489話 9人目


 スリラーバークでの、王下七武海の一人ゲッコー・モリアとその一味との死闘、奪われた私達の影の奪還、その後に現れたもう一人の七武海バーソロミュー・くまとの邂逅など、本当に様々なことを経験した今、これ以上驚愕するようなことはないだろうと思っていた。ほんの数秒前までは。だが。

「あ。私、仲間になっていいですか?」
「おう。いいぞ!!」

 海を漂う幽霊船で出会ったブルックと、ルフィのやり取り。ルフィがずっと音楽家を求めていて、初対面でいきなりブルックを勧誘したと聞いていたから、こうなることを予想してたけど──実際私達も、途中からはブルックを仲間の一人のように扱っていた──、こうもさらっと一味に新たなメンバーが加わることになろうとは思いもよらなかった。目が飛び出るとは、まさにこのことだ。ロビンは上品に笑っているけど、私は驚いて口から砂糖菓子を溢してしまった。

「でも歓迎〜〜〜っ!!音楽家♬」
「音楽家♪︎死んで骨だけ音楽家♬」
「念願の♪︎音楽家♬」

 未だ昏睡しているゾロを除く男性陣が、ブルックを胴上げし始めた。ガイコツだからよく飛ぶこと…

「また賑やかになるわね」
「なんでこういうの・・・・・集まるの?ウチって…」
「ルフィ基準で勧誘してるからかな」

 喋るトナカイに、サイボーグ、喋るガイコツ…なかなかユニークだと思う。後ろから、ローラの声掛けで再び乾杯の音頭が取られた。ナミは苦笑しながらそれに応えている。

「もっと楽しくなるね」
「えぇ。それに、音楽がいつでも聞けるなんて、素敵だわ」

 ロビンの美しい笑みに誘われるように、私も微笑んだ。その傍らでブルックがまた、一同の大爆笑を浚っていった。



 終始大爆笑に包まれ、大盛り上がりを見せた宴の翌日。私達は酔いの抜けきらない体に鞭打って、各々出港の準備に追われた。
 とは言え、特に忙しく働いていたのは船の修理に駆り出されていたフランキーと、目覚めぬゾロの治療を懸命に行っていたチョッパーで、残りの面々はモリアが溜め込んでいた財宝を仕分けたり、食糧を積み込んだりしていた。私はチョッパーの指示で、時々ゾロに糖分を与える役目を仰せつかったが、ほんの数分ゾロに触れるだけなので、これといった仕事はなかった。そんな時だった。


「トーファ」

 今日のスイーツはチョコレートを使ったものにしようと、サニー号のキッチンでチョコレートをテンパリングしていると、入り口の方から名前を呼ばれた。少し遠慮がちそうに聞こえた声に、一体誰がどうしたのかと目を向けると、そこにはローラが一人で立っていた。私は目を丸くする。

「ローラ!…どうかしたの?」
「ちょっとね。…ナミゾウに言って、上がらせてもらったの。キッチンに入っても?」
「もちろん、どうぞ!…好きなところに座って」

 言いながら、お茶でも出そうかと一瞬作業を中断しようとすると、「手を止めないで!」とローラが鋭い声を上げた。

「!?」
「私のこと構わないでいいから。あと1、2度温度を上げて、もう少し優しく混ぜてあげた方が滑らかに仕上がるわよ」
「わ、わかった…」

 突然の助言に戸惑いながらも、私はローラの言うがままに動いた。そして。


「うわ…いつもより、すっごい滑らか…滑らかすぎて、勝手に飛び出しちゃいそう…」

 感嘆の吐息を溢した私に、ローラは楽しそうに笑った。テンパリングしたチョコレートを保温機に置いて保温させてから、ローラにお茶を出した。パパ直伝の技で作ったジャムを使ったホットジャムティーだ。一口飲んだローラは、「これ、すごく美味しいわね!」と喜んでくれた。

「こんなに美味しいお茶は初めてよ。ありがとう」
「ううん、私の方こそアドバイスありがとう。いつも私がやってたやり方より、教えてもらったやり方の方がずっと滑らかに出来たわ」
「ふふっ…そうでしょう?チョコレートの扱いには慣れてるからね」

 その言葉に、私は首を傾けた。

「ローラは海賊をやる前は、ショコラティエだったの?」

 自分で言うのもなんだが、私のパティシエとしての腕前はそこそこのものだと思う。自他共に認める一流の料理人であるサンジから、そうお墨付きをもらっているからだ。事実、サンジも知らない方法を採っていることも多々ある。私の知識と技術は、お菓子作りが飛び抜けて上手なママから教わったものだ。だから、私が今までやってきたテンパリングの方法も、決して間違っているという訳ではないだろう。味も滑らかさも何も問題はない。
 だけど、たった今ローラに言われた通りの方法でやってみたところ、滑らかさが段違いだった。そこから、ローラはもしかして元々はパティシエ…特に、チョコレートを専門に扱うショコラティエだったのかと思ったのだ。しかし、ローラは笑って首を振った。

「いいえ、ちょっと違うわ。…まぁ、半分は正解みたいなものだけど。お菓子作りが好きなのよ。昔からね」
「そうなんだ。…私もなの。ママがお菓子作りすごく上手だったから、色々教えてもらったの」
でも、今のやり方は知らなかった。
「いつか帰ったら、ママにも教えてあげなきゃ」

 ママの製菓技術は、普通のパティシエでは足元に及ばないくらいのモノだと、サンジが言っていた。だから、そのママから手解きを受けた私の技術もなかなかのはず。そうでなければ、サンジがスイーツ作りを任せてくれる──でも、ナミとロビン、私用のスイーツは基本サンジが作りたがる──はずがない。
 その私が知らなかったのなら、当然ママだって知らないだろう。これまでのやり方でも美味しかったけど、ここまでの滑らかさを得られたことはない。

「そのことで、少しあんたと話しがしたかったの」
「…?」

 一体どうしたのだろうかと、私は自分の分のお茶をカップに注ぎ、ローラの前の席に腰を下ろした。

「昨日、あんたがデザートに出してくれたパウンドケーキ…」
「…あぁ。ウチもだけど、特に被害者の会のみんなにも好評だったみたいで、よかった」
「えぇ。美味しかったわ、とても…」

 本当はもっと別のものを作ろうかと思っていたのだけど、人数がかなり多かったので、急遽予定を変更して、シンプルなパウンドケーキを作った。宴の後に出すから、たっぷりブランデーを染み込ませて、ドライフルーツやくるみを散らして焼き上げたモノだ。被害者の会のみんなのテーブルからは、秒でなくなったと聞いている。ローラの話とは、そのことだろうか。

「ナミから腕のいいパティシエだって聞いてたけど、でも、私が驚いたのは“美味しい”ってことじゃないの。ケーキの味そのものにびっくりしたの」

 ローラの言わんとすることがわからなくて、私は黙ったまま続きを促した。ローラは少し躊躇いながら言った。

「あんたが作ってくれたパウンドケーキはね、私が故郷で食べていたケーキの味に似ていたの」
「ローラの、故郷…?」
「もちろん、ケーキの味は作り手や材料の質によって微妙に違うけど、基本的なところはだいたい同じよね。それはわかってる」
でもあんたが作ったケーキは、基本的な味も、隠し味まで全く同じだった。
「私が故郷で食べていたケーキは、長年料理人をやってる人が作っていたんだけど…私これまで、彼が作った以外であの味のケーキを食べたことがなかったの」
「…だから、びっくりした……?」
「えぇ。すごく」

 私は目を瞬かせた。パウンドケーキの隠し味──マーガリンとバターを半々に使う──は、やはりママから教わったことだ。別段変わったことだとは思っていなかったけど…でも、そう言われてみれば、昨日もサンジに「マーガリンもバターも両方使うの?」って言われたっけ。それに昨日に限らず、よく「それを隠し味に使うのか…」とか、「そのタイミングで入れるのか…」と言われることもあった。ママから教えられたことは、世間ではあまりメジャーではないのだろうか。

「隠し味の使い方も、母親から教わったのよね?」
「そうよ。私の持ってる技術は全部、ママに教えてもらったの」
「……」
「ローラ?」

 彼女は何かを考え込むように、眉間に皺を寄せた。そしてややあってから、小さく尋ねてきた。

「母親の名前、教えてもらっても?」
「カヌレよ」

 ママがお菓子作りが得意なのは、お菓子の名前がついているからなのか、どっちが先か、小さい頃に疑問に思ったことがある。私にも、お菓子の名前がついていることも。

「そう…」
「今度は私が質問してもいい?」
「えぇ。…私ばっかり質問して、悪いわね」
「いいの!……多分、何を聞かれるかは予想してると思うけど、どうしてそんなこと聞くの?私のママのことまで…」
「……当然の質問よね」

 ローラは、両手で包んでいたカップを傾け中身を一口飲んだ。ことりと、カップがソーサーにぶつかる音が響いた。それ以外、キッチンは無音だ。遠くで、ルフィとウソップ、チョッパーがはしゃいでいる声が聞こえてくる。

「私、実は新世界出身なの」
「!…じゃあ、“偉大なる航路”を逆走してるってこと…?」
「そう。色々あって家出してきたんだけど、そのきっかけをくれたのが一番上の姉よ。…と言っても、顔も名前も知らないんだけど」
「えっ…姉妹なのに……?」
「ふふっ…おかしな話でしょ?でも、それが普通だった。私には兄や姉がたくさんいるけど、一番上の姉の話はママや兄姉達の前ではタブーだったの。名前も教えてもらえなかったし、写真も残っていなかったから、顔も知らない」
それはずっと昔に、姉さんが家族を裏切ったから。
「姉さんは恋人と一緒になる為に駆け落ちしたの。…そして追いかけてきた兄や姉の前で、海に飛び込んで心中したの」
「!!」

 目の前で家族が死ぬ……それは、どれほど辛いことだろうか。どういう訳で、ローラの一番上のお姉さんが死を選んだのかはわからないけど、残された家族からすればこの世の地獄だったに違いない。そりゃあ、お姉さんの話題がタブーになるのも当然かもしれない。
 ふと、ママが時々話してくれる、ママの弟妹のことを思い出した。ママも、新世界からパパと駆け落ちしてきた訳で、二人は今でも近所で評判のおしどり夫婦だけど、彼らの家族は二人をどう思っているのだろうか。

「二人は悲劇的な結末を迎えてしまったけど、愛する人と一緒になる道を選んだ姉さんに、漠然と憧れていたのよ。愛に生きて、愛に死ぬなんて…」
もちろん、自分勝手な選択と言われても仕方ないと思う。
「残された家族を思えば、酷い話よね。…現に、兄や姉達は絶対に姉さんの話をしなかったわ。きっと今でも傷ついているのよね。目の前で姉さんを失ったから」
でも、それでも私は姉さんを責められない。
「だって、姉さんの人生だもの。自由に生きなきゃ、生きてる意味がない」

 私の頭の中で、顔も知らないローラのお姉さんと、ママの姿が勝手に重なる。二人の辿った道が似ているからかもしれない。それに、ローラが言った「姉さんの人生だもの」という言葉が、ママがよく言っていた言葉と同じだったからかもしれない。
 ママは昔から、どんなことでも「トーファの人生なんだから、最後は自分で決めなさい」と、私の意見を尊重してくれた。放任主義だったわけでは全然ない──寧ろパパと揃って過保護だった──けど、最後に尊重してくれたのは、“私がどう思うか”だった。それはローラのお姉さんと同じように、両親が自分で決めて今に繋がる未来を掴み取ったことに起因するのだろう。

「それで家出したのね。お姉さんみたいに」

 ローラは頷き、「結婚相手くらい自分で選びたいじゃない。私の人生だもの」と笑った。

「姉さんのことは本当に何も知らないんだけど、子供の頃に一度だけ、料理人から姉さんのことを教えてもらったことがあるの。姉さんは子供の時からお菓子作りが上手で、その料理人に師事していたんですって」
「…もしかして……」
「そう。有り得ないことだけど、もしかして姉さんが生きてるんじゃないかって思ってね。家出をしたのも、どこかで姉さんは生きてるかもしれなって、思いたかったのもあるのよ」

 …なるほど。だからケーキの話をしたのか。合点がいった。
 ローラが言う料理人の作るケーキと、私の作るケーキの味がそっくりだったから。普通とは異なる隠し味だから、お姉さんが実は生きていて、私と何らかの関わりがあるかもしれないと思ったのか。

「もしも姉さんが生きていたら、話したいことがたくさんある。何よりも、「あなたの生き方に憧れて、私も海へ飛び出した」って言いたい…でも、やっぱり姉さんは……」

 どことなく寂しそうな表情に胸を衝かれ、私はテーブルの上にあったローラの手を握った。そして、励ますように言う。

「希望は捨てちゃダメよ。私はママから教わったけど、ママが誰から教わったかは知らないの。もしかしたら、ローラのお姉さんとどこかで関わっていたのかもしれない。私が生まれるまで、ママとパパはあちこち旅をしていたみたいだし…」
「トーファ…」
「だから、諦めないで。時間はたっぷりあるんだし、もうこの霧の海に囚われる理由もない。それこそ、自由の身なんだから」

 そう言うと、ローラの陰っていた表情が明るくなった。「そうよね!」という声も弾んでいる。
 そうだ。ローラは自由なんだ。モリアの支配は終わった。この恐ろしくて霧深い海に閉じ込められる人生は終わりだ。

「ありがとう!…やっぱり、あんたとは初めて会った気がしないわ。こうやって話していると、妹と話してるような心地になるのよ」
「あら、実は私もなのよ」

 ローラと話していると、ナミやロビンと話しているのとはまた違って、どこか懐かしい感じがするのだ。それは、ローラと初めて会った時から思っていた。嬉しいことに、ローラも同じように感じてくれていたらしい。


 そのまま私達は、お茶を飲みながらあれこれ話し続けた。気づいた時にはおやつの時間は差し迫っていて、慌てた私はローラに手伝ってもらいながら、簡単なスイーツをぱぱっと作った。ローラのアドバイスを得て作った生チョコは、今までで一番の出来だった。おやつを取りに来たウソップにお皿を渡し、夕食を作るサンジに明け渡すためにキッチンの片付けを終えた後、私は仲間の元へ戻ろうとするローラを引き留めた。

「ローラ、これを見て」
「?」

 差し出したのは、私が肌身離さず身に付けているロケットペンダント。中には、リベルタ諸島を出る前に撮った家族写と、ママのビブルカードが入っている。私は、私の肩に手を置き微笑んでいるママを指差した。

「これが、私のママよ。この先の旅でもし出会うことがあったら、お姉さんのこととか聞いてみるといいかもしれない」
「あら。…あんたにそっくりね。すごい美人だわ。それに、とても優しそう…」
「自慢のママなの!」

 ローラは晴れやかに笑った。

「いつか、あんたを私のママに会わせてあげたいわ。ママはお菓子が大好きだから、あんたのお菓子も気に入るはずよ」
「ローラのママ?私も会ってみたいわ」

 きっと、ローラみたいに豪胆な女性なのだろうと思う。いつか出会える未来を想像し、私達は声を上げて笑った。

 
 揃って甲板に出ると、まだ宝物を仕分けていたらしいナミが気づいた。

「ローラ、トーファ。もう話、終わったの?」
「えぇ、ありがとう」
「ごめんね、ナミ。おやつの時間、ちょっと遅くなっちゃった」
「いいわよ、そんなの。それに、あんたの作るお菓子は何でも絶品なんだからっ♡」

 ウィンクが飛んできて、私は照れ隠しに頬をかいた。後ろで誰かがひっくり返った音がしたが、多分ナミのウィンクを目撃したサンジだと思う。

「トーファのスイーツはいつでも何でも美味しいけど、今日はなんだかいつもと違った気がしたわ。いつものチョコレートより、もっと滑らかだった」
「あぁ…確かに!…隠し味かしら?」

 ロビンとナミが話しているのを聞いて、私とローラは顔を見合わせて笑った。そんな私達を見て、二人の美女は揃って不思議そうに首を傾げたのだった。

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