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「まだまだだよ」

なに言ってるのとぷんぷん怒る伊作を前に、名前は肩を落とした。
マメの潰れた両手の経過観察と包帯交換が終わり、軽い気持ちで投げ掛けた食堂の手伝い再開のお伺い。
それが良くなかった。名前の問いかけに、即答で否を突きつけ伊作は捲し立てた。

「いいかい、名前さん。たかが肉刺と言っても化膿したらとても厄介なんだよ。圧迫も刺激もよくないから、何かを強く握ったりもダメ。あと重たいものも持たないように。水仕事なんて論外だからね!」

最低でも皮がしっかり張るまでは、食堂はおろか他の手伝いも禁止だと保健委員会委員長から通告されてしまえば、逆らうことなど許されない。
小さい怪我ほど軽く見たら命取りになるやら、名前さんは自分のひ弱さを全くわかってないやら、くどくどと続く伊作の説教を、はいその通りですと大人しく聞く名前の腕を水色井桁模様がつついた。
1年ろ組の鶴町伏木蔵。スリルとサスペンスが大好物な保健委員である。

「伊作先輩を怒らせるなんて、もしかして名前さんもスリルをお求めですか?」

同士発見とでもいうようにキラキラとした眼差しでそう問いかけてきた伏木蔵に、名前はふるふると首を振った。
期待に添えなくて申し訳ないが、全く求めてないんだと。

──

欲しいのは丈夫な身体と心の安寧。
そう願った先日の伏木蔵とのやりとりを思い出しながら、名前は長屋の掛札を見て呟いた。

「なんでまた5年なの……」

これでもう3度目の「5年」の掛札。
スリルも求めていないが、ホラーはもっと求めてないと名前は心の内で叫んだ。昼間だからまだ良かった、これが夜であったなら悲鳴をあげたに違いない。
似たような部屋が連なるは長屋の特徴でもある。そのため一目見て分かるよう部屋にはそれぞれ掛札が掛けられている。
その掛札を頼りに1年から5年までは順当に来たが、目的地である6年長屋に一向にたどり着かないのだ。
別の長屋そのまた別の長屋に向かえどそこにあるのは「5年」の掛札。
目の前で起こっている怪奇現象に名前は立ち尽くした。おかしいとは思うものの、どうすることも出来ない。
こんなことなら先ほど小平太を見かけた時に声をかければ良かったと、名前は後悔した。
ただ用があるのは小平太ではなく、図書委員会委員長である中在家長次。竹取物語読了の報告と、本の選定のお願いをするためである。


下級生用の本、とはいっても崩し文字に苦戦し、名前の読書の進捗具合は鈍足だった。
そんな時に受けた伊作からの手伝い禁止命令に、この機会にと名前は竹取物語の読破を目指した。
は組での授業後、本を読んでは解らない文字をノートに書き起こし、夜に土井や山田に不明箇所を習うこと3日。つい先程ようやく読み終わったのだ。
喜びの勢いのまま、図書室に向かうも長次は居らず、彼に会う為6年長屋の部屋を目指したところ、この不可解な現象に巻き込まれたというわけである。
運悪く周りに誰もおらず尋ねることもできない。
最終手段、“小平太を呼ぶ”が頭をよぎったが、さすがにこんなことで呼び出すのは申し訳ないと名前は思い留まった。
現代に残る忍者屋敷のように、なにか絡繰りや仕掛けがあるのかもしれない。
ひとまず自力でと、足を踏み出した時だった。
急に開いた部屋の扉、そこからぬっと出てきた手が名前の身体を音もなく中へと引きずり込んだ。
突然のことに声をあげようとするも、口を覆われ叶わない。名前は恐怖にぎゅっと目を瞑った。
背中に感じる温度と身体を拘束する腕。背後にいるのは人だ。
バクバクと跳ねる心臓が痛い。
そろりと目を開け、視界に入ったのは藤色、そして特徴的な毛先と人懐こい丸い目。
見覚えがある人物に名前は目を見開いた。

「あはは!びっくりしてる」

けらけらと笑うのは5年の尾浜勘右衛門だった。あの日食堂で会った以来だ。
笑い事じゃないよ。そう言おうとして名前ははたと気がついた。口を覆っている掌はそのままだったと。
自分を拘束しているのは一体誰なのか。
顔を斜め後ろに動かした名前はあれと思考が混乱した。その顔をついさっき見たばかりだったからだ。
図書室で長次について尋ねた時「中在家先輩なら長屋にいると思いますよ」と教えてくれた優しげな微笑みを浮かべた男と同じ顔。
はじめましてだったが、忙しそうにしていたため、自己紹介も出来ず名前は分からない。
視線に気がついたのか、男の顔が名前の方を向いた。
ぱちりと目が合うと、男─鉢屋三郎はにぃっと口に弧を描いた。

「さっきはどーも」

勘の悪い名前でもすぐに察した。
妙な怪奇現象の原因は絶対にこの2人だと。

「三郎、口から手を離してあげないと名前さん喋れないよ」
「ああ、そうだな」

口からようやく掌が離れ名前は、はぁと息をついた。しかし身体に巻かれた腕は離れずじまいで、抜け出そうとじたばたと暴れるも無意味に終わった。
何故か拘束はまだ解いてはくれないらしい。
手荒なまねしてすみませんね。などと笑う三郎の態度に、絶対に悪いなどと思っていないだろうと憤る。
名前は目の前の勘右衛門にじとりとした目を向けた。

「びっくりどころじゃないよ!口から心臓が飛び出るかと思ったよ!」
「ごめんね、名前さん。
でも約束したでしょ?またゆーっくりお話しようねって」
「なら普通に話かけてくれればいいんじゃないのかな?」

なんでこんな驚かすようなことをと問うも、おもしろそうだったからと笑う勘右衛門に名前は閉口するしかない。

「それにしても、名前さんいつの間に先輩方とあんなに仲良くなったの?」

俺の方が先に声をかけたのになぁと勘右衛門は面白くなさそうに小さく独りごちた。
名前と邂逅した日の夜に急遽決まった5年全員での長期実習。
約十日ほど学園を留守にし、戻った時には名前を取り巻く状況が一変していた。話しかけようにも見かけた名前の表情は暗く、その上どういうわけか6年の潮江文次郎が結構な頻度で名前を監視していた為、接触は諦めるしかなかった。
そう、全ては長期実習、そしてギンギン先輩のせいである。
仲良くなった発言に、嬉しそうに笑う名前の反応も勘右衛門は面白くないのだ。

「ところで勘右衛門、例の物は持ってきたのか?」
「もちろん!」

三郎の問いかけに、じゃじゃーんと効果音がつきそうな勢いで勘右衛門が掲げた物。
見覚えのありすぎるそれに、名前は「私のかばん!」と声をあげた。
つい先日、例の名字名前報告会の後に返ってきたリュック。客間の押し入れにしまっておいたはずだ。
どうしてそれを彼が持っているのかと、名前が怪訝に思っていると、それを察知したのか勘右衛門は「ちょっと拝借しました」と事後報告を加えた。

「それにしても名前さん、おもしろそうなもの沢山持ってるねー」

ごそごそとリュックの中を漁り始めた勘右衛門に名前は戦慄いた。
プライバシーも何もあったものではない。
いやそれよりもと、頭を過ったのは“未来人言っていいのか悪いのか問題”だ。
誰にでも話していいわけじゃないとは分かるが、彼らはどうなのか。いや、物を見られてからでは誤魔化しようもない。
勘右衛門に制止をかけようと名前が口を開こうとした時だった。

「そこまでだぞ!」

上から降ってきた人影。
どどんと勢い良く現れた人物に、名前は目を輝かせ、勘右衛門と三郎はげっと顔をしかめた。

「小平太くん!」
「名前、迷子になったら叫べと言っただろう?」

今か今かと呼ばれるのを待っていたのに、と名前へと笑いかける小平太の言葉に三郎はぴくりと反応した。

「七松先輩、一体いつから監視してました?」
「ん?最初からに決まっているだろう」

全然気付かないとはまだまだ甘いなお前達と笑う小平太に、勘右衛門と三郎はひくりと表情をひきつらせた。
気配など微塵も感じなかったのだ。
普段は1里先に居てもわかるのではと思うほどの存在感だというのに、身を隠す際にはどうしてこうも完璧に気配を消せるのか。
持って生まれたセンスか培った経験の差かわからないが、技術力の違いに唖然とする。
まだまだ壁は高いなと三郎がぼやいていると小平太と視線が絡んだ。

「鉢屋、いつまで名前を抱いている気だ?」

もう十分だろうと咎める言葉を受けた三郎は即座に両手をあげ、名前の拘束を解いた。
今後の変装のためにサイズ感を測っていたこともバレているらしい。
それにしてもだ。仮にも可愛い後輩相手に向けるには物騒すぎるそれに、三郎はたまらず冷や汗をかいた。
何も刺すような視線を向けることはないでしょうに、と心の内で毒づいた。



「「怖がらせてすみませんでした」」

並んで頭を下げる2人、ぼろぼろの勘右衛門と三郎の姿を前に名前は「もういいよ」と苦笑いを浮かべた。
本当に怖かった。正直言えば、文句の1つや2つでもと思ってはいたのだが、小平太による鉄拳制裁を見た後では追撃する気持ちは無くなった。

「お前達、許して貰えて良かったが、もうこんな拘束するような真似はするなよ」
「分かってます。でもよく分かりましたね、僕たちが今日動くだろうって」

勘右衛門の問いかけに、小平太はにやりと笑った。

「まあ、全ては仙蔵の見立てだ。6年の不在が多い日を狙ってやるだろうとな。実行するのがお前達2人というのも折り込み済みだったぞ。久々知、竹谷、不破の委員会活動がある日に照準を当てたからな」

つまりは誘導されたということか。
その事実に勘右衛門と三郎は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
脳裏によぎるは6年の面々のしたり顔だ。

「忍なら裏の裏、そのまた裏を読まないとな!まぁ、そう肩を落とすな。今回は特に読みやすかったからな」

私がお前達の立場なら同じことをしたと小平太は笑うが、2人の表情は悔しげだ。
蓋を開けてみれば、最初から最後まで6年の手の内をコロコロと転がっていたというオチなのだ、無理もなかった。

「よし!じゃあ長次のところに行くか、名前」
「えっ?」

リュックを持ち部屋を出る小平太に名前は声をあげた。
話さなくていいのだろうかと思うものの、勝手な判断は出来ない。
とりあえずは土井に相談してからと考え、名前は2人に近づいた。

「ごめんね、2人とも。大丈夫だって分かったらちゃんと話すから」

痛かったよねごめんね。
小平太に叩かれた頭2つを撫でつけると、名前は小平太に続き部屋を後にした。





◇◇◇





「それで、どうだったんだ?」

夕食を終え、集まった5年ろ組の部屋。
部屋に入るやいなや興味津々と口を開いたのは竹谷八左ヱ門だ。
生物委員会委員長代理である自分が活動を抜けるわけにはいかないと、今回の作戦には参加しなかったが、そわそわと気にはなっていたのだ。
だが、その質問をした途端に急降下した勘右衛門と三郎の機嫌に、八左ヱ門は隣の兵助にこそりと耳打ちした。

「俺、質問まずったか?」
「番犬が居たんだって」

ヘムヘムじゃないよと苦笑いで返した兵助の答えに即座に反応したのは三郎だった。

「犬なんて可愛いもんじゃない。猛獣だよ、猛獣!」

ぼやきというよりは心の叫びのようなそれに八左ヱ門は「ああ七松先輩ね」と遠い目をした。
かくかくしかじか。最初から計られていたことを聞いた兵助も八左ヱ門もふむと唸った。
余計に名字名前のことが気になってきた。
下級生の噂では「ちょっとおかしな食堂のお姉さん」らしいが、怪我をし手伝いは休んでいるため、実際にはまだお目にかかれていないのだ。
ただ、6年生がそこまで肩入れをするとなればそれだけではないのだろう。
話せたらちゃんと話すとは言っていたが、いつになるかわからない。
次こそはと意気込む勘右衛門と三郎を見ていた不破雷蔵は呆れ気味に問いかけた。

「普通にお願いしに行けばいいんじゃないの」

珍しく迷うことなく口にした雷蔵の正論にきょとりと丸くなる8つの目。
それもそうだと意見が一致した。
ああいう悪戯相手を慮るようなお人好しが相手の時には、奇をてらうよりもこういう正攻法が一番効果的だ。

「「名前さんのこと教えてください」」

そう言って名前のいる客間に5人が押し掛けるのは、この後すぐのことである。





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