13
迷いはなかった。しゃがみ込み、押し入れの下段の収納ボックスの奥へ手を差し入れた。冷たいプラスチックの感触をすり抜けて、さらにその奥へ指を滑らせる。私の予想だと、ここに隠していると思うんだけど…。
――あった。ひやりとした重みが、指先に触れた。私はそれをそっと引き抜き、ゆっくりと立ち上がる。
小ぶりなシルバーの拳銃。冷たく、鈍い光を帯びていた。ずしりとした質量が、両手に伝わってくる。何かを間違えていると、どこかで分かっていた。けれど、ここから抜け出すためなら、何だっていい――その一心だった。
「……何をしているんですか?」
びくり、と体が跳ね上がった。背後からかけられた低い声に、急激に心拍数が上がっていく。振り返る勇気はない。だって、わかる。その声の奥に、決して無視できない怒りの温度が潜んでいると。
そのとき、畳を踏む音が聞こえた。…近づいてくる。咄嗟にそう思い、私は震える足で立ち上がると、拳銃を構えた。覚束ない手つきのまま、それを安室透へと向ける。
「う、動かないで……」
声はかすれ、手は大きく揺れていた。これの使い方なんて、もちろんわからない。それでも、彼を少しでも動揺させ、現実世界へ戻れるのなら、何でも良かった。
――そう思っていたのに。安室さんは、驚いた様子ひとつ見せなかった。
「……それが、あなたの“答え”ですか?」
確実に怒気を孕んだ声。その瞳は真っ直ぐ私を射抜いていて、すでに全てを見透かされているような気さえする。
「拳銃を握るのもままならないようですが、それで貴方は、僕を撃つと?」
撃てるはずなんてない、というような口ぶりだっあ。その通りだ。勿論、私に安室さんを撃つつもりはさらさらない。
「あなたにしては、良くやったと思いますよ。僕の家に忍び込んで、僕の拳銃を見つけ、そして僕に向ける……」
「そ、それは……」
「逃げるためですか?それとも、僕を殺すため?」
鋭く問いかけられ、喉がつまった。言葉が出てこない。安室さんの眼差しに射すくめられて、何も答えられない。
「本当に、脈略のない人ですね。脈略なしに消え、脈略なしに現れ、脈略なしに引っ叩いて、僕にキスをする……。今度は拳銃ですか?」
「わ、私もおかしなことをしてるっていうのは、分かってるんです……!でも、事情があって……!」
歯を食いしばりながら、必死に言葉を絞り出す。どうやってこの状況を収拾しようかと、焦ってカタカタと足が震え出した。
「残念ですが、その拳銃に銃弾は入っていません。撃ってもどうにもなりませんよ」
「え……?」
呆然と口を開けた。
銃弾が入っていない?だからそんなに笑っていられるの?それともそれは、私を油断させるための嘘……?
「う、嘘を言わないで下さい……!近づいたら本当に撃ちます」
「では、僕を撃ってみたらどうです?」
挑発するような声に、手が震える。もし、銃弾が入っていたら安室さんの命は無いだろう。
銃口を向けたまま、安室さんを見つめる。その間にも、彼はゆっくりと私との距離を詰めてくる。
「ち、近づかないで……!」
そのとき、焦って思わず引き金に手をかけてしまう。しまった、と私はすぐに銃口を上に向けた。
しかし――ぽすっと、音にもならない音が響く。ぎゅっと目を瞑るが、衝撃も何もない。
「え………」
気が抜けたその瞬間を――安室さんは見逃さなかった。するりと私の手首を掴み、もう片方の手であっという間に拳銃を取り上げてみせる。
そして、胸ポケットから小箱を取り出すと、見せつけるように、一つ、二つ、と銃弾を取り出し
銃弾が入っていなかったのは本当みたいだで、カチリ、カチリ、と金属音がやけに鮮明に響き、最後にはサイレンサーを銃口に装着する姿を、私はただ呆然と見ていた。
「なに、を……」
本当の恐怖が、背骨を這い上がってくる。
撃たれる。そう直感した。今、引き金を引かれでもしたら、私は、死ぬ。
震えながら、金縛りにあったように動けなくなる。
「僕も、こういうことはしたくありません。会話で解決をしましょう。質問に答えればいいだけです。とりあえず、一つでも答えれば見逃します」
「そ、そんな……!」
安室さんは、変わらない冷静な声で続けた。
「まず一つめ。あの日、試着室からどうやって姿を消したのか。方法があるんですよね?……そしてなぜ、僕にキスをしたのか」
冷たい銃口が、まっすぐ私に向けられた。静かに私を見据える安室さんと視線を絡めて、恐怖に後ずさる。
こんな安室さん、見たことない。初めて彼が、本当に怖いと思う。
「ひ、酷いです…!私のことを、命の恩人だって言ったじゃないですか……!」
言葉とともに視界が滲んだ。
情けなさと恐怖が入り混じって、自分の声すらどこか遠くに感じられる。
「命の恩人だからこそ、信じて、二ヶ月も待ちました。なのに、こうして約束を破ったのはあなたの方でしょう」
静かな声だった。穏やかに聞こえる分だけ、その怒りは芯から冷たかった。
「僕の問いには何一つ答えず、あなたは姿を消した。今こうしてまた目の前に現れたのに、同じように背を向けようとしている。……もう逃げられません。答えてください」
言葉が、喉に刺さった。
逃げ場など、どこにもなかった。肩が震え、足がすくむ。まるで銃口の奥から、何か得体の知れないものに見つめられているような錯覚すらする。
「……キスをしたら……消えるから」
今の私には、息を切らせながら、そう答えることが精一杯だった。安室さんは、ほんの一瞬だけ目を細める。
「キスをすれば、消える……?想像もしていなかった答えですね。それが方法だと?」
「事実です……。だから、お願い、やめて下さい……」
切実にそう願った。
けれど、安室さんは一歩、また一歩と近づいてくる。
「ち、近づかないで……!」
必死に制止の声を上げるが、足は竦んだままで動かない。代わりに、安室さんの瞳だけがぐっと深く射し込んでくる。圧倒的な気配に、心が潰れそうだった。
「あなたの話の理屈に従うなら……今、僕があなたに触れたら、あなたはここから消えてしまうということですね?」
「…や、やめ……っ」
その声色に、もはや優しさの気配すらなかった。
声にならない叫びを漏らすが、安室さんは止まらない。あっという間に距離を詰められ、強引に腰を引き寄せられた。
倒れ込むように彼の胸に飛び込んだ瞬間――
唇が塞がれた。
一瞬の出来事だった。あまりに突然すぎて、私はただ目を見開いたまま固まった。
唇が離れる頃には、もう自分の力では立っていられず、脚から力が抜けその場にへたり込む。見上げると、安室さんが冷ややかに私を見下ろしていた。
何、が?腰が、抜けた…?
「……消えませんね。なにも変わらないようですが?」
「た、ただ単にキスすればいいって訳じゃないです……!心が、感情が動く必要があるんです……!」
「感情、ですか。あのとき別に良くはなかったですが」
うっ、と思いの外ダメージを受けた。
安室さんにとって、あのキスはそんなものだったのだと。あまりにあっさりと残酷だ。
「で、でも……!驚きましたよね?心の動揺が必要で、それがきっと法則なんです…!」
「あなたは驚いたみたいですけど?顔が赤くなってますよ」
安室さんはそう言って、頬に手を添えわざとらしく自分の頬をつつく。
思わず私は両手で顔を覆った。こんな命の危険が迫る状況で、顔を赤らめてる自分が信じられない。
「わ、私じゃなくて、安室さんのです!あなたの変化が必要なんです……!」
「なぜ、僕の心を揺らす必要が?」
「登場人物だから……!!」
と言って「しまった」とばかりに口を閉じる。
安室さんは眉を顰めて、私をじっと見つめた。
「登場人物……?なんの……?」
「け、拳銃で脅したのを告訴します……」
咄嗟に話題を逸らそうと声を震わすが、そんな小手先の誤魔化しが通じるはずもない。
「困りましたね。先に脅したのは貴方の方なのに…しかも暴力も込みで」
冷静に淡々と言われ、ぐうの音も出なかった。
何を言っても逃げ場はなくなり、どんどん追い詰められる。鼓動が早鐘を打ち、息も上がり、どうする、どうする、と頭の中に囁き声が充満する。
「ともかく、僕の動揺が必要だと。だから頬を叩き、キスをし、拳銃を向けたのも全部僕の動揺を誘うために。……おかしな話ですね」
「本当なんです……」
もう私には、蚊の鳴くような声で訴えることが精一杯だった。
「まぁ、テレポートだとか言われる覚悟はしていました。でもあなたの顔を見る限り、嘘ではなさそうですね」
「…はい…。嘘じゃないです…」
目を伏せ、必死に訴える。
もうやめてほしいと。
けれど、安室さんは容赦しなかった。
「嘘ではない。けれど、真実でもない。まだ隠している事があると思います。どうして僕が動揺すれば、あなたが消えるのか――それを、答えてもらいましょうか」
そう言って、安室さんは再び拳銃を構えた。
銃口がぴたりと私を捉える。
「わ、私はこれ以上知らないです…!!」
「知らないはずがありません。10秒だけ数えます」
カチリ。拳銃のレバーを倒す冷たい音が、空気を凍らせた。
――怖い。今、引き金が引かれでもすれば、本当に死ぬかもしれない。
「10、9、8……」
「ほ、本当に知らないんです!脅さないで下さい!撃つ気もないのに……!」
「7、6……いいえ。僕は撃てます」
静かに告げられた言葉に、ゾクリと背筋が凍った。
「嘘……そんな人じゃない……!」
その瞬間。
ぱりん――!
耳をつんざく破裂音が響く。
「きゃっ!」
思わず小さな悲鳴が漏れた。
反射的に耳を塞ぎ、肩を縮める。横目で恐る恐る見たその先で、窓ガラスが一部粉々に砕け、外の野菜プランターが銃弾によって吹き飛んでいた。
「拳銃はこうやって使うんですよ」
鼓動が一気に跳ね上がった。
さっきまで口先だけだと思っていたのに――違う。本当に、引き金を引いた。迷いもなく。
もし狙いが少しでもずれていたら、あれは私の胸を貫いていたはずだ。
「僕の人生がかかっている問題です。貴方は命の恩人であると同時に、危険な存在でもある。だから――答えなければ撃ちます」
ぞわり、と悪寒が走った。脳の奥まで凍りつくような恐怖に、震えが止まらない。
プランターを撃ったのは、君を撃てるぞ。という脅し?でも、どうして。確かに、この世界での私は容疑者かもしれないけど、今の段階じゃ危険なんて何もないはずだ。
「う、撃たない……あなたはそんな人じゃない……」
「僕のことを知ってるようで、知らないんですね。僕は撃てます」
「そんなはずない……あなたには出来ない……」
そう自分に言い聞かせることでしか、もう自分の意識を保っていられなかった。
私は知ってる。知ってるはずなのに。いくら演じようと、安室さんが悪人でないこと。悪を演じようとも、その裏には善があることを。人を殺すようなこと、彼がするはずがない。
なのに、どうしてこんなに怖いの?
「あと5秒残ってますよ。4、3……」
「や、やめて、下さい……」
怖い。身体が、心臓が、喉が震える。
両腕で自分を抱きしめ、縮こまった。
「2、1……本当に答えないつもりですか?」
「ほんとうに、知らないんです……!!」
祈るように叫んだ。
その瞬間。
「……ゼロ」
カチリ、と引き金が引かれた。銃口が火を噴き、空気が震え、閃光が走る。
そこから全てが、スローモーションのように見えた。サイレンサーで銃声こそ聞こえなかったが、同時に体に衝撃が走る。
撃たれた――。そう思った。胸に、ずしりとした衝撃。けれど、痛みはない。恐る恐る、自分の胸元を確認する。
血も、傷も、ない。そのとき、私の意識が急速に閉ざされていく。暗く冷たい闇の底へと放り投げられるような感覚に、ゆるりと目を閉じた。
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