29


「きゃああああっ!!」

耳をつんざくような悲鳴が、狭い取調室に響き渡った。
目の前で顔を真っ赤にして怒鳴り散らす刑事。その血走った目に捕らえられただけで、全身が凍りつく。

「どこに隠れていたんだ!!答えろッ!!」

バン!と机を叩く音が鼓膜を突き刺し、肩が大きく跳ねる。
忘れていた。いや、忘れようとしていた。安室さんを救うことばかり考えて、その先のことを何ひとつ考えられていなかった。けれど、さっき、安室さんとの面会を終え、この部屋にきた瞬間、待ち構えていたこの男の顔を見てすべてを思い出した。

「黙ってないで何とか言ったらどうだッ!」

ひっ、と勝手に声が漏れる。
そうだ、この怒鳴り声。忘れられるわけがない。
以前、"大変"お世話になった刑事だ。前も、この人の声に追い詰められて、私は安室さんに真実を口走ってしまったのだから。
まさか、またこうして再会することになるなんて。

「また黙秘するつもりか!!ああ?!いい加減にしろッッ!!」

机を叩かれるたびに、体がビクリと強張る。
違う、私は黙秘しているわけじゃない。話せることが何もないから、黙っているだけなのに。

「この女、絶対にまともじゃないッ!!」

怒鳴り声が壁に跳ね返り、耳の奥でビリビリと残響する。
けれど、私だって気づいたらここに戻ってきていたのだから。説明なんてできるはずがない。
それに、こんな状態でまともな受け答えなんてできると思っているのだろうか。

「こいつの精神鑑定が必要だ…!さもないと俺が狂うッ!!」

刑事は荒々しく振り向き、背後に立つ別の刑事へ怒りをぶちまけた。
狂いそうなのは、むしろ私の方だ。必死で深呼吸をして、どうにか冷静さを取り戻そうとする。
刑事は荒れた息を整えるように煙草を取り出し、ライターを擦った。火がついた先から立ち上る煙が、視界をゆらゆらと曇らせる。

「おい、聞いてんのか?!」
「…は、はいっ…!」

じろりと睨みつけてくるその目には、逃げ場など与えないという強い意思が宿っている。
――“絶対に吐かせてやる”。視線だけでそう突きつけられて、喉の奥がひゅっと音を立てた。

「どこに隠れてた?」
「それは…………」
「ふざけるな、答えろッ!!」

机を叩く轟音が響き渡り、また体が跳ねる。
さっきまで安室さんと向かい合っていた面会室の緊張とはまるで別世界だ。空気が変わりすぎて、心がついていけない。

「お前が突然消えたせいで、俺たちがどれだけ振り回されたと思ってる?!」

怒声とともに机に身を乗り出してきた刑事の血走った目が、私の視界いっぱいに迫る。
――まずい。このままじゃまた、あの終わりのない取り調べコースに突入してしまう。眠ることすら許されない日々に逆戻りだ。どうにか答えなきゃ、でも……どう説明すればいいの?

「お前、何を隠してやがる?」

その言葉に、ドクンと心臓が跳ねた。
肩が勝手に揺れる。

「ほら、今の反応だ。俺はな、こういうときの反応を見逃さねぇ。ほら、今も顔が引きつったな。焦ってるんだろ?」
「そ、そんなことは……」
「嘘をつくな!お前みたいなタイプはな、一度ボロが出るとどこまでも墓穴を掘るんだよ!!!」

−バンっ!
何度目かわからない机を叩く乾いた音が、胸の奥まで突き刺さる。

「この際、お前がどこにいたのかはどうでもいい。問題は、お前がなぜ“戻ってきた”のかだ」
「……」
「何かあるんだろ?誰か、お前を拘置所から出して再び戻したやつがいるんじゃないのか?」

心臓が、あからさまな音を立てて跳ねた気がした。
刑事の鋭い視線が私を貫く。今にも心の奥まで見透かされてしまいそうで、冷や汗が背中を伝う。

「まあ、どうせすぐに白状することになるがな」

刑事がにやりと笑う。
寒気が背筋を這い上がった、そのときだった。

「……あの、ちょっといいですか」

部屋の隅で腕を組んでいた別の刑事が、呆れたように口を挟む。

「このままじゃ話が進まないですよ。取り調べってのはもっと冷静にやるもんでしょう?」

その言葉に、鬼刑事が苛立たしげに舌打ちした。
その怒りの火が鎮火することなんてないように感じて、思わず私は怯える。

「チッ……そういや、お前を聞いてなかったな」
「捜査一課強行犯三係の高木です」
「…なるほど、目黒の班か。なら、高木。しばらくお前が取り調べろ」
「えっ、僕が!?」

目の前で繰り広げられる自己紹介と突然の指名に、優しそうなその刑事が慌てて頭をかいた。

「僕、今日は応援で来たばかりなんですけど……」

困ったように呟く声がぎりぎり耳に入る。
――ああ、やっぱり。普段はここにいないのに、応援で呼ばれているのか。どうりで初めて見る顔のはずだ。

「お前の方が向いてるだろう?」
「……いや、その、向いてるかどうかは……」

高木刑事は明らかに戸惑っている。
そりゃそうだ。目の前にいる鬼刑事がずっと怒鳴り散らしていたのに、急に「お前がやれ」なんて振られたら、誰だって困惑する。

「こいつに甘い顔をするなよ。前にも黙秘で手を焼かされた奴だ」
「そ、そうなんですか……」

高木刑事がちらりと私を見て、困ったように苦笑する。
私は思わず愛想笑いを返した。何度も言うが、黙秘したかったわけじゃない。話して信じてもらえるような内容が、何もないからだ。

「まあ、いい。あとは任せた」

そう言って鬼刑事は、椅子を乱暴に蹴り、ドアを勢いよく閉めて出ていった。

………
………

突然の静寂が部屋を包む。さっきまでの怒号が嘘のように、取調室がしんと静まり返った。
私は呆然としながら、目の前の高木刑事を見つめた。彼もまた困った顔で、机の上の書類を持ち上げたまま固まっている。

「……す、すみません。なんか、私のせいで…」

恐る恐る声をかけると、高木刑事は「いや、君のせいじゃないですよ」と首を振った。
その柔らかさに、少しだけ胸が緩む。けれど同時に、不思議な違和感が胸をかすめた。

「その……取り調べ、続けますか?話すことがあるかどうか、わからないですけど……」
「いや、その、僕もこういうのはあまり得意じゃなくて……こんなんだからいつも佐藤さんにも…」

高木刑事が書類をめくる手を止めて、少し困ったように顔を上げる。

「えっと…君がどこにいたのか、っていう話でしたよね?」

その瞬間、何かが私の中で弾けたような気がした。

…この顔、どこかで見たことがある。頭の中でその声、表情、仕草を照らし合わせるとひとりの人物が浮かび上がった。
ああ、そうだ。もしかしてこの人は──!

「どうかしましたか?」
「い、いえ……」

視線を逸らす。けれど、もう気づいてしまった。
目の前の刑事は――「名探偵コナン」に登場する、あの高木刑事にそっくりだと。
そういえば、さっきも目黒警部の部下だと。そんなことを言っていた。
すごい。またこんなところで"コナン"の登場人物に出会えるなんて。もしかして、彼を動揺させたら、安室さんのときと同じように現実世界へ戻ることができるのだろうか。
高木刑事が目を瞬かせ、何かを言おうとしたその時——着信音が鳴り響いた。

「……失礼」

高木刑事は眉をひそめながらスマホを取り出し、画面を確認すると、すぐに席を外すようにして通話ボタンを押した。

「はい、高木です……はい、はい。そうです今……えっ?」

途端に彼の表情が変わる。驚きと困惑が入り混じったような顔つきだった。

「しかし、まだ取り調べが……ええ、でも……」

言葉を詰まらせながら、何度か相槌を打つ高木刑事。だが、最後には「……わかりました」と短く返事をし、ゆっくりと通話を終えた。そして、釈然としない様子で私の方へ視線を戻す。

「指示が入りました。君の取り調べはここで終わりだそうです」
「えっ……」

思わず声が漏れた。
高木刑事自身も納得していない様子で、探るような視線を向けてくる。

「……君は一体、何者なんだい?」

その疑念に満ちた声を聞いた瞬間、脳裏にひとりの人物が浮かんだ。
──安室さん。きっと彼だ。これしか考えられない。外部からの介入で取り調べが打ち切られるなんて、普通はありえない。安室さんや公安警察が何らかの手を打ったに違いない。
安室さんはあくせくと、私をここから出すために動いてくれているのかも。胸の奥が熱くなる。
それなら、高木刑事を動揺させるより、大人しくしていた方が得策だ。

「……何者、なんて……私はただの一般人です……」

小さく肩をすくめ、怯えたふりをして答える。
高木刑事は納得しきれないように眉をひそめながらも、それ以上は問い詰めてこなかった。



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