カボチャは背伸びしたい

ハッと目を覚ますと、見慣れた自室の天井が飛び込んできました。

おかしい。昨晩は確かに墓地にいた。そして確かにあの人と会って話した。
そのまま意識が朦朧として……。それなのにベットの上で目を覚ますなんて。いや、やはり、昨日の出来事は夢だったのだろうか。

ここで悶々と悩むよりも見に行くのが手っ取り早い。
真相を確かめるべく、むくりと起き上がり、裏墓地へと向かいました。




「……!」


墓地の正門へと辿り着くなり、言葉を失った。
そこには粉々に砕けたランタンの破片。歪に捻じ曲がった蝋燭の亡骸……ではなく、落として壊してしまったはずのランタンが原型をとどめて置いてあったのです。
変に警戒をしながら、ランタンの持ち手を指でつついてみますが、カンカンとしっかりとした金属の音がしたことから、間違いなく、本物だと確信がつきました。


夢じゃない。現実だ。
あの時、私はここでしっかりとランタンを落として、割ってしまったのだから。墓荒らしに睨まれた恐怖の中でもこればかりはしっかりと覚えている。
もしかして、このランタンは魔法使いさんが魔法で直してくれたのでは?


そう疑問符を浮かべると同時に頭の中に浮かび上がるのは昨日の彼の姿。
ひょっとしたら、と僅かな期待を抱えながら、墓場を見渡してみますが、そこには灰色の墓石が整然と立ち並んでいるだけで、彼の姿どころか、人っ子一人もおりません。
彼は自らを亡霊だと名乗っておりましたが、やはり、亡霊というのは夜にならないと現れないものなのでしょうか。


会いたい。もう一度、あの人と話したい。無性に。
神父さまにあれほどきつく言い聞かされていたのにもかかわらず、それを簡単に超越してしまうほど、彼に会いたいという思いが強いなんて。


「……夜にもう一度、」


来よう。そうしたら、きっと会える。
絶対的な確信はつかないが、何故かそんな気がしたのです。

ふわりと風が吹く。心地の良かった秋の風がほんの少し冷たく感じた。

おお、寒い、と肩を寄せながら、教会へと戻る。
お腹が空いた、何か食べ物を寄越せと胃袋が鳴っているが、朝ごはんを食べるよりも先にシャワーを浴びることにしよう。


◆◇◆


昨日と同じ、スクランブルエッグにスライスしたバケット。玉ねぎと胡椒で味付けしたオニオンスープを啜りながら、何をお礼に持って行こうかと考えていた。

どのようなものが良いのでしょうか。頭を悩ましていると、ちらりと視界の端にオレンジ色の存在が目に入った。

その正体は八百屋のおじさんに貰ったカボチャ。
どうだ立派だろう?と言わんばかりに机の上に居座る様子はまさにカボチャの中の王様と言ったところでしょうか。丸々と大きなカボチャを眺めていると、ふと頭の中でとある名案が思い浮かびました。


「カボチャのパイとか」


思い出すのはあのとき食べたカボチャのパイ。
何層にも折り重なったパイ生地はサクッとしており、なんとも香ばしく。主役のカボチャは野菜独特の青臭さがちっともなく、控えめな砂糖がカボチャ本来の甘さを程よく助けており、ひと口、ふた口、噛めば噛むほど優しい甘さが口の中に広がっていく。

忘れられないあの味。神父さまの目を盗み、自室でこっそりと食べたあの味。十年も前のことなのに鮮明に覚えている。

林檎や苺のパイなら何度か作ったことがあるけれど、カボチャも似たようなものなのでしょうか。中身が違うだけのだし、要領はほとんど一緒なのではないかと思いましたが、人にあげるものに対し、そんな杜撰なことはできません。

では、今日は料理本を探しに古本屋さんに行くことにしましょう。もちろん、お掃除とお洗濯。畑や花壇の水やりを終えてからですが。

空になった皿を重ねて、流し台へと持っていく。手に触れる水がやけに冷たく感じたことから、だんだんと秋が深まってきたのだと今更ながら実感。洗った食器をサッと布巾で拭いたのち、食器棚に戻し、テキパキと廊下と玄関前の掃除に取り掛かる。

明日には神父さまがお帰りになる。
今日の夜までには、なんとしてもカボチャのパイを作って、あの人に渡さないと。


◆◇◆


月光差し込む教会裏の墓地。
相変わらず人気のない墓地にはこの通り、私と彼の二人しかおりません。朝に行ったときは人っこ一人たりともおりませんでしたが、夜に来てみたら、予想はどんぴしゃり。昨夜ぶりの魔法使いさんの姿が。


「昨日は……、ありがとうございました。これ、ちょっとしたお礼です。受け取ってください」


町で買った紙袋に入れたカボチャのパイを半ば強引、と言うと、聞こえが良くありませんが、彼の前に突き出す。


「こちらは?」
「カボチャのパイです。魔法使いさんみたいに美味しくできたかはちょっと……、自信がありませんが」


さっきまでの自信は一体何処へやら。
足を生やしては、すたこらさっさと消え去ってしまった。戻ってきてと呼び止めても、ああ、もうあんな遠くに行ってしまって。

少しでもこの気を紛らわそうと靴の先端をじっと見つめては、時が過ぎるのを待っていると、中身を見ても良いかと尋ねる声がしました。突拍子のない出来事にまともに返事ができず、代わりに小さく頷く。すると、彼は柔和な顔つきで微笑み、袋の中を覗き込み始めました。

本当によく笑う人。
彼ほど穏やかで優しい表情が似合う人はそうそういないと思う。

それ以外の表情を見たことがないような……。いや、でも、強いて言えば、幼い頃に傷だらけの手を見せてしまったとき。そのときの彼が不思議な表情をしていたのを思い出した。怒りとも悲しみともどちらにも捉えられない形容しがたい顔を。

そんなことを考えていると、いつの間にか袋から取り出されたパイが彼の手の上に乗っているではありませんか。そして、どこからともなく取り出したナイフでパイを切り分け、これもまたナイフと同様、突然と現れた小皿に取り分けられていく。

魔法はもちろんのことですが、ナイフの使い方といい、取り分け方といい、随分と慣れた手捌き。生きていた頃は料理人だったのでしょうか。

ぼうっとその姿の見惚れてしまっていると、小皿に取り分けられた一切れのパイを差し出される。


「でも、これは魔法使いさんものなのに―――」
「ええ、確かに。なら、こうして貴方に僕の所有物であるパイを分け与えるのも僕の自由なのでは?」
「……」


言われてみれば確かに。正論を突きつけられ、言葉が喉につっかえてしまう。何も言えなくなった私に彼は続ける。


「それにパイ作りに熱中してしまい、夕食もまともに食べていないのでは?」
「な、何故、それを」
「当てずっぽうで言ってみたのですが、やはりそうでしたか」
「……ハメましたね」
「まんまと引っかかってくれましたね」


にやりと彼の口元が緩められる。いつもの余裕を孕ませた表情とは打って変わり、悪戯に成功した子供のような表情に、「ああ、こんな顔もするのだ」と少し意外に感じました。
しかし、上手い具合に引っ掛けられてしまったことに、ほんの少し腹が立ち、そっぽを向いて黙り込んでいると、「意地悪でしたか?」なんて、眉を八の字にしながら覗き込んでくる彼。


「意地悪ですよ」
「これは失礼。少し揶揄いが過ぎてしまったようで。そのお詫びも含めて、どうか受け取ってくださらないでしょうか?」


と、またしても上手い具合に丸め込まれてしまいました。本当に言葉の繋ぎ方が上手な方です。
私は彼の言葉の通り、一切れのパイが乗ったお皿とフォークを受け取ると、恐る恐る口の中に放り込みました。


「美味しい……」


自画自賛をするわけではありませんが、自分が作ったカボチャのパイは驚くほど美味しかったのです。
食べかけのパイの断面をじぃっと見つめていると何処からともなく熱い視線が。見れば、そこには魔法使いさんが。


「どうぞ。魔法使いさんも食べてください。私一人だけ食べるのもちょっと」
「あのときのように食べさせてくれないのですね。フォークで直接あーんと」
「?!」


突拍子のない言葉にフォークが手から滑り落ちそうになる。寸前のところで何とか受け止め、ホッと一安心。危なかった。あと少しで地面に落とすところだった。


「あはは……、あのときは判断もままならない子供でしたからね。今思うと、随分と大胆なことをしてしまったな……」
「そうでしょうか。小さな手でパイを差し出してきた貴方の姿はとても愛らしかったですよ。なんなら、今ここでもう一度やってくださっても」
「そればかりはお断りします」
「ああ、しょんぼり」
「しょんぼりって言われましても。私ももう15ですよ?子供扱いしないでください」
「僕からしたら、いつまで経っても貴方は子供ですよ」
「……っ、またそうやって揶揄おうとしてくるんですから」
「意地悪でしたか?」
「意地悪ですよ!」


その言葉に彼はクスクスと笑うと、傍らに置いてあったパイをフォークで一口大にし、口の中に入れる。幽霊なのに食べられるんだ……と思ったのは心の中で留めておくことにしましょう。

そしてその一切れを食べ終わった後、上品そうにナプキンで口元を拭うと、「美味しくできていますよ」と言ったのと同時にふんわりとした感覚が頭の上に乗せられる。

側から見れば、これも子供扱いの類に入るのかもしれませんが、どうもこればかりは違うのです。
あのときもそうです。墓荒らしに追われて、木の影に隠れ、震えているときだって。この人に触れられていると自然と心が安らいでいく。ついさっきまでそこにいた恐怖や不安がフワッと消え去っていくのです。

なんとも不思議な現象。これも彼の魔法なのでしょうか。

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