16

教師である土井の1日は忙しい。午前中は進みの悪い授業をなんとかこなし、昼からは実習補助や任務を行う。夜は同室の山田と学園であったことや授業に関して議論を交わすか、視力検査のような点数のテストを採点して胃を痛めるかである。
多少の差はあれど、似たような毎日だ。
「ちょっとは遊びなさいな」と山田に言わしめる程に色恋や娯楽とは縁遠い生活だが、土井自身が特に不満を抱いていない為、忍術学園で働くようになって5年程経つ今も現状を維持している。
しかし、つい最近その過ごし方に変化が起きた。
それは、未来から来た名字名前との読本会だ。
神妙な顔で「ちょっとご相談が」と名前から言われた時は何事かと構えた土井だったが、聞けば文字を教えて欲しいというなんとも可愛らしいお願い事だった。断る理由などあるはずもなく、もちろんと二つ返事で頷いた。
初めは、名前が一人で本を読み、読めなかった文字を習いに土井の部屋を訪れていた。
だが、それでは効率が悪いだろうと一緒に読むのはどうかと土井が提案したのだ。
兵法書は良く読んだが、御伽話の類いはあまり手を出していなかったため、土井にとっても名前と過ごすこの時間はかなり新鮮だった。
子ども向けと侮っていたが、中には風刺の意味も込められているものもあり、奥が深いのも良い発見だ。
さて、そろそろ来る頃かなと、土井は机の上に散らばっていたテスト案をささっと片付けた。
山田との語り合いも有意義で楽しかったが、名前と過ごす時間も密かに心待ちにするほどに楽しい。
こんこんと控えめに叩かれた扉と待ち人の声に、土井はどうぞと促した。







「幸せな結末で良かったですけど、酷い継母でしたね」
「そうだね」

名前と土井が肩を並べて読んでいたのは落窪物語。最終的には身分の高い男と幸せになるのだが、美しい容姿を持つ姫が継母に弄ばれる話で、まあまあえげつない内容だった。
同性ながら「女の嫉妬は怖いですね」と呟いた名前に土井は、いや本当に、と内心で同意した。
妬み嫉みが絡んだ女性の恐ろしさは経験している。山田伝蔵、いや伝子の一件である。
伝子は山田の女装時の名前だ。彼女を女性と区分するか否かについてはさておき、土井から見れば伝子はどこからどう見ても山田伝蔵そのままだ。
その伝子との一件は数年前、土井が学園で働きだして間もない頃のことだった。
発端は土井が山本を褒めたことに始まる。
初めて山本シナの男装を見た時、土井はその完成度の高さに感動した。どこから見ても男。それも往来する女性皆を振り向かせるほどの美男子だった。それを山田に話したところ、なぜか妙な嫉妬心を燃やしたのだ。
それからしばらくの間、伝子に変化する度に、どうだどうだと評価を迫られ続けた。あまりのしつこさに夢にまで出てきたほどだった。
あの容貌から繰り出される接吻投げの破壊力は凄まじい。
地獄のような思い出に小さく身震いし、土井はぶんぶんと頭を振り伝子の残像を消し去ると、名前へ賛辞を送った。

「それにしても名字さん、よく読めているよ。すごいじゃないか!」
「ほんとですか?土井先生の教え方がいいおかげですね」

謙遜しつつも、褒められたことが嬉しいのだろう、照れ臭そうに笑う名前に土井は涙が出そうだった。
「「そうだ、まだ習ってないんだ!」」
「いいや、教えたはずだー!」
というお約束ともいえるやり取りを繰り返すは組の良い子たちからは、出たことない言葉である。
読めない文字を問う真剣な眼差しも、きらきらとした目で文を追う姿も、名前の健気さは見ていて微笑ましい。
は組の良い子達もほんのちょっとでいいからこの姿勢を目指してくれれば、と土井は切願するが残念ながら望みは薄い。

「でも、どの時代にも似たようなお話があるんですね。私が知ってるお話もそうなんですけど」

そう言って名前が話し始めたのは、有名な灰かぶり姫のあらすじ。南蛮から伝わってきた話で、そこに登場するお姫様も継母らにいじめられるが、最後は王子様と幸せになるのだと言う名前に土井は問いかけた。

「おうじさまって誰なんだい?」
「えーっと、この時代だとお殿様の息子さんとかになりますかね?」
「ああ、若様ということだね」

なるほど納得といった風に土井は頷いた。
この手の物語の結末はどれも決まっている。不遇な娘を助け出すのは大抵が見目麗しく権力のある男。
御伽話特有の甘美な話。だからこそ、読む者は惹き付けられる。
特に見目麗しいわけでも、振りかざす権力があるわけでもない自身には無縁な事柄だ、と土井は情緒もくそもない感想を抱いた。
元より運命論などをあまり信じていないため余計かもしれない。
身分の低い町娘が高貴な若君に見初められ結ばれる話が現実に無いわけではないが、極めて稀だ。
しかしと土井は隣の名前を見た。
彼女は年頃の女性、こういった話に憧れたりするものなのだろうかと少し気になった。

「名字さんも憧れますか?その“おうじさま”とやらに」

土井からの質問に名前は目を瞬かせた。
そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったからだ。
シンデレラや白雪姫など王道のお姫様の物語は一通り読んだが、それで王子様や王子様との出会いに憧れたかと聞かれれば答えはノーだ。
憧れたのはお姫様みたいにキラキラのドレスを着たいとかそういうもの。
ただ、土井が問うているのはそういうことではなく、運命的な出会いの類いなのだろう。
運命的とは少し違うが、今がまさにそうだと名前は思った。
知らぬ間に過去に来て忍者に出会う。そんなおとぎ話みたいなことが起こるなど微塵も思っていなかった。
おとぎ話の結末はどれもハッピーエンド、知り得る限りバッドエンドは訪れない。輝夜姫は月に帰り、落窪姫は素敵な恋人と幸せになった。

─じゃあ、私の結末はどうなるのだろうか?

起きたことはおとぎ話のようだが、この身に起きていることは紛れもなく現実だ。呼吸をし、生活を営み、喜びも痛みも感じている。
不意に湧いた思いに名前はぎゅっと目を瞑った。そうしなければ、蓋をしていた何かが溢れそうだった。
考え出したらいけない、考えるなと自身に言い聞かせる。

「名字さん?」

呼び声に名前が顔をあげると、心配そうな表情の土井と目が合った。
急に黙ってしまったことを変だと思ったのだろう。
名前はしまったと慌てて取り繕った。

「えっと、王子様との出会いに憧れたとかは特になかったですよ。ただ、運命的というかおとぎ話みたいなことは、本当にあるんだなって実感してます。今が正にそうなので!
ごめんなさい、ちょっとぼーっとしちゃってました」
「いや謝ることはないよ。疲れたかい?」

灯りの加減かもしれないが、少し顔色が悪いようにも見え、土井が尋ねた。

「そうですね、少し。文字をたくさん読んだからかもしれないですね」
「なら今日はお開きにしようか」

無理をするものじゃないからねと優しく笑う土井に、名前も頷くと本を片した。
良かったと、誤魔化せたことに名前はひどく安堵した。
吐露してはいけないと、気持ちを底へ底へと押し込んで蓋をする。
優しい彼に、これ以上迷惑をかけてはいけないのだと。

「土井先生、ありがとうございました。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」

土井の返事を聞くや、名前は部屋を後にした。
早足で部屋に戻り、布団の中へと潜り込む。
一人にはなりたくない。でも一人にならないと溜め息や泣き言は溢せない。
そんな矛盾の気持ちを押し潰すように、名前は自身の身体をぎゅっと抱きしめた。





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