435.5話 魅惑のトーファ
ある朝。朝食を準備の終え、あとはコーヒーを淹れるだけ、とお湯を沸かしていると、階下の店舗で仕込みをしていたはずの夫が、珍しく慌てた様子で階段を駆け上がってきた。
「カヌレ!」
「どうしたの?」
顔だけ夫の方へ向けると、目の前に今朝の新聞が突き出された。あまりにも近すぎて全く見えなかったから、私は一歩後ろに退いて、新聞の一面を眺める。夫がこれだけ慌てているということは、トーファ達のことが書かれていたのだと思う。さて、あの子達は何をやらかしたのだろう。この島を出ていく時は、空島を目指していると言っていたが…
飛び込んできたのは、麦わら帽子と眩しい笑顔。そして、『司法の島エニエス・ロビー陥落!!』の文字。……えっ?
「えっ?」
「気持ちはわかるけど、記事の中身を読んでくれ!」
困惑している気持ちを取り敢えず脇に退けて、せっつかれるままに受け取った新聞の文字を追いかける。しかし、追いかければ追いかけるほど、意味不明だった。
「えっ?」
記事読んでも読まなくても出てくる感想が一緒なら、読まなくてもよかったじゃん、って思ったの私だけかな?私は目を瞬かせ、夫の顔を見た。夫も私を見ている。その顔には、「さっぱりわからん」と書かれていた。
「えっ?ちょっと、…どういうこと?」
「わからん」
「だよね。わかってないの、私だけじゃないよね」
よかった。私が49歳にして急にバカになったのかと思った。夫もわかってないみたいで、ちょっと安心した。
私はもう一度改めて、今度はじっくりと記事を読んだ。その間に、夫は気持ちを落ち着けようとしたのか、とっくに沸き上がっていたお湯をカップに注ぎ始めた。若干お湯がテーブルに溢れているのは、それだけ動揺しているからだろうか。後ででいいけど、ちゃんと拭いておいてね。
「……要はあの子達、世界政府に喧嘩売ったってこと?」
「……みたいだな」
「正気?…いやまぁ、海賊やってる時点で喧嘩売ってるのと同義だけど…」
全然人のこと言えないけど。なんなら私母親がバリバリ海賊だから、生まれたときから政府の敵だしな。私なんも悪いことしてないけど賞金首だしな!!
「エニエス・ロビーを落としたってことは、多分CP9を倒したってことかな」
「CP9?」
「世界政府の諜報機関のうちの、9つ目の組織よ。一般市民には存在は隠されているけど」
「……なんで君は知ってるの?」
「私を誰だと思ってるの?元々は、ビッグ・マム海賊団の裏方やってたのよ。世界政府の組織構成くらい知ってるわ。多分、そこは30年前とほとんど変わってないと思うし…」
「なるほど。…君には未だに驚かされることばっかりだ」
私は肩をすくめた。私だってビックリだ。駆け落ちしてからは、こんなん知ってたって生きていく上で何の役にも立たない無駄知識だと思っていたものが、今こうして日の目を見たわけである。学んでおいて損なことってないんだね。
「知らなかったな…」と呟きながら新聞を見ている夫には言わなかったけれど、“麦わらの一味”がCP9と戦うことになったのは、恐らくニコ・ロビンと関連しているのだと思う。
私が持つ情報は30年前からアップデートされていないが、日々新聞を読んでいれば予想できることもある。ニコ・ロビンのこともそう。
彼女は“考古学の聖地”オハラの生き残り。オハラと言えば、20年前の事件が有名だろう。世界を滅ぼそうとしたという、“オハラの悪魔達”。その思想を受け継いだとされる、ニコ・ロビン。オハラで一体何があったのか、新聞からしか情報を得られない私には詳細は知るよしもない。それでも、オハラが考古学の聖地であったこと、ニコ・ロビンが幼いながらに多額の懸賞金をかけられていたことを勘案すれば、答えは自ずと見えてくる。
世界政府にとって、オハラの思想は許しがたいものだった。その思想はオハラの土地柄から、きっと“歴史”に纏わるものだったろう。だから、政府はオハラを消さなければならなかった。それが広がっては困るからだ。なぜ困るのか。具体的なことはやはりわからない。でも、オハラの思想が歴史に纏わるものだったと仮定すれば、新世界を生きる海賊──しかもそれなりに大きな海賊団の幹部的な立ち位置にいた者──ならばもうわかるだろう。オハラが粛清されたのは、世界政府が解読を禁じている“歴史の本文”を研究していたからだと。
つまり、オハラの考古学者達は、“歴史の本文”の読解が可能だったわけだ。そして今や、その知識はニコ・ロビンしか持っていない。となれば、世界政府が躍起になって彼女を追い回すのも道理だ。それが今回の事件の背景なのではなかろうか。
新聞には、麦わらの一味が司法の島を陥落させたことしか書かれていない──それでもむちゃくちゃ酷い書かれようだけど──から、全ては私の推測にしか過ぎない。でも、概ね正しいのではないかと思う。まぁ、あまりにもダーク過ぎる話なので、堅気の夫にはしないけど。私だって気持ち的にも「前世」的にもめっちゃ堅気だけど、こういうときにお互いの育った環境ってものが露骨に出るよね。彼は平穏な島と平穏な家族に囲まれて育った一方、私はゴリゴリの裏社会でガチの犯罪者に囲まれて育ったからさ…四皇の長女だし。絶縁してるけど。なんなら殺したいほど憎まれてるだろうけど、一応。
「いやぁ…でも、さすがルフィ君達。詳しい事情はわからないけど、彼らが理不尽なことをするわけないだろうし…何をするにしても迷いのない、気持ちいいくらい真っ直ぐな子達だなぁ」
「ふふ…そうね。でも、海賊ってこういうものじゃなきゃね」
「確かに。君の言う通りだ」
ロジャーが言っていた。「やりたいようにやらないと、海賊やってる意味がない」と。麦わらの一味は、まさにそれを体現したような海賊団だ。特に船長のルフィ君は、その言動がかつてのロジャーを思わせると、私達夫婦の間で専ら評判だ。奇しくも、彼の夢は“海賊王になること”。海賊王であるロジャーと、海賊王を目指すルフィ君。弾けるような笑顔も、自由を愛する気性も、仲間を思う心根も、二人はとてもよく似ている。彼こそ未来の海賊王に相応しいと思うのは、ロジャーを知っている者ならば誰しも思うことではないだろうか。
少なくとも、ママではないと思う。だって海賊王に相応しいのは、誰の支配も受けず、誰も支配することのない、“自由”の申し子のような人だと思うから。全てを押さえつけて支配するママは、きっと違う。ママや、ママが海賊王になることを夢見ているだろう弟妹には悪いけども。
「ルフィ君は、本当にロジャーに似ているな」
「えぇ。私達はロジャーに救われ、娘はルフィ君に救われる…不思議な縁ね」
同意するように頷いた夫は、一頻り記事と写真を眺めた後、「そろそろ朝食にしようか」と新聞を折り畳んだ。その時だった。
ひらひらと、新聞から何かが落ちた。間に挟み込まれていたものが、折り畳んだ拍子に滑り落ちてきたらしい。裏向きに床に散らばったそれは、紙の質感からして手配書のようだ。タイミング的に、ルフィ君の手配書だろう。
「おっと…一面に夢中で、ちっとも気が付かなかった」
「ルフィ君の?」
「多分な。…いっぱいあるけど、他の海賊の分もあるのかな?」
「ルフィ君達のもだけど、弟か妹のがあったら保管しといてね」
「もちろん、わかってるよ」
麦わらの一味の賞金首三人の手配書を保管してあるのは当然として、私はちゃんと弟妹の分も大事に保管している。手配書でしか、彼・彼女らの近況を知る術がないからだ。駆け落ちしといた身でなんだけど、家族のことは好きだし、特に弟妹のことは未だに可愛いと思ってるから、写真でもいいからみんなの顔が見られるのは嬉しい。みんなめっちゃ老けたなとか、ママめっちゃ太ったなとか思ってるし言ってるけど──夫曰く「君が変わらなさすぎなのでは…?」らしい──、それでも嬉しいものは嬉しい。
懸賞金10億とか「何したん…?」って感じだし、童顔だったはずの弟の写真が見たこともないいかついオッサンだったのも「は?」ってなったし、悶絶するほど可愛かった妹の首に9億懸けられてると知って時の流れの残酷さを思い知らされたりしたけど、みんな元気でよかったって思ってるよ。姉的にはね。もう姉とも思われてないだろうけど……
「ぶっ!!」
いきなり、夫がコーヒーを吹いた。一応彼の名誉の為に言えば厳密に口から溢した訳ではないが、口を覆った手の隙間から黒い液体が溢れてるから、“吹き出した”で間違いはないだろう。どうしたんだと、彼が拾い上げた手配書を覗き込む。瞬間、変な声が出た。
それは、娘の手配書だった。懸賞金は4500万ベリー。初めてにしてはなかなか高額。因みに私もそんなもんだったけど、私には“シャーロット”という姓があったし、“ビッグ・マムの長女”という肩書きがあったからその額だったわけで、それを持たないトーファが初手からこの額なのは、結構凄いことなのでは?世界政府に全面的に喧嘩を売るということがどれだけの意味を持つのかは、一味全員が賞金首になったことからも察せられる。ルフィ君3億じゃん、ヤバ。
…て言うか、“魅惑のトーファ”って異名面白すぎない?ヴィーラ族の血引いてるの、世界政府にバレてんじゃん。めっちゃウケる。
「ウケないよ!もっとこう…カッコいいというか、強そうな異名はなかったのか?“海賊狩り”みたいな!こんな、男たらしみたいな異名はないだろ!」
夫は気に入らないみたい──海軍本部に苦情の電話入れかねない勢いだ──だが、トーファも同じこと言ってそうだ。私はいいと思うんだけど。ヴィーラが人を魅了する種族であるのは、もう動かしがたい事実なのだから。私も御年49歳になるのに、容姿に衰えは見えない。女性に弱いというサンジ君が、私を見た瞬間鼻血噴き出して気絶したぐらいだから、多分若い頃とそんなに変わってないと思う。
それに、私の異名も思い出したくないくらいクソださかったから、多分海軍の手配書作成する係のセンスはピンキリなんだと思うよ。
「落ち着いて、コンフィ。…それは仕方ないじゃない。トーファが能力を使えば、政府の人間ならヴィーラのことも知ってるだろうし、すぐにバレるわ」
そんなことより、気にするべきは写真の方でしょ。
「幸い今回のはそこまで顔が映ってないけど、この先はどうなるかわからないんだから」
今回の使われている写真は横顔で、そこまで顔の造りがわかるわけでもない。事件が前代未聞だから、事件の内容くらいは知られるだろうけど、ルフィ君の名前は把握しても、その一味まで把握されることはまずないだろう。ママも弟妹も、そこまで暇じゃないはず。とは言え、それも“今は”だが。
「……でも、それこそ今更ね」
こうなることは十分承知していた。だから私達は、このリベルタ諸島から離れられないのだ。だってここは新世界から遠く離れていて、少なくともこの20年間は平穏無事だったから。
本当は、もっと自由に動き回りたい。ロジャー達と旅していた頃と同じようにとはいかないまでも、近場の島を観光するくらいはしたい。若い頃から、「二人で自由に世界を旅したいね」と言い合ってきた。でも、ビッグ・マム海賊団が健在である以上、決して叶わぬ夢だとわかっていた。諦めていたのだ。そしてその枷を、最愛の娘にもかけていた。私達の宝物を守るためには、そうやって閉じ込めるしかなかったのだ。
でも、偶然この島にやって来たルフィ君達を見て、彼らと仲良くなっていく娘を見て、私は気づかされたのだ。
私が娘にしてきたことは、ママが私にしてきたことと変わらないのではないか、と。
「守るため」という建前で、自由も選択肢も奪って、自分の羽の下に閉じ込めているだけではないか、と。
トーファは一度も口にしたことはないが、本当はもっと自由に世界を飛び回りたいのではないか、と。
私は愕然とした。知らないうちに、自分が感じていた息苦しさを、娘にも味わわせていたのだ。夫は「仕方のないことだ」と、「ママが君にしてきたこととは違う」と慰めてくれたけれど、“娘に選択肢を与えない”という点は同じだ。言い訳はしたくなかった。それは私達の都合であって、娘の未来を奪っていいという免罪符にはならないから。
だから私達は、トーファの好きにするように言ったのだ。トーファは「パパやママと一緒にいたい」と言ってくれたけど、仲間にならないかとの誘いを即座に断らなかったことから、娘が本心ではルフィ君達と一緒にいることを望んでいることはわかっていたから、私達はそっとその背を押した。
「自由に生きたい」と望むトーファに、本当の意味では自由になれない私達の分の願いをのせて。
何より、私達がこの決断をするに至ったのは、ルフィ君達のおかげだ。誰もが自由を愛し、何かに束縛されることなく、誰かに折れることのない真っ直ぐさに、私と夫はロジャーと彼の仲間の姿を重ねた。彼らなら大丈夫だと、そう思えたのだ。
彼らがいつか新世界に到達したならば、ビッグ・マム海賊団とぶつかる時が必ず来るだろう。トーファの顔を見れば、私の娘だとすぐにわかるはずだし、トーファの情報を辿れば、私達の居場所を割り出すこともすぐできるだろう。トーファには私のビブルカードも持たせているから、娘が捕まれば最終的には私達も芋づる式に捕まることになる。私と夫は殺される。トーファは殺されるか、ヴィーラのクォーターであることに価値を見出だされて飼い殺しにされるか。いずれにせよ、ろくな未来は待っていない。
でも、ルフィ君達とならば。彼らがロジャー達と同じように、仲間を大切に思うなら、相手が四皇だろうと怯まないだろう。何があっても、トーファを一人にはしない。一緒に戦ってくれる。そう思えたのだ。そうでなければ、最愛の宝物を預けたりはしない。
「もしもママにトーファのことがバレたとしても、大丈夫よ。トーファも、ルフィ君達も」
そう言うと、夫はしばらく黙ったあと、柔らかく微笑みながら頷いた。
「そこは心配してないよ。あの子達のこと、信じてるから」
「私もよ。それに、ルフィ君は未来の海賊王だもの。四皇なんかに臆してる場合じゃない。寧ろ、ママも弟達もぶっ飛ばす勢いで突き進んでもらわないと、海賊王にはなれないわ」
「……いや、それはさすがに酷過ぎないか?」
そう。ルフィ君が海賊王を目指すのなら、いずれは四皇とぶつかるのだ。トーファがいてもいなくても、それは変わらない。そしてトーファに危機が迫っても、あの子達は絶対に一緒に戦ってくれる。そう、信じられる。彼らと関わった短い時間の中でも、そう十分信じさせてくれたのだから。
「…でも、そうか。そうだな……」
「何も心配いらないわ」
私は、トーファや他の面々の手配書に視線を落とす。全員見事に賞金首。少人数だけど、総合賞金額はかなり高額だ。きっと彼らは今後もどんどん大きく、強くなるだろう。それでもぶれることなく、自由に真っ直ぐ進んでいくのだろう。ロジャー達のように。
「寧ろ、心配するだけ無駄よ。ルフィ君はいつかこの海を背負って立つ男で、トーファはそのクルーなんだから。誰にも止められないわ」
「そうだな」
私達は顔をお互いの顔を見て、笑い合った。それはどこか、互いを慰めるような仕草にも似ていた。
トーファを案ずる気持ちは、どちらの中にも等しくある。娘をこの島から出したことが正しかったのか、常に思い悩んでいる。今後は、もっと葛藤する場面に直面するかもしれない。それでも、私達はこの選択を後悔したりはしない。
私にとってコンフィが唯一無二だったように、娘にとってルフィ君達がきっとそうなのだ。だから、諦めてほしくない。手放してほしくない。そのせいで、傷つくことになったとしてもだ。だって、娘は一人じゃない。一緒に戦ってくれる仲間がいる。傷を癒してくれる仲間がいる。だから、大丈夫。
「…じゃあ、今度こそ朝食にしようか。コーヒーも冷めてしまうし」
夫の声に我に返る。夫は優しく笑っていた。私の唯一無二の人。死ぬことしか考えられなかった私に、生きるという選択肢を与えてくれた。家族を振り切ってここまで逃げてこられたのも、夫と支え合ってきたからだ。一人では絶対に叶わなかった。二人だったからできたのだ。「自由になりたい」、「二人で生きたい」と、強く願ったからだ。
私達が二人でママに立ち向かえたのだから、8人もいるトーファ達ならば何を恐れることがあるだろう。各々の願いを束ねれば、何にだって負けない。そしていつか、夢を叶えて帰ってくるだろう。私達はそれを待っている。
「今日は何のジャムを使おうかしらね」
「柚子はどう?昨日作ったばかりだから、新鮮だよ」
それまで、こうして変わらない日々を送っていよう。幸せな時間を紡いで待っている。娘がいつ帰ってきてもいいように。いつもと変わらない笑顔で、出迎えられるように。