喧嘩


喫煙所、少しのんびりとしていた空気が一瞬にして緊張感の張りつめたように変わった。


「…何も、あの人のこと知らない癖に、噂だけであの人を決めつけるな!!」

「横澤…?」

「お前の顔なんて見たくねェ!!」


そう言って、俺は政宗の前から、足早に立ち去る。

今は大切な親友だとは言え、側に居たくなかった。

側に居たくない、どころか、むしろ今は顔も見たくないぐらい憤っていた。


「どうしたんですか、横澤さん?」

「うるせぇ!さっさと仕事しろ!」

「はっ、はいっ!」


心配して来た逸見も、今の気分では煩わしく、思わずキツイ口調になってしまったが、罪悪感を覚えるけれど、謝る気にはなれなかった。

チッ、と舌打ちをすると、俺はパソコンを立ち上げ書類を作成していく。

今日は午後から外回りの予定だったが、それを他の誰かに任せて一日内勤に務める。

こんな気分で外に行ったとて、到底思うように営業ができるとは思えないから。


そうして迎えた定時。俺は今日の分をキッチリ終わらせてあったので、即帰る。

何となく、ひよにも言ってないが桐嶋さんに会いたい気分で、そのまま帰宅せず桐嶋さんの家に向かう。

同じく帰宅途中であろう桐嶋さんと一度として、駅で出会うことなく着いた桐嶋家。

鍵を使って、開けるとその音でひょっこりひよがリビングから顔を出す。


「あれ?お兄ちゃん!どうしたの?」

「何となく、来たくなってな…あぁ、コレお土産」


そう言って、ひよの好きな抹茶ババロアを差し出すと、ぱぁっと俺を心配したような顔がはれた。

その笑顔を見ると、悩み事が吹っ飛ぶ気がする。


「ありがとう!」

「どういたしまして」


ひよに手を引かれるがまま、リビングへ行くと桐嶋さんが「よっ」と、手を上げて俺を迎えてくれた。

もうここに居ると言うことは、帰りの電車は俺より一本早いのに乗って来たのかもしれない。

普段と変わらない様子の桐嶋さんを見て、俺は安心する。


「お兄ちゃん、ご飯の準備できてるからね!」


そう言って、俺が手を洗うのを急がせる。

いただきますは、3人そろって。

それが、ひよの心情らしい。

それでね、あのね、と続くひよの話を聞きながら、今日あったことをなるべく思い出さないように思い出さないようにと押し込む。


「じゃぁ、お父さん、お兄ちゃんおやすみなさい」

「おやすみ、ひよ」


ふぁっ、とお風呂に入ったひよがあくびをして、寝室に入っていく。

寝つきは良い方なので、すぐに寝てしまうだろう。

俺は、そわそわしながらひよと入れ違いに風呂に入った桐嶋さんを待った。


そして、出てきた瞬間に耐えきれず、抱きついた。


「うわっ!なんっ、おい、横澤?」


多少混乱したような声が、俺の頭上から聞こえるが気にしたことではない。


「おい、何が有ったんだ?」


優しく、極めて優しく問われるけど、俺は何の反応も返せない。

返そうと思えば、きっと涙があふれてくるし、叫んでしまう。

桐嶋さんは仕方ないと、俺をリビングのソファーへ一緒に連れて行き、座った。


「ん?ゆっくりでいいから、話してみろ」

「……桐嶋さんは、すごい人なのに!」

「はぁ?」


耐えきれない、そう思った瞬間、涙が俺の頬を伝い、叫んでいた。

桐嶋さんは訳が分からない、と言うように俺の顔をのぞこうとするけど、俺は顔をその胸元から上げない。


「桐嶋さんは、前の奥さん…桜さんだって大切にしてた!俺と会うまで、指輪とったことない人なのに、何で!!」

「待て、お前が今憤ってるのは俺のことなのか?」

「当たり前だろ!!俺のことは何言われたっていい!だけど、桐嶋さんを良く知りもしない癖に、噂に流されて…クソッ!!!」


結局、憤りの元である本人にぶつけるしか解決方法なんて無くて、俺は素直になれなくて、ただ愚痴を漏らす。


「そうか…」


そう、桐嶋さんが呟いた声は嬉しさを含んでいた。


「だったら、言わせておけ。火のない所に煙は立たないって言うからな。こっちが堂々としてれば、その内消えるさ。で、どんな噂だったんだ?」

「…桐嶋さんと、伊集院先生が桜さんが生きていた頃から浮気してただとか…そんなこと有るはずないのに…!!!」

「…あー、うん。解った。言わせておけ。お前が、そんな噂を気に留める必要はない」


その言葉に、俺の心はふっと軽くなるようだった。


「けど…政宗が、その噂で、桐嶋さんと別れろって…」

「放っておけ。それは、俺とお前の問題だろう。俺達が分かれる気がないなら、それで良いだろ別に」


仕方ないな、とでもいうような顔をした桐嶋さん。


「でも、俺、政宗に、顔見たくないって…」

「その内、ひょっこり会いに行けばいい。その時は機嫌が悪かっただけなんだって思わせておけ」


俺は、それでようやく涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。


「ふはっ、不細工」

「なっ!?」

「うそうそ、可愛い」


涙がにじむ目じりにキスされた。

桐嶋さんが俺のことを、本当にいとおしそうに見てくる。

俺は、そんな桐嶋さんの目が好きだった。


「…ありがと」

「どういたしまして」


不意に呟いたセリフに、桐嶋さんは少し驚いたようだけど、笑って返してくれた。

それが、荒れすさんだ今の俺にはちょうどいい水のようにしみわたって行った…。


End



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