17

かんかんと小気味良い音が響くは教職長屋の一角。
音の元は、鉄双節棍ではなく金槌を相棒にした用具委員会委員長の食満留三郎だ。

「名前さん、高さはこんなもんで大丈夫か?」

具合を確認して欲しいと言う声に、名前は掃除の手を止めると留三郎のもとへと向かった。
そこにあったのは真新しい文机。連子窓の下に設えられ、机を太陽の光が照らしている。
するりと手触りのよい綺麗な机は高さも大きさも丁度良い。
机をまじまじと見つめ、名前はその仕上がり高さに声を弾ませた。

「留三郎くん、ばっちりだよ!」

器用だねという名前からの褒め言葉に、それほどでもないと留三郎は謙遜した。
机を設えること自体は本当に大したことはない。しかし、木材の下処理に相当の時間をかけたことは名前には内緒である。

「ありがとう、留三郎くん。でも、本当に手伝ってもらっていいの?委員会活動も大変なのに」
「名前さん、それ聞くの何度目だ。本当に気にしなくていいって」

申し訳なさそうな名前に留三郎はからりと笑った。






決行された名前の引っ越し。引っ越しと言っても客間から教職長屋へという近さである。
マメの皮の経過も良好、両の手の包帯ももういらないと、昨日伊作から許可が降りたからだ。
ただ、重いものを持つことはまだ禁止ということもあり、応援要請が用具委員会にかかった。
力持ちのしんべヱを始め用具委員のおかげで、部屋にあった荷物は全て蔵へと移し終わり、残すは掃除のみ。
あとは一人で大丈夫だと言う名前に、留三郎は最後まで手伝うと買って出た。心配性な同室から「くれぐれもよろしくね」と念を押されたのもあるが、それが無くとも手伝うつもりだった。
守一郎ら下級生の解散後、名前と留三郎はせっせと室内の掃除に励んだ。
通常の部屋よりも若干狭めの造りの元物置部屋は、みるみるうちに綺麗になった。
塵や埃で汚れていた床は水拭きにより元の木の色を取り戻し、仄暗かった室内も心なしか明るくなった。

引っ越し計画自体はあの学園長の庵での報告会の時に決まっていた。「いつまでも客間というのものう」という学園長の一声である。
そこからがまた一波乱。
客間から何処に移るのかとなったのだが、くのたま長屋は埋まっていて空きがなかった。
「どこでも大丈夫です」と名前は言ってはいるが、諸々の事情を考えるとそういうわけにはいかない。
どうしたものかと唸る山田伝蔵に、6年長屋に空き部屋があると小平太が声を上げた。だが、山田はそれを間髪いれず却下した。
何故ですかと不満げな小平太に、山田は名前には聞こえないようこそりと静かに耳打ちした。

──万が一に、間違いが起きては大変だからだ。

その言葉に皆が反応を示した。
頷く者3名。絶対に無いと言い切る者2名。そして馬鹿正直者1名だ。

「確かに。絶対に無いとは言い切れないかもしれないな」

しばしの黙考を経て出た小平太の呟きに仙蔵、長次、伊作の3人は無言で天を仰ぎ、文次郎、留三郎の2人は「馬鹿か!」と顔を真っ赤にして怒鳴った。
年頃の男であるから仕方ないと言えばそうなのだが、あまりに素直な物言いに土井は苦笑し、山田は溜め息を吐いた。
多大な誤解を招いているが、小平太の言い分はこうだ。
一般的な話として、惚れた女が近くにいたら触れたい抱きたいと思うのは当然。私らは男で、名前は女なのだからこの中の誰かがそうなる可能性が零ではないのでは。
という趣旨を言いたかったのだが、細かいことは気にしない男の言葉はあまりに端的すぎたようである。
6年長屋どころか忍たま長屋は無しという教師らの判断により、土井と山田の部屋の隣にある物置部屋を名前の部屋にする運びとなったのだ。


掃除もあらかた終了した。はたきや雑巾洗いなどを任せる体で名前を部屋から遠ざけると、留三郎は机に引き続き、棚を作り始めた。
再びかんかんという小気味良い音が響き渡る。
これは名前には告げていない内緒の贈り物。押入れに比べれば簡易的だが、収納が無いよりはいいはずだという留三郎の思いやりである。
最後に床、壁、天井にひび割れ等が無いか目視する。これも問題はなさそうだ。

「こんなもんか」

急拵えの部屋にしては申し分ない仕上がりだろう。
みちがえるほどに良くなった部屋を眺めながら留三郎が満足げに頷いていると、後ろから名前の歓声があがった。

「すごい!棚が出来てる!」

いつの間にと驚き目を輝かせている。
黙って監察していたことに対する罪滅ぼしもあったが、想像以上の喜びように留三郎はしてやったりと笑った。

しばし休憩と、名前は食堂から貰ってきたお茶を飲み、ふうと息をついた。
同じく一息ついている隣の留三郎を見て名前は口を緩めた。
今日は彼のいろんな一面を見たと思った。
これまで名前が見た留三郎は、きりっとした表情ばかりだった。元々がつり目にへの字眉という精悍な顔付きだからだろう。次に良く見るのは怒り顔だ。
そのため今日の荷物運びの最中の、用具委員の子達へ向ける柔らかい表情が名前の中でとても印象に残っていた。

「留三郎くんは弟さんとか妹さんとかいるの?」

名前の問いかけに、唐突だなと思いながらも留三郎は首を横に振った。

「いや、俺は末っ子なんだ」
「そうなの?!」

いるのは年の離れた兄が2人と言う留三郎に名前は意外だと驚いた。
下級生への接し方などから、てっきり下の子がいる兄だと思ったからだ。
ただ、末っ子と言われれば確かにそんな気もしてきた。
文次郎と言い合っている時の留三郎は特にそうだ。口にした途端に否定の言葉が返ってくるだろうなと、名前はこっそり笑った。

「留三郎くんはそのお兄さん達にとてもお世話してもらったんだね!」
「え?」
「しんべヱくん達とのやり取りがとても上手だなって思ったの。出来た時はちゃんと褒めて、出来なかったことも一度褒めてから教えてたりしたから。お兄さんたちにそうして貰ってきたのかなって」

いいお兄さん達なんだねと笑う名前に、留三郎は否定も肯定もせず、頬をかいた。
身内を褒められるのは嬉しいが気恥ずかしい。
しかし、それを言うなら名前だってそうだと留三郎は思った。
なんせあの1年は組の相手を出来るのだからと。

「名前さんこそいるだろ、弟とか妹とか」
「いるよ、良くわかったね」

元気にしてるといいんだけどね。
そう言って笑った名前を横目に、留三郎は内心でしくじったと思った。
すぐに笑顔で覆われたが、一瞬表情が陰ったのを留三郎は見逃さなかった。
帰り方もわからない──。そう言っていた彼女に身内話を振ったのは明らかに失敗だ。いつ会えるかもわからない者のことを聞くものではなかった。
そこにまで思い至らなかった己に舌打ちをすれど、すでに遅い。
私の弟はねと身内話を広げる名前に、留三郎は「そうか」とだけ相槌を返した。
話を広げても、止めても良くないだろう。そう判断した。





休憩後、荷物運びまでやると言う留三郎の願い出を固辞し、名前は1人で詰めの作業に取りかかった。
ほんの少しの荷物を運ぶだけ。留三郎の手を借りるのも悪いほどの量だった。
布団を運び、リュックと衣服を運んで終了である。
今は夕刻、昼過ぎから始めた作業は半日ほどかかった。留三郎らの手伝いがなければもっとかかっていたに違いない。
綺麗になった床に座り込み、備え付けられた棚、机、与えられた1人部屋を名前はぐるりと見回した。
もういいってと留三郎から言われるほどにお礼を言ったが、まだ言い足りなかった。
お礼したい人がだんだん増えていく。助けてくれた伊作に乱太郎、優しく支えてくれる土井や、食堂のおばちゃん。今日の留三郎のようにあれこれ気に掛けてくれる6年の皆。
たくさんの人が名前の心に浮かぶ。
恵まれていると思った。感謝してもしきれない程だ。

それなのに、どうしてこうも寂しさや不安が湧いてくるのか。

夜が迫り、暗くなっていく部屋の中、名前は膝を抱え顔を埋めた。
だんだんと日を追う毎に膨れ上がる負の感情。
いくら蓋をしても、漏れ出てくるそれをどうしたらいいのかわからなくなっていた。
ここに来てひと月ほど。名前はなるべく口にしないようにしてきた。
家族のことも、帰りたい思いも、不安も。
口にしたら最後、溢れだして止まらないと思ったからだ。
元の時代のことを考えない日はない。もちろん帰りたいと思っている。
だが、どんなに考えても、至る答えはいつも同じなのだ。“いつ”、“どうやって”という堂々巡り。

「…会いたい」

溢れるように落ちた言葉は、誰に拾われることなく消え入った。





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