14
意識を取り戻したとき、辺りはすでに暗くなっていた。暖かいオレンジ色の光が、窓のカーテンの隙間から静かに差し込んでいる。
ぼんやりとした視界のなか、私はかすかに頭を振った。
……あれ、私、どうしたんだっけ。たしか、安室さんに撃たれて…。でも、痛みはどこにもない。ぼんやりとした頭の中に、断片的な記憶が浮かんでは消える。
指先を動かすと、血の通ったぬくもりがじわりと戻る。半ば反射的に上体を起こそうとした、そのとき――
「まだ、そのままで」
低く、温度を抑えた声が降ってきた。
瞬間、肩口に影がかかり、逞しい腕が伸びてくる。手のひらがそっと私の肩を押さえ、力強くも柔らかにもう一度ベッドへ沈められる。
思わず喉が鳴った。呼吸の仕方を忘れるほど近い距離。
「……怒りましたか?」
声の方へ視線を向けると、ベッドの縁に腰掛けた安室さんが、静かに私を見下ろしていた。
オレンジ色の光が横顔を縁取って、陰影をくっきり浮かび上がらせる。
「……怒る、どころじゃないですよ……。人を、銃で撃って……」
意識は戻ったはずなのに、喉の奥がひどく重く、声は掠れて頼りない。
そんな私に、安室さんは眉をわずかに寄せ、視線を伏せた。申し訳なさそうなその仕草に、一瞬言葉が詰まる。
「脅してしまったことは、悪かったと思っています。ですが……宮間さん。あなたは不死身ですね。銃で撃たれても、何の傷も負わない」
「え……?」
安室さんは言葉を探すように短く間を置き、再び視線を合わせてくる。私は理解が追いつかず、間抜けな瞬きを繰り返した。
「どういう、ことですか…?」
「ご自身では気づかれていませんでしたか?」
安室さんの声は落ち着いているのに、内容だけが現実を逸脱していた。
不死身――その二文字が、耳の奥でゆっくりと響く。それは漫画や映画の中でしか出てこない言葉で、現実の人間に向けて語られるものじゃない。人は誰しも、いつか必ず死ぬ。なのに、安室さんは冗談めかすでもなく、眉一つ動かさずにそれを口にした。
「もちろん、最初から宮間さんを傷つけるつもりはありませんでした。そこは安心してください。銃弾も眠らせるだけのものにすり替えていましたし、その上であなたが僕のことをどこまで知っているのか確かめたかっただけです」
そう、だったんだ…。
すべて安室さんの掌の上だったってわけだ。
じわじわと胸に広がる、やるせなさと虚しさ。必死だった自分が、滑稽にさえ思えた。
「…そうとも知らず、私…すみません」
「いえ、僕のほうこそ試すような真似をしてすみません。…ただ、あなたが寝ぼけて僕しか知りえないことをばかり口にするものですから、少し意地悪をしてしまいました」
「え…?私が…?」
胸の奥が、ひやりと冷たいもので撫でられた気がした。
私がいつそんなことを?思い出せないが、たしかに夢うつつで誰かと話していた記憶はある。もしかして、そのとき?
そうだとして――私、どこまで言ってしまったのだろう。彼の過去?本当の名前?それとも……。
視線を落としたまま、安室さんの方を窺う。彼は表情らしい表情を見せない。それがかえって、胸の奥のざわめきを大きくしていく。
「あ、安室さん……それで、私が不死身って……?」
自分が何を口走ったのか、どこまで知られてしまったのか……その答えを早く知りたくて、思わず彼を急かしてしまう。
「…撃ったはずの銃弾が、宮間さんに当たらなかったんです」
「撃ち外した、ってことですか……?」
「というよりも、"すり抜けた"と言った方が正しいでしょうね」
すり抜けた――。
銃弾が私の身体を?
「どういうことですか?」
「銃弾は確かに貴方の胸を貫いた…はずでした。けれど、傷一つ残さず、後ろの壁に突き刺さっていたんです」
静かに、確信をもって告げられる言葉に、私は何も言えなかった。でも不思議と、恐怖はなかった。ただ、どこかで納得していた。
普通なら、驚くべきことなのかも知れない。でも…、私はこの世界の人間ではない。存在しない異物だ。だから、傷も、記録も、何も残らない。自然にそう腑に落ちた。
この世界にいる限り、私は怪我をすることも、死ぬこともないのだと。
「となれば…宮間さんは、銃弾に眠らされたわけではなく、自分が撃たれたというショックで気を失ったのだと思います」
安室さんは、ふっと小さく息を吐いた。
「怖がらせてしまいましたね。本当に、すみません」
頭を下げる安室さんに、私は思わず慌てて首を振った。
もう一度謝られたことがかえって胸に刺さる。私も、どれだけ無茶な行動をしてきたことか。顔が熱くなり、ベッドのシーツを指でぎゅっと掴んだ。
「でも、これで憶測が確証となりました」
低く、けれど確信に満ちた声だった。
安室さんの視線が、真っすぐ私を貫いてくる。その瞳の奥には、もう疑いなど微塵もない。
それは、逃げ場を一瞬で塞ぐ鋭さだった。
「宮間さん。あなたは……別の世界から来た。そうですよね?東京大学病院の医師として」
胸の奥が、ずしんと音を立てて沈んだ気がした。血の気が一気に引いていく。
——見抜かれた。完全に。
どうして…?なぜバレた?もしかして、私が口走ってしまったのだろうか。まだ出会って数回顔を合わせただけ。それもわずかな時間。この短い期間で、どこからそんな確信を得たの?
脳内で疑問が洪水のように押し寄せ、息の仕方を忘れる。声を出すどころか、呼吸さえも止まったような感覚に陥った。
「ああ、それと……これを」
そう言って、安室さんは何か小さなものを取り出す。
手の中で光を反射する、薄いプラスチックの板。見覚えのあるその形が、脳裏に現実の映像を叩きつけてくる。
それが何なのかを認識した瞬間、胸の奥がきゅっと縮まり、息が止まりそうになった。
「試着室に落ちていました。あなたの社員証です。返しておきますね」
さらりと告げられた言葉とともに、カードがベッドの上にそっと置かれる。
手を伸ばせば触れられる距離なのに、指先は硬直し、シーツを掴むことしかできなかった。目だけが、その小さな証拠に縫い付けられたように離れない。
「それを見て、あなたが”こちらの人間じゃない”と、疑いはじめました。最初は偽造品かと思いました。けれど、角のすり減り方や、写真の色あせ具合、日常的に使われてきた痕跡がありますし、中には磁気まで入っているようですしね。――作り物ではなく、実際に“使われていた”カードだと確信しました」
安室さんの声は穏やかだったけれど、まるで、「もう言い逃れはできない」と告げられているようだった。
「……宮間さん。なぜ、ここに来たのか。どうやって来たのか。そして、どうやって僕の前から姿を消したのか。……答えてくれますか?」
ひとつひとつ、丁寧に言葉を並べながら、安室さんは私を見つめる。
その眼差しは刃のように鋭く、それでいて正面から逃げ道を塞ぐほどまっすぐだった。
胸の奥に、居心地の悪い熱と冷たい恐怖が同時に広がっていく。声を出そうとしたが、喉の奥で何かが詰まり、音にならない。
ただ小さく首を横に振るしかなかった。
安室さんはそんな私をしばし見つめ、軽くふっと息を吐き出す。
「……やはり、何も答えられませんか。まあ、いいですよ。少なくとも、自分勝手に消えるわけじゃないって分かりましたし」
安室さんはそう言って、肩をすくめながら私を見下ろした。その
「僕をよく知っているんでしょう?では、そんな簡単には動揺しないことも知っているはずですよね?……なので、貴方をすぐには帰さないことにしました。僕の質問に答えるまでは」
「ひぇ……」
思わず情けない声が漏れた。
あまりにもあっさりと告げられた強い拘束宣言に、視界が揺れる。
こんな風に微笑みながら「逃がさない」と言い切れる人間を、私は他に知らない。その冷静さに感心してしまう自分が、余計に悔しい。
「ここで一緒に暮らすと良いですよ。宮間さんは命の恩人ですしね。いつまで居てくれても構いません。貴方は僕を驚かせる答えを、たくさん持っていそうだ」
さらりと、まるでお茶でも勧めるような調子で続ける安室さんに、私は絶句した。
けれど、差し出された選択肢は表面上の自由であって、実質は鎖だ。逃げ場を与えない提案を、こんなにも自然に、優雅に口にできる人なのかと戦慄する。
「貴方は帰って、僕は答えを得る……どうですか?貴方の世界は、どんな世界なんですか?」
「………」
「僕のことを何でも知っている。見たから。とも言っていました。どこで見たんですか?」
空気の密度が急に増し、肌にまとわりつく。
呼吸のたびに胸が軋むほど、緊張が濃くなっていく。
――でも、言えない。それだけは絶対に。
もしここで口を開けば、この人の世界が崩れてしまう。安室さんが、自分の存在が“虚構”だと知ってしまったら、その先にあるのはきっと……。
私は唇を噛み、視線を落とす。
「……答えられないのなら、いいですよ」
静かに安室さんは言った。
「ここで一緒に暮らしましょう。貴方が帰りたくなったら、そのときに、ちゃんと話してください。僕はそれで構いません」
――“一緒に”。
意味を理解するのに数秒かかった。そして、だんだんと状況が飲み込めてきて、背筋にひやりとした感覚が走る。
私、もしかして、とんでもない取引を受け入れてしまったのでは?
「それと、この間お貸ししていたスマホです。返しておきます。……これで和解としましょう」
差し出されたスマホの重みは、ごく普通のはずなのに、やけに存在感があった。
安室さんはそれを置くと、静かに立ち上がる。背中が視界の端から遠ざかっていく――その瞬間、反射的に手が伸びていた。
がし、と服の裾を掴む。わずかに驚いたように振り返った彼と、視線が絡まる。光の加減で、瞳がわずかに揺れたように見えた。
「……好きです」
自分の声が、信じられないほどはっきり響いた。
一瞬で空気が凍りつく。
安室さんは、その場に固まり、眉をほんの少し上げて、まるで「何を言っているんだ?」という表情を浮かべる。
沈黙が長く伸び、顔から火が出そうになる。私は慌てて布団に潜り込み、視界を遮った。
「……ふはっ」
堪えきれなかったように、安室さんが吹き出した。低く、喉の奥で笑いをこらえながら、肩を震わせる。
「宮間さんが告白したら、僕がどきどきして動揺するとでも思ったみたいですね」
「……もしかしたらって思っただけです!」
顔を真っ赤にして叫ぶと、さらに笑われた。
布団越しに聞こえるその声は、愉快そうで、それになんだか少しだけ意地悪だ。
悔しさで唇を尖らせ、さらに布団に顔を埋める。悔しい。ああもう、本当に悔しい。私ばっかり、こんなに動揺してるなんて。
でも――それでも私は諦めない。何度だって仕掛けてやる。帰るために、安室さんの心を本気で動かしてみせるんだから。心の中で、ぎゅっと拳を握る。
「おかしなことをしてる自覚、あります?夕飯を作りに行こうとしただけなのに、告白を受けるなんて」
可笑しそうに笑いながら、安室さんはキッチンへと歩いて行った。私は悔しさでぷるぷる震えながら、布団に顔を押し付ける。
安室さんに告白しても帰れなかったけれど。撃たれても、脅されても、心を折らなかった私だ。絶対に、諦めたりなんかしない。
そう心に誓った。
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