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霞ヶ関駅。見上げると、巨大なビルが空を覆っていた。
──また、ここに戻ってくることになるなんて。私は呼吸を整えながら、重い足をひとつずつ前へ出す。公安部。彼を直接呼ぶことはできない。あの人の存在はトップシークレットだ。でも……風見さんなら。
正面の受付カウンターへ向かうと、制服を着た警官がガラス越しにこちらを見た。

「ご用件は?」

無表情な制服警官の問いかけに、一瞬、喉が詰まったようになった。反射的に言葉が出てこない。けれど、ここまで来て引き返すわけにはいかない。自分の両手をぎゅっと握り、無理に声を絞り出す。

「お会いしたい方がいまして……」

警官は眉ひとつ動かさず、「どなたでしょうか」と続ける。その視線に射抜かれているような気がして、思わず視線を落とす。

「公安部の……風見さんを……お願いします」

ようやく口にしたその名は、舌の上で震えていた。言った瞬間、警官の表情が微かに変わるのを見逃さなかった。驚きでも、警戒でもない。ほんの一瞬の静かな間──それが、余計に不安をあおった。

「アポイントメントは取られていますか?」

事務的な声。
私は小さく首を振った。

「いえ…でも、緊急なんです。私、宮間りかと申します。名前を伝えてくださると……きっとわかると思います」

焦りで言葉が急くのがわかった。もはやお願いというより、縋るような声だった。
警官は一度視線を外し、内線の受話器を取る。ガラスの向こうで交わされる会話は聞こえない。けれど、視線の動きや口の動きで、誰かに確認を取っているのがわかった。
私はその間、両手を握りしめたまま、足元の床をじっと見つめていた。冷たい空気が、広いロビーの中でやけに肌にまとわりつく。祈るように、心の中で繰り返していた。
ようやく、受話器を置く音がして、警官がこちらに顔を戻す。

「……後ろの椅子に座って、少々お待ちください」

その言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。それだけで、救われたような気さえする。
私は言われた通り、振り返ってロビーの椅子に向かう。人工皮革の冷たい質感が背中に広がり、足元にはすべてを見透かすような光沢のある床。
──風見さんは、来てくれるだろうか。
──それとも……拒まれるだろうか。
──安室さんは、生きているの?
頭の中に、次々と疑問と恐怖が渦巻いていく。
私は膝に肘を乗せ、手の甲に額を押し当てた。誰にも聞こえないように、小さく、小さく呼吸を整える。どうか、この扉の向こうに、まだ希望が残されていてくれますように──。











「宮間りかさんですか?」

しばらくして、名前を呼ばれた瞬間、肩がびくりと跳ねた。
ゆっくりと顔を上げると、ロビーの奥から歩いてくる人影が見えた。モスグリーンのスーツ。整えられた短髪。どこか緊張を纏った姿勢──風見さんだ。
──来てくれた。胸の奥で、張り詰めていた糸がひとつ、ぷつりと切れる。
私は、ぎこちなく立ち上がった。足元がふわふわする。手のひらが湿っているのに気づいて、無意識にズボンの脇で拭った。
風見さんは私の前に立ち止まり、まっすぐな目を向ける。

「私に何かご用ですか?」

その言葉に、喉が詰まりかける。
けれど、頷かなければならないと分かっていた。

「……はい。そうです」

静かに、けれど確かに答えると、風見さんの眉がわずかに動く。冷静な表情の奥に、何か複雑な感情が揺れたのが見えた。

「なんでしょう」

その問いかけに、胸が苦しくなる。
何かを責められているわけじゃない。でも、息を吸うことすら、どこかで許されていないような気がして。

「そ、その……」

それだけを、かすれた声でようやく呟いた。
風見さんのまなざしが鋭くなる。

「それで、要件とは?」

重ねられる問いに、もう逃げられないと悟る。
私は、震える手を重ねるようにして前に組み、しばらく黙ったあと、ようやく、口を開いた。

「……安室さんは……どうなりましたか?」

その名前を口にした瞬間、胸がきゅうっと締め付けられた。
もし、もうこの世にいなかったら。もし、あの夜の血が止まらなかったら。もし、私が戻らなかったせいで──。
頭の中に、最悪の映像ばかりが次々と浮かんでは消えない。ベッドに横たわったまま、誰にも気づかれず、ひとりで苦しみ、息を引き取る彼の姿。「遅かったね」なんて、最後に微笑まれる幻が過ぎって、思わず奥歯を噛みしめる。
真実を知るのが、怖い。彼の名を口にした今、この場所で、それが「死」だと告げられたら──私は二度と立ち上がれないかもしれない。それでも、聞かずにはいられなかった。もし、生きていてくれるなら。今すぐにでも駆けつけたい。

「あの時以来、一度も会えてなくて。あなたなら……何か、知っているかと思って……」

風見さんは少しだけ目を細めた。
だが、すぐには答えは返ってこない。

「私がもし知っているとして、それをあなたに伝えるとでも……?」

問い返され、私は自然と頭を下げていた。
視線が足元を捉える。背中が震えた。

「……お願いです。ただ、消息を、知りたいんです……生きているのか……それとも……」

言葉が続かない。口の奥が熱くなり、喉が詰まる。
怖い。でも、知らないままのほうが、もっと怖い。顔を上げられないまま、私はようやく声を絞り出した。

「……最後、一緒にいた時……彼は、重傷を負っていて……本当は置いていきたくなかった。でも、薬が必要で……それで、あの……」

涙が一滴、ズボンを握る手の甲に落ちた。悔しさも、悲しみも、怖さも、全部が混ざっていた。
その時だった。風見さんが静かに胸ポケットから手帳を取り出し、何かをさらさらと書きつける。音すら静かなその動作に、私は呼吸を止めた。
風見さんは、書き終えると、そのページを破り取って私に差し出してくる。

「……そこを訪ねてください」

私は視線を上げて、それを受け取った。

「安室さんは、そこにいます」

時間が、止まったようだった。
その言葉に、何かが弾けた。握った紙がぶるぶると震える。呼吸が乱れ、胸がつぶれそうになる。

「……生きて……るんですね……」
「ええ。彼が、あなたを捜しています」

声が出たとたん、堰を切ったように涙が溢れ出た。

「……ありがとう、ございます……本当に……ありが……っ」

思いのすべてが崩れて、私はその場に崩れ落ちた。嗚咽が止まらなかった。風見さんが少し驚いたように見えたけれど、何も言わなかった。
私はただ、風見さんの言葉を胸の中で何度も何度も繰り返した。
──安室さんは、生きてる。
──私を、探してる。
それだけで、すべてが報われる気がした。しゃくり上げるような呼吸が苦しくて、それでも声にならない言葉を、何度も唇が繰り返していた。

「……よかった……よかった……っ……」

本当に、生きていてくれて──良かった。
ずっと、胸の奥で言えずにいたその願いが、ようやく形になった。手のひらを顔に当てながら、声を殺して泣いた。誰に聞かれても構わない。そんな余裕も、羞恥も、もう何もなかった。


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