

 賢そうだと雰囲気からして思っていたが、彼女はとても勤勉な質のようだ。気が合いそうだし、友達になりたいと思った。

「…にしても、あなたとても英語が上手なのね」
「ありがとう。おばあ様の教育方針でね、7歳くらいから英語を勉強するようになったの。日常会話はともかく、あんまり早い会話はまだ聞き取りが難しいし、本を読んでいるとやっぱりわからない単語もたくさんあって、その都度辞書を引くから時間がかかっちゃうの」
それがとても心配なのよ。
「おばあ様や大叔父様たちもホグワーツ出身なんだけど、会話はともかく、読み書きには苦労したみたい」

 彼らのアドバイスを踏まえた私は、教科書を買った翌日、それぞれの教科書の第一章分を読み込んで、わからない単語を辞書で調べる、といった作業をこなした。コミュニケーションは何とかなっても、肝心の勉学の方で難があってはイギリスまでやって来た意味がないからだ。

「言語って難しいものね。何かわからないことがあったら、遠慮なく頼ってね」
「ありがとう。ハーマイオニーも、魔法界の…特に日本のことなら何でも聞いて」


 それからしばらくは、互いのこと――家族や住んでいる国、地域のことなど――を話した。彼女のご両親は“ハイシャ”という職業に就いているそうだ。それがどんな職業なのかはわからないけれど、ハーマイオニーがこんなにも頭がいいのなら、そのご両親もきっと秀才なのだろうと勝手に考えた。
 ハーマイオニーは、私の家族に興味津々だった。話をしているうちに、藤宮家が、本――海外の魔法界の歴史について書かれている本だそうだ――に載っていたことを思い出したようで、そこからは質問攻めだった。


「確か、“日本で最も古い純血の一族”、もしくは“日本で最も影響力のある一族”だったわよね?」
「…まぁ、そう言われることが多いね。自分で言うのもなんだけど」

 そう、肩をすくめる。“日本で最も古い”かどうかは知らないが、代々続く純血一族であることは間違いないし、“影響力がある”という点も事実だ。何せ、歴代当主の中には魔法大臣を勤めた人も数人いるし、祖父の実家は魔法省の高官揃いだし、母の実家はマホウトコロの理事を務める家柄だ。影響力というか、権力はそれなりに持っている。

「…おばあ様たちはどこの寮だったの?」
「おばあ様と大叔母様はハッフルパフよ。大叔父様たちは上がグリフィンドール、下がレイブンクロー」
「そうなのね。カヤはどこか希望はあるの?」
「うーん…どうだろう。おばあ様と同じハッフルパフがいいなと思うけど、グリフィンドールも素敵よね。私に、そんな勇気があるかはわからないけど」
「私も、グリフィンドールがいいなと思って。でも、もしどこの寮に組み分けられても、あなたが一番の友達よ」

 友達になりたいと思っていた人からそう言ってもらえたことが嬉しくて、ハーマイオニーの手を取って握り締めた。


 汽車はその間にも、停まることなく進んでいく。窓の外の景色はビュンビュンと激しく移り変わっていて、夕霧はまだ飽きていないらしく、窓枠にかじりついたままだ。ハーマイオニーはペットを持っていないそうで、「羨ましい…」と夕霧を見つめていた。

「ペットを飼うかすごく迷ったの。でも、学校の様子とか他のみんなが何を飼っているかわからないから、今年はまだいいかと思って諦めたの」
「やっぱりふくろうが人気なのかなぁ…でも、猫も可愛いよね。ヒキガエルは…お母様が苦手だから、早々に選択肢から除外したけど」

 車内販売の魔女から買ったお菓子に舌鼓を打ちつつ、ホグワーツのペット事情を想像していると、コンパートメントの扉がノックされた。顔を出したのは、今にも泣きそうな顔をした男の子だった。

「ごめんね。僕のヒキガエル見かけなかった?」
「あー…ごめんなさい、私は見てないわ」
「私も」

 男の子の瞳から、一筋涙が溢れる。私は慌てて、ポケットから取り出したハンカチを差し出した。ハーマイオニーが慰めるように、チョコレートを握らせる。

「トレバーっていうんだけど、いつも僕から逃げてばっかりいるんだ!」
「一緒に列車に乗ったなら、きっとどこかにいるはずだよ」
「そうね。私も一緒に探すわ」

 ハーマイオニーの言葉に、男の子は潤んでいた目を輝かせ、伏せていた顔を上げた。私は、女神のようなその言動に感服せざるを得なかった。

「私も探すよ」
「カヤはここにいて。コンパートメントを空室にするのは不安だから…」
「……それもそうね」

 立ち上がりかけた腰を下ろす。男の子は感極まった声を上げ、何度も「ありがとう!」と繰り返した。彼は、ネビル・ロングボトムと名乗った。互いに自己紹介し合ったあと、ハーマイオニーはネビルと連れ立って出ていこうとした。ちょうど腕時計を見た私は、その服の裾を引っ張る。

「?」
「トレバーがすぐに見つかるかわからないし、先にローブに着替えておいた方がいいかも」
「…あぁ、そうね。わかった」

 「着替えたらすぐに行くわね」と断って、彼女はネビルに一旦別れを告げる。客室の戸を閉めて着替え始めるのに倣って、私は事前に出しておいたローブに手を伸ばす。

 先に着替え終えたハーマイオニーは、「また後でね」と言い残し、今度こそネビルを追いかけていった。残された着替えが終わると手持ち無沙汰になって、夕霧を膝にのせてゆっくり目を閉じた。列車の揺れが心地よくて、気づいたら眠っていた。