死にたがりアリス



「いおりも一緒に死んでくれれば」 
 
覚えているのは、暗く冷たい水の中。鼻に、口に侵入する水は少し塩っぱかった。 
息が続かない私を大事そうに抱えて離さなかった母親の、赤毛に近い茶色の長い髪が嫌に印象的だった。 
死んだはずの母親が一緒に死んでくれれば、なんて言えたはずもなく、ただ勝手な被害妄想だってことはわかっているのだが、幼少期のトラウマは歳を重ねるごとに誇張され、呪いのようについてまわるものなのだ。 
 
母親が入水自殺したのち、なんとか助かった私は離れて暮らす祖母の家に引き取られ中学時代までそこで過ごしたが、年金暮らしの祖母の元で食い潰しながら高校生活を送るつもりはなく、卒業後はほとんど手ぶらで上京した。母親と沈んだ海から一刻も早く逃げたかった。 
それから上京後、歌舞伎町のキャバクラで住み込みのキャストとして働くことになった。 
有栖川いおりとして認識されない世界はとても心地よかった。自分が大嫌いな私にとって、仕事中は別人になりきれるキャバクラのキャストは天職だったのだ。 
順調に指名数も稼げるようになり毎日も充実し始めていたが、あの海から離れても母親の呪縛から放たれたことは瞬きほどもなく、有栖川いおりでいる時間が嫌で、何度か深夜の東京湾で入水したが、覚悟がないのか加減をしてしまい全然死ねなかった。 
 
そんな日々に明け暮れ、無駄に高いヒールを鳴らして歩いていた仕事終わりのある日、新宿アルタ前のモニターに映っていた赤毛で三つ編みの歌姫に釘付けになった。 
赤毛と三白眼、病的までに白い肌が母親に似ていた。 
流れてくる曲は英語で内容はちゃんとわからなかったが、職場でよく聴く曲だとはすぐ気づく。ここ最近お客さんの中でも話題になることが多く、そんな歌姫がいるんだ程度には思っていたけれど、姿は初めてだった。 
人間の脳はなんとなくでも似ている部分があればそっくりと判断してしまうようで、あの自責の言葉が母親の声で聞こえた気がした。まだ鈍臭く生きている自分が嫌になり、その足で東京湾へと向かう。今回こそは絶対に死んで呪縛から逃げ切ってやると思っていた。 
 
終電がとっくに終わった豊洲駅周辺には、車の通りも少なくて街頭だけが煌々と等間隔に並んでいた。 
東京湾向こう側のビルの後ろに、街の明るい光で輝きを失った下弦の月がかすかに浮いている。 
月を眺めながらフェンスも乗り越え、前と同じくどっぷりと海に沈んだ。もう空気を吸わないように海水を肺まで飲み込む。海水の味は全くしなかった。 
今度こそ、とゆっくり目を閉じた瞬間。 
羽織っていたカーディガンの首元を引っ張られる感覚がした。 
霞む思考で後ろを向くと、赤毛の長い髪が視界に入る。お母さん迎えに来てくれてありがとう、私は少しだけほっとしていた。 





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