2
「違う、そうじゃない。俺の……薬はどこだ?」
そろそろ11時。そうなれば、薬を飲まなければならない。発情を抑える、オメガ専用の抑制剤。
飛鳥にとって、それを飲まないと言う事は死活問題だった。
「薬……?あぁ、これの事か?」
と、言って一色が取り出したのは見間違うはずの無い、飛鳥の薬だった。
「これ、何の薬だ?」
「お前に、関係ないだろ」
飛鳥は、一色にオメガだとバレたくなくて顔をそらす。調べればわかってしまうが、それでも今はバレたくなかった。
ふーん?と言った一色は、意地悪く笑っていて飛鳥は返答を間違えたと気がつく。が、後の祭りだ。
じゃあ、返さない。と一色は薬を胸ポケットにしまってしまう。
何を言おうが、一色はどこ吹く風で飛鳥は焦り始める。
どうにか、返してもらわないと大変なことになる。それこそ、一色を巻き込んでしまうような……。
「……それ、は……抑制剤だ」
しぶしぶと声に出した飛鳥。一色はだろうな、とまるで知っていたかのように話す。
「お前が何かの病気なら、お前の事務所が放って置くはずがない。それにこれ、女が使ってるピルに似てるしな。そうなれば、必然的にこれはオメガの抑制剤しかないわけだ」
「ならっ」
「これ、体に害とかねぇの?」
ポケットから出して、薬をまじまじと見ている一色に、飛鳥は苦虫を噛み潰したような顔をした。
副作用は、多かれ少なかれ薬、それも抑制剤となれば完全につきものだ。
軽い薬だからと言って、例外は無い。が、それを服用しなければこんな差別ある社会で生きてなんか行けない。
強い薬に依存すれば、それだけ早く体は壊れていく。飛鳥の使っている薬は、比較的に副作用が少ないものではあるが、それでも無いとは言い切れない。現に、飛鳥の感覚は少しずつ鈍くなっていっている。が、それも日常生活に支障をきたさない範囲で、アルファと番になれば、元に戻ると言う軽いものだ。
いや、一生番うつもりのない飛鳥にとっては、重たくのしかかってしまうかもしれないが、それでも飲まずにはいられない。オメガであるが故に。
「俺が、決めた事だ。もう、良いだろ?返してくれ」
その言葉に、はぁ、とため息を吐いた一色はほら、と飛鳥の手に薬を返してくれた。
それを慌ててPTPから出して飲む。そうして、ホッと息を吐いた。
その様子を、一色はじっと見つめていた。
「それ、最後の一錠だろ?なら、今日病院に行くのか?」
俺は、その言葉に返事をしない。が、当たりだ。
今日はスケジュールをすべてオフにして、診察をしてもらいに病院に行く日だった。
予定外の出来事で遅れてしまったが、今から行けば午後からの診察には間に合うだろう。
「返事ぐらいしたらどうだ?」
たく、と言って一色は立ち上がるとどこかの部屋へ消えて行った。飛鳥は、そうしてようやく変に入っていた肩の力を抜いた。
トサッ、とソファーに落ちる。一色に会えば、必ず肩に力が入りすぎるためか、とても疲れる。それも、飛鳥が一色を嫌う原因の一つだった。
ここが一色の家だと言う事には変わりなく、気を抜いている暇などないが薬を飲み安堵したことによって、とても気が抜けてしまっていた。
「オメガって事バラしたんなら、そんなに無防備なのはどうかと思うぞ」
手を組んだ場所に額を乗せて、瞳を閉じていた飛鳥は突然耳元で聞こえた一色の声に驚いて、変な声を上げてしまう。
振り返ってみれば、一色は一瞬意地悪く笑っていた。すぐに飛鳥の視界は、暖かい衣服によって閉ざされてしまったが。
頭の上から引きずりおろせば、それは昨日来ていた飛鳥の服だった。どうやら、一色が洗濯してくれたらしい。その事に驚いた飛鳥は、素直に小さくだがありがとう、とお礼を言った。一色に聞こえたかどうかは知らない。
バタバタと寝室に引きこもった飛鳥は、手早くそれを身に着ける。
やっといつもの格好になり、落ち着けるか、と思いきや、洗濯物からはふわりと微かに一色の香りがしてどきりと胸が跳ねてしまうのを押さえつけるのが大変だ。
が、なかなか出て行かないのも変に思われると思って寝室から出る。
「コレ、洗って返す」
そう言って、借りた服を持っていたが、慣れないことをするな、と取り上げられてしまった。
手持無沙汰になってしまい、再びソファーに腰をかけた飛鳥は、あれ?と首を傾げた。
タイミングよく戻ってきた一色に顔を向ける。
「俺の、他の荷物は?」
そう、問えば一色の答えは極めて簡単なものだった。
「俺が預かってる」
「いや、返せよ」
財布もスマフォも取り上げられてしまっている今、この部屋から容易に出て行くことすら叶わない。
そんな飛鳥に、気が向いたらな、と今度はキッチンに向かって行った一色。
完全に、飛鳥の意思など無視している。
出てきたのは、簡単な朝食。いや、もう昼食だが。人の体というのは、現金なもので、それを見た途端、飛鳥の腹の虫が鳴いた。
かっ、と飛鳥は顔を赤くし、一色はその様子を愉快そうに笑った。
食べなければ何かを言われそうだし、何よりこの調子だと病院にも行けなさそうだと、しぶしぶとそれを口に運ぶ。手作りだろうそれは、以外にもおいしかった。
からん、とスプーンを空の器に入れてごちそうさん、とだけ言った。お粗末さま、と一色はそれを手早く片付けると、ジャケットを羽織り、ちゃら、と鍵の束をを持った。
「ほら、病院行くんだろ?」
その言葉に、すでに諦めた飛鳥は素直に一色の後についていく。
一色の車の助手席に素直に乗り込むと、シートベルトを締めて、シートに体を預けた。ツーシーターのその車だが、一色は安全運転だった。
平日だからか、車どおりは少なく、いつもの病院には思ったよりもすぐに着くことができた。
車の中では、洋楽だろう曲が流れていて、それを遮らないようにか大した会話はなかった。
病院についても、飛鳥の荷物が返されることはなく、一緒にバース外来にまで来ることになってしまった。
金髪にサングラスをかけたスタイルのいい一色と、いつもなら帽子にするのに今日はサングラスの飛鳥が居れば、必然的に目立つのは必須。
飛鳥は、受付を済ませてバース外来の待合室の椅子に座ると、はぁ、とため息を吐いた。
幸いなことに、バース外来とは他のどの科よりも機密性に優れており、また同類を他に告げることはない。
そう言う誓約書を書かされる。
バース外来は奥まった場所にあり、本来ならルートから外れた場所に設置されている。待合室も本当の部屋になっていて外からのぞかれる心配もないし、そもそもバース外来の札すら出ていない。受診権が無いと入れない場所にあり、完全に外部との連絡を絶てる場所にある。それ故に、この病院のバース外来は人気がある。妊娠しても、ここなら他の科にだってすぐにかかれる。そもそも、何故バース外来がこんなに重要に隠されているかといえば、バース外来の患者にある。バース外来の患者は約九割がオメガだ。アルファやベータでこの外来を受診するのは一割にも満たない。アルファ専用の抑制剤だって、この外来じゃなくとも出してもらえるからだ。しかし、オメガの抑制剤は多種に渡り、それを出すのも何種類かの検査をしなければならない。オメガが一同にかえすこの場所を、無防備にもアルファにさらすわけには行かない。
「へぇ、バース外来の中ってこんな風になってんだ。案外、普通だな」
「どんなのを創造してたんだよ?」
バース外来の待合室は、入ってしまえば平凡なもので、他のどの科とも大差は無い。何食わぬ顔で物色しだしそうな一色を、頼むからここに居てくれ、と飛鳥は一色の左腕を掴んで引き止める。
そんな二人を、微笑ましそうにみて通り過ぎていったマタニティドレスを着た妊婦。その顔を見て、ハッとした飛鳥は思わずバッと音が鳴りそうなほど早くその腕を放した。傍から見れば、恋人同士にも見られかねない。何だ、もうやめるのか、と面白そうに笑った一色に、からかわれていたのだと知る。にらみつけるも、どこ吹く風だ。
午後からの診察も、混雑していたのか飛鳥は待っている間に手持ち無沙汰でこっくりこっくりと首が動く。名前を呼ばれて、気がつけば一色の肩を借りて眠っていたらしい。その間、憎らしくも自分はスマフォを弄っている一色に恥ずかしいやら何やらで怒りを覚えた。
「久しぶりですね、櫻庭さん。経過はいかがですか?」
にっこりと笑う白髪のおじいちゃん先生に、飛鳥は変わりないよ、と答える。そうかい?と笑うおじいちゃん先生。しわくちゃの顔で、目が見えない。
「して、そちらの方は?櫻庭さんの番候補かな?」
流石は先生、番ではないことをちゃんと見抜いている。違う、そう言い掛けた飛鳥の言葉は、一色の言葉にかき消された。
「はじめまして、同業者の一色瞳です」
「ほほう、一色君とね。はじめまして、櫻庭さんの担当をしている望月という。専門は、まぁ外科なんだけどねぇ」
はっ、はっ、はっ、と笑った先生はじゃあ、とそんなことは関係ないとでも言うようにカルテに向き直った。このおじいちゃん先生は電子カルテなど使えないのでいつも紙カルテを見ている。
そんなレトロな感じの先生だが、そこがまたいい。
ちゃんと話を聞いてくれるし、何よりも自分に合っていると飛鳥は思っている。自分のことを、孫のようにかわいがってくれているとも。
「じゃ、いつもの検査してまた戻ってきてね」
そう言って、一旦外に出された。副作用とは、自分でも気がつかないくらい進行していたら困るもので、その副作用に関する検査を毎回していた。わかりました、と出て行こうとしたら、一色くんだけは残ってね?と言われ、今日起きた時からずっと一緒にいたから、すこしだけ違和感を感じながら飛鳥は一人で診察室を後にした。
- 20 -
[*前] | [次#]
ページ:
main