ダイアゴン横丁



 どこからかコツコツ、という小さな音が聞こえる。深いところで揺蕩っていた意識が仄かに浮上し、心地いい微睡みの邪魔をするその音が煩わしくてゆっくりとした動作でシーツを手繰り寄せ頭から被ってしまう。するとその遠くて近い小さな音は聞こえなくなり、今度こそ完璧な空間が出来上がった。そのまま誘われる睡魔に身を任せ、再び意識が沈み込む。ああ、ねむい。
 しかし数秒もしないうちに突然包まれていたシーツが勢いよく剥がされた。完璧な空間がブチ壊され、ふわふわと漂っていたはずの意識が強制的に覚醒する。思わず薄目を開けると、朝日に照らされた、彫刻のように整った顔がじっとりとした目でこちらを見下ろしていた。

「おい、起きろ」
「んん……?なに」
「なにじゃない、早く起きるんだ」
「ほんとになんなの………」

 カーテンが全開にされているせいで曇天でも寝起きには厳しい明るさが顔に直撃する。仕方なくむくりと起き上がるも全く目が開かない。くあ、と欠伸を一つ、大きく伸びをしてようやく意識がはっきりしてきた。

「おはよう、女子とは思えない随分な寝汚さだな?」
「おはよう…そういうトムこそ、朝っぱらから女の子の部屋に忍び込むのは英国紳士としてどうなの」

 私の嫌味を華麗にスルーして、トムは何故か窓を開け始める。立て付けの悪い窓をガタガタ言わせながら開けると何か茶色い物体が入ってきた。それは部屋をぐるりと一周して窓際の机に降り立つ。

「………フクロウ?」

 それは鳶色のフクロウだった。ロンドンじゃ一切見かけないはずの鳥は大きな黄色の瞳をこちらに向け、何故か片足を突き出して見せた。
 何かを主張しているようだけど、肝心の何か、が全くわからない。可愛らしい瞳を見つめて首を傾げていると、隣から大げさなため息が聞こえてきた。ムッとしながらそちらを見ると彼はいつも通りの呆れ顔をしている。

「入学の返事だよ。昨日書いてあっただろ?」
「……ああ、ふくろう便ってこれか」

 三十一日までに入学の返事を送らなくてはならないのだと昨日渡された入学案内に書いてあったのを思い出す。ふくろう便とは、と疑問に思い、そんな名前の郵便業者があるのかと思っていたがまさか本物のフクロウだとは。魔法界では郵便物のやりとりはフクロウで行われているのかな。普通に効率悪くない?それともこの子も何か魔法がかけられていて特殊なふくろうだったりするのだろうか。
 そんなことを思いつつ薄いマットレスの下の裏板を外し箱を取り出す。これはわたしが勝手に作った仕掛けだ。見られたくないものや大事なものは全てこの宝箱に入れてある。といっても数はさほど多くない。実は今まで一度も見つかったことがない自信作だったりする。さっさと箱の鍵を解いて羊皮紙の封筒、その入学許可証を出した。
 入学許可証の一番下の欄に数年前、誕生日プレゼントとしてもらった中古の万年筆で署名する。くるくると丸めて毛繕いの真っ最中のフクロウに近づくと片足を突き出してきた。丸めた羊皮紙を差し出すと爪で器用に掴み、ばさりと羽を大きく広げる。そして入ってきた時と同じように部屋の中を一周し窓から飛び出していった。ぐんぐん小さくなる姿を見送りながら窓を閉める。

「随分原始的な方法だと思わない?」
「非効率的だ。魔法使いなら魔法で郵送すればいいものを」
「確かに『魔法使い』っぽいけど。中世のさ」

 箱を元通りにしてベッドから降りた。時計を確認するとあと三十分もすれば朝食だ。完璧に身支度が済んでいるトムを残して洗面所に向かう。冷たい水を浴びて寝癖をなんとかしてから部屋に戻るとトムはもういなかった。適当な部屋着に着替えたところで時計を見ると朝食まで三分を切っていた。慌てることなく食堂に向かい、遅れたことに対する非難の目をいつも通り受け流し、席に着いた。味気ない食事が終わり部屋に戻ろうとするとトムに呼び止められる。十時に玄関、それだけ言ってさっさと歩いて行ってしまった。

 なんやかんやで時間を潰し、普段着よりも少し綺麗な出かける時用の服を着る。忘れずに買うものリストと革の巾着袋と少しばかりの現金が入った財布を仕舞い込む。最後に宝箱から青い石が一つ付いた指輪を取り出して、部屋を出た。
 玄関に向かいながらチェーンを通した指輪を首にかける。これは、わたしが孤児院に捨てられた時に付けていたものだ。当時一歳のわたしは孤児院の玄関先に置かれたバスケットの中で眠りこけていたらしい。名前と生まれた年・日付が書かれた紙がバスケットに入っていたが、その日は雨が降っていて日付が滲んで分からなくなってしまった。そのため捨てられた日───十二月三十日を誕生日としている。その紙とこの指輪だけが、肉親との繋がりなわけだ。………今更、会いたいとも思わないけど。
 玄関にはすでにトムの姿があった。わたしと同じような、普段のものよりいくらかマシ程度の服のはずが彼が着るとモデルが着るような高級ブランドものに見えるから不思議だ。駆け寄ったわたしに気づくと、さっさと玄関を出てしまう。いつもより早足なトムに小走りでついていき、途中で地下鉄に乗り込む。緊張でもしているのかいつもより口数が少ないトムに(一方的に)話しかけながら数駅過ぎ、チャリング・クロスで地下鉄を降りた。孤児院から近いところにあって良かった、と思いながら地上に出ると店が立ち並ぶ賑やかな通りに出た。
 本屋の前を通り、楽器店や映画館を通り過ぎる。本当にこんなところに魔法使いのお店があるのだろうか。だんだん自信をなくしてきた頃、唐突にトムが歩みを止めた。よそ見をしていた所為でいきなりは止まれず、目の前のトムの肩に思い切り鼻をぶつける。

「ぶっ」
「何やってるんだ」
「と、突然止まるから……」

 鼻を摩りつつ乱れた息を整える。ふと見上げると、薄汚れたちっぽけなパブがあった。『漏れ鍋』と看板がかかっている。注意深く観察しながらじゃないと見逃してしまいそうな店だ。教授が言っていた通り、道ゆく人々は隣の本屋とレコード店にのみ目をやり、このパブは視界に入らないようだった。
 トムが古い扉を開け、続いて中に入る。店内も外観とそう変わりなく暗くてみすぼらしいものだった。珍妙な格好をした大人が何人か、まだ午前中だというのに酒を煽っているようだった。
 二人して入り口に立ち尽くし辺りをキョロキョロと見回しているとそれに気づいたバーテンの男が声をかけてきた。手招きされ、そちらに歩いていくと人の良さそうな男は私たちに笑いかける。

「君たちがダンブルドア教授の言っていたマグルの子かい?」
「そうだと思います」
「そうかそうか。ようこそ魔法界へ!」

 オレンジジュースでもサービスしてやろう、と気前良く瓶を二本取り出したバーテンをトムが手で制する。

「ありがとうございます、でも早く買い揃えてしまいたいので」
「じゃあ帰りに声をかけてくれ、奢ってやろう」
 
 納得してくれたバーテンは瓶を仕舞う。ほんの少し、トムの機嫌が悪いことに気がついた。大方マグル───非魔法族と言われたのがバカにされたように感じたのだろう。

「それじゃあ案内しよう。ついてきてくれ」

 カウンターから出てきたバーテンに続いて先ほど入ってきた扉とはまた違うところから外に出る。そこはレンガの壁に囲まれた小さな中庭だった。バーテンは隅のゴミ箱の前まで来ると杖を取り出し、何が起こるのだろうと彼の杖先を見ていると、少し下がるように言われる。そしてゴミ箱の上のレンガを叩いたかと思えば、突然壁が震えだした。真ん中に小さな穴ができるとそれはどんどん大きくなり、終いには大男でも余裕に通れるほどのアーチ状の穴となった。その向こうには石畳の通りが向こうまで続いている。あまりの驚きに言葉が出なかった。あのトムも唖然とした表情を浮かべている。

「ここから先がダイアゴン横丁だ。本当に二人だけで大丈夫かい?ついて行こうか?」
「大丈夫です」

 心配そうなバーテンに、いち早く驚きから立ち直ったトムがはっきりと拒絶する。

「慣れているので。それじゃあ」
「ああ、気をつけて!」

 素っ気なく言ったトムに手首を掴まれて歩き出す。足を動かしながら後ろを振り返るとアーチ状の穴はなくなり、ただのレンガの壁に戻っていた。

 ダイアゴン横丁は、魔法使いでいっぱいだった。皆古めかしいローブを着込んでいる。一度わたしたちと同じ非魔法族らしい家族を見かけたが後は魔法使いだらけだ。トムに手を引かれながら、通りに面した店を見上げる。鍋屋に薬問屋、望遠鏡の店。何もかもが未知の世界で、忙しなく辺りを見回していると、目の前のトムが止まりこちらを振り向いた。同じ轍は踏むまいと足にブレーキをかけ、どうにかぶつからずに済む。

「初めに制服を作り、鍋なんかの学用品を買う。その後に教科書を買って最後に杖だ」
「はあい」

 完璧人間のトムはすでに周る店の順番を考えていたらしい。わたしの返事を聞いて、立ち止まっていた店の扉をくぐる。

「あらいらっしゃい。お二人ともホグワーツ?」

 店に入るなり声をかけてきたのは全身藤色のずんぐりとした魔女だった。愛想のいい彼女はトムの顔を見てまあまあ、と嬉しそうな表情を浮かべる。

「全部ここで揃いますよ……さあ、ここに乗って」

 踏み台に立つと、頭から長いローブを被せられる。それをピンで止め、奥にいた魔女二人の手によって採寸が始まった。質問責めにあっているトムの横でちょろちょろと魔法で動くメジャーを観察していると採寸はすぐに終わった。他にも三角帽とマント、革靴を見繕って完成したら孤児院に届けてもらうようお願いする。あの古い金貨はどうやらガリオン金貨と言うらしい。魔女に手伝ってもらいながら金貨で代金を支払い、外に出る。
 それから鍋、薬瓶、望遠鏡、秤を買い揃えこれらも送ってもらうようにした。次に教科書を買いに本屋へ向かおうとするも、金貨が入った巾着袋は随分軽くなってしまったことに気づく。そういえば教授が教科書は中古で買うことになるかも、と言っていたのを思い出し古本屋を探すも見つからない。散々歩き回り、奥まった細い路地に寂れた古本屋を見つけたのは日が傾き始めた頃だった。
 埃臭い店内で一年生用の教科書を探し出し、購入する。日に焼けていたり折れ曲がっていたり書き込みがあったりするが使えなくもない状態だった。これらは帰ったらすぐに読みたいと思い袋に包んでもらったが、全部で八冊の教科書はかなり重くひいひい言いながら店を出た。そして最後******お待ちかねの魔法の杖を買いに、オリバンダーの店、と書いてある店の前までやってきた。

 狭くてみすぼらしい外観、扉には金色の文字で紀元前三八二年創業高級杖メーカー、と書いてある。剥がれかかったこの文字からしてとても高級杖メーカーには見えない。埃っぽいショーウィンドウには紫のクッションの上に一本の杖が置かれていた。トムが扉を開けると奥の方でチリン、とベルが鳴る。見た目通りの小さな店内には古い椅子が一つだけ置かれていて重い荷物をその上に下ろした。
 何千という細長い箱が天井近くまで積み重なった店内は静まり返り、どこか厳かな雰囲気を醸し出していた。きっとあの箱の中に杖が仕舞われているのだろう。ひんやりとした空気が肌を撫でる。寒くはないはずなのに、何故か鳥肌が立っていた。まるで、何千もの目玉がこちらを凝視しているような────。

「いらっしゃいませ」

 思わず自身の二の腕を摩ったその時、近くから柔らかな声がした。驚いて声の方へ顔を向けると目の前に男が立っている。薄暗い光の下で、銀色の瞳が輝いていた。

「こ、んにちは」
「お二人さんは杖をお求めかな?」
「そうです」

 吃りながらも会釈をすると男は全く気にしていない素振りでわたしとトムの顔を交互に見やる。その大きな丸い瞳は、色も相俟って満月が二つ浮かんでいるようだった。

「私は店主のオリバンダー。お二人さん、お名前は?」
「シャロン・ランドールです」
「……トム・リドルです」

 では早速拝見しましょう、と言うとポケットから銀色の目盛りがついた巻尺を二つ取り出した。一つはふわりと宙に浮き、一人でに動いている。

「杖腕はどちらかな?」

 杖腕?と一瞬考え、トムが左腕を出したのを見て利き腕のことかと納得し右腕を差し出すと、オリバンダーはトムの肩に巻尺を当てる。それを真似する化のように、宙に浮いている巻尺もわたしの肩を測り始めた。肩から指先を測りながらオリバンダーは口を開く。

「オリバンダーの杖は一本一本強力な魔力を持った物を芯に使っております。一角獣(ユニコーン)の鬣、不死鳥の尾羽根、ドラゴンの心臓の琴線。どれもそれぞれ違うのだから、オリバンダーの杖にはどれ一つとして同じものはない。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても決して自分の杖ほどの力は出せないわけです」

 オリバンダーが語り終えるまでに、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、頭の周り、などと寸法を採った。中には杖選びに必要なのかと疑問に思うものもあったが、オリバンダーは二つの巻尺をしまうと素早く箱が犇めき合う棚の間を飛び回り始める。その勢いに唖然として突っ立っているとしばらくして幾つかの箱を抱えて戻ってきた。

「ではまずリドルさんから。リンボクにドラゴンの心臓の琴線。三十二センチ、頑固。手に取って振ってごらんなさい」

 そう言われたトムがそろりと手を伸ばし、杖に触れる。軽く握り少し振った瞬間、オリバンダーが杖をもぎ取った。そして新しい杖が出される。

「クルミの木、不死鳥の尾羽根。三十六センチ。しなりにくい」

 一瞬呆気に取られたトムはすぐさま次の杖を手に取る。しかし今度は振り上げられた瞬間に没収された。

「これはいけない……では次、アカシアに不死鳥の尾羽根、三十センチ、頑丈。さあどうぞ」

 それから何本も何本も試したがオリバンダーからの合格は全く出なかった。数を重ねるごとにオリバンダーは嬉々とした表情をし、トムは口数を少なくさせていく。そしてたくさんの箱が床に積み上げられ、トムの腰に到達しそうになった頃、オリバンダーは奥の方から一際古い箱を取り出してきた。

「これでどうだろう。イチイの木、不死鳥の尾羽根。三十四センチ、強力」

  仏頂面で杖を握ったトムは一瞬、おや、というような表情を浮かべた。そしてひゅっと空を切る音と共に振り下ろすと、杖先から緑の炎が飛び出した。エメラルド色のそれは渦を巻き、巨大な蛇のような形へと変化するとトムの身体に絡みつくようにとぐろを巻く。至近距離にある頭部が噛み付こうとするかのように大きく口を開けた瞬間、煙のように分散した。

「おお……素晴らしい。イチイの木は人並み外れた力のある魔法使いを選ぶ杖、貴方はきっと偉大な魔法使いとなるでしょう」

 手を叩いてトムを称賛したあと、選んだ杖を箱に戻しながらオリバンダーはそうそう、と再び口を開く。

「その杖の芯に使われている不死鳥の尾羽根はとある方から分けていただいたものなのです。そして同じ不死鳥から提供された羽根があとたった二枚だけありましてね……貴方のその杖を合わせて三本、所謂兄弟杖というわけですよ」

 まあ何百年先の方がその杖を手にするかはわかりませんがね、と笑ったオリバンダーは丁寧に包装された箱をトムに手渡すと再び棚の奥へと引っ込んだ。

「お疲れ。無事決まってよかったね」
「うるさい」

 皮肉を織り混ぜて声をかけるとトムはそれを一蹴しどっかりと椅子に座り込んだ。疲労感を滲ませながらも手の中の箱に目を落とすトムの口角は僅かながら上がっている。待ち焦がれた魔法の杖が手に入ったのだ、相当嬉しいのだろう。
 暫くしてオリバンダーが箱を抱えて戻ってきた。ようやくわたしの番だ、とドキドキしながら箱から杖が取り出されるのを眺める。

「お待たせしました。さて、黒クルミの木、一角獣の鬣。二十三センチ、よく曲がる」

 出された杖にそっと手を伸ばし、握る。その時点で取られることはなく、意を決して軽く振ってみる。すると背後からガシャン、と凄まじい音がして肩が跳ねる。振り返ると窓ガラスが粉々に割れ、辺りに散らばっていた。私がやってしまったのかと察し、さっと血の気が引くのがわかった。

「ご、ごめんなさい!」
「いやいや、お気になさらず」

 にこやかに笑ったオリバンダーは懐から取り出した杖を振りながら何かを呟く。すると映像を逆再生したかのように粉々になった窓ガラスがあっという間に元通りになった。

「お次はセコイアにドラゴンの心臓の琴線、二十七センチ。振りやすい」

 今度もダメだった。振り下ろした杖先から突風が吹き出し、積まれていた箱を蹴散らす。またもやオリバンダーの魔法で片付けてもらい別の杖を試したが、どれも店内を荒らすだけ。トムの時はこんなに破壊的じゃなかったのにと少し絶望しているわたしとは対照的にオリバンダーはこんなに面白い客は久々だと瞳を輝かせ棚を漁っている。トムはもちろんニヤニヤと愉快だとでも言いたげに笑っていた。暫くして、トムの時と同じくらい試行錯誤しているとオリバンダーが一つの古い箱を差し出した。それはトムが今手にしている箱ととてもよく似ている。

「ギンヨウボダイジュに不死鳥の尾羽根、二十六センチ。よくしなる」

 今度は何をしでかしてしまうのだろうと半ば諦めながら杖に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、何か温かいものが流れ込むような感覚を覚え、ハッと息を飲んだ。軽く握りこむと、その温かさは掌から手首、腕へと循環する。まるで暖炉に手をかざしているようだと思いながら頭の上まで振り上げて、勢いよく振り下ろした。
 すると杖先から金色の光が生まれる。帯状の光はわたしの周りをぐるりと一周し頭上へと到達すると、光は球体となり、破裂した。霧散した光は金色の粒子となり、きらきらと輝いて降り注ぐ。それは今まで見たどんなものよりも美しい──────まさに『魔法』そのものだった。
 金色の光が降り注ぐ中、美しい粒子に目を奪われているとパチパチという拍手が聞こえ我に返る。

「なんと美しい……!ありがとう、とても素晴らしいものを見せていただいた」

 彼の表情から見てその言葉は心からの賛辞だということが伝わり、少し気恥ずかしくなりながら礼を述べる。そうしていると粒子は消えてしまった。残念に思いながらも手の中の杖をしっかりと握りこむ。

「ギンヨウボダイジュはその見た目の美しさから一時期大流行した希少な杖でして、偽物も出回ったほどの一品なのです。そしてなにより、占い師や開心術の達人が使うと最高の魔法を繰り出せると言われております。予知能力などの神秘の術に通ずる者が多く手にする杖で、貴方もおそらくはその類の術が得意なのでしょう」

 予知能力者、と聞いてどきりと心臓が跳ねた。まさか杖にまでこの眼が影響するとは思わなかった。だけどきっと───この杖こそが、わたしの助けとなるのだろうと、漠然とそう思う。あの美しい魔法を見せてくれた杖に、心の中でよろしく、と呟いてみる。ほんの少しだけ、掌が温かくなった気がした。

「そしてこれは驚くべきことなのですが───芯材の不死鳥の尾羽根は、リドルさんのものと同じ不死鳥から分けられたもの。先ほど言った通り、兄弟杖というわけです」
「え」

 神妙な顔をしてそう言われた言葉に思わずトムと顔を見合わせる。彼は驚いた顔をしているが、きっとわたしも同じような表情だろう。さっき兄弟杖が人の手に渡るのは何百年先とか言っていたような。

「いやあ、珍しいこともあるものだ。貴方がたはきっとそれほどまでに強固な結びつきがあるのでしょうな」

 トムの表情が微妙そうなものに変わった。それはわたしもだ、環境が環境だけにこうして行動を共にしているが、もしお互い普通の学校で知り合ったのならば一生関わることはないだろうと断言できる。物の考え方がそもそも全く違うし好みも合わない。真反対ではないが一切合わないのだから、関わりは薄いだろう。
 ただ───ほんの少し似ていただけだ。子供らしくない、奇妙な力を持つ子供。思えば、いつも同じ空間にいる時だってお互い本を読んだり無言でいるばかりでまともにお喋りというものをしたことがなかった。それなのにお互いの癖や趣味趣向を把握しているのは何故なのだろう。

「さあどうぞ。お代は七ガリオンになります」

 包装された箱を受け取って、金貨を七枚渡す。オリバンダーのお辞儀に見送られて外へと出ると、新鮮なひんやりとした空気が肌を撫でた。いつの間にか日が沈んでいた。時計を確認すると夕食の時間に間に合わない事実を針が告げている。
 慌てて漏れ鍋まで戻ると、バーテンがわたしたちを見つけ、おう、と手招きをしてくる。どうせ間に合わないのだからゆっくりするか、という思考に変わり、カウンターまで近づいた。時間にうるさいトムがおい、と焦ったように呼びかける。

「お疲れさん。その荷物重そうだけど、ずっと自分たちで運んでたのか?」
「帰ったらすぐに読みたかったので」
「なるほど。……ああそうだ、ならこれをあげよう」

 そういって渡されたのは布の質素な袋。どこにでもあるようなそれを不思議そうに見ているとバーテンは傍らにあった重そうな瓶を袋に入れて見せた。

「検知不可能拡大呪文がかけられている袋で、まあこれは物を入れて二十四時間後には解除されるちゃちなモノだけどね」

 どうやらどんなものを入れてもその重さなどが一切わからなくなるものらしい。現に先ほど入れた瓶の重さは全く感じない。ありがたく頂戴して荷物を仕舞い込む。どう考えても入りきらない数の教科書類は何の問題もなく収まった。最初に入れた瓶を返しつつ礼を言うとニッコリと笑ってくれた。

「ところで腹減ってないか?奢ってやるって言っただろう?」

 メニューを手渡され、カウンターの奥にかかっている時計に目をやる。今からダッシュで帰っても確実に夕食の時間には間に合わないだろう。昼も食べていないのに、夕食抜きはかなりきつい。ならここでご馳走になってもいいのでは?
そう考えること三秒、わたしはありがとうございますと口にしつつカウンター席についた。

「おい、何してるんだ」
「今から帰ってもどうせ夕食抜きなんだし、せっかくだから食べて帰ろうよ。お腹すいてないの?」
「…………」

 わたしを睨み付けていたトムもやはりお腹は空いていたらしく、諦めたように隣の椅子に腰掛けた。メニューを半分こしながら眺め、わたしはフィッシュパイ、トムはシェパードパイを頼む。それからバーテンにホグワーツのことや魔法界の話をたくさん聞いて、デザートに出されたトライフルを平らげた後、心からのお礼を述べて店を出た。孤児院に着く頃には完全に夜になってしまい、ミセス・コールのお小言を華麗に流し、わたしたちはそれぞれの部屋に戻る。
 ここはあまり大きな孤児院ではなく本来なら四人ほどで相部屋なのだが、あまりの問題児っぷりにわたしとトムだけ個室があてがわれている。もちろんその分物置程度の狭さだが、それでも個室はとてもありがたい。このことに関してだけは心から問題児でよかったと思う。
 荷物から教科書類と杖を取り出してベッドの上に並べた。箱の中から杖を取り出して埃臭いベッドに身を投げ出し、杖をじっくりと眺める。明るい茶色の杖はつるりとした手触りでまっすぐに伸びている。先端に近づくほど細くなり、持ち手の部分には彫り物が施されていた。それはまるで絵画の額縁のような曲線美を描いている。どこか神秘的にも思えるその細工を眺め回し、試しに軽く振ってみる。しかし特に何も起きない。もう一度あの金色の光が見れるのではと密かに期待していたがそうはいかないようだ。入学案内に同封されていたマグル向けの魔法界について簡単に説明されている書類によると、未成年は学校外で魔法を使うことは禁止されているらしい。使った瞬間何らかの魔法ですぐにわかるのだそうだ。よって入学するまでは魔法を使えない。残念だが仕方がないだろう、法律には逆らえない。……トムがそのうち抜け穴を見つけてくれるのではないかとは思っているけど。
 杖を丁寧に箱に戻し、教科書を手に取る。『基本呪文集(一学年用)』と題された表紙を捲り始めたわたしが八冊目の『闇の力***護身術入門』を閉じたのは、窓から差し込んだ日の光に気づくのと同時だった。

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