29年後の私達へ
遠くで、正午を知らせる鐘の音が聞こえた。そろそろ、二人が帰ってくる頃だ。とは言え、夫は住宅の一階にあたる店舗にいるから、正確には階段を上がってくるだけだが。
そんなことを考えながら、湯気の立つ鍋をかき混ぜる。味見をしてみたが、味はなかなかいい感じ。先日、近所に引っ越してきた住人──元々は“西の海”で暮らしていたそうだ──から教えてもらった、“西の海”の地元料理だ。ポトフっぽい。味はあっさりしているけど、野菜がたっぷり入っているので腹持ちもよさそう。初めてにしては上出来ではないかと自画自賛して、スープ皿を手に取った。ちょうどその時。
「ただいま!」
1階の玄関から、溌剌とした声が飛んできた。続いて、「お帰り」と返す落ち着いた声。二つの声は会話を続けながら、揃って階段を上ってくる。 “家族”の帰還だ。
「ただいま、ママ!」
「ただいま」
「二人ともお帰り」
「すごくいい匂いがしてたけど、何作ったの?」
「こら。先に手、洗ってきなさい」
「はーい」
元気な声の主は、私達の宝物。名前はトーファ。18歳になったばかりの、私によく似た娘だ。…ホント、コンフィの遺伝子仕事した?って聞きたくなるレベルで私にそっくりなんだけど、これってヴィーラ族のせいなんかな?だとしたら業深くない?こんなん、道端でうっかり私の家族に出会ったら、絶対一発で私の娘だってバレるぞ。…って、トーファが生まれた時からずっと思ってる。
バスルームから戻ってきたトーファは、コンフィと共にテーブルに料理を並べていく。私はサラダをよそったり、パンを焼いたりと忙しない。
「ママ、今日はジャムどれ使う?」
「アプリコットにしようかな」
「OK。…パパは?」
「じゃあ、マーマレードで」
普通の家では、そうそう何種類ものジャムを買い置きしていないと思うが──少なくとも、「前世」では違った──、我が家ではこれが普通だ。その日、その時の気分で各々好きなジャム瓶を開けている。…まぁ、うちはジャムがメインのお店なので、当たり前と言えばそうなのだけど。
トーファが戸棚から取り出したジャムを並べ終えると、昼食の用意は整った。食事が始まってしばらくして、トーファが自分のグラスにジュースを注ぎながら、「そう言えば、昨日の夜、本島に海賊が来たんだって」と口を開いた。ピクリと、コンフィの眉が動いたのを、私は見逃さなかった。
私達が住む島は、“偉大なる航路”の前半の海、すなわち“楽園”に浮かぶ。もっと言えば、本島から少し離れた──と言っても、時間帯によっては歩いて渡れる──孤島である。小さくて、これといった特徴のない場所ではあるけれど、それゆえに誰の目にも留まらない平穏な島だ。私達の理想郷である。
31年前、文字通り着の身着のまま飛び出してきた私達は、何の因果か後の海賊王ロジャーの船に拾われ、彼らと共に新世界から楽園へやって来た。ロジャー達とは、楽園に入ってから程なくして別れ──その際めちゃくちゃ号泣されたし、ロジャーが処刑された時はコンフィと二人家で号泣した──、コンフィと二人でジャムを売って資金を貯めて旅をしながら、この島──リベルタ諸島──へ辿り着いたのだ。
私達が住んでいるのは、リベルタ諸島を構成するうちの一つ。本島とはそう離れておらず、本島との間の海は満潮時でも大人の膝丈にも満たないため、歩いて渡ることもできる位置にある。それなりに大きくて賑やかで、それゆえに“偉大なる航路”入りしたばかりの海賊がやってくることもあるけれど、諸島の近くには海軍の駐屯基地もあるし、治安も悪くはない。お菓子が有名な訳でもなく、お菓子の材料となり得る食材が有名な訳でもない。限りなく、私が想定できる“家族の注意を引く要素”のない島だ。
とは言え、ママの長女である私や、万国に住んでいたコンフィが、ママの持つ情報網を侮るはずもなく。本島に海賊が訪れた時は、できる限り本島には出ないと決めていた。幸い、私達が住む小島はめちゃくちゃ田舎なので、海賊達がわざわざこっちにまで足を伸ばすことはない。それにこの島に移住してきて20年経つが、これまで一度もビッグ・マム海賊団や傘下の海賊団がこの近海をうろついていたことはない。とは言え、私達が神経質になるのも無理ないことだ。だってこちとら、ママの面子叩き壊した女だからね?まぁもう29年経ってるんだし、そろそろ時効では?と思ってるんだけども。コンフィは、「ママに“時効”って通じると思う?」っていつも言ってくるけど。
「先生が、港に停泊してるのを見たんだって」
「どんな海賊旗だったか聞いたか?」
「髑髏に麦わら帽子の海賊旗って言ってたよ。船主に羊がついてたって」
船首に羊。あくまで私の想像上だけど、結構可愛いかもしれない。常に「フーネー♪」とか歌ってる船首よりセンスある。
「そうか。…なら、いい。でも、あまり海賊には近づかないようにしなさい」
「うん。…まぁ、向こうが大人しくしてるならね」
「トーファ」
「冗談だよ。わかってるって」
コンフィは、肩をすくめて笑った娘を軽く一睨みして、食事を再開した。
この島へ移住してきてから、一番最初に親しくなったのは、本島に住む老夫婦だった。ひょんなことから仲良くなり、当初は島に馴染もうと苦労していた私達を何度となく助けてくれた、心優しい夫婦である。その旦那さんがあらゆる武術に通じた師範だと知り、私達は子供が生まれれば、護身術程度の武術を身に付けようと、旦那さんの弟子にすることを決めていた。だからトーファが6歳の頃から、本島で唯一の道場に通わせていた。つまり、トーファが先程言った“先生”は、武道の師範のことだ。もしもの時に自分の身を守れるように、最悪の事態──家族に見つかって私とコンフィが殺されても──に直面しても逃げられるようになればと思っていた。
…と言うのに、我が娘は見た目に似合わぬ馬鹿力と身体能力のおかげで、瞬く間に実力を伸ばし、今ではその辺の海賊なら一人でしばき倒せるレベルに成長した。「トーファには誰に似たのか、天性の武の才能があるぞ!」と先生は誉めちぎってくれたけれど、私達夫婦は揃って白目を剥きたい気分だった。
誰に似たのかはわかりきっている。どう考えても、私のママだ。今や世界最強の女海賊である。四皇──白ひげやカイドウはわかるとして、そこにシャンクスが食い込んでるのスゴくない?──の紅一点でもある。ママの遺伝子最強説あるね。娘の私飛び越して、孫にまでいっちゃったよ。
「危ないから、海賊がいる間はできるだけ本島に近づかないでね」
「わかってるよ、ママ。お稽古以外で本島には行かないし、港近くにも寄らないよ」
本当は稽古にも行ってほしくないけど、超絶ストイックなこの子が、病気や怪我以外で稽古を休むなんて真似はしないだろう。全く誰に似たんだか。10億の男かな?
教えてもらった料理は好評で、昼食が終わるとトーファは、「食べ過ぎちゃったから、ちょっと走ってくるね」と言ってジョギングに出ていった。「ちょっと」とは言ってたけど、絶対2時間ぐらい帰ってこないと思う。「いや、あの子はカタクリ様か?」というコンフィのツッコミに、私はお皿を洗いながら頷いた。
「それにしても、コンフィ。あなた気にしすぎじゃない?」
「…海賊のこと?」
「そう。この30年間、一度もビッグ・マム海賊団の話は聞いてない。いつも言ってるけど、もう時効だとは思わない?」
「本気で言ってるのか?ママの中に“時効”って言葉があるのかどうかは、おれより君の方が知ってるだろう?」
まぁそうだけど。って言っても、30年も経てば人間色々変わると思うよ?とは言え、ママは何も変わってなさそうだけどな。何人子供を生んでいても、あの人は誰より子供のままな気がする。
「確かに、ママに諦めるなんて選択肢はないだろうけど…でも、ママの手足となって動く兄弟は違うかもしれないじゃない」
みんなヤバいくらいのクソデカ感情の持ち主だし、私達がまだ新世界にいた頃は、ビッグ・マム海賊団が暴走してるって話題になったけど、何度でも繰り返すがもう30年も経つ。全員で何人兄弟なのか知らないが、私を知っている兄弟の方が少なくなってる可能性も高い。あの時、あの場にいた子達の中で最年少のアマンド達でさえ、すでに45歳になっているのだ。もうそろそろ、お姉ちゃんに執着するのやめてもいいんじゃないかなぁ?って思うのは私だけ?裏切りを赦せないという怒りはあるだろうけど、さすがにわざわざ楽園まで探しに来るとは思えない。だってみんな多忙でしょ?手配書も更新される度にチェックしてるし、新聞記事も欠かさず読んでるから、みんなの活躍──と言っていいかどうかは別として──はちゃんと知ってるよ。
だが、そう主張する私を、夫は信じられないものを見るような顔で見てきた。
「本気か?」
「…なによ。その、バカを見るような顔は」
「いやいや、嘘だろ。君がどっちかと言えば能天気なのは知ってるけど、なんで兄弟のことになるともっとバカになる?」
「失礼ね!」
私に敬語を使っていた頃の夫が懐かしい。あの頃は私に向かって「バカ」なんて絶対言わなかったのに。同時にあの頃は、こうしてコンフィと結婚して、子供までいる生活を送れるなんて思ってもいなかったんだけど。
「ママはもちろんだけど、一番危険なのは弟君、妹君だろ。多分ママより、おれのこと殺したいと思ってるだろうし…」
「あの時はそうだったかもしれないけど、今もそうかは…」
弟妹が、コンフィを憎む理由はないはずだ。家族を裏切って傷つけたのは私であって、コンフィはただ私と一緒にいただけ。捕まれば殺されるだろうけど、怒りは私に全振りしてると思うのだけど。
コンフィはやがて溜め息を溢すと、私を見ながら困ったように笑った。
「まぁ、君のそういう能天気なところが、おれにとっては救いなんだけど…」
「?」
「何でもない。気にしないで。君はそのままでいいよ。その分、おれがしっかりするから」
「頼もしいわ。ありがとう」
コンフィは楽しげに笑うと、「そろそろ仕事に戻るよ」と言って、店舗へ下りていった。私は一度手を止めて、目の前の窓から見える景色を視界に収める。
青く澄んだ空と海。豊かな緑と愛らしい花。静かで美しい町。小さいけれど温かみのある家。命をかけて生涯を共にすると誓った夫。自分の命よりも大切な娘。
私を誰より愛してくれる“家族”を捨てて得た、幸せの数々。手離したくないし、手離すわけにはいかない。彼らを傷つけ踏みにじって得た幸せだからこそ、私はこれを守りたい。そうでなければ、家族の思いを踏みにじるという決断が、間違っていたことになるから。
「大丈夫よ。私達は」
もしも明日ママが現れたとしても、怒れる弟妹が現れたとしても、決して後悔はしない。殺されても文句は言わない。それだけのことをしたのだし、自分で決めた結果だから、これが私の人生なのだと受け入れられる。
トーファのことも心配いらない。あの子は一人でも生きていける。それだけの力と頭の良さがある。そういう風に育てたから。
でもそれ以上に、“三人で生きていきたい”という強い気持ちがあるから、誰にも折れたりしない。夫も娘も、この“幸せ”は自分の手で守ろう。だってこれが、…これこそが、私の人生なのだから。