15

起き抜け、目に入った変わらぬ部屋の造りに無意識に漏れた溜め息。
沈みそうになった気持ちを切り替えるべく、名前はぱちりと自身の頬を両手で軽く叩いた。
よしと気合いを入れると、抜け出した布団を畳んで、寝間着から小袖に着替える。
こちらに来て約半月。ぎこちなかった着付けもだんだんと慣れ、今では手順よく着れるようになった。自分で言うのもなんだが、小袖姿も様にもなってきたなと名前は思う。
あとは少し化粧をして準備万端だ。


部屋を出てすぐ、目に入った青と橙が綺麗な朝焼けの空に名前は足を止めた。
この時代に来てからはよく見るようになった朝焼け。
現代は夜も明るいため、朝昼晩問わず活動が出来る。その反面、夜遅くまで動くことが当たり前となった。
学業にアルバイトにと忙しくしていた名前も典型的な夜更かしタイプで、現代にいた時には朝焼けを見たことなど片手で数え足りるほどだった。
だが、この時代はそうはいかない。火を灯す為の蝋も貴重、朝型になるのは当然のことだった。
朝方の清んだ空気が漂う廊下を散歩がてらに歩く。
時計などもちろん無いため、正確な時間は分からないが、今日はいつもより早い起床のようで、いつもなら聞こえてくる下級生たちの賑やかしい声はまだ無い。
朝一番で行われる忍たまらの朝運動。名前は朝食前に聞こえてくるあの「いっち、にっ」という可愛らしい掛け声が好きだった。聞いているだけでなんだか元気を貰えるような気がするからだ。
今日のような爽やかな朝に特にぴったりだ。早く聞こえないかなと名前が頬を緩めた時だった。

「ギンギーン!!」
「どんどーん!!」

学園内に響き渡るほどの猛々しい声と爆発音。
名前はふうと溜め息をついた。残念ながら爽やかな朝は終了のようである。






声の元である6年長屋の縁側、名前は目の前の光景に乾いた笑いが出た。
木に向かい縄を打ち付ける長次は別として、泥だらけの伊作と小平太、傷と煤だらけの文次郎と留三郎の4人は朝一番とは思えない姿だった。
名前の存在にいち早く気づいた仙蔵だけが、朝にふさわしい爽やかな成りだった。

「名前さん、おはよう」
「立花くんおはよう。みんな、朝から元気だねー……」

名前のその呟きに、そうだろうと胸を張る面々、主に鍛練馬鹿3人を仙蔵は呆れ見た。
どう見ても名前の視線は生温かい。
褒められてはいないぞ、とわざわざ指摘するのも野暮かと心の内に留めた。
鍛練を再開した同輩達を横目に、仙蔵は一足先に鍛練を切り上げると顔を洗った。
火照った肌に冷たい水が心地よい。
手拭いで汗と水気を拭いながら、仙蔵は縁側の名前の横へと腰掛けた。
手裏剣を打つ小平太と縄標を操る長次。目の前で繰り広げられるその様子を見て、凄いなぁと感嘆の声を上げる名前を仙蔵は盗み見る。
先程とは違い輝いているその瞳。まるで、純粋に憧れを抱いている下級生のようだ。
そういえば前に小平太が、“名前は手裏剣裁きに興味津々だった”と言っていたことを思い出した。

──世間知らずの教養無し。

そんな名前への評価は、彼女の事実を知ってからは仙蔵の中で少しずつ変化していた。
未来から来たという彼女は忍に関することはおろか、常識的なことも何も知らない。なんなら文字の読み書きすらも危ういほどだ。
成り行きとはいえ、無知だからと甘えることなく、は組で土井の授業を受け、長次に本を借り教師らに教えを請うその姿勢は好ましく思う。
しかしと、仙蔵は手に巻かれた包帯を見やった。
少々無理をするきらいがあるなとも思うのだ。元々がそういう性分なのか、特殊な環境のせいかはわからない。
奴は全力で否を唱えるだろうが、ほんの少し似ていると思った。
彼女を見ていると妙に構いたくなる欲求が湧いてくるのはそのせいだろうかと仙蔵は一人笑む。
小平太と長次から代わり、奴─文次郎と留三郎がそれぞれの獲物を構え対峙した。その様子をはらはらとした表情で見ている彼女は、今度はまるで弟らを見守る姉のようだ。
年上なのか年下なのか、つくづく分からない人だなと仙蔵は思った。




「名前は年はいくつなんだ?」

朝の鍛練はここまで。汚れた顔を手拭いで拭いながらそう尋ねたのは小平太だった。そういえば聞いてなかったなという純粋な興味かららしい。
気になっていたのは自分だけでは無かったのだなと思いつつ、仙蔵は「女性に年など聞くものではない」と一応形式的に咎めた。
普段から細かい事を気にしない男に小言など無意味なことはもちろん承知の上である。

「言ってなかったかな?19歳だよ」
「「は?」」

問いかけた小平太はもちろん側にいた仙蔵も名前の返答にたまらず驚嘆の声を漏らした。
自分達とさほど変わらないであろうと勝手に思い込んでいたためだ。
ただ、文次郎、長次、伊作、留三郎も同様のようで、皆が皆目を丸くしている。
6人の心情はただ一つ。
─こののほほんとした彼女が、あの売れっ子フリー忍者利吉よりも年上だと言うのか?─である。

「驚いた、私達よりも4つ年上なのか」
「え?小平太くんたち15歳なの!?」

しかし、彼らを同い年くらいかなと思っていた名前も同様に驚いた。
……本当に?15歳?
つい視線が動き、ぶつかったのは隈の酷い目。
しまったと、名前はさっと顔を反らしたが遅かった。

「名前、今真っ先に俺を見ただろ?!」
「いや、だって。潮江くん、中でも一番、あの、大人っぽく見えるし。その……ごめん」
「おい、そこで謝るなよ!」
「文次郎は老け顔だからな!仕方ねぇ!」

5人皆がげらげらと腹を抱えて笑う中、文次郎は迷うことなく留三郎へと飛びかかった。
ギャンギャンと始まる乱闘。慌てて仲裁に入ろうとした名前の腕を長次はそっと引いた。

「……ほっておけばいい」

あの2人の喧嘩などいつものこと、関わるだけ無駄だ。それより怪我をしては事だと諭せば、名前は長次の言葉に大人しく従った。

「それにしても名前さんが19歳とは、失礼だが全く見えないな」

てっきり同い年くらいかと。
そう言ってからかいの笑みを浮かべる仙蔵を名前は不満げに見た。
確かに大人っぽいなどと言われたことはない。しかしだ、そんなにも幼く見えていたのだろうかと。
これでも成人。15歳といえば現代では中学生、さすがに無い無いと名前は内心で否定した。
特に背が低い訳でも童顔という訳でもない、平々凡々、一般的な範疇である。
そういえばと、名前は歴史の授業で習った事を思い出した。元服といって、時代によって成人の年齢は異なること。
彼らの反応からするに、19歳はこの時代ではもう立派な大人に当たるのだろうと、名前は自身を納得させた。

「仙蔵、その辺にしておきなよ。大人な名前さんが拗ねてるよ」
「拗ねてません!伊作くん、顔が笑ってるよ。立花くんもだけど、からかって面白がってるよね?」

言葉と表情が合っていないと伊作をじとりと睨み付ける名前を見て、仙蔵はふふと笑った。
そういう反応が子どもっぽいのだという自覚はないようだ。
からかいついでにと、仙蔵は仕掛けた。
伊作に向いている意識を己に向けるため、そっと名前の手を握る。
すると想定どおり伊作との語らいをやめてこちらを向いた丸い瞳。視線が合わさると仙蔵は儚げな微笑みを浮かべた。

「それはそうと、名前さんは私のことをいつ“仙蔵”と呼んでくれるのだろうか?」

小平太と伊作だけ名呼びとは名前さんもいけずだと寂しげに告げれば、名前のきょとんとした表情は一変した。
予想どおり慌てふためく名前の反応の良さに仙蔵は表情こそ変えなかったが、満足した。
哀車の術と呼ぶ程ではないものにも、これほど見事に引っ掛かってくれるとはからかいがいがある。

“仙蔵、何してるの?!”
“見たままだ、口説いている”

飛んで来た矢羽音にそう返し、引きつった顔の伊作へと仙蔵はにやりとした笑みを向けた。
その他の横から突き刺さる唖然とした視線らは黙殺する。
伊作と小平太2人だけ何故名呼びなのかと不満を抱いているのは事実だ。

「えっと、名前で呼んでるのは全然深い意味とか無くて。これからは立花くんのことは仙蔵くんって呼んでいいかな?」
「いいえ、仙蔵と」

そうでなければ返事はしませんと突っぱねる仙蔵に名前は困惑した。
いつも冷静で紳士然としているのに、なぜ急に聞き分けの悪い子供のようになってしまったのか。
いや、いくら大人っぽく見えていても彼も15歳、難しい年頃なのかもしれない。
ついこの前も、しんべえと喜三太相手に激怒しているところを見かけ驚いたばかり。
ここは1つ大人なところを見せる時だと名前は意気込んだ。

「仙蔵」

先程まであんなに騒がしかったというのに、間が良いのか悪いのか、しんとした静寂の中響いた己の声。
勢いで口にしたはいいが、羞恥心によりじわりじわりと顔に熱が帯び、名前は堪らず顔を伏せた。
“仙蔵くん”は躊躇なく呼べるのに、敬称が無いだけでなぜこんなにも恥ずかしいのか。
異性を呼び捨てにしたことなどあまりないが、想像していた以上に高いハードルだったらしいと名前は自己完結させる。
それにしても要望に応えたというのに、当の仙蔵くんからの反応が無いのはどうしてか。
疑問に思った名前は顔をあげた。
そこには喜ぶどころか、肩を震わせ笑いをこらえている仙蔵の姿。
名前は察した。またからかわれたのだと。

「……立花くん」
「すみません、名前さんが馬鹿、いえあまりにも素直で。それと立花くんに戻ってますよ?仙蔵です」
「さすがにもうひっかかりません!」

バカも聞こえてたよと言いながら、握られたままだった手を引き剥がそうと名前はぶんぶんと腕を振る。
もちろんそう易々とさせるはずもなく、仙蔵は笑顔のままさらにぎゅっと手を握った。
ここで“立花くん”に戻っては堪らない。
小平太と伊作だけ何故という思いは本心だと告げれば、名前の表情はまだ疑わしげではあったが、しぶしぶ納得したようだった。

「名前!長次も名が良いと言ってるぞ!」
「名前さん、俺も留三郎でいいぞ」
「いや、名前、こいつは食満と呼び捨てで十分だ」
「じゃあ、お前なんか“潮”で十分だろ」
「いや、ならお前は“け”だ!」
「もうやめなよ、留三郎も文次郎も」

しっしっ、けっけっと罵り合う犬猿、それを間抜けだと笑う小平太に長次、困り顔で諌める伊作。
仙蔵はそんな彼らを見て笑う名前を見やる。
彼女のことを好意的に見ているのは確か。
だが、それが友愛か敬愛か性愛か。もちろんそのどれでもないかはまだ分からない。

今は“仙蔵くん”に甘んじるとしよう。

独占したいという欲が湧いてくるまでは皆と彼女と過ごすのも悪くないと、仙蔵は微笑んだ。






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