今日もまた夜が来て、今日が終わりを告げようとしている。
終わる前にと電話を何度もかけるが繋がらずまだ呪霊退治しているのかと心配になる。美沙と別れた後授業をちゃんと終わらせて彼女が向かった任務についての書類に目を通した。彼女が請け負った任務は二つあり、同じ地域だったからついでにと二つ入れられたのだろう。どちらも下級の呪霊殲滅任務だった。特に特級呪物もないようだが、彼女は人より呪力が少ない。そして呪力を切らすとどこでも寝てしまうタイプで今も野外で寝ているのではないかとそっちの心配をしてしまう。連絡をしても電話はとってくれない。もう少しで明日になる。
「なに、まーた美沙ちゃん?本当に心配性なのね」
酔った硝子が通りかかりケラケラと笑う。無視しようとしたが硝子はまた口を動かす。
「美沙ちゃん、準一級になったんでしょ?悟がそこまで気にかけなくてもあの子強いよ。まあ、戦い方は荒いけど」
「何言ってんの。美沙はまだまだひよっこだろ」
「うわっ。かわいそー。絶対美沙ちゃん傷つくから本人の前でそんなこと言うなよ」
「ひよっこだから気にかけてるって言ったら納得してくれんの」
「悟からしたらみんなひよっこなんでしょ。美沙ちゃんだけが特別なのはなんか理由あんの?」
特別な理由。そんなものはない、とは言えない。
「だいぶ酔ってんね」
「いつものことよ」
不敵に笑う硝子の背中を見送る。もう一度スマホを見た。着信なし。もう一度電話をかけようとしたらどこからか硝子の声が聞こえた。
「しつこい男は嫌われるよー」
思わずスマホを下ろした。
特別な理由。美沙をこっち側に引き寄せたのは僕のせいだから。
△▼▲
その女の子と出会ったのはもういつだったか覚えていない。物心つく前から親同士の付き合いで一緒に遊ぶことが多かった。三歳年下の女の子。親に引っ付いてびくびくしている女の子。顔を合わす度に慣れてくれたのかにこにこと笑顔を見せてくれることが多くなりそれが嬉しく思えた。さとるくん。そう甘い声で名前を呼ばれるとどうしても口が緩んでしまった。
「これ見える?」と近くにいた呪霊を指差して聞けば首を傾げる。呪霊が見える僕と違い、彼女は何も見えなかった。良くも悪くも彼女は御三家の名を背負っていない。呪霊も見えないし呪力もない一般家庭の女の子だった。
俺が中学校に入ると会う頻度も以前よりは少なくなり、高校生になると毎日が忙しく彼女とは全く会えなかった。
高専を無事卒業して任務をこなす日々が始まった。次の休みには久しぶりに彼女に会いに行こうと何度も考えていた。次の休み、次の休みには必ず、次の休みは行けるだろうか。何となくで会うことを後回しにしまっていたことを後々後悔するだなんて考えてもいなかった。
「そういえば、高専に変な子が入ったらしいよ。悟なにか知ってる?」
硝子に傷を治してもらっているとそんなことを聞かれた。高専の学生のことなんて気にもしていなかったので何も知らないと答えた。変な子、とはどんな変なのだろうか。
興味本位で一年の教室を覗いてみた。中は空っぽ。休み時間か、外での実習なのか、残念ながら変な子を見ることが出来なかった。まあいいけど。怪我も治ったことだ。部屋にでも戻って久しぶりにぐっすり寝ようかと高専を後にしようとすると、名前を呼ばれた。さとるくん。その声に聞き覚えがあった。その、甘い声は―ーー。
「わ、やっぱり悟くんだ!」
「美沙、なんで…!?」
小さな女の子はすくすくと女性として成長していた。黒い制服が彼女の白い肌を良く映えさせていた。あの頃のように近寄りにこにこと笑う。何年ぶりかな!元気にしてた?と当たり障りもない会話を一方的にされて終いには「あ!もう授業始まっちゃう!じゃあ行くね!」とぱたぱたと急いでどこかに行ってしまった。聞きたいことは何ひとつ聞けず疑問ばかりが脳内を支配する。まるで夢を見ているようだ。いや、これは悪夢か。
「あれ?悟くん。最近よく会うね」
再び高専に会いに行けば彼女は椅子に座って教科書を見ていた。休み時間を狙ったというのに真面目だ。すっと顔を向けてまた教科書に戻した。
「次、テストあるの。昨日徹夜したんだけど、中々覚えられなくて…」
遠巻きに話しかけるなと言われているようで正直どうしようか迷った。教科書を取り上げて何故ここにいるのか聞けばいい。何故、一般人だった彼女が呪術師になろうとしているのか。こんなにも近くに居るのに美沙はこっちを向かない。少しだけ腹が立った。勢いに任せて教科書を取り上げた。ばっと顔を上げられて、その表情は明らかに怯えだった。あー、やってしまった。見つめ合うだけの沈黙が流れる。それに耐え切れなかったのは俺だった。教科書を彼女の小さい手に返して、テスト頑張れよと言い逃げをした。カッコわる。
次に会ったのは保健室だった。保健室のベッドですやすや寝ている彼女の顔を見てまずは安心した。それを見た硝子が怪訝な顔で聞いてきた。
「美沙ちゃんのこと知ってるの?」
「幼なじみ」
「ふうん。…外傷は無い。呪力を使い果たして寝てるだけ。もう少ししたら起きるんじゃない」
「ああ」
「…なに、それまでいるつもり?」
「いいだろ」
「過保護?」
「過保護ならいてもいいわけ?」
「…しょーがない」
眠たそうな目を擦ってどこかに行ってしまった。近くのパイプ椅子に座り彼女の寝顔を見ているとぴくりと動きがあった。するとゆっくり目を開けた。
「ん…しょーこちゃん…?」
「硝子はどっかいった」
「その声、さとるくんだ」
まだ眠たいのか再び重たそうな瞼を閉じた。つい、昔のことを思い出して彼女の頭を撫でてしまった。さらさらの髪は変わっていない。
「さとるくん」
「ん?」
「おこってる?」
「なんで?」
「わたしが、ここに、きたから」
怒ってる、…俺は怒っているのだろうか。美沙が高専に入って驚きはした。どうして呪術師になろうとしているのか、謎が謎を呼ぶばかりでその回答をくれない彼女に少しだけ苛立ちはあったもののそれ以外は特になかったと思う。いや、カッコつけるのは辞めよう。正直言うと、こちら側には来て欲しくなかった。危険に晒したくなかった。
「そうだね。相談してくれてもよかったんじゃない?」
「そうだね…。かってにきめて、ごめんなさい」
相談なんて出来なかっただろう。彼女が呪いを目にしたのはいつからだ。電話番号もわからないのに、どう連絡を取れと言うのだ。やはり、僕があの時帰省していれば未来は変わっていたのだろうか。ごめんなさい、そう、もう一度呟いた彼女はその言葉を最後に再び眠りに落ちていった。優しく優しく頭を撫でる。
「ごめんな」
その言葉は誰にも届かず消えていく。
▽
丑三つ時。スマホが光った。メッセージ一件。
生きてます。おやすみなさい。