微かに聞こえた声。気の所為かもしれない。殴られた頭がフラフラとしていたから、そう都合良く思っちまっただけかもしれない。走り去ったあいつが戻ってくるなんて有り得ないだろう。
そう思ってもついつい辺りに目を向け探してしまうのは、その都合の良い出来事が、可能性が、ゼロだとは思いたくなかったからで……。
辺りをぐるりと見渡して、視界を掠めた青藍色。まさか。と思いつつ視線を戻せば海兵とクルーの間から見えた、おれを見つめる紫喑の瞳に目を見開く。いや、本当は色なんて分からない距離。だけど無意識に目の色まで浮かぶのはあいつの瞳を何度も近くで見つめたから。
「───セツ…」
名前を呼んでも聞こえないだろう。どうやら彼女も驚いているようだ。それが何故なのかはわからない。だが、セツがすぐそこに居るという事実におれは少なからず舞い上がってしまう。
上下する肩を見ておれを探していたんだと勘違いしてしまう。自惚れてしまう……セツがまだおれを……。
おれに向かって走り出そうとした時、彼女の背後で影が動く。セツもそれに気付いて振り返るが一歩遅い。
セツは振り下ろされた剣を、避けるでもなく躱すでもなく受け入れる体制を取る。顔は見えないけど、それは死を受け入れた背中だった。……考えるよりも早く、おれは力一杯地面を蹴り出していた。
「───簡単に諦めんじゃねェよい」
スっと肝が冷えると同時に腹立たしかった。死のうとしたセツが。諦めたセツが。おれはまだ何も言えてねェのに……。
煽られた身体を支えるように抱き込む。見た目以上に細い肩に驚きながら、剣を振り下ろす手を鷲掴む。腕の中で強ばったセツの身体。
クルーに手を引け。と告げれば、納得いかないとでも言う顔でおれを睨み付ける。だが隊長の指示を無視もできず渋々手を引いた。それにほっと胸を撫で下ろす。
ここは戦場だ。血が登って指示を無視するクルーなど幾らでもいる。それが若ければ若いほど。船に乗っている期間が浅いほど。隊長の言う事を聞かない。
「……はな、して…」
か細い声に耳を傾ける。大人しくおれの腕に収まるセツを、ギュッと抱き締めればその細さを実感する。
痩せていた。それもかなり。着込んだスーツやコートのせいで見た目では分からないが、触れれば嫌でも分かってしまう。
何故?と思案した時、腕に感じた痛みにセツを解放する。見れば三本の引っ掻き傷。
「引っ掻く事ねェだろい。いてェ…」
ぼっと青い炎がその傷を包む。たちまち消えてしまうその傷を名残惜しく思ったを
「すぐ治るでしょ」
振り返ったセツの顔色は悪い。青白い顔で見た目は変わってしまったが、偉そうな物言いは昔と同じで胸を撫で下ろす。
不意にセツの目がおれの頬へと向けられる。なんだ?と思ったがガープに殴られた傷がそのままだったのを思い出した。
伸ばされる細く白い手。頬へと触れる寸前で止まり、震える指先を握り込み腕を引っ込めたセツの姿はなんとも言えなくて……。俯いてしまった彼女。ズキッと痛む胸。
「………おれに、触れるのは嫌かい?」
「っ!ちがっ……」
弾かれるように上げられた顔。驚きと悲しみを乗せた表情を浮かべ、そして困惑へと変わる。
分からない。セツにとってなにが正解なのか。彼女がどうしたいか。考えても考えてもそれは分からない。だからおれは一つの結論を出す。
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